法華経 現代語訳 34

妙法蓮華経 授記品 第六

その時、世尊はこの偈を説き終って、多くの大衆に告げて、次のように語られた。
「私の弟子の摩訶迦葉は、未来世において、三百万憶の諸仏世尊に仕え、供養し師事し敬い讃嘆して、広く諸仏の無量の大いなる教えを説くことになろう。そして、最後の生において仏となるだろう。その名を、光明如来という。
(注:ここから、第六章目の「授記品(じゅきほん)」が始まる。以前にも述べたが、授記とは、未来に仏となるという予言のことである。厳密に言えば、「記」がそれにあたり、記を授くという意味で授記と言う。しかし、この翻訳と解説では、わかりやすく、「授記を与える」などの表現を使うことにする。また、これも前に述べたが、多くの場合、仏の名前の後に、「仏の十号」と呼ばれる、仏の性質を述べた言葉が続くが、これは形式的なものであり、省略することにする。なお、この授記は、「授記品」ばかりではなく、しばらく他の章においてもその都度行なわれるものである。)
国を光徳と名付け、その仏が出現する時代は、大荘厳(だいしょうごん)と名付けられる。仏の寿命は十二小劫であり、正法の長さは二十小劫、像法の長さも二十小劫である。
(注:劫あるいは小劫や、正法、像法、さらに末法についてはすでに解説した。)
その国は厳かに飾られ、あらゆる汚れや悪や瓦礫やいばらや不浄なものはなく、その土地は平らであり、高い低いの違いや穴や崖などもない。地は美しい宝石であり、宝の樹が並び、道の境目は黄金の縄である。天からは多くの宝の花が降り、さらに周囲を清める。その国の菩薩は数えることはできないほどであり、また多くの声聞も無数にいる。仏に対して妨げを働く魔などはおらず、魔やその民がいたとしても、すでに心を翻しており、仏の教えを護る存在となっている。」
(注:これまでも、法華経の聴衆の中などに「魔」がいることが記されていたが、その魔も、悪しき心を改めて、仏に仕える決心をした「良い魔」なのである。法華経では、そのような魔が多く登場する。)
その時、世尊はこのことを再び詩偈の形にして語ろうと、次のようにおっしゃった。
「多くの僧侶たちに告げる 私は仏の眼をもって この迦葉を見るに 未来世において 数えきれないほどの歳月の後 まさに仏となるであろう 来世において 三百万憶の諸仏世尊を供養し仕え 仏の智慧のために 清らかな修行を成就するであろう この上ない仏を供養して すべての無上の智慧を修習して 最後の生において 仏となるであろう その国は清らかであり 地は美しい宝石であり 多くの宝の樹が道の側に並び 黄金の縄が道を作り 見る者を喜ばせる 常に良い香りがして 多くの種類の美しく珍しい花が降り注いで地を飾る その地は平らであり 丘などはなく 多くの菩薩たちは数えることができない その菩薩たちの心は柔軟であり 大いなる神通力を持ち 諸仏の大乗経典を護持している 多くの声聞たちは 肉体において最後の段階であり 仏の子たちであり その数も測り知れず 天の眼をもっても知ることができない その仏の寿命は 十二小劫であり 正法は二十小劫 像法は二十小劫である 光明世尊はこのようである。」
その時に、大目揵連(だいもっけんれん・摩訶目揵連に同じ)、須菩提(しゅぼだい)、摩訶迦旃延(まかかせんねん)たちは、身を震わせながら一心に合掌して、世尊を仰ぎ見て視線をそらすことはなかった。そして共に声を同じくして、次のように詩偈を語った。
「大いなる勇者であり 教えの王である釈迦世尊よ 私たちを憐れみたまい 仏の御声を聞かせたまえ もし私たちの心の深いところを知られ 授記して下さいますならば 甘露の雨が熱を除いて涼しさを与えるようでしょう 例えば 飢えた国から来て すぐに大王から食事の招待を受けて その席についたとしても まだ心に疑いがあって 平安をもって食べることができないでいるとします しかしもしまたもう一度 王からの言葉があれば 安心して食べることができるように 私たちもこれと同じです 常に小乗の劣った教えを受けていたため どのようにして 仏のこの上ない智慧を得るのかわかりません 私たちは仏になるであろうという 仏の御声を聞いても 心にまだ確信がないことは 王の食卓に着いても安心して食べることができないようなものです もし仏の授記をいただければ 快く安心することができます 大いなる勇者である世尊は 常にこの世に安楽を与えようとなさいます 願わくは 私たちに授記を与えて下さい 飢えた者が教えをいただき 食べることができるようになるでしょう」
