大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

薬師瑠璃光如来本願功徳経 現代語訳(最初の部分のみ)

薬師瑠璃光如来本願功徳経
(やくしるりこうにょらいほんがんくどくきょう)

私はこのように聞いた。
ある時、仏は諸国を歩き広厳城(こうごんじょう)に入り、楽音樹(がくおんじゅ)の下に留まられた。大いなる修行者八千人と共におられた。そして、大いなる菩薩三万六千、および国王、大臣、バラモン、長者、天的存在(天竜八部衆)などの無量の大衆が、仏の周りを回って礼拝した。その中で仏は説法をされた。
その時、教えの王子である曼殊室利(まんじゅしり=文殊菩薩)は、仏の威神力(いじんりき)によって座より立ち、一方の肩をあらわにし、右膝を地につけて体を曲げて合掌し、仏に向かって次のように申し上げた。
「世尊よ。ただ願わくば、諸仏の名号および最初に立てられた大いなる誓願についての優れた功徳を説かれますように。それによって、聞く者がその前世からの悪しき妨げを除き、真実の幸いを願い、次第に正しい教えが消えゆく世において、人々を救うためです。」
その時、仏は曼殊室利を褒めて次のように語られた。
「よく言った、よく言った。曼殊室利よ。あなたは人々を慈しむ大いなる心をもって、私に諸仏の名号と本願の功徳を説くことを求めた。それによって、人々にまとわりついている前世からの悪しき妨げを除き、心の平安を与え、次第に正しい教えが消えゆく世において、人々を救うためである。あなたは今、よく聞き、しっかりと考えるべきである。まさに、あなたのために説こう。」
曼殊室利は「ただ願わくばそれを説かれますように。私たちは聞くことを願います。」と言った。
仏は曼殊室利に次のように語られた。
「ここから東の方角へ、大河の砂の数を十倍した数の仏の国土を過ぎたところに、浄瑠璃(じょうるり)と名付けられる世界がある。その仏の名は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)という。悟りを開かれ、すべての行を円満に成就され、迷いの世から出られた方であり、かつ世を理解され、この上ない方であり、人々を導かれ、天と人との師となられた仏であり世尊である。
曼殊室利よ。その世尊である薬師瑠璃光如来は、最初、菩薩であった時、十二の大いなる誓願を立てられ、多くの人々が求めるところをみな得るようにされた。第一の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、自分の体の光明がまばゆいばかりに輝き、無量無数無辺の世界を照らし、仏が具える三十二の相と八十の姿かたちによって身を荘厳に飾り、すべての衆生も私と異なるところがないようにする。』
第二の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、体は瑠璃(るり)のようになり、内外共に汚れない広大な光明に輝く。その功徳は非常に高く、太陽や月よりも荘厳なる炎の網に安らかに留まり、暗闇の衆生はことごとく知識を得られ、心の赴くまま、あらゆる働きをする。』
第三の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、無量無辺の智慧と方便をもって、多くの衆生がみな、必要物が無尽に受けるようにし、衆生の欠乏がないようにする。』
第四の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし、多くの衆生が、誤った教えを行なうならば、ことごとく悟りへ向かう道の中に安住させ、声聞(しょうもん・いわゆる小乗の者たち。実際には歴史的釈迦の弟子たちを指す)や独覚(どっかく=縁覚・一人で修行して悟り、教えを説かず死んでいく者)の道を行なう者がいるならば、みな大乗(だいじょう・偉大なる教えという意味。この薬師経も大乗経典である)の教えに立たせる。』
第五の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし無量無辺の衆生が私の教えの中において、清らかな修行するならば、一切みな戒を欠かず、 三聚戒(さんじゅかい・①悪を行なわない。②善を行なう。③人々を悟りに導く)を具え、それを破ることがあったとしても、私の名を聞くならば、清らかな状態を回復して悪しき道に落ちることはないようにする。』
第六の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし多くの衆生が、生まれつき眼・耳・鼻・舌・身が完全ではなく、醜く頑固で愚かであり、眼・耳・口・手・足などが不自由であり、また不治や難病の苦しみがあっても、私の名を聞くならば、一切はみな、 良い容姿となり、智慧が豊になることを得て、眼・耳・鼻・舌・身体は完全になる。』
第七の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし多くの衆生が、あらゆる病気に苦しめられ、助けがなく、頼れるところがなく、医者がなく、薬がなく、親がなく、家がなく、貧しくて、多くの苦しみがあっても、私の名が一度でもその耳に入るならば、あらゆる病気はことごとく除かれ、心身安楽にして、家族、そして生活のための道具がことごとくみな豊に満たされ、さらに最高の悟りを得るまでになる。』
第八の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし女が、女性特有の百の悪に苦しめられ、切にその女性という人生を嫌って離れることを願うなら、私の名を聞く時、一切みな女性が転じて男性となり、さらに最高の悟りを得るまでになる。』(注:仏教の伝統の中では、悟りを得るためには、女性も一度男性に生まれ変わらねばならない、という考えがある)
第九の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、多くの衆生が魔の綱から出て、一切の誤った教えの縛りから解放させる。もし、さまざまな悪しき見解の林の中に迷い込んでいるならば、みな正しい見解に導く。次第に菩薩の行を修習して、すみやかに最高の悟りを得るようにする。』
第十の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし、多くの衆生が王の法律によって縛られ、鞭で打たれ、牢獄に繋がれ、あるいは刑罰に処せられ、および他の無量の災難によって蔑まれ、悲しみ、憂い、心が苦しみにより逼迫(ひっぱく)する時、私の名を聞くならば、その福徳と威神力によって、みな一切の憂い苦しみから解放される。』
第十一の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし多くの衆生が、飢え渇きのために食べ物を求める結果、あらゆる悪しき行ないをしてしまっても、私の名を聞いて、その名を受け保つことに専念するならば、私はまさに何よりも先に、最上の良い食べ物や飲み物をもってその身を飽き足らせ、その後に、すばらしい教えによって、安楽な歩みを確立させる。』
第十二の大いなる誓願は次の通りである。
『私が来世に最高の悟りを得た時、もし多く衆生が、貧しくて衣服なく、蚊などの虫や寒さ熱さに昼夜苦しめられても、私の名を聞いて、その名を受け保つことに専念するならば、すぐにあらゆる好ましい最上の衣服を得、また一切の宝の飾り物、華鬘、塗香、鼓楽などを得、心に願うところに従って、みな満足する。』
曼殊室利よ。これこそ世尊であり悟りを開かれた薬師瑠璃光如来が、菩薩の道を行ずる時に立てた十二の妙なる優れた願である。」

