大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

撰時抄 その18 (完)

問う:昔、このように言った人はあるだろうか。

答える:伝教大師は、「まさに知るべきである。他宗の拠り所とする経典は第一の経典ではない。したがって、その第一ではない経典を持つ者もまた、第一ではない。天台法華宗は拠り所とする経典が第一である。そのため、『法華経』を持つ者も人々の中で第一である。これは仏の言葉によることであり、自ら讃嘆しているのではない」と言っている。麒麟の尾についているダニは、一日に千里を飛ぶと言う。転天王に従う者が、一瞬ですべての世界を巡る、ということを非難すべきであろうか、疑うべきであろうか。上の伝教大師の解釈を肝に銘じるか。もしそうならば、『法華経』をその経文通りに持つ人は、梵天王よりも優れ、帝釈天を超えている。阿修羅を従わせれば須弥山をも担ぐことができ、竜を従わせれば大海をも干上がらせることができる。

伝教大師「(『法華経』を)讃嘆する者は福を安らかに積み上げ、謗る者は罪を地獄の底に向かって開く」と言っている。また『法華経』に「この経を読誦し書写して持つ者を見て軽蔑し妬み憎む者は、その人の命終われば、地獄に堕ちる」とある。釈迦の言葉が真実ならば、多宝仏の証明が確かならば、十方の諸仏の舌が一定ならば、今の日本のすべての人が、地獄に堕ちるということは疑いようがない。『法華経』に「もし後の世において、この経典を受け保ち読誦する者は、あらゆる願いも空しくならない。また今の世において良い報いを受けるであろう」、また「もしこの経典を供養し讃歎する者があれば、まさに今の世において目に見える果報を得るであろう」とある。この二つの文の各八文字、合計十六字の文は空しくなって日蓮が今生に大いなる果報がなければ、如来の金のように尊い言葉は、提婆達多の虚言に同じということになり、多宝仏の証明は倶伽利の妄語に異ならない、ということになる。そうなれば、正しい教えを非難するすべての人々も、地獄には堕ちないことになり、過去現在未来の諸仏もいないことになってしまうではないか。したがって私の弟子たちは、『法華経』の言葉通りに、身命も惜しまず修行して、この仏の教えが真実であるか試みよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

法華経』に「自分の命を愛せず、ただこの上ない教えを惜しむ」とあり、『涅槃経』に「たとえば、弁論に優れていて、巧みな手段の豊かな王の使いが、命令を受けて他国に赴き、命を失おうとも、ついには王の言葉を伝えるように、智者もまた同じである。凡夫の中において命を惜まず、必ず大乗仏教の仏の秘蔵の教えである『すべての人々にみな仏性があるのだ』と説くべきである」とある。

問う:どのような理由で、命を捨てるまでにならねばならないのか、詳しく教えてほしい。

答える:私は最初、「伝教大師弘法大師や慈覚大師や智証大師などが、天皇の命によって中国に渡ったことが、この『自分の命を愛せず』ということに当たるのだろうか。玄奘三蔵が中国からインドに入って、六度も命を落としそうになったこともこれか。雪山童子がたった半偈を聞くために身を投げ、薬王菩薩が七万二千年間、臂を燃やし続けたこともこれか」と思っていたが、経典の言葉によれば、そうではなかった。

経文に、自分の命を愛せずということは、まず、三種類の敵をあげて、彼らが悪口を言い、刀や杖を振るって、命を奪おうとすることがあげられている。また、『涅槃経』の文に、命を失おうとも、と書かれており、それに続いて「仏になれない者がいた。阿羅漢の姿をして、静かなところに住んで、大乗経典を誹謗する。多くの人はこれを見て、真実の阿羅漢であり、大菩薩であると言うであろう」とある。『法華経』の文に第三の敵について「あるいは寺院に衣を着て、静かなところにあって、世の人々に尊敬されている神通力を得た阿羅漢のような者がいる」とある。『般泥洹経(はつないおんきょう)』に「阿羅漢に似た仏になれない者がいて、悪業を行なう」とある。

これらの経文は、正しい教えを批判する本当の強敵は、悪王悪臣でもなく、外道魔王でもなく、破戒の僧侶でもなく、戒律をしっかり保ち、智慧のある僧侶の中にいるということを説いている。したがって、妙楽大師は「第三の最も大きな敵は、見破るのが難しいからである」と記している。『法華経』に「この『法華経』は諸仏如来の秘密の蔵である。諸経の中において最も上にあり」とある。この経文の、最も上にありという四字があるが、この経文が真実であれば、『法華経』がすべての経典の上にあると言う者が、『法華経』の行者であるということになる。

しかし、国王に重んじられている人々が多くいて、それらの人が『法華経』よりも勝っている経典があると言っており、そのような人々と論争しても、彼らは王や大臣の帰依を受けているが、『法華経』の行者は貧しいために、国をあげて卑しめるのである。そのような時、常不軽菩薩のように、賢愛論師のように正しいことを述べるなら、命の危険が迫るのである。これが第一の困難である。

この事は、今の日蓮自身に当たることである。「弘法大師、慈覚大師、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵たちは『法華経』の強敵である。経文が真実ならば、彼らは地獄の底に堕ちることは疑いがない」などと私が言うことに比べれば、裸で大火に入る方がたやすいのであり、須弥山を手に取って投げる方がたやすいのであり、大石を背負って大海を渡る方がたやすいのである。

日本にこの法門を立てることは、非常に重要なことである。『法華経』が説かれた霊山浄土の釈迦や宝浄世界の多宝仏や十方分身の諸仏や地涌千界の菩薩たち、さらに梵天帝釈天、日天子月天子、四天王など、現実的世界と霊的世界において助けて下さらなければ、一時一日も安穏でいられようか。

 

 

日蓮 #撰時抄

撰時抄 その17

問う:二つめにあげた文永八年九月十二日の時(注:龍口法難の前日、平頼綱に捕らえられ尋問される)は、どうして、日蓮を失えば自国でも他国からも、戦いが起こるとわかったのか。

答える:『大集経』に「もしまたあらゆる国の支配階級である国王が、あらゆる非法をなし、釈迦の声聞の弟子を悩まし乱し、あるいは罵倒し、刀や杖をもって打ち、および衣鉢や生活の道具を奪い、または布施をする者を妨害する者があれば、私たちは、彼に対して自然に速やかに、他方の怨敵を起させ、および自らの国土にも兵が起り、飢餓や疫病や異常気象や争いごとを起こさせ、またその王の国を間もなく滅ぼすであろう」とある。

