解説を交えながら法華経を読もう

解説を交えながら、法華経をわかりやすく現代語訳することを目指しています。何より、法華経には何が書いてあるかを知っていただきたいと願っています。数日に一回程度、アップして行くつもりです。訳者については、http://nozomichurch.net/ をご覧ください。

法華経 現代語訳 37

「その時、大通智勝如来は黙ってこれを許された。また僧侶たちよ。東南方の五百万憶の国土のあらゆる梵天王は、各々の宮殿が、まばゆいばかりの光明に包まれ、今までになかったほど光輝いていることを見て、躍り上がるほど喜んだ。このため、多くの梵天王が互いに集まって議論をした。その中に、ひとりの大梵天王がいた。名前を大悲(だいひ)という。彼は多くの梵天たちのために、次の詩偈を述べた。『何の因縁があって このようなことが起きているのだろうか 私たちの宮殿の光明は 今までになかったほど光輝いている 大いなる徳を持つ者が天に生まれたのであろうか 仏が世に現れたのであろうか このようなことは今まで見たことがない まさに共に心を一つにして 千万憶の国土を過ぎようとも 光の発する場所を突き止めよう たぶんこれは 仏が世に出現し 苦しみの衆生を悟りに導こうとしているのかも知れない』

その時、五百万憶の梵天王たちは、その宮殿と共に、それぞれ美しい衣に天の花を盛って、西北の方角に行って見ると、大通智勝如来が、悟りを開いた菩提樹の偉大な座に座られ、多くの天や天的存在や人々がその周りを取り巻いて供養しており、さらに十六の王子たちが仏に教えを説くよう勧めている場面を見た。その時に多くの梵天王は、頭に仏の足をつけ、その周りを百千回回り、天の花をもって仏の上に注いだ。その花が積まれた高さは、須弥山(しゅみせん)のようだった。そして、その菩提樹の高さも測り知れないほどの高さであったが、梵天王たちは、その菩提樹にも花を注いで供養した。その花の供養を終わって、それぞれの宮殿を仏にささげて、次のように言った。『ただ私たちに哀れみくださり、この宮殿をお受けください』。この時、多くの梵天王は、仏の前において、一心に声を同じくして、詩偈をもって次のように述べた。『聖なる中でも最も聖なる方 迦陵頻伽(かりょうびんが・美しい声を出す伝説上の鳥)の声をもって 衆生を憐れまれる方 私たちは今礼拝す 世尊が世に出現されることは 非常に稀なことであり 非常に長い歳月の中でたった一度出現される 百八十劫の間 空しく過ぎて仏はおられなかった その間 地獄・餓鬼・畜生の三悪道は世に充満し 諸天は減少した 今仏は世に出現し 衆生のために眼(まなこ)となり 世の人々が寄り頼むところとなられ すべてを救い守り 衆生の父となって 哀れみ導かれる方となられた 私たちは前世の福によって 今世尊にお目にかかることができた』

その時、多くの梵天王は、この詩偈をもって仏を称え終わって、次のように言った。

『ただ願わくば世尊よ、すべての人々を憐れみ、教えを説いて衆生を悟りに導きたまえ』

その時、多くの梵天王は、一心に声を同じくして、詩偈をもって次のように述べた。

『大いなる聖なる教えを説かれ すべての存在のあり方を明らかにされ 苦悩の中にいる衆生を悟りに導き 大いなる喜びを得させたまえ 衆生がこの教えを聞けば 仏の道を歩み あるいは天に生まれ 多くの悪なる世界は減少し 聖なる道に入る者たちが増えるであろう』

その時、大通智勝如来は黙ってこれを許された。また僧侶たちよ。南方の五百万憶の国土のあらゆる梵天王は、各々の宮殿が、まばゆいばかりの光明に包まれ、今までになかったほど光輝いていることを見て、躍り上がるほど喜んだ。このため、多くの梵天王が互いに集まって次のように議論をした。『何の因縁あってか、私たちの宮殿がこのように光輝いているのだろうか』。その中に、ひとりの大梵天王がいた。名前を妙法(みょうほう)という。彼は多くの梵天たちのために、次の詩偈を述べた。『私たちの宮殿の光明は 今までになかったほど光輝いている これはただの因縁ではあるまい このことを求めようではないか 百千劫の間でも このようなことは見たことがない 大いなる徳を持つ者が天に生まれたのであろうか 仏が世に現れたのであろうか』

その時、五百万憶の梵天王たちは、その宮殿と共に、それぞれ美しい衣に天の花を盛って、北の方角に行って見ると、大通智勝如来が、悟りを開いた菩提樹の偉大な座に座られ、多くの天や天的存在や人々がその周りを取り巻いて供養しており、さらに十六の王子たちが仏に教えを説くよう勧めている場面を見た。その時に多くの梵天王は、頭に仏の足をつけ、その周りを百千回回り、天の花をもって仏の上に注いだ。その花が積まれた高さは、須弥山(しゅみせん)のようだった。そして、その菩提樹の高さも測り知れないほどの高さであったが、梵天王たちは、その菩提樹にも花を注いで供養した。その花の供養を終わって、それぞれの宮殿を仏にささげて、次のように言った。『ただ私たちに哀れみくださり、この宮殿をお受けください』。この時、多くの梵天王は、仏の前において、一心に声を同じくして、詩偈をもって次のように述べた。『世尊にお目にかかることが非常に難しい あらゆる煩悩を破られた方である 百三十劫を過ぎて 今一度お目にかかることができた 多くの飢え乾いた衆生に 教えの雨を降らせて満たされる 今までお会いしたこともない無量の智慧を持たれた方である 優曇波羅(うどんぱら・三千年に一度花を咲かせるという伝説上の花)のように 今日幸いにしてお目にかかった 私たちの宮殿は 仏の光を受けたため厳かに飾られた 世尊よ 大悲をもって ただ願わくば受け取りたまえ』