 また次に、文殊菩薩よ。世尊である薬師瑠璃光如来が、菩薩の道を行じた時に起した大いなる誓願と、その仏の国土の功徳と、その厳かな様子を、もし私が説くならば、一劫(いっこう・ほぼ無限と言えるほどの長い歳月)でも一劫以上の長い歳月をかけたとしても、語り尽くすことはできない。
しかも、その仏の国土は非常に清らかであり、女性がおらず(注:女性は一度男性になってから仏になるとされる)、また悪しき存在や苦しみに満ちた声もない。
地は瑠璃によってできていて、金の縄が道を区切り、仏の住居や宮殿やその窓や覆っている網は、みな七つの宝でできている。まさに西方の極楽浄土の功徳とその厳かな様子と何ら変わりがない。
その国の中に二人の大いなる菩薩がいる。一人は日光遍照(にっこうへんじょう=日光菩薩)であり、もう一人は月光遍照(がっこうへんじょう=月光菩薩)である。彼らは無量無数の菩薩たちの筆頭の位にいる。世尊である薬師瑠璃光如来の、宝の蔵のような教えをよく保っている。
このために、文殊菩薩よ。信心のある良き男子や良き女人たちは、まさにその仏の世界に生まれることを願うべきである。
また次に文殊菩薩よ。薬師瑠璃光如来が悟りを得て、その本願の力によって、あらゆる病の苦しみにより痩せ細り、黄熱病や、あるいは悪霊や悪しき虫の毒により、命が短くなり、あるいは不慮の死を遂げている人々を見た。そして彼らの病苦を取り除くという願いを満足させようと、世尊は瞑想に入った。その瞑想は、「除滅一切衆生苦悩(すべての人々の苦悩を除き滅ぼす)」と名付けられる。そして瞑想に入り、その肉髻(にっけい・仏の頭の隆起したところ)の中から大いなる光を発し、その光の中で大いなる陀羅尼(だらに・呪文)を語った。
「なもばぎゃばてい びせいじゃ くろべいるりや はらばあらじゃや たたーぎゃたや あらかてい さんみゃくさんぼだや たにゃたおん びせいぜいびせいぜいびせいじゃ さんぼりぎゃてい そわか」
光の中でこの呪文を唱え終わった時、大地は震動し、大いなる光明が放たれ、すべての人々の病苦はみな除かれ、安らかで穏やかな楽しみを受けた。
 

現代語訳は以上とする

 

#薬師経 #薬師如来

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(前半のみ) その5

(注:ここまでは、観世音菩薩が仏に申し上げたり、また梵天に語ったりする流れであったが、ここからは、仏が弟子の阿難に語る形となる。そして文章の内容も、ここまでとは異なった説法の場を思わせる流れとなる。)

仏は阿難に次のように語られた。
「もし国土に災難が起る時、この土の国王が正しい教えによって国を治め、寛容であり物事を曲げない人物であり、衆生の過ちを赦し、七日七夜身心共に精進してこの大悲心陀羅尼神呪を読誦し保てば、その国土のすべての災難はすべてみな除かれ滅ぼされ、五穀豊穣であり人々は安楽に暮らすであろう。
また他国の怨敵が度々来て侵略し、すべての民は恐れ、大臣は謀叛を起こし、疫病が流行し、洪水や干ばつが起こり、太陽や月が光を失うなどの、さまざまな災難が起こる時は、まさに千眼大悲心像を造り、その面を西方に向け、あらゆる香華、幢旛、宝蓋、百味飲食をもって至心に供養すべきである。またその王は七日七夜身心共に精進し、この陀羅尼神妙章句を読誦し保てば、外国の怨敵は速やかに自ら降伏し、それぞれの政治は自らが行なって、互いに交渉することはなくなる。国土の行き来も通じて、互いに慈心をもって交易をする。王子百官はみな忠実であり、妃后婇女は敬う心をもって王に対し、諸龍や鬼神はその国を擁護し、風雨順時に果実豊穣であり人民は喜び楽しむであろう。
またもし家の内で、重い悪病が生じ、多くの怪しいものが集まり、鬼神邪魔などがその家を乱し、悪人がしきりに悪いうわさを流して妨害し、大小さまざまに身内、内外に不和が起こったならば、まさに千眼大悲像の前にその壇場を設け、至心に観世音菩薩を念じ、その陀羅尼を読誦して千遍に達すれば、このような悪事はことごとくみな消滅し、永く安穏を得るであろう」。
阿難は仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。この呪の名を何といい、どのように受け保つのがよろしいでしょうか」。
仏は阿難に次のように語られた。
「この神呪には、さまざまな名称がある。一に広大円滿、一に無礙大悲、一に救苦陀羅尼、一に延寿陀羅尼、一に滅悪趣陀羅尼、一に破悪業障陀羅尼、一に滿願陀羅尼、一に隨心自在陀羅尼、一に速超上地陀羅尼である。このように受け保ちなさい」。
阿難は仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。この菩薩摩訶薩の名は何でしょうか。この陀羅尼を教えてください」。
仏は次のように語られた。
「この菩薩の名は観世音自在という。またの名を撚索(ねんさく)、またの名を千光眼という。善き男子よ。この観世音菩薩の不可思議威神力は、すでに過去無量劫の中において仏になっており、その名を正法明如来といったが、大悲願力をもってすべての菩薩を導き、またあらゆる衆生を安楽に成熟させようと願い、そのために菩薩となったのである。あなたがたは、あらゆる菩薩摩訶薩梵天帝釈天龍神をみなまさに仰ぎ敬って、慢心を起こして軽んじることがないようにせよ。すべての人や天は常に供養し、その名を専ら唱えれば、無量の福を得て無量の罪を滅し、命が終る時は阿弥陀仏の国に往生するであろう」。

 

(注:後半に少し入ったが、これ以降は、漢方医学に陀羅尼を呪すことを加えたような内容となるので、これ以降は訳すことはせず、訳はここまでとする。)

