法華経 現代語訳 57

妙法蓮華経 従地涌出品 第十五

(注:今回からは、第十五章にあたる『従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)』となる。伝統的な法華経の解釈では、法華経を前半と後半に分け、前半を迹門(しゃくもん)と名付け、後半を本門(ほんもん)と名付けるということはすでに述べた。そして、今回の箇所から本門となるわけであるが、これもすでに述べたが、第十章にあたる『法師品』から文章の形が一変しているので、法華経成立史的に見れば、すでに『法師品』から後半に入っていると言える。)
その時に、他の方角の仏国土から来た、大河の砂の数を八倍したほど多くの数の大いなる菩薩たちは、大衆の中において起立し、合掌し、礼拝して仏に次のように言った。
「世尊よ。私たちが仏の滅度の後に、この娑婆世界にあって、努め精進し、この経典を守り保ち、読誦し、書写し、供養することをお許しいただけましたら、この国土において、広くこの教えを述べ伝えます。」
その時に仏は、多くの菩薩たちに次のように語られた。
「良き男子たちよ。やめなさい。あなたたちがこの経を守り保つ必要はない。なぜならば、私の国土である娑婆世界には、すでに大河の砂の数を六万倍したほどの数の大いなる菩薩たちがいる。その一人一人の菩薩には、それぞれまた大河の砂の数を六万倍したほどの数の従者がある。彼らが私の滅度の後に、この経典を守り保ち、読誦し、広く説くであろう。」
仏がこのように語られた時、娑婆世界のすべての国土が、みな揺れ動き地が裂け、その中から無量千万億の大いなる菩薩たちが湧き出た。この多くの菩薩たちは、体が金色であり、優れた相を持ち、無量の光明を放っていた。以前より娑婆世界の下にある虚空の中にいたのであり、釈迦牟尼仏が彼らのことを説いている声を聞いて、下から来たのである。
(注:ここでまたさらに不思議なことが起こった。娑婆世界の下の虚空と言われても、人間の常識的には納得することなどできない。娑婆世界は、私たちが住んでいるこの世のことである。この世の下に虚空世界がある、というようなことをいきなり言われても、何のことだかさっぱりわからない。しかし、法華経は歴史的釈迦の教えではない。むしろ、このような場面が続く法華経を、歴史的釈迦が、同じく地球上のインドのある場所で説かれた、と理解できる方が不思議である。しかし明治以前は、すべての仏教徒がそのように信じて疑わなかったのであるから、そちらの方が驚きである。法華経は、霊的真理を、歴史上の釈迦とその仏教用語を用いて記した宗教書である。娑婆世界において、このようなことが起こった、とあっても、それは人間の目に見える形で起こったことではなく、霊的次元でのことである。したがって、法華経を通して霊的真理を受け取れば、それでじゅうぶんなのであるから、人間の常識では理解しにくい場面が続いても、それに翻弄されないように読み進めるべきなのである。)
その一人一人の菩薩は、みな大衆を導くべき指導者である。それぞれ、大河の砂の数を六万倍したほどの数の従者を率いている。また、大河の砂の数を五万倍、四万倍、三万倍、二万倍、一万倍したほどの数の従者を率いている者たちもいる。さらにまた、大河の砂の数と同じほど、その半分ほど、その四分の一ほど、あるいは大河の砂の数を千憶の千万億倍した数で割った数の従者を率いている者もいる。さらに、千憶の千万億倍した数、また億万の従者を率いている者もいる。さらにまた、千万、百万、一万、また、千、百、十、また、五、四、三、二、一の弟子を率いている者もいる。さらにまた、従者はおらず、一人で悟りの道を願う者もいる。このように、彼らの数は算数や比喩を用いても知ることができないほどであった。
このあらゆる菩薩は、地より出で、それぞれ空中に留まっている、七宝の妙塔の中の多宝如来釈迦牟尼仏の所に詣でた。そして、二世尊に向い、頭を足につけて礼拝し、さらに多くの宝樹の下にある立派な座に座っている仏の所にも行き、礼拝して、右に三度回り、敬い合掌し、多くの菩薩のさまざまな讃嘆の方法をもって褒め称え、座の片隅に座って、喜んで二世尊を仰ぎ見た。