その時、多くの梵天王は、この詩偈をもって仏を称え終わって、次のように言った。

『ただ願わくば世尊よ、教えを説かれて、この世のすべての諸天、魔的存在、梵天、僧侶たち、婆羅門たちに平安を与え、悟りに導きたまえ』

その時、多くの梵天王は、一心に声を同じくして、詩偈をもって次のように述べた。

『ただ願わくば 天と人の尊者よ この上ない教えを説かれ 大いなる教えの鼓(つづみ)を打ち 大いなる教えの螺(かい・法螺貝のこと)を吹かれ あまねく大いなる教えの雨を降らせ 無量の衆生を悟りに導きたまえ 私たちはすべて 帰依し願いたてまつる まさに深遠なる教えを述べたまえ』

その時、大通智勝如来は黙ってこれを許された。西南方および下方もこのようであった。その時、上方の五百万憶の国土のあらゆる梵天王は、各々の宮殿が、まばゆいばかりの光明に包まれ、今までになかったほど光輝いていることを見て、躍り上がるほど喜んだ。このため、多くの梵天王が互いに集まって次のように議論をした。『何の因縁あってか、私たちの宮殿がこのように光輝いているのだろうか』。その中に、ひとりの大梵天王がいた。名前を尸棄(しき)という。彼は多くの梵天たちのために、次の詩偈を述べた。『今何の因縁をもって 私たちの宮殿は 威徳の光明で輝き 厳かに飾られているのだろうか このようなことは 今まで聞いたことも見たこともない 大いなる徳を持つ者が天に生まれたのであろうか 仏が世に現れたのであろうか』

その時、五百万憶の梵天王たちは、その宮殿と共に、それぞれ美しい衣に天の花を盛って、北の方角に行って見ると、大通智勝如来が、悟りを開いた菩提樹の偉大な座に座られ、多くの天や天的存在や人々がその周りを取り巻いて供養しており、さらに十六の王子たちが仏に教えを説くよう勧めている場面を見た。その時に多くの梵天王は、頭に仏の足をつけ、その周りを百千回回り、天の花をもって仏の上に注いだ。その花が積まれた高さは、須弥山(しゅみせん)のようだった。そして、その菩提樹の高さも測り知れないほどの高さであったが、梵天王たちは、その菩提樹にも花を注いで供養した。その花の供養を終わって、それぞれの宮殿を仏にささげて、次のように言った。『ただ私たちに哀れみくださり、この宮殿をお受けください』。この時、多くの梵天王は、仏の前において、一心に声を同じくして、詩偈をもって次のように述べた。『世を救う諸仏に会うことは幸いなことである よくこの世の獄から多くの衆生を救い出される 智慧があまねく行き渡る天と人との尊者よ 多くの生きとし生けるものを憐れみ よく甘露の門を開いて 広くすべての人々を悟りに導かれる 昔 数えることもできないほど長い歳月 その間は空しく過ぎて仏はいなかった 世尊が出現されなかった時は あらゆる方角が闇に閉ざされ 悪しき世界の勢力が増し 阿修羅も勢いを得ていた 諸天は非常に減少し 死んで多く悪しき世界に堕ちた 仏に従わず 教えを聞かず 常に悪しき事を行ない 姿も力も智慧もみな減少した 罪業の因縁のために 平安また平安の思いを失い 邪見の教えにあって 善の法則を知らず 仏に教えを受けずして 常に悪しき世界に堕ちた 仏は世の眼となって 長い歳月の中でひとたび出現される 多くの衆生を憐れむために世に出現され 悟りを得られる 私たちは非常に喜んでいる また他のすべての衆生も喜び褒め称えている 私たちの宮殿は 仏の光を受けたため厳かに飾られた 今世尊にささげたてまつる ただ哀れみ これを受けたまえ 願わくばこの功徳をもって あまねくすべての人々に及ぼし 私たちと衆生は みな共に仏の道を成就せん』

その時、五百万憶の多くの梵天王は、この詩偈をもって仏を称え終わって、それぞれ次のように言った。

『ただ願わくば世尊よ、教えを説きたまえ。多くの者は平安を受け、悟りを得ることでしょう』

その時、多くの梵天王は、詩偈をもって次のように述べた。

『世尊よ 教えを説かれ 甘露の鼓を打って 苦悩の衆生を悟りに導き 涅槃の道を開き示したまえ ただ願わくば 私たちの願いを受け入れられ 大いなる妙なる御声をもって 哀れまれ 長い歳月の間 人々が修習するところの教えを説きたまえ』」

(注:「他のあらゆる方角の梵天王もまた同じであった」のひと言で、なぜ済ませられないのだろうか。これがインド的誇張表現である。これでもか、と言わんばかりに繰り返すことは、それほど偉大なことが行なわれていることなのだ、という意味である。

こうして繰り返される内容は、ほぼ同じであるが、ところどころ、言葉が違っている。たとえば、「願わくばこの功徳をもって あまねくすべての人々に及ぼし 私たちと衆生は みな共に仏の道を成就せん」という言葉があったが、この原文は、「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」(がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)であり、回向文(えこうもん)あるいは法華成仏偈などと名付けられている箇所である。そしてこの言葉は、おもに経典を読誦した最後に唱えられることが多い。

さて、このように繰り返し、教えを説くよう懇願され、大通智勝如来はようやくその教えを説くこととなる。)

つづく

 

法華経 #仏教 #法華経現代語訳