法華経 現代語訳 53

妙法蓮華経 勧持品 第十三

その時に大いなる薬王菩薩と大楽説菩薩は、二万の付き従う菩薩たちと共に、みな仏の前において、次のように誓って言った。
「ただ願わくは世尊よ。ご心配なさらないように。私たちは仏の滅度の後に、まさにこの経典を保ち、読誦し、説くことをいたします。後の悪しき世の衆生は、善根(ぜんこん・よい結果を生み出す潜在的要素)は少なく、高慢であり、自分の利益を貪り、さらに不善根を増し、悟りから遠く離れています。そのような人々を教化することは難しいと言っても、私たちはまさに大いなる忍耐の力を起して、この経を読誦し、保ち説き、書写し、さまざまに供養して、身命を惜しむことはいたしません。」
その時に、会衆の中にいる、すでに授記を受けた五百人の阿羅漢たちも、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私たちもまた自ら誓います。他の国土において、広くこの経を説きましょう。」
また、すでに授記を受けた学無学の八千人は、座より立ち上がって合掌し、仏に向かって次のように誓って言った。
「世尊よ。私たちもまた、まさに他の国土において、広くこの経を説きましょう。なぜならば、この娑婆世界の中は、悪しき人が多く、高慢であり、功徳が浅薄であり、怒りや汚れや嘘偽りがあって、その心は不実であるからです。
(注:今回は、第十三章にあたる『勧持品(かんじほん)』である。文字通り、この法華経を持つことを勧めるという意味である。最初の段落においては、薬王菩薩と大楽説菩薩、そして、すでに授記を受けた阿羅漢たちや学無学の人たちが誓いを立てている。しかしよく読むと、二人の菩薩たちは、他の国とは言っていないが、阿羅漢や学無学の人たちは、他の国でこの経典を説くことを誓っている。その理由も明確で、この娑婆世界は悪しき世であるからだ、と言うのである。ずいぶんとはっきりしているが、ここから読み取れることは、菩薩の位になるほどの者ならば、悪しきこの娑婆世界でも、忍耐の力をもって、この経典を広めることはできるが、小乗の聖者の位である阿羅漢や、さらにその前の位の者たちは、とてもこの娑婆世界では無理だ、ということであると解釈できる。)
その時に、仏の母の姉妹であり育ての親である摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)は、学無学の比丘尼六千人と共に、座より立って、一心に合掌し、世尊の御顔を仰いで視線をそらさなかった。
その時に世尊は憍曇弥(きょうどんみ=摩訶波闍波提比丘尼)に次のように語られた。
「なぜそのように、憂いの表情で如来を見るのか。私があなたの名前をあげて、最高の悟りを得るだろうという授記を与えないとでも思っているのか。憍曇弥よ。私はすでに、すべての声聞は仏になるであろうと説いた。今、あなたは自分に対する授記を知ろうとするならば、あなたは将来の世において、六万八千億の諸仏の教えを受けて、大いなる教えを説く師となるであろう。同じように、六千の学無学の比丘尼たちも、共に教えを説く師となるであろう。このように、次第に菩薩の道を備えて、ついに仏になるであろう。その名を、一切衆生憙見(いっさいしゅじょうきけん)如来という。憍曇弥よ。この一切衆生喜見仏は、六千の菩薩たちに順次に授記を与え、みな最高の悟りを得るであろう。」
その時に、羅睺羅の母である耶輸陀羅比丘尼(やしゅだらびくに)は次のように思った。
「世尊は、授記の中において、私だけの名を説かれていない。」
(注:釈迦の息子である羅睺羅の母であるから、釈迦の出家前の妻である。元夫である仏が、多くの人々に次々と授記を与えているのを見ていた彼女は、次第に嫉妬の念を抱き始めたのだろう。別に、彼女の名前だけがあがっていないということなどないのだが、そう思ってしまうところなど、よくありそうなことである。)
仏は耶輸陀羅に次のように語られた。
「あなたは来世の、百千万億の諸仏の教えを受け、菩薩の行を修習し、大いなる教えの師となり、次第に仏の道を成就して、具して、良き国において仏になるであろう。名を具足千万光相(ぐそくせんまんこうそう)如来という。その仏の寿命は数えることができない。」
その時に摩訶波闍波提比丘尼、および耶輸陀羅比丘尼、そしてその従者たちは、このようなことは今までになかったことだと、みな大いに歓喜して、すぐに仏の前において次のような詩偈を語った。
「導師である世尊よ 天と人とを安穏にされる 私たちは授記を受け 心安らかに満たされた」
多くの比丘尼たちは、この偈を説き終って、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私たちは他の国土において、広くこの経を述べ伝えましょう。」