このような文はあらゆる経典に多いとはいえ、この経文は身に当たり時に臨んで特に尊く思えるので、引用するのである。この経文に「私たちは」とあるのは、梵天王と帝釈天と第六天の魔王と日天子月天子と四天王などのこの世のすべての天竜などである。

これらの天の上主が、仏前に進み出て言うには、「仏の滅後、正法と像法と末代の時代において、正しい教えを行なおうとする者を邪法の僧侶たちが国主に訴えれば、王の側近や王に取り入っている者たちは、自分たちが尊いと思っている僧侶たちの言うことだから、それについて確認などせず、その智慧者をさんざん辱めるでしょう。そうなれば、何の理由もなく、その国に突然、大兵乱が起き、その後には他国に攻められるでしょう。その国主も失せ、その国も滅びるでしょう」とある。このような経文が成就してしまえば辛いことであり、成就しなければ、私の述べていることが嘘になるので、それもあり得ないことだ。

私にとっては、今生(こんじょう・今の一生という意味)においては、それほど失うものはない。ただ、自分が生まれた国であるから、その恩に報いようとして、この日本を助けようとするまでのこと。そのことが用いられないということは、もちろん本意ではない。その上、文永八年九月十二日の時は、懐に入れていた『法華経』の第五の巻を取り出して、さんざんに打ち、挙句の果てには、町の中を引きずり回すなどした。その時私は、「日天子と月天子はここにいながら、日蓮が災難にあっているのに助けないということは、日蓮が『法華経』の行者ではないからか。もしそうならば、私の邪見を改めてほしい。もし日蓮が『法華経』の行者ならば、すぐに国にその兆候を見せてほしい。もしそうしなければ、今の日天子月天子などは、釈迦仏や多宝仏や十方の仏を騙している大妄語の者となる。提婆達多の嘘偽りの罪や、倶伽利(くぎゃり)の大妄語よりも百千万億倍もの大妄語の天となるぞ」と大声を上げて言ったのだ。すると、たちまち国の中に反逆が起こる災難が起きた。このように国土が大いに乱れたので、私は単なる凡夫ではあるが、『法華経』を持っているので、この世においては日本第一の者であると言うのである。

問う:高慢の煩悩には七慢と九慢と八慢がある。あなたの大慢は、仏教で説く大慢よりも、百千万億倍大きいではないか。徳光論師は弥勒菩薩を礼拝せず、大慢婆羅門は四人の聖人を椅子の足とした。大天は凡夫にも関わらず阿羅漢であると名乗った。無垢論師は自分こそ、五天の第一であると言った。これらの人たちは、みな地獄の底に堕ちた罪人である。あなたはなぜ自分がこの世における第一の智慧者だというのか。地獄に堕ちないとでも言うのか。恐ろしいことである。

答える:あなたは、七慢、九慢、八慢などを本当に知っているのか。釈迦は、自らこの世で第一であると名乗られた。しかし、すべての外道はそれを聞いて、すぐに天に罰せられて、大地が割れて落ち込むだろうと言ったのだ。また日本の奈良七寺の三百人あまりが、最澄は昔の聖人の生まれ変わりか、などと言った。しかし、天も罰することなく、かえって左右を守護し、大地も割れず金剛のようにしっかりと支えた。伝教大師比叡山を建立し、すべての人々の眼目となり、結局、奈良の七大寺の方は、最澄に屈服して弟子となり、日本中は比叡山の檀家となった。

このように、実際に優れた者を優れていると言うことは、高慢ではなく大きな功徳である。伝教大師は、「天台法華宗が他の諸宗よりも優れている理由は、拠り所としている経典によるためである。自賛して他を貶めているわけではない」と言っている。また、『法華経』に「多くの山の中で須弥山が第一である。この『法華経』もそれと同じである。諸経の中で最もこれ第一である」とある。この経文は、『法華経』以前に説かれた『華厳経』や『般若経』や『大日経』など、そして今説かれたばかりの『無量義経』、そしてこれから説かれる『涅槃経』などの五千七千巻の経典、および、インドや竜宮や四王天や忉利天や日天月天の中にあるすべての経典は、土山、黒山、小鉄囲山、大鉄囲山のようであって、日本に伝えられた『法華経』は須弥山のようだという意味である。また「この経典を受け保つ者も、またこれと同じである。すべての人々の中で、最も第一の者である」とある。この経文をもって考えるに、『華厳経』を持つ普賢菩薩、解脱月菩薩など、また竜樹菩薩、馬鳴菩薩、法蔵大師、清涼国師、則天皇后、審祥大徳、良弁僧正、聖武天皇、そして『深密般若経』を持つ勝義生菩薩、須菩提尊者、嘉祥大師、玄奘三蔵、太宗、高宗、観勒、道昭、孝徳天皇、そして真言宗の『大日経』を持つ金剛薩埵、竜猛菩薩、竜智菩薩、印生王、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵、玄宗、代宗、慧果、弘法大師、慈覚大師、そして『涅槃経』を持つ迦葉童子菩薩、五十二類、曇無懺三蔵、光宅寺の法雲、南三北七の十師などよりも、末代悪世の凡夫であり、戒律の一つも持たず、仏になれないような者に見えるけれども、経文の通り、過去現在未来において、『法華経』より他は仏になる道はないと強く信じて、それ以外は何も知らない者の方が、これらの大聖人よりも百千万億倍勝っているという経文である。この聖人の中には、あるいは『法華経』に移ろうと考えている人もおり、あるいはその経典に執着して『法華経』に入らない人もおり、あるいはその経典に留まっているばかりか、深く執着するために、『法華経』はその経典よりも劣っているという人もいる。

そうであるから、今、『法華経』の行者は心得なければならない。たとえば、「すべての河川の水の中で、海が第一のように、『法華経』を持つ者もまたこれと同じだ」とある通りに考えるべきである。今の日本にいる智慧者たちが星のようならば、日蓮は満月のようである。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄

撰時抄 その16

問う:何をもってこのことを信じるか。

答える:『最勝王経』に「悪人を敬愛し、善人を罰するために、天体の運行や気候が正常ではなくなる」とある。この経文の意味は、国に悪人がいるにもかかわらず、王や大臣がこの悪人に帰依するということに間違いない。また、国に智慧者がいるにもかかわらず、国主がこの智慧者を憎むということに間違いない。また、「帝釈天に仕える天の神々が、みな忿怒の心を生じさせたため、不思議な流星が流れ、太陽が二つ同時に出て、他の国の怨賊が来て国の人々が乱される」とある。すでにこの国に天変地異あって、他国が攻めて来ている。天の神々が怒っていることは疑いない。

