法華経 現代語訳 14

また舎利弗よ。僧侶たちや尼僧たちの中で、自分はすでに阿羅漢となった、もう生まれて来ることはない、究極の悟りを得たのだと思い、それ以上の最高の悟りを求めないならば、そのような者たちは思い上がっているのである。なぜであろうか。もし僧侶が本当に阿羅漢となっているにもかかわらず、私が説いているこの教えを信じない、ということはあり得ないからだ。ただし、仏が究極の悟りを得て、その姿が消えた時はそうではない。それはなぜであろうか。仏がいなくなった後に、今、私が説いている教えを受け保ち、読誦し、その意味を理解する者が出る、ということは非常に困難だからである。しかしその時の人々が、また他の仏たちに会うならば、その仏の教えの中で、悟りを得ることができるであろう。
舎利弗よ。あなたはまさに一心に信じ、理解し、仏の言葉を受け、保つべきである。諸仏如来の言葉は、偽りがない。他の教えがあるわけではなく、ただ一仏乗があるのみである。」
(注:原語では、「仏の滅度」という表現がされているが、仏も最後は完全な消滅の時を迎えるのである。人は多くの仏に仕え、最後に悟りを開いて仏となる。しかし、あくまでも、仏という存在がある限り、その仏は究極の霊的次元に達したのではない。究極の悟りは、姿かたちはなく、その存在そのものがない次元なのである。それは完璧な霊的世界であり、もはや、人間の言葉では表現することは不可能である。仏がそのような究極的悟りを開き、その仏の存在そのものが消えてなくなることを、その仏の滅度という。法華経には、この滅度という言葉も非常に多く出て来るので、しっかりと理解する必要がある言葉の一つである。)
その時、世尊はこのことを再び述べようと、詩偈の形で次のように語られた。
「僧侶や尼僧の中で 思い上がった者 男性信者で高慢な者 女性信者で不信仰な者 このような者たちが 五千人いた 自らその誤りに気づかず 学ぶところに欠けたところがあるにもかかわらず その傷を守り惜しむように その愚か者たちは出て行った 彼らは大衆の中の粕(かす)だ 仏の威光のために去って行った 彼らは福徳が少なく この教えを受けるに堪えなかった 今いる聴衆に枝葉はない ただ真実のみがある
舎利弗よ よく聞くがよい 諸仏が得たところの教えは 無量の方便の力をもって 衆生のために説かれるものなのだ 衆生が何を求めているのか その修行の道や 悟りを願い求める心 前世の善悪の業 仏はすべて知ったうえで 多くの因縁や比喩 言葉と方便の力をもって すべての人々を喜ばすのだ 
あるいは散文形式で あるいは詩や過去の因縁を用いたり 仏自身の前世のことを語り 不思議な奇跡を語り また因縁や比喩 ならびに散文を詩偈の形にして説いたり 教理問答の形で語ったりする 
(注:すべての存在は因果因縁の法則によって変化しつつ存在している、という教えは、仏教の基本的なものであるが、法華経に多く出て来る「因縁」という言葉には、他の意味として、遠い過去から現在に至るまで積まれてきた因果因縁を指すことが多い。歴史的釈迦は、そのような前世がある、あるいは死後の来世がある、ということは語らなかったが、大乗仏教においては、その範囲が人間の肉体の死を超えているので、前世、あるいはそのさらに前の人生の結果、現世があると説く。)
能力が劣っていて 程度の低い教えを求め 生死に執着し 多くの仏に仕えているにもかかわらず 深く妙なる教えを実行することなく さまざまな悩みに翻弄されている者のためには 煩悩の消滅の教えを説く 私はこのような方便を用いて 仏の智慧を得させた しかし私は今まで あなたたちは仏になるだろうとは 述べたことがなかった なぜ説かなかったかと言えば まだ時が至っていなかったからである
今まさに その時である ついに大乗を説くのだ 私の教えのさまざまな形は 衆生の能力に応じて説くのであり みな大乗の教に入らせるためである そのためにこの教えを説くのだ 仏の弟子で心が清く 柔和で能力があり 多くの仏のもとにおいて 深く妙なる道を行じる者がある その多くの弟子たちのために この教えを説く  私はこのような人は 来世(らいせ)に仏の道を成就すると言おう 深く心に仏を念じ 清らかな教えを行ない保つからである この人たちは 仏になるであろうと聞いて その喜びは満ち溢れるであろう 仏は彼らの心とその行ないを知っているがために 大乗を説くのである
(注:一仏乗のみあるにもかかわらず、三乗を説いてきたのは、仏の巧みな手段、いわゆる方便なのだ、ということが、法華経の前半の中心的な教えだと伝統的にも解釈されてきた。したがって、この方便ということが非常に重要なのであり、方便の教えがあってこその一仏乗ということである。しかし一仏乗という教えは、今まで説かれていなかったわけであり、その時至って、この法華経の教えによって、一仏乗が明らかになったのである。)

 

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