その時に世尊は、八十万億を千億倍した数の偉大な菩薩たちをご覧になった。この多くの菩薩たちは、みな最高の悟りを求めて退くことのない堅固な心を持ち、また退くことなく教えを説き、あらゆる教えを記憶する力を得ている。この菩薩たちはすぐに座より立ち上がり、仏の前で一心に合掌して次のように思った。
「もし世尊が、私たちに、この経を保ち説くようにと告げられたならば、まさに仏の教えの通りに、広くこの教えを述べよう。」
また次のように思った。
「仏は今、何も語られずにおられるが、私たちはどうしたらよいのだろう。」
その時に多くの菩薩たちは、仏の意志を敬って従い、ならびに、自らの本願を満たそうと願って、仏の前において堂々と宣言して誓い、次のように申し上げた。
「世尊よ。私たちは如来の滅度の後に、あらゆる世界をめぐり、衆生に教えて、この経を書写し、受け保ち、読誦し、その真意を解説し、教えの通りに行ない、正しく記憶させましょう。これはすべて仏の権威の力によることです。ただ願わくは世尊よ。遠くにおられたとしても、私たちをお守りください。」
すぐに多くの菩薩たちも、共に声を同じくして、詩偈の形をもって次のように申し上げた。
「ただ願わくは 心配なさいませんように 仏の滅度の後の 恐るべき悪しき世の中において 私たちは広く述べ伝えます 多くの無智の人々は 悪口罵倒し および刀杖を加える者もいるでしょう 私たちはみな忍びます 悪しき世の中の比丘は 誤った知識をもって心がねじ曲がり 悟ってもいないにもかかわらず悟ったと思い 高慢な思いに満たされています あるいは人里離れた静かな場所にあって 貧しい衣をまとって 自ら真の道を修行していると言い 一般の人々を軽蔑する者がいるでしょう 利養を貪るために 一般の人々に教えを説いて この世に受け入れられ 神通力を持った阿羅漢のように敬われる者がいるでしょう このような人は悪しき心を抱き 常に世俗のことを思いながら 出家者を名乗りながら 私たちをしきりに非難するでしょう しかも次のように言うでしょう 『この多くの僧侶たちは 利養を貪るために 外道(げどう・他の宗教の教え)を説く 自らこの経典を作って 世間の人を惑わしている 名聞を求めるために あらゆる方法でこの経を説いている』 常に大衆の中にあって私たちを排除しようと 国王や大臣や婆羅門や在家信者 および僧侶たちに向かって 私たちを非難し悪く言い 『彼らは邪見の人 外道の論議を説いている』と言うでしょう 私たちは仏を敬うが故に すべてこの多くの悪を忍びましょう さらに軽蔑されて 『あなたたちはみな仏ですね』と言われるでしょう このような軽蔑の言葉を 私たちは忍んで受けましょう 時代そのものが汚れている悪しき世の中には 多くの恐るべきことがあるでしょう 悪鬼がその身に入って 私たちを罵詈罵倒するでしょう 私たちは仏を敬い信じて まさに忍耐の鎧をつけましょう この経を説くために この多くの難事を忍びましょう 私たちは身命を愛さず ただこの上ない道を惜しみます 私たちは来世においても 仏からゆだねられた教を守り保ちましょう 世尊はご存じでありましょう 汚れた世の悪しき僧侶は 仏の方便 すなわち相手の能力に応じた教えを知らず 私たちに悪しき言葉を浴びせて 寺院から追い出し除名するでしょう このような多くの悪をも 仏の勧めを思って忍びましょう あらゆる町や村に教えを求める者がいるならば 私たちはその場所に行って 仏からゆだねられた教えを説きましょう 
私たちは世尊の使いです 人々の前に出ることに恐れはありません 私たちは努めて教えを説きましょう 願わくは仏よ 安心されますように 私たちは世尊の御前と 多くの仏国土から来られた諸仏の御前において この誓いの言葉を申し上げます 仏よ どうか私たちの心をご覧ください。」
(注:ここで、この法華経を説くにあたって遭遇するであろう、多くの迫害について述べているが、つまり、当時の法華経を信奉する教団が、このような迫害を受けていた、ということなのである。この箇所の記事から、当時のこの教団の実情が知られるわけである。特に、「自らこの経典を作って 世間の人を惑わしている」という言葉からも、この法華経をはじめとする大乗経典が、歴史上の釈迦の教えではなく、大乗仏教の人々の手によって創作されたものであることが証明される。このように、歴史的釈迦の教えを受け継いでいる僧侶たちにすれば、法華経を信奉する人々はまさに、教団から除名されるべき者たちなのである。いつの時代でも、新しいことを始めようとする者たちは、自分たちこそ伝統的教団であり正統なのだ、と自負している人々から、さまざまに迫害されるものなのである。)

 

つづく

 

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