『仁王経』に「多くの悪しき僧侶たちが多く名利を求め、国王や太子や王子の前で、自ら仏の教えを破る教えと国を破る教えを説く。その王は分別がなく信じてその言葉を聞く」とある。また「太陽や月は規則性を失い、時節が狂って、赤い太陽が出たり黒い太陽が出たり、また二つ三つ四つ五つの太陽が出たり、あるいは日食で光がなくなり、あるいは日輪が一重二重、また四重五重の輪が現われたりする」とある。その文の意味は、悪しき僧侶たちが国に充満して国王や太子や王子たちを騙し、仏の教えを破る教えや国を破る教えを説けば、その国の王たちはこの人に騙されて、この教えこそ、仏の正しい教えであり、国を守る教えだとして、この言葉を受け入れて用いるならば、太陽や月に異変が起こり、大風と大雨と大火などが起こり、次いで内賊と言って、親類から大兵乱が起こって、自分に味方する者たちをみな撃ち殺して、さらに他の国に攻められ、あるいは自殺し、あるいは生け捕られ、あるいは人質となるであろう。これは、仏の教えを滅ぼし、国を滅ぼしたためである。

『守護経』に「釈迦如来の教えは、すべての天魔や外道や悪人や神通力を持つ神仙などであっても、少しも破ることはできない。しかし、名ばかりの多くの悪しき僧侶は、これを残すところなく滅ぼしてしまう。須弥山(しゅみせん・仏教の世界観の中で、世界の中心にある最も高い山)を、かりに世界中の草木を集めて薪として、長時間燃やしたとしても、須弥山は全く損傷することはない。しかし、この世の終わりの火が起こって、その火に焼かれるならば、すべてが焼かれて灰さえ残らないのだ」とある。

『蓮華面経』に「仏は阿難に告げた。たとえば、師子が死ぬと、空や地や水や陸の生き物はその死体は食べず、ただ師子の体の中にいた虫が、その死体を食べるように、阿難よ。私の説いた仏の教えは破ることはできないが、仏の教えを受けた者たちの流れの中の悪しき僧侶たちが、私が測ることもできないほど長い間に積み重ねてきた教えを破るであろう」とある。

経文の意味は、過去の仏の一人である迦葉仏(かしょうぶつ)が、釈迦如来の仏の教えが末法の時代にどのようになるかについて、訖哩枳王(きりきおう)に語ったところによると、大族王という王が、インドの寺院を焼き払い、十六の大国の僧尼を殺すであろう、ということであり、また、中国の武宗皇帝が、九国の寺塔の四千六百所あまりを打ち壊し、僧尼二十六万五百人を還俗させるということである。しかし、これほどの悪人であっても、釈迦の仏の教えを消滅させることはできない。僧衣を身にまとい、一鉢を首にかけ、八万の教えを胸にうかべ、あらゆる経典を口にする僧侶が、釈迦の教えを滅ぼすのである。たとえば、須弥山は金の山である。すべての世界の草木をもって、この世のすべての空間に押し込めて満たし、一年二年そして百千万億年間焼き続けたとしても、まったく損なわれることはない。しかし、この世の終わりの火が来るとき、須弥山の麓から豆ほどの火が出て、その火が須弥山を焼くばかりではなく、すべての世界を焼き尽くしてしまう。もし仏の言葉通りならば、十宗、八宗の僧侶たちが、仏教という須弥山を焼き払うのであろう。小乗の倶舎宗成実宗律宗の僧侶たちが、大乗をそねむ胸の瞋恚は炎のようである。真言宗の善無畏や禅宗の三階教などや浄土宗の善導などは、仏教の師子の肉を食べるうじ虫の僧侶たちである。伝教大師三論宗法相宗や華厳などの日本の学者たちを六虫と述べている。日蓮真言宗禅宗や浄土宗などの祖師たちを三虫と名付ける。また、天台宗の慈覚大師や安然や慧心僧都たちは、法華経伝教大師の師子の身の中の三虫である。

正しい教えを非難する根源を正す日蓮を攻撃すれば、天神地祇も怒って、災いが大いに起こるのである。したがって、よく知るべきである。この世において第一の大事を述べているのであるから、最も第一の兆候が起こるのである。何と哀れなことか、何と嘆かわしいことか。このままでは日本の人々はみな、地獄の底に堕ちるのだ。しかし嬉しいことだ、喜ばしいことだ。このような愚かな身であっても、この世において仏の教えを受け入れられた。

今に見よ。大蒙古国が数万艘の兵船を浮かべて日本を攻めれば、上より下の万民に至るまで、すべての仏寺すべての神寺を投げ捨てて、それぞれ声を合わせて「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱え、掌を合せて「助けたまえ日蓮の御房、日蓮の御房」と叫ぶことであろう。

たとえば、月支国の大族王は幻日王に掌を合わせ、源平の合戦で敗れた平宗盛梶原景時に命乞いをしたようなものである。『法華経』の高慢な僧侶たちは、最初は常不軽菩薩を杖や棒で打ったけれども、後には掌を合わせて行ないを悔いた。提婆達多は釈迦の体を傷つけたが、臨終の時には「南無」と唱えた。「南無仏」と言えば地獄には堕ちなかったものを、悪しき業が深く、ただ「南無」とだけ唱えて「仏」とは言わず、今の日本の高僧たちも、「南無日蓮聖人」と唱えようとする時が来ても、「南無」とだけ唱えるかも知れない。何と不憫なことだ。

外典(げてん・仏教以外の典籍)に、「未来を予見する人を聖人と言う」とある。仏典には、「過去現在未来を知る人を聖人と言う」とある。日蓮に三つの功名がある。一つは、文応元年七月十六日に『立正安国論』を最明寺殿(=北条時頼)に奏上した時、宿谷の入道(=宿屋光則(やどやみつのり)・鎌倉幕府の役人。『立正安国論』を奏上した時の取次役なども行なう。後に日蓮の弟子となる)に向って「禅宗念仏宗とを排除することを忠告して下さい。そのようになさらない場合は、幕府の一門から事件が起こり、他国から攻められるでしょう」と言ったことである。

