法華経 現代語訳 52

その時、下方にある多宝仏の国から、智積(ちしゃく)という名の菩薩が来て、多宝仏に次のように申し上げた。

「そろそろ本土にお帰り下さい。」

 

(注:「見宝塔品」にあったように、多宝塔と多宝如来は地面から現れ出た。つまり、多宝如来仏国土は「下方」にあるのである。その仏国土からお迎えが来たということである。)

 

その時、釈迦牟尼仏は智積菩薩に次のように語られた。

「良い男子よ。しばらく待つように。ここに文殊師利(もんじゅしり・文殊菩薩のこと)という菩薩がいる。その菩薩と会って、妙なる教えについて語り合って、それから本土に帰るがよい。」

その時、文殊師利は、大きさが車輪のような千葉の蓮華に座し、共に来た菩薩もまた宝の蓮華に座し、大海の裟竭羅龍宮(しゃからりゅうぐう・海の中にある竜王の宮)から自ら現われ出て、空中に留まり、霊鷲山(りょうじゅせん・この法華経が説かれている場所である耆闍崛山と同じ)に詣(もう)でて、蓮華より下りて、仏の前に至り、頭を釈迦仏と多宝仏の二世尊の足につけて礼拝し、それを終えてから智積菩薩の所に行って、互いに挨拶をして座った。

智積菩薩は文殊師利に次のように質問した。

「あなた様は、龍宮に行かれて、教化した衆生は何人でしょうか」

文殊師利は次のように答えた。

「その数は無量であって、計ることはできない。言葉にすることもできない。心で測ることではない。しばらく待たれよ。目に見える形で表そう。」

そのように言い終わらないうちに、無数の菩薩たちが宝の蓮華に座ったまま、海より現われ出て、霊鷲山に詣(もう)でて、空中に留まった。

この多くの菩薩は、みな文殊師利が教化して悟りに導いたのである。文殊師利は、菩薩の行なうべき六波羅蜜(ろくはらみつ)を彼らに説いて導いたのである。彼らのうちでもと声聞であった者には、文殊師利は空中にあって声聞の行なうべきことを説いて導いた。しかし今はみな、大乗の空の教えを修行している。

文殊師利は、智積菩薩に次のように語った。

「海において教化した者たちは、このようである。」

その時に智積菩薩は、詩偈の形をもって、讃嘆して次のように語った。

「大いなる智慧の徳を持つ健やかな勇者は 無量の衆生を教化して悟りに導かれた 今この大いなる会衆および私は 彼が実相(じっそう・あらゆる存在の真実の姿)の正しい意味を述べ伝え 一仏乗の教えを開いて 広く多くの人々を導いて 速かに悟りを成就させたことを見た」

文殊師利は次のように語った。

「私は海の中において、ただ常に妙法蓮華経を説いたのだ。」

智積菩薩は、文殊師利に質問して言った。

「この経は大変深く妙なる教えであり、あらゆる経典の中の宝であり、世においては会うことが難しい教えです。衆生がこの経に基づいて、少しくらい努力精進したところで、速かに仏になることができるでしょうか。」

文殊師利は次のように答えた。

「裟竭羅龍王の娘がいた。年齢は八歳である。智慧と能力に秀で、衆生の能力やその行ないを知り、優れた記憶力を持ち、諸仏の教えの深い秘密の意義をすべてよく受けて保ち、深く禅定に入って、あらゆる存在の真実を見極め、一瞬にして最高の悟りを求める心を起こして、退くことはなかった。何の妨げもなく教えを説き、衆生を思って慈しむことは、母親が幼い子供に接するようであった。功徳を備え、心に思うこと、口で語ることはすべて広く尊い。慈悲や情けがあり、心の底から柔和であり美しく、最高の悟りに至った。」

智積菩薩は次のように言った。

「私は釈迦如来を見たてまつるところ、無量劫において難行苦行して、功徳を積み重ねて菩薩の道を求めるに、一度も休まれることはありませんでした。三千大千世界(さんぜんだいせんせかい・すべての世界の意味)において、衆生のために、菩薩として身命を捨てなかったところなど、芥子粒ほどもありませんでした。そしてその後に、最高の悟りを得られました。この女が非常に短い期間で、悟りを成就するなど信じられません。」