この多くの大いなる菩薩たちは、このように地より涌出して、それぞれの讃嘆の方法をもって仏を褒め称えている間に、五十小劫が過ぎていった。その間、釈迦牟尼仏は黙って座っておられた。また聴衆の人々も、みな黙って五十小劫の間座っていた。しかし、仏の神通力の故に、その聴衆は半日ほどの時間にしか感じなかった。その時、聴衆はまた仏の神通力をもって、多くの苦薩たちが、無量百千万億の国土の空中に満ちている光景を見た。
この菩薩たちの中に、四人の導師があった。最初の菩薩を上行(じょうぎょう)と名づけ、二人目を無辺行(むへんぎょう)と名づけ、三人目を浄行(じょうぎょう)と名づけ、四人目を安立行(あんりつぎょう)と名づける。この四大菩薩は、他の菩薩たちの中において、最も上に位置する上首の導師である。
(注:地面から涌き出した菩薩たちを「地涌の菩薩」と呼ぶ。結局、この娑婆世界で法華経を述べ伝える者は地涌の菩薩たちだ、ということである。冒頭で釈迦から、あなたたちが述べ伝える必要はない、と言われた者たちは、他の仏国土から来た菩薩たちである、ということに注目すべきである。他の仏国土の菩薩たちは、自分の仏国土法華経を述べ伝えよ、ということなのである。さらに、法華経を述べ伝えるのは、この地涌の菩薩たちばかりではなく、もちろん、ここで法華経を聞いている聴衆も、法華経を述べ伝える使命を持つわけである。
さて、地涌の菩薩たちの中で、トップ4である四大菩薩の名前が挙げられているが、最初が上行菩薩であり、日蓮は自分自身をこの菩薩の生まれ変わりだと称したことは有名である。)
この四大菩薩は、大衆の前にあって、それぞれ合掌し、釈迦牟尼仏を仰ぎ見て、次のように尋ねた。
「世尊よ。病少なく悩み少なく、安らかにいらっしゃいますか。まさに悟りに導く者たちは、教えをよく受けるでしょうか。世尊を疲れさせるようなことはないでしょうか。」
その時、四大菩薩は詩偈の形をもって次のように語った。
「世尊は安らかに 病少なく悩み少なくいらっしゃいますか 衆生を教化するにあたり お疲れはないでしょうか また多くの衆生は 教化をよく受けるでしょうか 世尊を疲れさせるようなことはないでしょうか」
その時に世尊は、多くの菩薩大衆の中において、次のようにおっしゃった。
「その通りだ、その通りだ。多くの良き男子たちよ。如来は安らかに病少なく悩みも少ない。多くの衆生は、教化しやすい。疲れもない。なぜならば、この多くの衆生は、過去世より常に私の教化を受けて来たのだ。また、過去の諸仏に対して、供養し尊び、多くの善根を種えて来たのだ。この多くの衆生は、私を見ただけで、私の説教を聞いただけで、すぐにみな信じ受け入れ、みな如来智慧を理解している。もっとも、最初から修習して、小乗を学んだ者は除くが、そのような者たちも、今はまたこの経を聞いて、仏の智慧を理解している。」
その時に多くの大菩薩たちは、詩偈の形をもって次のように語った。
「良いことです 良いことです 大いなる雄者である世尊よ 多くの衆生は教化しやすく よく諸仏の非常に深い智慧を求め 聞いて信じ理解する 私たちも喜んでいます」
その時に世尊は、上首の多くの大菩薩を讃歎して、次のようにおっしゃった。
「良いことだ、良いことだ。良き男子たちよ。あなたたちはよく如来に対して、共に喜ぶ心を起こした。」
(注:地涌の菩薩たちが現われ、その上首である四大菩薩からの挨拶が済んだ。さて、しかし、この様子を見ていた聴衆は黙ってはいられない。もちろん、このようなことは今まで見たことがない。とにかく法華経では、聴衆が見たことも聞いたこともない出来事が連続して起きるのである。仏教用語でこのことを「未曽有(みぞうう・あるいは、みぞう)」と言うのであるが、この未曽有の出来事に対する質問と答えが、続く箇所から始まり、そしてついにそれは、法華経のもうひとつの大いなるテーマに展開して行くのである。)

 

つづく

 

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