二つには、文永八年九月十二日(龍の口法難の日)に、平左衛門尉(=平頼綱(たいらのよりつな)。執権北条時宗と時貞の二代にわたって執事となる。日蓮を迫害した中心人物。龍の口法難の日においても、松葉が谷の日蓮を襲い捕えて龍の口刑場まで引いて行った。しかし、頼綱は後に時貞の命令によって殺害される)に向って、「日蓮は日本の棟梁である。私を失うことは日本の柱を倒すことだ。間もなく『自界反逆難』と言って、同族の中で反逆が起こり、『他国侵逼難』と言って、この国の人々は他の国に打ち殺されるのみならず、多く生け捕りにされるであろう。建長寺寿福寺極楽寺や大仏や長楽寺などのすべての念仏者や禅僧たちの寺塔を焼き払って、彼らの首を由比ガ浜で切らなければ、日本は必ず滅びるであろう」と言ったことである。

三つには、去年の文永十一年四月八日(佐渡流罪が許され、鎌倉に帰って来て平頼綱と会見した日)に、左衛門尉に次のように語った。「幕府の支配する地に生まれたのだから、身は幕府に従っているようだが、心まで従っているわけではない。念仏は人を地獄の底に落とすわざ、禅は天魔のなすわざであることは疑いようがない。特に、真言宗がこの国の大きな災いである。大蒙古を調伏することを、真言宗の僧侶に命じてはならない。もし、そのような大事を真言宗の僧侶に委ねて調伏させようとするならば、いよいよこの国は亡びるであろう」と言ったが、頼綱は「それはいつごろ起きるであろうか」と質問してきたので、「経文にはそのような予言はないけれども、天の怒りは少なからず、それは逼迫していると見える。今年を越すことはないであろう」と答えた。

この三つの大事は、日蓮が言ったのではない。ひとえに、釈迦如来の御魂が私の体に入ったことによるのであろう。

(注:日蓮上人が佐渡流罪を許されて鎌倉に入ったのは、1274年3月のことである。最初の元寇である「文永の役」は、この年の10月である。『撰時抄』は、この翌年の1275年に記されている。なお、二度目の元寇である「弘安の役(1281年)」は日蓮上人が亡くなる前年である)

自分でも喜びが身にあまる。『法華経』の一念三千という大事の法門はこれである。『法華経』に、「いわゆる諸法の是くの如き相」という意味は何か。十如是(じゅうにぜ)の最初の「是くの如き相」が第一の大事であるから、仏は世に出現されたのである。「智人は原因を知り、蛇は自ら蛇を知る」とはこれである。多くの川の水が集まって大海となる。塵が積もって須弥山となる。日蓮が『法華経』を信じ始めた時は、日本においては微細な塵のようであったが、『法華経』を二人、三人、十人、百千万億人が唱え伝えるほどになれば、妙なる悟りの須弥山となり、大いなる涅槃の大海ともなるであろう。仏になる道は、これより他に求めてはならない。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄

撰時抄 その15

亡国の悲しさと亡身の嘆かわしさに、身命を捨ててこのことを表わしてきた。そして、これからも表わそうではないか。国主ならば、世を保つために私の指摘に驚いて、もっと詳しく聞きに来なければならないはずなのに、ただ、他人を貶める言葉だと受け取って、さまざまな迫害を加えて来た。しかし、『法華経』を守護する梵天帝釈天や日天子月天子、四天王、地神たちは、昔からの正しい教えに対する非難を異常だと思っておられるが、これを知っている者がないので、一人の子の悪さのように赦してしまい、偽りを言い、愚かなことをする時は、少し懲らしめる時もあった。

しかし、今は正しい教えを非難する者を用いることだけでも異常なことなのに、日蓮のように、それを指摘する者をさらに迫害するのだ。それも一日二日、一月、二月、一年、二年にとどまらず、数年に及んでいる。『法華経』に記されている常不軽菩薩が、杖や木の棒でたたかれたという災難よりもひどく、悪を指摘して殺されそうになった覚徳比丘のことをも超えている。その間、梵天帝釈天の二王、日天子月天子、四天王、衆星地神などが怒って、度々いさめられたけれども、さらに悪を行なうために、天の御計いとして、隣国の聖人に命じられてこれを戒め、大鬼神を国に入れて人の心をたぶらかし、内乱を起こさせたのである。

吉凶につけて、兆候が大きければ災難も多いということが道理であり、釈迦の死後、二千二百三十年あまりの間、今まで出たこともない大きな彗星が現われ、今までなかったような大地震が起こった。中国や日本に、智慧が優れ、偉大な才能を持つ聖人はたびたび出現したけれども、今までに日蓮ほど『法華経』の信奉者であるということで、国中に強敵を多く作った者もない。何よりも、眼前の事実をもつて、日蓮はこの世で第一の者と知るべきである。

仏教が日本に伝わって、七百年あまりたった。すべての経典は五千巻も七千巻もあり、宗派は八宗十宗、智者は稲や麻のように多く、教えの広まりは竹や葦が生えるようである。しかし、仏は阿弥陀仏であり、他の諸仏の名号は阿弥陀仏の名号ほど広まってはいない。

この阿弥陀仏の名号はどのように広まったかと言うと、まずは恵心僧都源信が『往生要集』を著わし、それによって日本の三分の一がみな念仏者になった。さらに、永観は『往生拾因(おうじょうじゅういん)』と『往生講式(おうじょうこうしき)』を著わし、それによって日本の三分の二がみな念仏者となった。そして、法然は『選択本願念仏集』を著わし、日本のすべての人々が念仏者となった。したがって今、阿弥陀仏の名号を唱える人々は、一人の弟子ではない。

この念仏というものは、『無量寿経』と『観無量寿経』と『阿弥陀経』の題名である。権大乗経(ごんだいじょうきょう・仮の大乗経という意味)の題目が広まっていることは、実大乗経(じつだいじょうきょう・真実の大乗経という意味)の題目が広まる序のようなものではないか。心ある人はこれを考えるべきである。権経が広まれば、実経も広まるであろう。権経の題目が広まれば、実経の題目も広まるであろう。

仏教が伝わった欽明天皇より今の天皇の時代に至るまで七百年あまり、「南無妙法蓮華経」と唱えよと他人にも勧め、自らも唱えた智慧者はいない。太陽が昇れば星は隠れる。賢王が現われれば愚王は滅ぶ。実経が広まれば権経の広まりは止まる。智慧が「南無妙法蓮華経」と唱えれば、愚人がこれに従うことは、身に影がつくように、声に響きが伴うようになるであろう。日蓮は日本第一の『法華経』の行者であることは疑いようがない。この事実によって考えよ。中国にもインドにも、この世のどこにおいても、これに肩を並べる者はいないのである。

