法華経の現代語訳と解説

解説を交えながら、法華経をわかりやすく現代語訳することを目指しています。何より、法華経には何が書いてあるかを知っていただきたいと願っています。数日に一回程度、アップして行くつもりです。訳者については、http://nozomichurch.net/ をご覧ください。

法華経 現代語訳 24

その時、世尊は再びこのことを詩偈の形で述べようと、次のように語られた。

舎利弗は 来世に 普遍的な智慧を持つ仏となり その名を華光という まさに多くの人々を悟りに導くであろう 数えきれないほどの仏たちを供養し 菩薩の修行と力などの功徳を満たして この上ない道を証するであろう 気の遠くなるような長い年月を経て 大寶厳と名付けられる時間となったとき 離垢という仏国土がある その仏国土は 清らかで汚れがなく 地面は瑠璃色の宝石であり 金の縄が道を形作り 七つの宝でできている樹木に 常に花と実がある その国の多くの菩薩は 志が堅固であり 神通力や菩薩としての行がみな成就しており 数多くの仏のもとで よく菩薩の道を身につけている その菩薩たちは 華光仏が教化したのだ

その華光仏は 前世より仏の道を歩み いよいよ仏となる世において王子として生まれ 国を捨て世の栄を捨て 出家して仏となるのである

(注:仏となるためには、何度も何度も生まれ変わり、多くの仏のもとで教えを受け続け、次第に霊的に高められて行かねばならない、と法華経は説く。そして、いよいよ仏となる段階に来ても、また、出家して、修行をして、悟りを開く、という段階を踏むと述べられているのである。またそして、出家する前は、王子という身分である。これは、歴史的釈迦をモデルとしていることは言うまでもない。つまり、歴史上の釈迦も、見た目には王子という身分に生まれたが、その前の、数えきれないほどの前世で、仏に仕えてきた、という過程があったのだ、というのである。これは大乗仏教が生まれる前の仏教教団の中に、すでに「本生譚(ほんじょうたん)」という釈迦の前世物語として存在していた。法隆寺の玉虫の厨子に、前世の釈迦が、飢えた虎の親子を救うため、自らの身を投げた、という物語が描かれているが、それも本生譚のひとつである。)

華光仏の寿命は十二小劫 その国の人々の寿命は八小劫であろう 仏の滅度の後 正法が世にある期間は三十二小劫であり 広く多くの衆生が その教えによって悟りに導かれるであろう その正法が終わって 次の像法の期間も三十二小劫であり 仏の舎利が広く伝えられ 天や人が供養するであろう 

華光仏についてはこのようである その仏は 最も優れていて匹敵する者はない その仏はすなわちあなたなのだ まさに自ら喜ぶべきである」

その時、僧侶と尼僧と男性や女性の信者、および天的存在たちからなる大衆は、舎利弗が仏の前において、最高の悟りに至る予言を受けることを見て、躍り上がるほどに喜んだ。それぞれ、着ている上着を脱いで、仏にささげて供養した。天の王位にいる王たちや王子たちは、天の妙なる衣や縁の美しい花びらをもって仏を供養した。彼らが広げた天の衣は、空中に留まって自ら円を描いた。天の音楽をつかさどる百千万の者たちは、空中において一度に演奏し、多くの天の花を降らせて次のように言った。「仏は昔、鹿野苑(ろくやおん)において初めて教えを説かれたが、今また、無上最大の教えを説かれた」 

その時、多くの天子たちは、再びこのことを述べようと、詩偈の形で次のように言った。

鹿野苑において 苦しみの解決の道である四諦(したい)を説かれ さまざまにあらゆる存在や生きる者の生滅のさまを説かれ 今また 最も妙なるこの上ない教えを説かれた この教えは非常に奥深く 正しく信じる者は少ないであろう 私たちは昔より今まで 数多く世尊の教えを拝聴したが 未だかつてこのような奥深い優れた教えを聞いたことはなかった 世尊がこのような教えを説かれたので 私たちはみな心から喜んでいる 大いなる智慧を持つ舎利弗が 今尊い授記を受けた 私たちもまた このように仏となって すべての世界において 最も尊くこの上ない存在となるであろう 仏の道は人の思いは及ばない 仏はわかりやすいように方便を用いて説かれる 私が得ている祝福のわざや 過去の世や現在の世で仏に会うことができたという功徳を すべて仏の道にささげる」

その時、舎利弗は仏に次のように申し上げた。

「世尊よ、私は今は疑いがありません。親しく仏の御前において、最上の悟りを得るという授記をいただきました。ここにいる千二百もの心に自由を得た者たちが、まだ修行中であった時、仏は常に、私の教えは生老病死を離れて悟りを極めさせるものだとおっしゃっていました。この修行中の者やすでに修行を成就した者は、それぞれ自分を中心とした思いや、存在はあるとかないとかいう誤った見解を離れることをもって、涅槃を得たと思っていました。しかし今、世尊の御前で今まで聞いたこともない教えを聞き、みな疑惑に陥りました。世尊よ、願わくばこの人々のために、この教えがどのようにして説かれたのか、そのわけを説かれて、その疑いを離れさせてください。」

(注:仏が、今まで聞いたこともないような教えを説き、また舎利弗に授記を与えたことを見聞きし、確かに、すべての聴衆は喜び踊った、と書いてあったはずである。ではなぜここで、舎利弗は、私は疑いはないけれども、他の人々は疑惑に陥っているので、それを解決してください、などと舎利弗は言うのだろうか。法華経は、あまり現在の常識的な考えを用いて読まないほうがいいのであるが、解釈するならば、次のように言える。すなわち、聴衆は喜んではいるが、心の奥底には、まだまだ完全に理解していないところがあり、今、みんなが興奮するほど喜んでいる場にいる時は良いが、後に一人になって、また静かに瞑想などをする時、その隠れていた疑いの根が芽を出してくるような危険がある、と、舎利弗は見抜いた、というように考えれば、理解できる。)

つづく

 

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