解説を交えながら法華経を読もう

解説を交えながら、法華経をわかりやすく現代語訳することを目指しています。何より、法華経には何が書いてあるかを知っていただきたいと願っています。数日に一回程度、アップして行くつもりです。訳者については、http://nozomichurch.net/ をご覧ください。

法華経 現代語訳 13

舎利弗よ。過去の諸仏も、無量無数の方便やあらゆる因縁、比喩、言葉をもって、衆生のためにあらゆる教えを語られた。その教えも、みな一仏乗のためなのだ。このように、多くの衆生が諸仏に仕えて教えを聞いたのだが、それらは別々ではなく、みな同じく、すべてを知る完全な仏の悟りに達したのだ。

舎利弗よ。未来の諸仏がまさに世に現れても、やはり、無量無数の方便やあらゆる因縁、比喩、言葉をもって、衆生のために教えを説かれるだろう。その教えも、みな一仏乗のためである。このように、多くの衆生が諸仏に仕えて教えを聞くであろうが、それらは別々ではなく、みな同じく、すべてを知る完全な仏の悟りに達するであろう。

舎利弗よ。現在、あらゆる方角にある、数えることができないほどの多くの仏の国土におられる世尊は、衆生を教えて心の平安を与えられているが、その諸仏も、無量無数の方便やあらゆる因縁、比喩、言葉をもって、衆生のために教えを説かれている。その教えも、みな一仏乗のためである。このように、多くの衆生が諸仏に仕えて教えを聞いているが、それらは別々ではなく、みな同じく、すべてを知る完全な仏の悟りに達するである。

(注:法華経は、単に、現在の時点での教えや真理を説いているのではなく、その教えの範囲は、過去、現在、未来のすべてにわたっている。さらに、法華経の最初から最後に至るまで、仏の国土、つまり仏国土(ぶっこくど)について多く語られている。この仏国土にも、過去、現在、未来の時制が当てはめられる。特に大乗仏教では、過去現在未来、そして、東西南北上下のすべてに無数の仏国土があると説く。そして、各仏国土には仏がひとりずついるとする。さらに法華経では、そのさまざまな仏国土から、さまざまな仏たち、そして菩薩たちが法華経を聞きに、この世に訪問して来る、というエピソードが大変多く記されている。法華経は、このように、時間と空間を超えたダイナミックな展開を繰り返す経典であり、読者もそれをよく理解して、常識を超えた場面展開を受け入れる心構えで読み進めていく必要がある。)

舎利弗よ。この諸仏はただ菩薩を教化(きょうけ)される。それは、仏の知見を衆生に示そうとされるために、仏の知見を衆生に悟らせようとするために、仏の知見の道に衆生を入らせようとするためにである。

舎利弗よ。私も今、またこれと同じである。あらゆる衆生に、あらゆる欲望や、心の奥底に執着があることを知って、その本性に従って、多くの因縁や比喩や言葉や方便の力をもって、教えを説くのである。

舎利弗よ。このようなことは、みな一仏乗の最高の悟りを得させようとするためである。

舎利弗よ。あらゆる方角の世界には、二乗というものはない。ましてや三乗があるはずがない。

舎利弗よ。諸仏は五つの汚れた悪い世に現れるのだ。その五つとは、その世界が存在し続ける時間が短いという汚れ(劫濁・こうじょく)と、人々の煩悩が盛んであるという汚れ(煩悩濁・ぼんのうじょく)と、悪い人々が多いという汚れ(衆生濁・しゅじょうじょく)、人々の考え方が汚れている(見濁・けんじょく)ということと、人々の命が短いという汚れ(命濁・みょうじょく)である。

まさにそうである、舎利弗よ。このような汚れた世の時は、衆生の汚れは重く、貪欲であり嫉妬深く、あらゆる不善を現すので、諸仏は方便という巧みな手段をもって、本来は一仏乗しかあり得ないにもかかわらず、三乗を説くのである。

舎利弗よ。もし私の弟子の中で、自分は阿羅漢だ、辟支仏だと思う者が、諸仏は菩薩だけを教化するということを聞かず知らないならば、その者は仏の弟子ではなく、阿羅漢でもなく、辟支仏でもない。

(注:仏の弟子であり、自分は阿羅漢だ、つまり声聞乗の者だと思う者、また自分は辟支仏だ、つまり縁覚乗の者だと思う者が、諸仏は菩薩だけを教化するということを知らないならば、その者は本当の阿羅漢でもなく辟支仏でもない、という言い方は、明らかに論理的ではないように思える。それならば、阿羅漢や辟支仏という自覚を捨てて、菩薩になればいいではないか、ということになる。あくまでも阿羅漢や辟支仏である必要はないからである。しかし、前回も述べたように、一仏乗とは、他の道の人々がそのままで、すべて一つの最高の悟りに至る道にいることなのだ、ということを説く教えである。さらに、大乗仏教が起こった時点では、すでに歴史上の釈迦以来、約四百年以上たっているので、その大乗仏教のまだ起こっていない時代に声聞だった者や辟支仏だった者は、どうなってしまうのか、ということになる。実はここに、法華経の隠された大きなテーマである「生まれ変わり」ということがあるのだ。法華経をしっかりと理解するためには、法華経は、人は何度も生まれ変わる、ということを大前提にしていることを知らねばならない。つまり、過去の世で、声聞であった者たちは、その声聞であった時の教えや悟りを捨て去る必要はなく、同じく、辟支仏であった時の悟りを捨てる必要はなく、そのまままた生まれ変わり、ついには菩薩となって、やがて仏と同じ悟りに至るのだ、ということを、法華経の最初から最後までを通して、一環として表現されているのである。ここに、大乗仏教の人々の、自分たちを菩薩だとする高い意識の自覚がある。特に法華経のグループの人々は、過去のあらゆる仏の教えを排除するのではなく、それらを生まれ変わりという真理を用いて、ひとつにしているわけである。)

つづく

 

#法華経  #法華経現代語訳  #仏教