問う:正嘉の大地震や文永の大彗星は、なぜ起こったのだろうか。

答える:天台大師は、「智慧者は理由を知り、蛇は自ら蛇を知る」と言っている。

問う:どういう意味か。

答える:『法華経』にある、上行菩薩が大地より出現したことについて、迷いの深いところまで断じていた弥勒菩薩文殊師利菩薩や観世音菩薩や薬王菩薩なども、その理由がわからなかった。それは、「如来寿量品」の真理である「南無妙法蓮華経」を末法の世に伝えるために、仏がこの上行菩薩を召し出されたのである。弥勒菩薩たちは、やはり仏ではないので、この理由を知らなかったということにおいては、愚人扱いされたのである。

問う:日本や中国やインドで、このことを知っている人はいるのだろうか。

答える:迷いを断じ尽くしていた大菩薩でさえも、このことを知らなかった。ましてや、迷いをまったく断じてもいない者たちが、このことを知ることができるだろうか。

問う:智慧者がいなければ、どうしてこのことに対処することができるだろうか。たとえば、病気の原因がわからない者が、病人を治療しようとすれば、必ず死んでしまう。この災いの根源を知らない人々が祈るならば、国はまさに亡びること疑いない。本当にあさましいことである。

答える:蛇は七日のうちに大雨が来るのを知り、烏は一年の間の吉凶を知る。これは、大竜に従って学んでいるせいだろうか。日蓮は凡夫である。このことを知らないとは言え、だいたいのことでもあなたに知らせよう。

周の平王の時、禿で裸な者が現われたのを見て、辛有という者が占ったところ、百年の内に世が滅びるだろうと言った。また同じく幽王の時、大地震が起こって山川が崩れたが、白陽という者が推察して、十二年の内に大王は大きな事件に見舞われるであろうと言った。今の大地震や大彗星などのことは、国王が日蓮を憎んで、国を亡ぼす教えである禅宗と念仏者と真言の僧侶たちに味方するので、天が怒って下した災難である。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄

撰時抄 その14

質問して言う:『法華経』が真言より勝るとする人は、この解釈をどうすべきか。用いるべきか。あるいは捨てるべきか。

答える:釈迦は、これからの僧侶の姿勢について、「教えによるのであり、人によるのではない」と言っている。竜樹菩薩は、「経典によれば正しい解釈となり、経典によらなければ誤った解釈となる」と言っている。天台大師は、「また経典に合致しているならば、これを記してこれを用いる。合致している文がなければ信じ受け入れてはならない」と言っている。伝教大師は、「仏の教えによるのであり、人の口伝を信じてはならない」と言っている。

これらの経典の解釈は、夢を根拠としてはならない。『法華経』と『大日経』との勝劣を分明に説いている経典や論書の文こそ大切なのである。ただ、印や真言がなければ、仏像や仏画の開眼の儀式ができないということであるが、真言がなかった時代は、仏像や仏画の開眼の儀式はなかったのであろうか。インドや中国や日本では、真言以前の仏像や仏画が歩き、説法し、言葉を語った、ということが伝えられているが、かえって、印や真言をもって仏を供養してから後は、このような功徳も失われているのである。これは常に言われていることである。

以上述べてきたことについては、日蓮はその証拠になる経典や文献などを引用する必要はない。慈覚大師の解釈を直接読んで確信しているところである。

問う:どうしてそのように確信するのか。

答える:そもそも、その夢は、真言は『法華経』に勝るという内容である。もしその夢が吉夢ならば、慈覚大師が言っているように、真言が勝るであろう。ただ、太陽を射抜くという夢は、吉夢と言うべきであろうか。仏典五千七千巻あまり、仏教以外の典籍三千巻あまりの中に、太陽を射抜いたという夢が、吉夢である証拠があるであろうか。少々、このことを述べてみよう。

阿闍世王(あじゃせおう・釈迦に帰依した王)は、天から月が落ちる夢を見て、耆婆大臣(ぎばだいじん)に尋ねてみると、大臣は、釈迦が亡くなられたのだと言った。須抜多羅(すばったら)は天より太陽が落ちる夢を見て、釈迦が亡くなったと言った。阿修羅は、帝釈天と戦う時、まず太陽と月を弓矢で射たとう。中国の夏の桀(けつ)や殷の紂(ちゅう)という悪王は、常に太陽を射て、身と国を滅ぼしたという。

また、その反対に、釈迦の母親である摩耶夫人は、太陽をはらむという夢を見て、悉達太子(しったたいし・釈迦の幼名)を産んだ。そのために、釈迦は太陽の種族の末裔だと言われる。日本という国の名は、天照太神の日天という意味である。

したがって、慈覚大師の見た夢は、天照太神伝教大師や釈迦や『法華経』を射抜いた矢であって、その二部の論書はそうなのである。日蓮は愚か者であって、経典や論書もわからないが、ただこの夢の話を聞いただけでも、『法華経』よりも真言が優れているとする者は、今の生涯においては国を滅ぼし家を失い、死後においては、地獄の底に堕ちるとことは知っている。

さらに今、現に証拠がある。日本と蒙古との合戦において、すべての真言宗の僧侶がその調伏を行なって、日本が勝てば、真言は偉大だと思うであろう。しかし、承久の合戦の時、多くの真言宗の僧侶たちが祈り、調伏を行なったにもかかわらず、結局、幕府の北条義時が勝って、後鳥羽院隠岐の国へ、御子の天子は佐渡の島に流され、調伏されたのは真言で祈った側だった。

狐は、自分が鳴くために敵に見つかって食べられてしまうように、『法華経』に「かえって災いが本人に降りかかる」とあるように、比叡山の三千人の僧侶たちも、鎌倉幕府に攻められて、すべて従属させられてしまった。しかし、今は鎌倉幕府が盛んになっているので、東寺や天台宗園城寺や奈良の七寺の真言の僧侶たち、さらに自立を忘れてしまったような天台宗の中にいる、正しい教えを非難する者たちは、関東に下って行って、頭を下げ膝をかがめて、武士の心に取り入って、諸寺や諸山の別当(べっとう・寺院の職務の監督)や長吏に任命されて、朝廷の権威を失墜させてしまった。

悪法をもって国土安穏を祈っているのである。将軍家ならびに所従の侍以下の人々は、国土安穏が成就するだろうと思っているだろうが、『法華経』を捨てた大罪の僧侶たちを用いるならば、国は間違いなく滅びるのである。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄

 