このことばが終わらないうちに、龍王の娘はたちまち姿を現わして、仏を深く礼拝し、その場の片隅に座って、詩偈の形をもって次のように仏を讃嘆した。

「深く罪に対しても福に対しても それらの真実の姿を見極め その光はあらゆるところを照らされる 妙なる清い法身(ほっしん・真理が目に見える形をもって現われた仏という意味)は 仏の持つすぐれた姿をもって ご自身を厳かに飾られる 天も人も仰ぎ敬い 龍神もみな敬い礼拝する すべての衆生は 尊く仰ぎ奉らない者はない また悟りを得たということは ただ仏だけが正しく証される 私は大乗の教えをもって 苦しみの中にいる衆生を悟りに導こう」闡いて 苦の衆生を度脱せん」

その時、舎利弗は龍女に次のように語った。

「あなたは短い間に、この上ない道を得たと言ったが、このことは信じられないことである。なぜなら、女身は汚れていて、教えを受ける器ではない。どうして、この上ない悟りを得られるだろうか。仏道ははるかに高く遠く、無量劫を経て、努めて勤苦して行を積み、菩薩の行なうべき修行を完全に成就して、その後に悟るのである。また女人の身には、なお五つの障りがある。一つは梵天王になることはできない。同じく二つは帝釈、三つは魔王、四つは転輪聖王(てんりんじょうおう・世界を治める王という意味)、五つは仏身になることはできない。なぜ女の身で、速かに仏になることができるだろうか。

 

(注:しばらく姿を見せないと思っていた舎利弗が、突然ここで登場した。そして、自分は授記を受けて喜んだにもかかわらず、また堅苦しいことを主張して、龍王の娘が仏になったことを受け入れない。このように、やはり小乗を代表する舎利弗は、法華経でも他の大乗経典でも、このようなキャラクターで用いられるのである。そして決まって後にやり込められ、恥じ入る、という損な役柄である。)

 

その時に龍女は、一つの宝珠を持っていた。それには、三千大千世界と同じほどの価値があった。龍女はそれを仏に差し上げた。そして仏はすぐにそれを受け取られた。龍女は智積菩薩と舎利弗に次のように語った。

「私は宝珠を献上しました。世尊の速やかに納受されたでしょうか。」

二人は「とても速やかに納受された」と答えた。

龍女は次のように言った。「あなたの神通力をもって、私が仏となる姿を見てください。仏が宝珠を受け取られるよりも速やかでしょう。」

その時、その会衆はみな、龍女が一瞬のうちに男子となって、菩薩の行を成就して、すぐに南方の無垢(むく)世界に行き、宝の蓮華に座して、最高の悟りを得て、仏の姿の特徴をすべて身につけ、広くあらゆる方角の衆生のために、妙なる教えを説く姿を見た。

その時、娑婆世界の菩薩、声聞、天龍をはじめとした天的存在、魔的存在、人などみな、その龍女が仏となって、人や天のために教えを説く姿を見て、大いに歓喜し、その場から仰ぎ見て敬い礼拝した。無量の衆生は教えを聞いて悟りを開き、退くことのない位を得、また無量の衆生は仏になることの授記を得た。無垢世界は六つの方向に震動した。娑婆世界の三千の衆生は悟りに向かって退かない位を得、また三千の衆生は悟りを求める心を起こして授記を得た。
智積菩薩および舎利弗はじめ、あらゆる会衆は、そのすべてを黙って信じ受け入れた。

 

(注:龍女が、女の姿のままで仏になると思いきや、結局いったん男となるのか、と大いにツッコミを入れたくなるところであるが、それはそれとして、この章では、すでに述べたように、とても仏にはなれないような存在まで、法華経を聞くことによって仏となるのだ、ということを伝える内容である。)

 

つづく

 

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