(注:法華経の基本的な形は、まず散文があって、それとほぼ同じ内容の詩の部分がそれに続く、というものだが、ここにあるように、詩偈の部分だけで散文がないものや、散文のものだけの箇所も多い。特に法華経の後半になると、その傾向が強くなる。
さて、迦葉に授記が与えられ、それを聞いていた他の三人の声聞も、渇望するように仏に授記を求めた。しかし、すでにこの詩偈の部分にあるように、仏は、あなたたちは仏になる、という言葉を彼らに与えている。それでも安心ができず、その教えをいただいていても、それだけでは霊的飢えを癒すことができない、というのである。個人的に授記を受け、具体的に、仏になった時の名前や、その仏の国土の名前などが明らかにされるならば安心できる、ということは、確かにうなずけるところである。)
その時、世尊は、多くの弟子たちの心の願いを知られ、多くの僧侶たちに次のように語られた。
「この須菩提は、来世において、数えきれないほど多くの仏に仕え、供養し師事し敬い讃嘆して、常に清らかな行を修習し、菩薩の道を成就して、最後の生において仏になるであろう。その名を名相(みょうそう)如来という。その仏が出現する劫を有寶(ゆうほう)と名付け、その国を寶生(ほうしょう)と名付ける。その土地は平たんであり、地は水晶でできている。宝の樹は豊かであり、丘などもなく、瓦礫やいばらもなく、汚物などもない。宝の花は降り注ぎ、地を清める。その国の人々は、みな珍しい妙なる宝でできた楼閣に住む。声聞の弟子は数えきれないほどであり、多くの菩薩も数えきれない。仏の寿命は十二小劫であり、正法は二十小劫、像法は二十小劫である。その仏は常に虚空にいて、人々のために教えを説いて、無量の菩薩や声聞たちを悟りに導く。」
その時、世尊は、再びこのことを語るために、詩偈をもって次のように語られた。
「多くの僧侶たちよ 今あなたがたに告ぐ みなまさに一心に私の説くところを聞くがよい 私の大いなる弟子である須菩提は、まさに仏になるであろう。名を名相という 数えきれないほどの諸仏を供養し 仏に従って大いなる道を成就するであろう 最後の生において 仏の優れた姿を備え 美しく妙なることは 宝の山のようである その仏の国土は 厳かなまでに清らかであり それを見る衆生は みな喜び楽しまない者はいない 仏はその中において 無量の衆生を悟りに導く その仏の弟子には菩薩が多く みな能力が優れ 退くことのない教えを説く その国は常に 菩薩自身が厳かな飾りとなっている また声聞たちも数えることができない みな優れた神通力を備え 解脱を極め 大いなる威徳がある その仏の説法は 多くの神通力と変化(へんげ)が伴い 不思議を極めている 多くの天や人は 大河の砂の数のように多く みな合掌して仏の言葉を受ける その仏の寿命は十二小劫であり 正法は二十小劫 像法は二十小劫である」
その時、世尊はまた多くの僧侶たちに、次のように語られた。
「私は今、あなたがたに語る。この大迦旃延(だいかせんねん・摩訶迦旃延に同じ)は、来世において、多くの供養の物をもって、八千憶の仏を供養し師事し敬うであろう。その諸仏の滅度の後に、それぞれの仏の塔廟を立て、その塔の高さも測ることができないほどであり、縦横同じであって、その広さも測ることはできない。さらにその塔は、金銀や、珍しい宝石や珊瑚、真珠などの七つの宝によってできている。その塔の飾りとして、多くの花や宝石、良い匂いのする香、美しい幕や旗がある。このような供養をして、さらにまた二万憶の仏を供養するも、それはまた同じようである。このように諸仏を供養し終わって、菩薩の道を成就して、まさに仏になるであろう。その名を閻浮那提金光(えんぶなだいこんこう)如来という。その土地は平らであり、地は水晶でできている。宝の樹は豊かであり、道は黄金の縄で区切られている。妙なる花は地を覆い清め、見る者を喜ばす。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の四つの悪なる世界はなく、多くの天や人が住んでいる。多くの声聞や菩薩たちは、数えきれないほどであり、その国を厳かに飾っている。仏の寿命は十二小劫であり、正法は二十小劫、像法は二十小劫である」