撰時抄 その13

これよりも百千万億倍、信じられないような最大の悪事がある。慈覚大師(じかくだいし・円仁(えんにん)。伝教大師最澄の弟子。唐に渡り、その9年間の旅の記録を『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』として記し、その書物は世界三大旅行記の一つに数えられている。日本で「大師」という諡号を朝廷から下されたのは、円仁が最初である)は、伝教大師の第三の弟子である。しかし、上は王より下は万民に至るまで、慈覚大師は伝教大師より優れていると思っているほどの人である。

この人は、真言宗法華宗の真実の教えを学び極め、その結果、真言は『法華経』より優れていると文に記している。そしてこのことを、比叡山の三千人の大衆および日本じゅうの学者たちが受け入れてしまったのである。弘法大師の門人たちは、大師が『法華経』は『華厳経』に劣ると書いているのを見て、私たちの師であるけれども、少し言い過ぎではないか、と思ったが、慈覚大師の解釈もそうであるから、やはりそれは真実だと信じ込んでしまった。

日本において、真言宗は『法華経』に勝るという者がいれば、何よりも比叡山こそ、それに対抗すべきであるのに、比叡山の慈覚大師が三千人の口をふさいでしまったので、真言宗の思う通りになってしまったのだ。したがって、真言宗の東寺の第一の味方は、まさに慈覚大師よりすぐれた者はいないということだ。

たとえば、浄土宗や禅宗は、他の国ではいくらでも広まるとしても、日本においては、比叡山延暦寺が許さなければ、自由に広まることはできない。しかし、安然和尚いう比叡山第一の古徳は、『教時諍論(きょうじじょうろん)』という書物を記し、その中に、九宗の優劣を立てている中に、第一は真言宗、第二は禅宗、第三は天台法華宗、第四は華厳宗などとある。この大いなる誤りによって、ついに禅宗は日本に充満して、日本は滅びようとしている。法然念仏宗が流行って、それによっても、日本が滅びようとしているが、その始まりは、比叡山の恵心僧都の『往生要集』の序より始まっている。「師子の身の中の虫が師子を食う」という仏の言葉は本当である。

伝教大師は日本において十五年間、天台や真言などを一人で学ばれ、生まれながらの智慧をもって、師匠がなくても悟られたが、世間の疑いを晴らそうと、自ら中国の唐に渡って、天台や真言の二宗を伝えたのである。

(注:これも誤りである。最澄が出家して学んでいた時点では、日本には密教は伝わっておらず、天台の書籍もじゅうぶんではなかった。最澄は世間の疑いを晴らそうとしたのではなく、自ら天台教学をしっかりと学び、天台教学の典籍を伝えるために唐に渡り、それに付属する形で、密教も伝えようとしたのである。)

当時の中国においては、さまざまの教えがあったが、伝教大師は、法華の教えは真言より優れていると考えたために、真言宗の「宗」の字を削って、天台宗の止観・真言というように書いたのである。

(注:これも誤りである。真言宗とは、弘法大師空海以降の宗派に名付けられた名称であり、最澄当時は、真言宗という名称はなかった。当時は、真言密教の意味で使用されていたのであり、そのため、天台教学の「顕教」に対する「密教」という意味で、「真言」という言葉を使用していたのである。)

比叡山の出家者は、十二年間勉学をするのであるが、その年分得度者(ねんぶんどしゃ・毎年の出家者の数。当時は毎年の出家者の人数を朝廷が管理していた)は二人である。そして、止観院に『法華経』と『金光明経』と『仁王経』(この三つの経典は国を守る護国経典とも言われる)の三部を鎮護国家の三部と定めて読誦させた。天皇からこの宣旨申し下され、永く末代まで、日本国の第一の重宝、いわゆる神璽や宝剣や内侍所と同じように崇めさせたのである。このことは、比叡山の第一の座主(ざす)である義真(ぎしん)和尚そして、第二の座主である円澄(えんちょう)大師まではこの通りであった。

第三の座主となった慈覚大師は、中国の唐に渡って十年間、顕教密教の二道の勝劣を八宗の大徳に学んで伝えた。また、天台宗は、広修(こうしゅ)や惟蠲(ゆいけん)などに学んだ。しかし、心の中では、「真言宗天台宗に勝っている。わが師である伝教大師は、このことを学んでおられなかったのだ。長く中国にはおられなかったので、この法門については、ご存じなかったのだ」と思って、日本に帰国し、比叡山の東塔の止観院の西に総持院という大講堂を建て、本尊は密教金剛界大日如来を安置し、この前で、『大日経』について善無畏が記した論書を基に、『金剛頂経』の解説書七巻と『蘇悉地経』の解説書七巻、以上の十四巻を記した。

その論書には次のように記されている。

「教えに二種がある。ひとつは顕示教(=顕教)、つまり声聞と縁覚と菩薩の教えを別々に説く三乗教である。世俗の教えと悟りの教えとが、まだひとつとなっていないのである。もうひとつは秘密教(=密教)、つまり声聞も縁覚も菩薩もすべての人々が仏になるという一乗教である。世俗の教えと悟りの教えが一体となっているからである。さらに、秘密教の中にまた二種ある。ひとつは悟りの秘密を理論で説く『華厳経』や『般若経』や『維摩経』や『法華経』や『涅槃経』などである。ただ、世俗の教えと悟りの教えがひとつであると説くだけで、まだ真言の秘密である印を説かない。ふたつは、目に見える実践的修行と理論がともに秘密であることを説く教えである。これは、『大日経』や『金剛頂経』や『蘇悉地経』などである。世俗の教えと悟りの教えが一つになっていることを説き、さらに真言の秘密の印を説くのである」と言っている。

この解釈の核心部分は、『法華経』と真言の三部の経典との勝劣を定めているのである。真言の三部経と『法華経』とは、理論的には同じく一念三千の法門である。しかし、秘密の印と真言などの実践的修行のことは、『法華経』には書いておらず、『法華経』は理論の秘密を説き、真言の三部経は理論も説き、実践的修行のことも説くので、その違いは天地雲泥の差であると書いているのである。しかも、このことは、自分勝手な解釈ではなく、善無畏三蔵の『大日経疏』の核心なのであるとあるので、自分でもなお、二宗の勝劣に対して疑問を持っていたのであろうか。あるいは、他人の疑問を解決しようとしたのであろうか。

慈覚大師の伝記に次のようにある。

「大師は二経の解説書を書かれて功をなし、さらに心の中で『この解釈が仏の心に通じるであろうか。もし仏の心に通じないのであれば、世に広めることはしない』。こうして、仏像の前に安置し七日七夜、誠を尽くして勤行した。すると、五日目の夜明け前に夢を見た。正午ごろの太陽に向かって弓矢を射ると、その矢は太陽に当たって、太陽は動いて回った。この夢から覚めて、自分の解釈は仏の心に通じているので、後世に伝えることにした」とある。