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(前半のみ) その4

その時、観世音菩薩は梵天に次のように言った。
「この呪を五遍読誦し、五色のひもをもって縄を作り、二十一遍呪して二十一の縄を結び付けて頭に掛けなさい。この陀羅尼は、大河の砂の数を九十九億倍した数の過去の諸仏の所説です。その諸仏はさまざまな修行する人々のために、この陀羅尼を説きました。そのさまざまな修行とは次の通りです。六波羅蜜(ろくはらみつ・大乗の菩薩の修行すべき六つの項目)を修行し、未だ満了していない者には速やかに満了させるために。未だ悟りを求める心を起こしていない者には、速やかに起こさせるために。声聞(しょうもん・釈迦の弟子とその系統にある者)の人で、未だ声聞の悟りを開いていない者には、速やかに悟りを開かせるために。三千大千世界(=すべての世界)の内にいる諸神仙人で、未だ最高の悟りを求める心を起こしていない者には、速やかに起こさせるために。あらゆる衆生で、未だ大乗の信心が根づいていない者には、この陀羅尼の威神力によって、その大乗の教えを芽生えさせ、成長させるために。私は、方便と慈悲の力をもって、それらをみな成就させましょう。三千大千世界の暗闇にある地獄、餓鬼、畜生の三つの悪しき道にいる衆生は、この呪を聞いて、みな苦しみを離れることができるでしょう。あらゆる菩薩で、未だ初住(しょじゅう・菩薩の最初の段階)に至っていない者がいれば、速やかにそれを得させるために。さらに十住地(じゅうじゅうち・仏に至る高い段階)を得させるために。さらに仏の位に至らせるために。そうなれば、自然に三十二相八十隨形好(仏にのみ具わている特徴)を成就するでしょう。声聞の人で、この陀羅尼を一度耳にする者、この陀羅尼を修行し書写する者、純粋な心をもって教えの通りに修行する者は、四沙門果(ししゃもんか・声聞が得る四つの悟りの結果)を求めずして自然と得るでしょう。三千大千世界の内の山河や、石壁に囲まれた四つの大海の水をすべて沸騰させ、また須弥山(しゅみせん・この世の真ん中にある非常に高い山)および鉄囲山(てっちせん・この世の端にある鉄でできた山)などをすべて揺り動かし、またそれらを粉々に砕き、その中にいるすべての衆生に、最高の悟りを求める心を起こさせましょう。
あらゆる衆生の中で、この現世において求め願う者は、二十一日間において清らかな戒めを保ち、この陀羅尼を読誦すれば、その所願は必ず果たされましょう。生死の際より生死の際に至るまでのすべての悪業は、ことごとくみな滅び尽くされるでしょう。三千大千世界の内のすべての諸仏菩薩、梵天帝釈天、四天王、神仙龍王は、すべてみなこのことを証しています。
もしあらゆる人や天が、この陀羅尼を読誦し保つならば、その人がもし河川や大海の中で沐浴する時、その同じ水をその身に浴びたすべての人は、すべての悪業重罪もすべてみな消滅し、淨土に往生して蓮華の中に生まれ、再びあらゆる肉体の身を受けることはありません。ましてやこの陀羅尼を受け保ち読誦する者はどれほどでしょうか。
もし、この陀羅尼を読誦し保つ者が道路を歩いていて、大風が来てその人の体や髪の毛や衣服を吹き、さらにその風があらゆる衆生の方に吹き下り、その人の身を巡った風を身に受けることができた者は、すべての重罪悪業がすべて滅ぼし尽くされ、さらに地獄、餓鬼、畜生の三つの悪しき世界には生まれ変わることなく、常に仏の前に生まれるようになります。まさに知るべきです。この陀羅尼を受け保つ者の福徳果報は不可思議です。この陀羅尼を読誦し保つ者の口の中から出る言葉や音声は、それを聞く者が、善人であっても悪人であっても、またはすべての天魔外道天龍鬼神であっても、彼らにはみな清らかな教えの声に聞こえるでしょう。そのため、みなその人に対して仰いで尊敬する心を起こし、仏のように敬うでしょう。
この陀羅尼を読誦し保つ者は、まさに知るべきです。この人は『仏身蔵(ぶっしんぞう)』です。大河の砂の数を九十九億倍した数の諸仏が愛するからです。まさに知るべきです。この人は『光明身(こうみょうしん)』です。すべての如来の光が照らすからです。まさに知るべきです。この人は『慈悲蔵(じひぞう)』です。常に陀羅尼をもって衆生を救うからです。まさに知るべきです。この人は『妙法蔵(にょほうぞう)』です。すべてのあらゆる陀羅尼の門を普く摂取するからです。まさに知るべきです。この人は『禅定蔵(ぜんじょうぞう)』です。百千の三昧が常に現前しているからです。まさに知るべきです。この人は『虚空蔵(こくぞう)』です。常に空の智慧をもって衆生を見るからです。まさに知るべきです。この人は『無畏蔵(むいぞう)』です。龍、天、善神が常に護持するからです。まさに知るべきです。この人は『妙語蔵(みょうごぞう)』です。口の中の陀羅尼の音声が断絶することがないためです。まさに知るべきです。この人は『常住蔵(じょうじゅうぞう)』です。戦争と疫病と飢饉が絶えない悪しき今の時代も、その人を滅ぼすことはできないからです。まさに知るべきです。この人は『解脱蔵(げだつぞう)』です。天魔外道もこの人を縛っておくことはできないからです。まさに知るべきです。この人は『薬王蔵(やくおうぞう)』です。常に陀羅尼をもって衆生の病を癒すためです。まさに知るべきです。この人は『神通蔵(じんつうぞう)』です。あらゆる仏の国土を自在に巡ることができるためです。
この人の功徳は、いくら讃嘆しても尽きません。善き男子よ。もしまたある人がいて、世間の苦しみを厭(いと)い、長い年月の平安を求めるならば、静かな場所にあって、その環境を清らかにして、陀羅尼にふさわしい法衣を着て、水を飲むにしても、食べ物を食べるにしても、香を焚くにしても、薬を服するにしても、すべてこの陀羅尼を百八遍となえてから服せば、必ず長い寿命を得るでしょう。
もし教えの通りに場所を清めて、教えに従ってこの陀羅尼を受け保つならば、すべてが成就します。その場所を清める方法(結界法・けっかいほう)とは、次の通りです。刀を取って、陀羅尼を二十一遍唱え、地面を区切って聖なる場所とし、清らかな水を取って二十一遍唱え、四方に撒いて聖なる場所とし、白芥子を取って二十一遍唱え、四方に撒いて聖なる場所とし、想念が示すところをもって聖なる場所とし、清らかな灰を取って二十一遍唱えて聖なる場所とし、五色のひもを二十一遍唱えて、四辺を囲んで聖なる場所とすれば完成です。このように、教えに従って陀羅尼を受け保つならば、自然に成就します。
この陀羅尼の文字だけを聞く者ですら、無量劫における生死の重罪を滅ぼすことができます。ましてや、読誦し保つ者はなおさらです。
もしこの神呪を読誦することができる者は、まさに知るべきです。この人はすでにかつて、無量の諸仏を供養して、広く善根(ぜんこん・良い結果を生む原因)を植えたのです。
もしある人が、あらゆる衆生のために、その苦難を除こうとして、教えの通りに読誦し保つ者は、まさに知るべきです。その人はすなわち、大悲をそなえている者です。成仏は遠い先のことではありません。
ある人が、出会うすべての衆生のために陀羅尼を読誦し、彼らの耳に聞かせ、悟りの因とするならば、この人の功徳は無量無辺であり、いくら讃嘆しても尽くすことはできません。
もしある人が、誠を尽くし心を用い、その身に清らかな戒めを保ち、すべての衆生のために、過去の世の罪を懺悔し、また自らも無量劫以来のさまざまな悪業を懺謝し、口の中でこの陀羅尼を滑らかに呪し、その声を絶やさない者は、四沙門果(ししゃもんか・声聞の高い位)の悟りを、その生の内に得ることができるでしょう。また、能力が優れていて、智慧や方便をそなえた者は、十地の位(菩薩の高い位)を得ることは難しくないでしょう。ましてや、この世の細々とした福の報いを得ることはなおさらのことです。その求める願いを果たせないことなどありません。
もし、鬼(この場合、死者の霊と考えられる)を仕える者としようとするならば、野に捨てられた髑髏を取って洗い清め、千手観音の像の前において壇場を設け、あらゆる香や華や飮食をもってこれを祭りなさい。毎日、このようにして七日が過ぎれば、その鬼は必ず来て身を現わし、その人に従って仕えるでしょう。
この陀羅尼を唱える者は菩薩であり、その大悲願力は深重であるために、また、この陀羅尼の威神は広大であるために、四天王でさえ従うでしょう。その場合、陀羅尼を呪して白檀(びゃくだん・高価な香木)の香を焚きなさい」。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲心呪

