解説を交えながら法華経を読もう

解説を交えながら、法華経をわかりやすく現代語訳することを目指しています。何より、法華経には何が書いてあるかを知っていただきたいと願っています。数日に一回程度、アップして行くつもりです。訳者については、http://nozomichurch.net/ をご覧ください。

法華経 現代語訳 39

「仏が、天や人や大衆の中において、この教えを説かれた時、六百万億の千億倍の人々は、すべてのものへの執着を断ち切ったために、煩悩からの解放を得て、みな深く妙なる禅定やさまざまな神通力を得て、また貪欲から離れるための瞑想を得た。仏の第二、第三、第四の説法の時も、数えることのできないほどの衆生は、執着を断ち切ったために、煩悩からの解放を得た。このように、仏の御声を聞き、声聞となった者たちの数は、無数であった。

その時、十六王子は出家したが、童子であったため、僧侶の前段階である沙弥(しゃみ)となった。みな能力が優れ、智慧も明晰であった。彼らはすでに前世において、百千万憶の諸仏を供養しており、清い行を修習して、最高の悟りを求める心を起こして、仏に次のように言った。

『世尊よ。また私たちのために、最高の悟りの教えを説いてください。私たちはそれを聞いたならば、みな共に修学しましょう。世尊よ。私たちは如来の知見を求めます。私たちの心の深くで思うところは、仏ご自身がご存じです。』

その時、彼らと同じ一族である転輪聖王に仕える八万憶の人々は、十六王子が出家するのを見て、同じく出家することを願った。王はそれを許可した。この時、仏は沙弥となった十六王子たちの願いを受けて、二万劫を過ぎた時、すべての大衆の中において、大乗経であり、仏が守る菩薩の教えである妙法蓮華経を説かれた。この経を説き終った時、この十六沙弥は、最高の悟りを求めるために、この経のすべてを保ち、暗記し、理解した。このように、十六の菩薩である沙弥はすべて信じ受け入れたが、声聞たちの中にも、信じ理解する者たちがいた。しかし、他の千万憶の衆生はみな、疑惑を生じさせた。

仏は、八千劫の間この経を説き続け、休むことはなかった。そして、この経を説き終って、静かな部屋において八万四千劫の間、禅定に入った。この時、十六の菩薩である沙弥は、仏が部屋において静かに禅定に入ったことを知り、それぞれ教えの座に上って、また八万四千劫の間、すべての衆生のために妙法蓮華経を説いた。ひとりひとりの説法のたびに、数えることのできないほどの多くの衆生を悟りに導き、教えを示し、心を励まし、最高の悟りを求める気持ちを起こさせた。

大通智勝如来は、八万四千劫を過ぎて、瞑想より立ち上がって、説法の座に上り、平安の中で座って、大衆にあまねく次のように語った。

『この十六の沙弥は大変立派な菩薩たちである。能力に優れ、智慧も明瞭である。すでに前世において、無量百千万憶の諸仏を供養して、諸仏のもとにおいて常に清らかな行を修習し、仏の智慧を受け、衆生に開示して、その中に入らせた。あなたたちはみな、まさに十六沙弥に親しく近づき、彼らを供養すべきである。なぜならば、もし、声聞や辟支仏(=縁覚)および多くの菩薩たちが、しっかりとこの十六の菩薩たちが説く経の教えを信じ、受け入れて非難しなければ、そのような人はみな最高の悟りを得た仏の智慧を得るであろう。』」

また仏は多くの僧侶たちに次のように語った。

「この十六の菩薩たちは、常に願ってこの妙法蓮華経を説く。ひとりひとりの菩薩たちの教化した数えきれないほど多くの衆生は、今まで生まれ変わりを繰り返す中においても、必ず同じ菩薩と共にいて、従い、教えを聞いて、すべて信じ理解してきたのだ。この因縁をもって、今まで四万憶の諸仏世尊に従って来た。多くの僧侶たちよ。私は今あなたたちに語る。大通智勝如来の弟子である十六の沙弥は、現在は皆、最高の悟りを得て、あらゆる方角の国土において教えを説いているのだ。おのおのの仏に無量百千万憶の菩薩たちや菩薩たちがいて、従い仕えているのだ。

二人の沙弥は、東方において仏となった。阿閦(あしゅく)といい、歓喜国にいる。もうひとりを須弥頂(しゅみちょう)という。東南方には二仏いて、ひとりを師子音(ししおん)といい、もうひとりを師子相(ししそう)という。南方に二仏いて、ひとりを虚空住(こくうじゅう)といい、もうひとりを常滅(じょうめつ)という。西南方に二仏いて、ひとりを帝相(たいそう)といい、もうひとりを梵相(ぼんそう)という。西方に二仏いて、ひとりを阿弥陀(あみだ)といい、もうひとりを度一切世間苦悩(どいっさいせけんくのう)という。西北方に二仏いて、ひとりを多摩羅跋栴檀香神通(たまらばつせんだんこうじんつう)といい、もうひとりを須弥相(しゅみそう)という。北方に二仏いて、ひとりを雲自在(うんじざい)といい、もうひとりを雲自在王(うんじざいおう)という。東北方の仏を壊一切世間怖畏(えいっさいせけんふい)いう。そして、十六番目は私、釈迦牟尼仏である。娑婆国土において最高の悟りを得たのだ。

(注:さて、この十六王子は出家して、ついに仏となり、それぞれの名前が、その仏国土がある方角ごとに記されいる。

この名前を見て行くと、誰でもあることに気づく。十六人のうちの一人が、阿弥陀仏となっており、またひとりが、釈迦牟尼仏である。つまり、阿弥陀さんとお釈迦さんは、兄弟なのである。

不思議に、このことを言い広める人はいない。日本の仏教の歴史を見ると、法華経阿弥陀信仰は、たとえば同じ天台宗の中では調和して存在している。もともと天台宗の教理は、この妙法蓮華経を基礎としており、また、日本天台宗の第三代目の座主(ざす)である慈覚大師円仁は、唐に渡って、五台山の念仏を請来したこともあり、このように、天台宗においては、法華経阿弥陀信仰が同居しているのである。しかし、鎌倉時代以降、特に日蓮が念仏と敵対し、法華経阿弥陀信仰は、相容れないものという観念が強まっていった。仏教について、ほとんど知らない人でも、「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」のふたつがある、という程度は誰でも知っているくらい、この二つは相対している感じを与える。

しかし、本来、法華経の中にすでに阿弥陀仏が説かれており、法華経の教主である釈迦仏が阿弥陀仏と兄弟関係にあることが記されているわけであるから、法華経阿弥陀信仰が相容れないものであるという先入見は、経典に基づいたものではない。さらに言うならば、阿弥陀仏信仰の主要経典である阿弥陀経は、法華経と同じく、鳩摩羅什(くまらじゅう)が翻訳しており、その内容を読めば、まるで法華経のひとつの章を読んでいるかのような感じさえするほど、違和感がない。

霊の世界とは、このようなもので、それぞれ正しく霊の世界を表わすものならば、すべて調和するのであり、それを分裂させているのは、この世の人間の霊的盲目による狭く誤った思考なのである。)

つづく

 

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