慈覚大師は日本においては、伝教大師弘法大師の両家の教えを習い極めて、中国に渡っては、八宗の大徳ならびに南インドの宝月三蔵などに十年間、最も重要な秘法を極めたのである。そのうえで、二経の解説書を著わし、さらに本尊に祈祷したところ、智慧の矢は昼間の太陽に命中し、その喜びのあまり仁明天皇に宣旨を申し上げ、天台の座主を真言の官主のようにして、真言の三部経を鎮護国家の三部経として今に至り、この四百年あまり、慈覚大師の弟子たちは稲や麻のように多く、大師を慕う人々は、竹や葦のように多い。

このようにして、桓武天皇伝教大師が建てた日本の寺院はすべて真言の寺となり、公家も武家も一同に真言宗の僧侶を召して師匠と仰ぎ、官位をあげて寺を与えている。仏事の仏像や仏画の開眼供養は八宗すべて、みな同じく密教の印と真言によって行なわれている。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄

撰時抄 その12

弘法大師は、同じ延暦年中に唐に渡り、青竜寺の慧果に師事して真言宗を学んだ。帰国後、釈迦の説かれたすべての経典の優劣を判断して、第一に真言、第二に華厳、第三に法華と説いた。この大師は世間の人々も大変尊敬する人である。ただし、仏教における功績は大きく、いろいろ言うことは遠慮を感じるが、とんでもないことも言っているのである。

このことをいろいろ考えるわけであるが、中国に渡って、ひたすら真言の理論ではなく、目に見える儀式的な印や真言を学んで、教理的なことを思索しないうちに、日本に帰って来た。その後に、世間では天台宗が広まっており、自分が重んじている真言宗は広められない状態だったので、中国に行く前に学んでいた華厳宗を取り出して、『法華経』に勝っているとしたのである。それも華厳宗が普通に言っているように言ったのなら、人々は信じないだろうと思ったのだろうか、少し雰囲気を変えて、華厳宗の教理を取り出してきているにもかかわらず、これは『大日経』や竜猛菩薩の『菩提心論』や善無畏等の教義であると大きな嘘を言ったのである。しかし、天台宗の人々はそれを批判しなかった。

問う:弘法大師が著した『十住心論(じゅうじゅうしんろん・天皇の要請を受けて、すべての仏教および東洋の教えをランク付けしたもので、密教の教えが最高とする。空海の代表作の一つ)』や『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく・『十住心論』を要約したもの)』や『二教論(にきょうろん・顕教密教の区別を明らかにしたもの)』に、「各教えが、自らが釈迦の教えだと主張しているが、これらを今になって冷静に見れば、ただのたわ言である」、また「単なる迷いの範囲内であって、悟りの位には至っていない」、また「究極的な教えではない」、また「中国の学者や僧侶たちは、他の究極的な教えを盗んで、自らの宗派の教えとしている」などと言っているが、このような解釈はどうであろうか。

答える:自分もこの解釈に驚いて、すべての経典および密教の『大日経』などの代表的な三つの経典を読んでみたが、『華厳経』と『大日経』に対すれば、『法華経』はたわ言であり、『六波羅蜜経(ろくはらみっきょう)』に対すれば、『法華経』は盗人であり、『守護経(しゅごきょう)』に対すれば、『法華経』は迷いの範囲内だという経典の言葉は、一字一句も見当たらなかった。

(注:大乗経典は、どれも釈迦の説いた言葉ではないので、実に様々なことが書かれている。これらを一人の釈迦の言葉だと解釈すること自体が無理なのであるが、明治以前の僧侶たちは、この経典の内容の違いを、釈迦に違いがあるのではなく、聞く側の能力の違いの結果であり、釈迦は聞く相手の能力に応じて説いたので、各教典の教えに違いがあるのだ、ということを基に、教判、つまり経典のランク付けによって経典の内容の違いを理解してきた。そしてもちろん、統一的見解などあるわけがなく、それぞれの僧侶や学者によって、さまざまな意見が出され、その違いによって宗派が分かれていった。各宗派の立場からすれば、他の宗派の重んじる経典は程度が低いわけであり、確かにそのように見ようと思えば、いくらでもそう見えるのである。

たとえば、日蓮上人が言っているように、『大日経』などの密教経典は、手に結ぶ印の形と、唱える真言や儀式のやり方などばかり書かれて、教理的内容がないように見える。また、これは私の言葉で表現するが、『阿弥陀経』などの浄土経典は、やたらに阿弥陀仏の描写や極楽浄土の様子ばかり詳しく書かれているだけである。また、『般若経』などの般若経典には、「これはあると見えるがない、それもあると見えるがないのだ」というような言葉ばかりが繰り返されていて、読んでいる方が馬鹿にされたような気持になる。さらに『法華経』は、深い教理的な言葉はなく、まるでひと昔前のSF小説のような場面の連続、あるいは想像力を豊かにしなければついて行けない童話のような内容のみで、まさに「ざれ言」と言われても仕方がないように見える。

真理は表現したとたんに真理ではなくなる。真理とは言葉では表現できないものなのである。そのため、各教典はすべて真理を表現しようとしてはいるのだが、表現したとたんに真理ではなくなるので、その真理を見極める目のない者にとっては、「ざれ言」に見えてしまうのである。

日蓮上人は、『法華経』を通して真理を見る目を持つ人物であった。そのため、他の経典はすべて『法華経』以下のものとして見えていたのであり、日蓮上人の信奉する天台教学が、まさにそのことを説いているのである。)

このことは、大変根拠のない空しいことであるけれども、この三四百年あまり、日本じゅうの学者や僧侶たちが受け入れてきたことなので、かなり定着してしまったのも無理はない。そこで、いくつかわかりやすい事例をあげて、他のことも空しいことなのだということを知らせよう。

法華経』を最高の教えであるとしたのは、中国の陳から隋の時代のことである。『六波羅蜜経』は唐の中ごろに般若三蔵がこれを翻訳した。『六波羅蜜経』の中心的な教理が、陳から隋の時代に世に出ていたのなら、天台大師は、その経典に記されている真言の重要教理を盗むこともできたであろう。