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(前半のみ) その3

観世音菩薩は、次のように詩偈をもって説いた。
「私は、執金剛神、烏樞瑟摩明王(うすしまみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、鴦倶尸(おうぐし)、八部力士、賞迦羅(しょうぎゃら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、摩醯首羅(まけいしゅら=大自在天)、那羅延(ならえん)、金剛羅陀(こんごうらだ)、迦毘羅(かびら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、婆馺娑樓羅(ばそうさるだ)、滿善車鉢眞陀羅(まんぜんしゃはつまだら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、薩遮(ましゃ)、摩和羅(まわら)、鳩槃荼(くばんだ)、半祇羅(はんぎら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、畢婆伽羅王(びばからおう)、應徳毘多薩和羅(おうとくびたさわら)を遣わし、陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、梵摩(ぼんま)、三鉢羅(さんぱら)、五部淨居(ごぶじょうご)、炎摩羅(えんまら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、釋王三十三(しゃくおうさんじゅうさん)、大弁才天女(=弁才天)、功徳天(=吉祥天)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
私は、提頭頼吒王(だいずらたおう)、鬼子母神(きしぼじん)などの大力衆を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、毘樓勒叉王(びるろくしゃおう)、毘樓博叉(びるばくしゃ)、毘沙門天(びしゃもんてん)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、金色孔雀王、二十八部大仙衆を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、摩尼跋陀羅(まにばだら)、散支大將(さんしだいしょう)、弗羅婆(ふらば)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、婆伽羅龍(ばからりゅう)、伊鉢羅(いはつら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、修羅(しゅら)、乾闥婆(けんだつば)迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅(まごらか)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、水、火、雷、電神、鳩槃荼王(くはんだおう)、毘舍闍(びじゃや)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。

(注:一般的に、千手観音には二十八部衆の眷属がいるとされるが、ここにあげられた名は、二十八をはるかに超えている。つまり、あらゆる仏教を守る善神すべてと解釈すべきである。)

この諸善神および神龍王、鬼子母神たちには、各々五百の眷屬があります。大力の夜叉は、常に大悲神呪を読誦し保つ者に従って擁護します。その人がもし寂しい山や広野にあって、ひとりで野宿する時は、この諸善神が代わる代わる宿衞して、災障を除きます。もし深い山にあって道に迷った時は、この呪を読誦することにより、善神龍王が善人となってその正しい道を教えます。もし山林や広野にあって、水がなくなり、暖を取る火がない時は、龍王が水や火を出して守るでしょう」。
観世音菩薩は、また読誦し保つ者のための「消除災禍清涼の偈」を次のように説いた。
「もし広野や山や沢の中に行き、虎狼、諸悪獸、蛇、魑魅魍魎にあっても、この呪を読誦するならば、それらは害を与えることはない。
もし大河、湖、大海の間を行き、毒龍、蛟龍(こうりゅう)、摩竭獣(まかじゅう)、夜叉、羅刹、魚黿鼈(ぎょげんべつ)にあっても、この呪を読誦するならば自ら退散する。
もし軍陣にあって敵に囲まれたり、あるいは悪人に財宝を奪われそうになったりしても、至心に大悲呪を唱えれば、敵や悪人も慈心を起こして元来た道に去って行く。
もし王や役人に捕らえられ、身を拘束され、監禁され、鎖につながれようとも、至心に大悲呪を唱えれば、役人たちは自ら恩赦を与えて釈放する。
もし毒殺しようとする者が家に入り、飲食物に毒を入れられても、至心に大悲呪を唱えれば、その毒藥は変じて甘露水となる。
女人が難産となり、さらに邪悪な魔が働いて耐え難い苦しみとなっても、至心に大悲呪を唱えれば、鬼神は退散して安楽に生むことができる。
悪龍や病の鬼が毒気を放ち、熱病に侵され命が終わろうとする時、至心に大悲呪を唱えれば、疫病は消滅し寿命は長くなる。
龍鬼があらゆる毒腫を流行させ、癰瘡膿血(ようそうのうけつ・腫物と膿)が痛んで耐え難い時、至心に大悲呪を唱えれば毒腫はすぐに消える。
悪しき衆生が不善を起こし、呪い、呪詛し、恨みを増し加える時、至心に大悲呪を唱えれば、その呪いは呪った本人に向かう。
末世となって教えが滅び、世が乱れて人々が欲のままに心が迷い、昼夜を通して家を顧みず、しかも留まることを知らない時、もし大悲呪を唱えれば、淫らな欲望の火は滅んで邪心はなくなる。
もし私がこの呪の功徳力を称賛するならば、一劫(いっこう・ほぼ永遠に近いほどの長い時間)の間、称賛し続けても尽きることはないであろう」。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(前半のみ) その2

また観世音菩薩は、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。あらゆる人や天が大悲心呪を読誦し保つならば、十五種類の善い生を得ることができます。そして、十五種類の悪い死を受けません。その悪い死とは次の通りです。一つ、飢え苦しみによって死ぬことはない。二つ、捕らえられ拷問で死ぬことはない。三つ、怨敵によって殺されない。四つ、戦争の戦いの中で死ぬことはない。五つ、野の獣によって殺されない。六つ、毒蛇やサソリにかまれて死ぬことはない。七つ、洪水や火事で死ぬことはない。八つ、毒薬の中毒で死ぬことはない。九つ、虫の害によって死ぬことはない。十、狂乱して自我を失って死ぬことはない。十一、山や木や崖から落ちて死ぬことはない。十二、悪しき者の呪いによって死ぬことはない。十三、邪神悪鬼によって殺されることはない。十四、悪い病気に侵されて死ぬことはない。十五、自殺することはない。大悲心呪を読誦し保つ者は、このような十五種類の悪しき死を受けることはありません。
また、十五種類の善い生を得るとは次の通りです。一つ、その生において善い王に出会う。二つ、常に善い国に生まれる。三つ、常に善い機会に恵まれる。四つ、常に善い友に会う。五つ、五体満足である。六つ、悟りを求める心が純粋に成熟している。七つ、戒律を犯さない。八つ、付き従うすべての従者は恩義を感じており従順である。九つ、財産をはじめ生活物資などすべてに満ち足りている。十、常に他人から尊敬される。十一、財産を他人に奪われることはない。十二、求めるところはすべてかなう。十三、龍天善神が常に守る。十四、その生において仏を見て教えを聞く。十五、正しい教えを聞いてその深い意義を悟る。大悲心陀羅尼を読誦し保つ者は、このような十五種類の善い生を得ることができます。すべての天や人よ。まさに常に読誦し保ち、怠ることがないようにせよ」。
観世音菩薩はこのように語り、大衆の前において、合掌し正面にあって、あらゆる衆生に対して大悲心を起こし、顔を上げて微笑み、広大円満無礙大悲心大陀羅尼の神妙の章句を説いた。陀羅尼は次の通りである。