その時、世尊は、再びこのことを語るために、詩偈をもって次のように語られた。
「多くの僧侶たちよ 一心に聞くがよい 私の説くところは真実にして誤りはない この迦旃延は、まさに多くの妙なる優れた供養する物をもって 諸仏を供養するであろう 諸仏の滅度の後に 七つの宝の塔を立て 花や香をもって 仏の舎利を供養し その最後の生において 仏の智慧を得て この上ない悟りを成就するであろう その国は清らかであり 数えきれないほどの衆生を悟りに導き あらゆるところから供養されるであろう その仏の光明より優れたものはないほどであろう その仏の名を閻浮金光という すべての迷いの本を断じた菩薩や声聞は数えきれず その国を厳かに飾るであろう」
(注:順番で授記が行なわれているが、彼らが仏になる要素として、仏の滅度の後、その仏の舎利、つまり遺骨を供養する塔廟を立てることがあげられている。これも以前も述べたことであるが、法華経をはじめ、大乗経典を作成したグループは、歴史的釈迦の遺骨を安置した塔を管理する人々であったという学説が有力である。つまりその歴史的事実が、このように大乗経典に表わされている、ということなのである。)
その時、世尊はまた大衆に次のように語られた。
「私は今、あなたがたに語る。この大目揵連は、多くの供養の物をもって、八千の諸仏を供養し師事し敬うであろう。その諸仏の滅度の後に、それぞれの仏の塔廟を立て、その塔の高さも測ることができないほどであり、縦横同じであって、その広さも測ることはできない。さらにその塔は、金銀や、珍しい宝石や珊瑚、真珠などの七つの宝によってできている。その塔の飾りとして、多くの花や宝石、良い匂いのする香、美しい幕や旗がある。このような供養をして、さらにまた二百万憶の仏を供養するも、それはまた同じようである。そして、まさに仏になるであろう。その名を多摩羅跋栴檀香(たまらせんだんこう)如来という。その仏の出現する劫を喜満(きまん)と名付け、その国を意楽(きらく)と名付ける。その土地は平らであり、地は水晶でできている。宝の樹は豊かであり、真珠の花が注ぎ清め、見る者を喜ばす。多くの天や人は多く、菩薩や声聞たちも数えることができない。道は黄金の縄で区切られている。妙なる花は地を覆い清め、見る者を喜ばす。仏の寿命は二十四小劫であり、正法は四十小劫、像法は四十小劫である」
その時、世尊は、再びこのことを語るために、詩偈をもって次のように語られた。
「私の弟子である大目揵連は この肉体が滅んだ後 八千二百万憶の諸仏世尊に仕え 仏の道のために 供養し師事し 諸仏のもとで常に清らかな行を修習し 気の遠くなるほどの歳月において 仏の教えを護持するであろう 諸仏の滅度の後に 七つの宝の塔を立て 金の旗竿を立て 花や香や伎楽をもって 諸仏の塔廟を供養し 次第に菩薩の道を成就し終わって 意楽国において 仏になるであろう その名を多摩羅跋栴檀香と名付ける その仏の寿命は二十四小劫である 常に天的存在や人のために 仏の道を説く 声聞は大河の砂の数ほどであり 神通力を備え 大いなる威徳がある 菩薩は数えることができないほどであり 志が固く精進し 仏の智慧において 退くことはない 仏の滅度の後 正法は四十小劫であり 像法もまた同じである
その他 威徳が備わっている私の多くの弟子たちが 五百人いるが まさに同じく授記を与える 未来世において ことごとく仏となるであろう 私とあなたたちの前世からの因縁を 私はまさに説く あなたたちはよく聞くがよい」

(注:ここで『授記品』は終わるが、最後に、弟子の五百人にも授記を与えるとあり、続いて彼らの授記の記事が続くように見える。では、これに続く章である『化城喩品(けじょうゆほん)』でそのことが記されているかと言うとそうではなく、さらにその次の『五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)』でそのことが説かれることとなる。)

 

つづく

 

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