同じようなことは日本にもある。日本の得一(とくいつ・平安時代法相宗の僧侶である徳一のこと。最澄との論争は有名。日蓮上人は、音が同じなら気にせず漢字を入れ替えて使用することが多くある)が、「天台大師は『深密経(じんみつきょう・法相宗の重要経典)』の三時教(さんじきょう・法相宗の教判で、すべての経典を三段階に分けて解釈する)を破っている。それは三寸の短い舌をもつて五尺の身を断つようなものだ」と罵ったが、伝教大師はこれを批判して、「『深密経』は唐の初期に、玄奘がインドから伝えて翻訳したものだ。天台大師は陳から隋の人ではないか。天台智者大師が亡くなった後、数年して『深密経』は伝わったのだ。死んだ後に伝わった経典を、どうやって破ったのか」と責めた。すると、得一は言葉に詰まるばかりか、舌が八つに割けて死んでしまった(注:もちろん徳一はこのような死に方はしていない)。

弘法大師のこれらの言葉は、徳一よりもひどい悪口である。華厳宗の法蔵や三論宗の嘉祥や法相宗玄奘や天台大師など、および南北の諸師や後漢以降の学者や僧侶たちを、みな一様に盗人と言っている。その上、また『法華経』が究極的な教えであるということは、天台大師の私見ではない。

釈迦は『涅槃経』に、『法華経』は究極的な教えだと述べられた。天親菩薩(=世親・大乗仏教の思想家。菩薩は人物に対する最高の尊称)は、『法華経』と『涅槃経』を究極的な教えだと述べている。そして、竜樹菩薩は『法華経』を妙薬と名付けている。

したがって、『法華経』などを究極的な教えであると言う者が盗人ならば、釈迦や多宝仏や十方の諸仏、および竜樹や天親たちは盗人なのであろうか。弘法大師の弟子たち、および日本の東寺の真言宗の諸師は、自分の目で判断がつかないようならば、他の鏡を用いてまで、自分の誤りを知らねばならない。

この他、『法華経』をたわ言の教えだと言うならば、『大日経』や『金剛頂経』などから、その証拠となる経文を出してみよ。たとえ、それぞれの経典に、『法華経』をたわ言だと書いてあったとしても、それは訳者の誤訳である可能性もある。よく調べてもらいたいものだ。

孔子は九度考えて一言を発し、周公旦(しゅうこうたん)は、いつ尊い人物が来てもいいように、沐浴中に人が来れば髪を握ったまま、食事中なら口に入れた物を三度吐いてまで出迎えたという。仏教以外の世間の浅い事を習う知識人でさえこうなのである。このようにしていれば、浅はかなことは起こり得ないのである。

このような誤りの教えの末に位置する者であるが、伝法院の本願と呼ばれる聖覚房(しょうかくぼう・平安時代末期の真言宗の僧侶。覚鑁(かくばん)の名で知られる。後に高野山から追放され、根来寺(ねごろじ)に移る。新義真言宗の開祖であり、興教大師という諡号を送られる)が、仏の骨である舎利を供養する法会において、「高く尊い方は、並ぶ者のない尊高なる大日如来である。驢馬や牛の三身の仏は、その車を引く資格さえない。秘められた奥義は、両部漫陀羅(仏の世界を表わした曼荼羅に二つある。金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)の二つ)の教えである。顕教の四法は履物を取る資格さえない」と言っている。顕教の四法とは、法相宗三論宗華厳宗法華宗(=天台宗)の四つであり、驢馬や牛の三身とは、『法華経』と『華厳経』と『般若経』と『深密経』の教主となっている四仏であり、これらの教えを保つ仏と僧侶は、真言宗の聖覚房や弘法大師の牛飼にも履物を持つ者にも足らない、と言っているのである。

月氏国に大慢婆羅門というバラモン教の者がいた。生まれながらに博学で、仏教の顕教密教の二つも究め、仏教の内外の典籍も手の中に握っているようなものだった。そのため、王や大臣までも頭を下げ、多くの民が師と仰いだので、大慢婆羅門は慢心を起こし、世間の人々に拝まれている者は大自在天(だいじざいてん・ヒンズー教シヴァ神のこと)と婆籔天(ばすてん・仏教の守り神の仙人)と那羅延天(ならえんてん・ヒンズー教ヴィシュヌ神のこと)と釈迦であるから、この四人の聖人を自分の椅子の四つの足にしようと、そのような椅子を作って、それに座って教えを説いた。

これはまるで、現在の真言宗の僧侶たちが、釈迦仏をはじめ、すべての仏をかき集めて曼荼羅を描き、灌頂の儀式をする時、その曼荼羅を敷いて儀式を行なうようなものである。また、禅宗の法師たちが、この宗派の教えは、仏の頭を踏むほどの大いなる教えであると言っているようなものである。

さて、賢愛論師(けんあいろんじ)という僧侶がいて、大慢婆羅門を批判したが、王や大臣をはじめ、すべての民は耳を貸さなかった。最後は、大慢婆羅門は弟子や檀家たちに命じて、彼に悪口を言ったり打ったりしたが、彼は少しも命を惜しまず批判を続けたので、王は賢愛論師を憎んで、論議を通して退けようとしたが、かえって大慢婆羅門が論破されてしまった。そこで王は天に仰ぎ地に伏して嘆き、「私は目の当たりに真実を知り、間違った考えを晴らした。先王は大慢婆羅門に騙されて、地獄の底にいることだろう」と、賢愛論師の足に取り付いて泣いた。王は大慢婆羅門を殺そうとしたが、賢愛論師はそれを止めた。結局、大慢婆羅門は驢に乗せられインド中を引き回されたので、大慢婆羅門はさらに悪心が盛んになり、生きたまま地獄の底に堕ちた。現在の真言宗禅宗の僧侶たちはこのようではないか。

中国の三階禅師(さんがいぜんじ・三階教という中国における仏教系新興宗教の開祖である信行(しんぎょう)のこと。正法を第一階、像法を第二階、末法を第三階とする教え)は、次のように言っている。「『法華経』は第一階と第二階の正法と像法の教えである。末法のためには三階教の教えが必要である。『法華経』を今の世に行なう者は地獄に落ちるであろう。『法華経』は末代の人々にはふさわしくないからである」と言って、一日六度の礼拝、四度の座禅などを行ない、生き仏のように人々に崇められ、弟子も一万人あまりに及んだ。しかし、幼い少女が『法華経』を読む声に責められ、即時に声を失い、やがて大蛇になって、檀家や弟子や少女や処女を食べた。今の善導や法然たちが、「念仏でなければ千人いても一人も悟りを得られない」という悪い教えもこれである。この三つの事例はすでに昔のことであるので、あえて非難することもないのであるが、言わなければ信じてしまう人もいるであろう。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