(注:陀羅尼は本来意味のある言葉であるが、唱えることに意義があるのであり、意味を考える必要はないため、ここにひらがなによって発音を記す。原本にも意味は記されていない。なお、この陀羅尼は天台宗真言宗禅宗などにおいて唱えられるが、各宗派によって微妙に発音が異なる。ここでは天台宗の読み方によって記す。句点は訳者の判断により入れた。)

「なもあらたんなたらやあや。なもありゃあばろきていしんばらや。ぼうじさたばやまかさたばや。まかきゃろにきゃやおんさるば。らばえいしゅたんなたしゃ。なもしきりたばいもう。ありゃあばろきていしばら。りょうだばなもならきんじ。けいりまかばたしゃめい。さるばあたずしゅぼうあぜいよう。さるばさたなまばぎゃまばどず。たにゃたおん。あばろけいろきゃていきゃらてい。いけいりまかぼうじ。さたばさるばさるば。まらまらまけいまけいりだよう。くろくろきゃらぼう。どろどろばじゃやてい。まかばじゃやてい。だらだらじりにしんばらや。しゃらしゃらままばっまらぼくていれい。いけいいけいしっだしっだ。あらさんはらしゃりばしゃばさん。はらしゃやころころまらころころ。けいりさらさらしっりしっり。そろそろぼうじやぼうじや。ぼうだやぼうだやみていりや。ならきんじだりしにな。はやまなそわか。しっだやそわか。まかしっだやそわか。しっだゆげいしんばらやそわか。ならきんじそわか。まらならそわか。しっらそうかぼきゃやそわか。しゃばまかかしったやそわか。しゃきゃらかしったやそわか。はんだまかしったやそわか。ならきんじばぎゃらやそわか。まばりしょうぎゃらやそわか。なもあらたんなたらやあや。なもありゃあばろきていしばらやそわか。しっでんとまんだらはだやそわか。」

観世音菩薩がこの呪を説き終わると、大地は六種に震動し、天は宝華を降らせ、それらが乱れ落ちて来た。あらゆる方角の諸仏はみな歓喜した。天魔や外道(げどう・誤った教えの他の宗教の者)は恐れおののいた。すべての大衆はそれぞれの悟りの結果である果証、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、あるいは悟りへの段階である一地二地三地四地五地そして十地を得た。また無量の衆生は悟りを求める心を起こした。

その時、大梵天王(だいぼんてんのう)は座より立って、衣服を整え合掌し敬って、観世音菩薩に次のように言った。
「良いことです、大士よ。私は昔より今まで、無量の仏の法会を経験し、あらゆる教え、あらゆる陀羅尼を聞きましたが、未だかつて、このような無礙大悲心大悲陀羅尼神妙章句が説かれたことは聞いたことがありません。ただ願わくは大士よ。私のために、この陀羅尼の姿形を説いてください。私をはじめ、大衆は聞くことを願っています」。
観世音菩薩は梵王に次のように言った。
「あなたは方便によって、すべての衆生に利益を与えようとこの質問をしました。あなたは今、よく聞きなさい。私はあなたがたのために略して説きましょう」。
また観世音菩薩は言った。
大慈悲心は平等心です。無為(むい:なそうとしないでなす)心です。無染著(むせんじゃく:執着がない)心です。空観(くうがん:空を観じる)心です。恭敬(くぎょう:敬い崇める)心です。卑下(ひげ:へりくだる)心です。無雑乱心です。無見取(むけんしゅ:ものごとをあると思わない)心です。無上菩提(むじょうぼだい:この上ない悟り)心です。まさに知るべきです。これらの心はすなわち陀羅尼の姿形です。あなたがたはまさに、これによって修行しなさい」。
大梵王は言った。
「私と大衆は、今はじめてこの陀羅尼の姿形を知りました。今からこれを受け保ち、決して忘失しません」。
観世音菩薩は言った。
「善き男子や善き女人がいて、この神呪を読誦し保つ者は、広大な菩提心を発して、誓ってすべての衆生を悟りに導き、その身に清らかな戒めを持ち、あらゆる衆生に対して平等心を起こし、常にこの呪を読誦して絶えることがないようにしなさい。清らかな部屋に住んで、沐浴して身を清め、清らかな服を着て、旗をかけ、灯をつけ、香華や百味の飲食をもってこの陀羅尼を供養しなさい。心を一つに制して別の思いを持つことがないようにしなさい。正しく読誦し保つならば、その時まさに、日光菩薩(にっこうぼさつ)と月光菩薩(がっこうぼさつ)が、無量の神仙と共に来て、利益(りやく)を証し、しるしを現わすでしょう。私はまさにその時、千眼をもって照らし見て、千手をもって守り導きます。また、この世のあらゆる書物に記されていることは、すべて受け保つことになります。すべての他の宗教の教えや術、バラモン教聖典にも通じるでしょう。この神呪を読誦し保つ者は、この世の八万四千種類の病、すべて治癒されないことはありません。またすべての鬼神を抑え、諸天魔を下し、あらゆる他の宗教を制するでしょう。山野にあって、経典を読誦し座禅する時、あらゆる山の精霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)や鬼神たちが来て心が乱されるならば、この呪を一遍読誦すれば、このあらゆる鬼神たちは、みなことごとく縛られるでしょう。正しい教えに従って読誦し保ち、あらゆる衆生に対して慈悲心を起こす者には、私はまさにその時、すべての善神や龍王や執金剛神(しゅうこんごうしん:仏教の護神)に命じて常に護衛させ、その側を離れないようにさせ、自分の瞳や自分の命を守るように守らせましょう。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(前半のみ) その1

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経
           唐西天竺沙門 伽梵達摩(がぼんだつま)訳 

(注:『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつこうだいえんまんむげだいひしんだらにきょう)』は、「千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼」、略して「大悲心陀羅尼」あるいは「大悲呪」と言われる陀羅尼について述べられた経典である。この陀羅尼は、『仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)』と『一切如來心秘密全身舍利寶篋印陀羅尼(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに)』と共に、「三陀羅尼」と呼ばれるほど、代表的な陀羅尼である。そして、この経典に、千手観世音菩薩について詳しく述べられている。

内容は難しいものではないので、ひとつひとつの単語の読みや意味は、最低限の解説にしており、単語の読みや意味がわからないところがあっても、気にせず読んでも全体の内容はよくわかると思われる。

なお、この経典の後半は、漢方医学に陀羅尼を呪すことを加えたような内容となるので、前半のみ訳すことにする。)

 

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このように私は聞いた。
ある時、釈迦牟尼仏は、補陀落山(ふだらくせん)の観世音宮殿宝荘厳道場の中におられ、宝の立派な座に座っておられた。その座は無量の純粋な雑摩尼宝を以って厳かに飾られ、百の宝の幢旛(どうばん・飾られた旗のこと)が周りに並べられていた。
その時、如来はその座の上において、まさに総持陀羅尼(そうじだらに)を説こうとされたために、無数の大いなる菩薩たちと共におられた。その菩薩たちの名は、総持王菩薩・宝王菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・華厳菩薩・大荘厳菩薩・宝蔵菩薩・徳蔵菩薩・金剛蔵菩薩・虚空蔵菩薩弥勒菩薩普賢菩薩文殊師利菩薩であった。このような大いなる菩薩たちは、みな仏の位と同等な大法王子である。
また無量無数の大いなる聲聞の僧たちと共におられた。みな阿羅漢を行じ、十地の位にいる摩訶迦葉(まかかしょう)が上首であった。また無量の梵天は、善吒梵摩(ぜんたぼんま)が上首であった。また無量の欲界の諸天子と共におられた。瞿婆伽天子(くばかてんし)が上首であった。また無量の世を守護する四天王と共におられた。持国天が上首であった。また無量の天龍八部衆と共におられた。天徳大龍王が上首であった。また無量の欲界諸天女と共におられた。童目天女が上首であった。また無量の虚空神・江海神・泉源神・河沼神・薬草神・樹林神・舍宅神・水神・火神・地神・風神・土神・山神・石神そしてその宮殿などが集まって一同に会していた。
その時に観世音菩薩は、集まった大衆の中において密かに神通を放った。その光明はあらゆる方角の国土およびすべての世界を照らし、みなそれらを金色に輝かせた。天宮・龍宮・諸尊神宮はみなすべて震動した。江河・大海・鉄囲山・須弥山・土山・黒山もまたみな大いに動いた。太陽や月の光、星の光はすべて見えなかった。この時、総持王菩薩は、このような希有の有様を見て、今までになかったことだと、すぐに座より立って、両手を合わせて合掌し、詩偈を以て仏に次のように質問した。
「このような神通の有様は、いったい誰が放ったのでしょうか」。
さらに詩偈を以て次のように質問した。
「誰かが今日、最高の悟りを開かれたのでしょうか。すべての方向に大いなる光明が放たれました。あらゆる国土はみな金色となり、すべての世界もまたそうです。誰かが今日、自在の力を得たのでしょうか。希有の大神力を行なって、果てのない仏の国土はみな震動しました。龍宮や神宮の宮殿は平穏を失い、今、この大衆はみな疑問を持っています。誰の力によることなのか、知らないからです。
仏よ。菩薩や大聲聞のために、梵・魔・天・諸釈たちのために、ただ願わくは世尊よ、大慈悲を以て、この神通のわけを説いてください」。

仏は、総持王菩薩に次のように語られた。
「善き男子よ、あなた方はまさに知るべきである。今、この大衆の中に、ひとりの大いなる菩薩がいる。観世音自在という。無量劫の昔より今まで、大慈大悲を成就し、大いに無量の陀羅尼門を修習した。あらゆる衆生を安楽にしようと願うために、今密かにこのような大神通力を放ったのだ」。
仏がこの言葉を説き終わった時、観世音菩薩は座より立って、衣服を整え、仏に向かって合掌し、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私に大悲心陀羅尼の呪文があります。今まさに説こうと思います。あらゆる衆生に安楽を得させるためです。一切の病を除くために、寿命を得させるために、富を得させるために、すべての悪業と重い罪を滅ぼし除くために、障害や困難を離れさせるために、すべての正しい教えとあらゆる功徳を増し加えるために、すべての善根を成就させるために、すべてのあらゆる恐れを離れさせるために、速やかにすべてのあらゆる求めを満足させるために。ただ願わくは世尊よ。慈しみ哀れんで聞かれることをお許しください」。

仏は次のように語られた。
「善き男子よ。あなたは大慈悲を以って衆生を安楽にさせようと、神呪を説こうとしている。今まさにその時である。よろしく速かに説くべきである。如来も隨喜し諸仏もまたそうである」。

観世音菩薩はさらに仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私は無量億劫の昔を思い出すに、仏がおられました。その仏が世に出現されて、千光王静住如來と名乗られました。その仏であり世尊は、私を憐み、私のために、そしてすべてのあらゆる衆生のために、この広大円満無礙大悲心陀羅尼を説かれ、金色の手を以って私の頭の上をなでられ、次のようにおっしゃいました。『善き男子よ。あなたはまさにこの心呪を持ち、広く未來の悪しき世のすべての衆生のために、大いに利益と安楽を与えるべきである』。私はその時は、始めて初地の位にいましたが、この呪文を一回聞いたために、第八地の位を超えました。その時、私の心は喜び踊り、すぐに次のような誓願を立てました。『私はこれから、よくすべての衆生を利益し安楽にさせようと願います。そのために今すぐ、私の体に、千手千眼を具足させてください』。この誓願を立て終わったとたんに、体に千手千眼がすべてみな具足しました。あらゆる方角の大地は六通りに震動し、あらゆる方角の千の仏はすべて光明を放って私の身を照らし、さらにあらゆる果てしない世界を照らしました。これ以降、また無量の仏のおられる所、無量の大衆の中において、度重ねてこの陀羅尼を聞くことができ、私もこの陀羅尼を引き継いで受け保ち、また歓喜踊躍を生ずることも無量であり、無数億劫の聖者の生まれ変わりさえ超越することができました。それから今まで、この陀羅尼を常に読誦し保って、忘れたり失ったりすることはありません。この陀羅尼を保つために、生まれ変わっても、必ず常に仏の前に生じることができます。その上、蓮華より化生して、胎から生まれる肉体の身はもはや受けません。
もし、僧侶や尼僧や男女の在家信者、そして男女の子供であっても、この陀羅尼を読誦し保つことを願うならば、あらゆる衆生に対して慈悲心を起こし、まずまさに私に従って、次のような誓願を発すべきです。
南無大悲観世音 願わくはすべての教えを速やかに知ることを。
南無大悲観世音 願わくは智慧の眼を速やかに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速かにすべての衆生を悟りに導くことを。
南無大悲観世音 願わくは良い方便を速やかに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速かに般若(最高の智慧)の船に乗ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに苦しみの海を越えることができることを。
南無大悲観世音 願わくは戒律と禅定の道を速かに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに涅槃(悟りの完成)の山に登ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに涅槃の岸に到達することを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに体自体が真理と同体になることを。
私がもし刀の山に向かうならば、刀の山は自ら折れよ。
私がもし火湯に向かうならば、火湯は自ら消滅せよ
私がもし地獄に向かうならば、地獄は自ら枯竭せよ
私がもし餓鬼に向かうならば、餓鬼は自ら飽きるほど満ち足りよ。
私がもし修羅に向かうならば、その惡しき心は自ら整えられよ。
私がもし畜生に向かうならば、大いなる智慧を自ら得よ。
この誓願を発し終えて、心から私の名前を念じて唱えなさい。またまさに、私の本師である阿弥陀仏をもっぱら念じなさい。その後に、この陀羅尼神呪を読誦しなさい。一晩に読誦すること五遍に達するならば、体の中の百千万億劫の生まれ変わり死に変わりする重い罪を除いて滅ぼすでしょう。」

観世音菩薩は、また仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしあらゆる人や天が、この大悲の章句を読誦し保つならば、その命終わる時に、あらゆる方角の諸仏が来て手を差し伸べるでしょう。ある仏の国土に生まれることを願うならば、その願い通りにみな往生することができるでしょう」。

また仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしあらゆる衆生の中で、大悲神呪を読誦し保っていながら、地獄餓鬼畜生の三悪道に堕ちる者がひとりでもあるならば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者の中で、もし諸仏の国に生まれない者がひとりでもあれば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者の中で、もし無量の三昧(精神統一)や弁才(弁論の才能)を得ない者がひとりでもあるならば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者が、現在の生の中で、その願うところの中で、ひとつでも果たせないことがあるならば、大悲心陀羅尼と名付けることはしません。ただし、不善の心や不誠実な心で唱えることは除きます。
もしあらゆる女人が、賤女身を厭い、男子の身を得ようと願い、大悲陀羅尼の章句を読誦し保った場合、その者の中で、ひとりでも女身を転じて男子の身を得ることができない者がいるならば、私は悟りを得ないと誓います。ただし、少しでも疑う心を生じさせるものは、絶対に結果を遂行することはできません。
もしあらゆる衆生が、日常の必要物を盗んだり損ねたりするならば、たとえ仏の前に千回生まれ変わって懺悔したとしても通用しません。しかし、懺悔してその罪が除かれ滅ぼされない時に、大悲神呪を読誦するならば、すなわち除かれ滅ぼされることができます。もし食べ物を盗んだ場合、あらゆる師に対して懺悔してはじめてその罪が除かれ滅ぼされますが、その時、大悲陀羅尼を読誦するならば、あらゆる師の方から来て、すべての罪と妨げがすべて消滅したことを証明してくれるでしょう。このように、すべての十悪五逆の罪や、人を罵ること、教えを批判すること、集まりを損ねること、破戒、破塔・壊寺・寺の物を盗むこと、清らかな行ないを汚すことなど、このような悪業重罪もすべてみな滅び尽くされます。
ただし、唱えながら疑う心を生じさせる者は除きます。小さな罪や軽い悪業も滅ぼすことはできません。ましてや重罪は言うまでもありません。しかし、重罪を滅ぼすことはできないと言っても、読誦したことで、遠い将来の悟りの原因とはなります。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

金光明最勝王経 大弁才天女品 第十五 (抜粋)

金光明最勝王経 大弁才天女品 第十五  (抜粋)

福徳に満ちた天女を敬い拝します。
あなたはこの世の中において自在を得ています。私は今尊者を讃嘆します。すべて昔の仙人の語った通りになるでしょう。福徳は成就して心は安隱であり、聡明であられることは恐れるほどであり、名聞は広まっています。母となってこの世の人々を生み、勇猛にして常に大いなる精進を行なわれます。軍陣をあらゆるところに展開して戦い、常に勝ち、また長く養い導き、心は慈悲と忍耐に満ちています。また閻魔大王の長女となって、常に天然の蚕の糸で作った青色の衣を着ています。ある時は好ましい容姿であり、ある時は恐ろしい容姿となって、その目の力は見る者を恐れさせます。無量の優れた行ないは世間を超え、信じる者をすべて受け入れられます。あるいは山奥の険しいところにおられ、あるいは洞窟や川の岸辺におられ、あるいは、うっそうとした森におられ、そのまわりには多くの天女が共に住んでいます。山林に住む野の人たちも、常に天女を供養します。孔雀の羽をもって旗を作り、常にこの世を守られます。師子や虎や狼は常に周りに付き従い、牛や羊や鶏もまた寄り頼みます。大いなる鈴や鐘を振って音を出し、仙人の住む山の人々もその響きを聞きます。三鈷を手に取り、頭の髪の毛を丸く結って、左右に日と月の旗を持たれます。満月から新月までの期間の九日と十一日において、まさに供養すべきです。あるいは、婆蘇(ばそ)大天女に姿を変え、戦争があることを常に哀れまれます。すべての存在の中で、弁才天女は最も優れておられ、勝る者はありません。牧牛歓喜女(もくごかんきにょ)に姿を変え、天と戦う時は常に勝たれ、長く世間に安らかに住まわれ、ある時は穏やかに忍耐され、またある時は暴悪となられます。大婆羅門の教えや幻化呪術などにもみな通じておられます。天人や仙人の中において自在を得て、また姿も極小から極大までとなります。多くの天女たちを集める時には、必ず応じて海のように集まります。多くの龍神や藥叉(やくしゃ)たちに対しても主となって導かれます。多くの女の中においても、最も正しく行なわれ、言葉を発すれば、この世の主のようです。王の住居においては蓮華のようであり、川辺にあっては美しい橋のようです。容貌は満月のようであり、多くの知識を持たれて、人々の拠り所となり、優れた弁論は高い峰のようです。弁才天を念じる者の数は渚の波のように集まり、阿修羅などの諸天衆はみな共にその功徳を稱讃し、さらに千の眼を持つ帝釈天も、尊敬の心をもって見ます。人々に願い事があれば、すべて速やかに成就させ、またよく語りよく学ぶようにさせ、この地において優れた者とされます。このあらゆる世界の中において、大いなる燈明のように常に普く照らし、および神鬼や諸禽獣にも、みなその求めるところを遂げさせます。多くの女の中において山の峰のようで、昔の仙人が久しく住んでいた世のようです。少女の天女のように、常に無欲であり、その真実の言葉は大いなる世の主のようです。普く世間とさまざまな人々、および欲界にある多くの天宮を見れば、その中でただ弁才天女ひとりが尊称をもって崇められ、その他の人々の中で勝る者は見出せません。恐ろしい戦争の中において、あるいは火の穴の中に堕ちる時、また川の氾濫や盗賊にあう時、すべて彼らの恐怖を除かれます。あるいは王の法律によって捕らえられ、あるいは仇のために殺害されそうになった時、もっぱら弁才天に心を注ぎ、念が移らなければ、必ずその多くの憂いや苦しみから解脱することができるでしょう。善い人また悪い人の中においても、その人々をみな擁護し、慈悲を与え哀れに思って、常に姿を現わされます。このために、私は誠を尽くして、大弁才天女に稽首し帰依します。

 

敬い拝す、敬い拝す、世間において尊いお方 多くの母の中において最も優れている 
すべての世界はことごとく供養し その容姿は人が見ることを願う 
あらゆる妙徳をもって身を荘厳にし 目は広い青蓮華の葉のようだ
福智と光明と名声は満ちて たとえば価値がつけられないほどの宝珠のようだ 
私は今最勝者を讃歎する すべての求める心を成就する 
真実の功徳は妙なる福徳である たとえば最も清淨な蓮華のようだ 
その身は端麗荘厳でありみな見ることを願う あらゆる稀有の姿形は不思議である 
無垢の智慧の光明を放つ あらゆる念の中において最勝である 
師子が獣の中で最上であるようだ 常に八つの腕をもって自らを荘厳する 
その各々の腕には弓・矢・刀・矛・斧・金剛杵(こんごうしょ)・鉄輪ならびに羂索(けんさく・=縄)を持つ 
その姿は端正にして見ることを願う満月のようだ 言葉は滞ることなく和音を出す 
もし人がいて心に願い求めれば 良い事は念に従って円満に成就する 
帝釈天をはじめ諸天はみな供養し みな共に称賛し帰依すべきである 
多くの徳が絶えず生ずることは不思議である すべての時において敬う心が起きる 
莎訶(そわか・「めでたし」という意味の真言

 

仏陀に帰依します。教えに帰依します。僧侶たちに帰依します。諸菩薩たち、縁覚、声聞、すべての賢聖に帰依します。
過去現在の十方の諸仏は、ことごとくみなすでに真実の言葉を取得し、相手の能力に応じて真実の言葉を説いて、虚しい誤った言葉はありません。すでに無量であり測ることもできないほどの長い歳月において、常に真実の言葉を説き、真実の言葉を受け入れた者はみな喜びました。偽りの言葉ではないために、広く長い舌を出し、その顔およびこの地上およびすべての天下を覆い、一千二千三千の世界を覆い、普く十方世界を覆い、その円満は広まって不思議であり、すべての煩悩の炎熱を除きます。
敬い拝し、敬い拝します。すべての諸仏のこのような舌の姿。願わくは (自らの名前など)、みな妙(たえ)なる弁論の才能を成就しますように。心を尽くして帰命し敬い拝します。
諸仏の妙なる弁論の才能、諸大菩薩の妙なる弁論の才能、一人で悟りを開いた聖者の妙なる弁論の才能、修行とその結果の妙なる弁論の才能、仏の教えの妙なる弁論の才能、教えに基づいた行動の妙なる弁論の才能、梵天たちの妙なる弁論の才能、大天烏摩(だいてんうま・自在天=シヴァ神の妃)の妙なる弁論の才能、塞建陀天(そこんだてん・シヴァ神の子)の妙なる弁論の才能、摩那斯王(まなしおう・龍の王)の妙なる弁論の才能、聡明夜天(そうみょうやてん)の妙なる弁論の才能、四大天王(=四天王)の妙なる弁論の才能、善住天子(ぜんじゅうてんじ・仏から『仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに』を授かった天子)の妙なる弁論の才能、金剛密主(こんごうみっしゅ・密教大日如来の弟子)の妙なる弁論の才能、吠率怒天(べいしゅどてん・=ヴィシュヌ神)の妙なる弁論の才能、毘摩天女(びまてんにょ=大自在天の女性形)の妙なる弁論の才能、侍数天神(じしゅてんじん)の妙なる弁論の才能、室唎天女(しつりてんにょ)の妙なる弁論の才能、室唎末多(しつりまんだ)の妙なる弁論の才能、醯哩言詞(けいりごんじ)の妙なる弁論の才能。諸母大母(しょもだいも)の妙なる弁論の才能、訶哩底母(かりていも)の妙なる弁論の才能、諸薬叉神(しょやしゃじん・薬叉=夜叉、羅刹。森の神)の妙なる弁論の才能、十方諸王の妙なる弁論の才能、すでに持っている優れたわざを助け、極まりない妙なる弁論の才能を発揮させてください。
偽りない方を敬い拝します。解脱者を敬い拝します。欲を離れた人を敬い拝します。妨げを捨てた方を敬い拝します。心の清い方を敬い拝します。光明者を敬い拝します。真実の言葉を敬い拝します。汚れのない方を敬い拝します。優れた義に住まわれる方を敬い拝します。大衆の王を敬い拝します。弁才天を敬い拝します。私の言葉を広めさせてください。願わくは私の求めることを、みなことごとく速やかに成就させてください。病なく常に安隠に、寿命が延びることができますように。よく多くの神呪を理解し、悟りへの道を謹んで修行します。広く人々を導き、その心に求める願いを速やかに遂げさせましょう。私は真実の言葉を説きます。偽りない言葉を説きます。天女の妙なる弁論の才能を私に成就させてください。ただ願わくは天女が来て、私の言葉を滞りなく速やかに体と口の中に入れて、聡明な弁論の才能を増し加えてください。願わくは私の舌をもって、如来の弁論を得させてください。仏の言葉の威力によって、多くの人々を教え導きましょう。私が言葉を出す時、その事柄にしたがってみな成就し、聞く者が真理を敬う心を生じさせ、その行ないが空しくなりませんように。もし私が弁論の才能を求め、それが成就しなければ、天女の真実の言葉も、みなことごとく虚妄となるでしょう。地獄に堕ちる罪を作る者がいても、仏の言葉をもって導きましょう。および阿羅漢の言葉や、あらゆる仏のご恩に報いる言葉、舍利子や目犍連(もっけんれん)などの、仏の弟子で第一の者の真実の言葉を、願わくは私に成就させてください。
私は今、仏の声聞大衆を招集します。みな願わくは速やかに来至し、私の求める心を成就させてください。求める真実の言葉、みな願わくは偽りでないように。上は色究竟天(しきくきょうてん)より、浄居天(じょういてん)、大梵天王および梵輔天(ぼんほてん)、すべての梵王衆、さらに三千世界に遍満する娑婆世界の人々、ならびに多くの従者たちを、私は今、招集します。ただ願わくは慈悲を下され、哀憐され、受け入れてください。他化自在天(けたじざいてん)および楽変化天(らくへんげてん)、やがて仏になられる弥勒菩薩のおられる兜率天(とそつてん)の衆、夜摩天(やまてん)の諸天衆、および三十三天、四大天王衆の天、すべての諸天衆、地水火風の神、妙高山に住む者、七海山に住む神、あらゆる諸の従者、満財および五頂、日月と諸の星辰、このような諸天衆は、世間を安隠にされ、これらの諸天神は、罪業を行なうことを願われません。鬼子母神および最小の愛児を敬い拝します。天竜八部衆に向かって、私は仏の力をもって、ことごとくみな招集します。願わくは慈悲心を下され、私に妨げのない弁論を与えてください。すべての人と天の衆、よく他の心を理解する者、みな願わくは神力を加え、私に妙なる弁論の才能を与えてください。さらに虚空を尽し、すべての世界に遍満するあらゆる生き物のたぐい、私に妙なる弁論の才能を与えてください。」

 

弁才天