法華経 現代語訳 58

その時に弥勒菩薩、および大河の砂の数を八千倍したほど多くの菩薩たちは、みな次のように思った。
「私たちは昔より今まで、このような大いなる菩薩たちが、地より涌き出して、世尊の前にあって合掌し供養して、如来に挨拶をするようなことは、見たことも聞いたこともない。」
その時に大いなる弥勒菩薩は、その多くの菩薩たちの心を知り、ならびに自分自身の疑念を解決しようと思い、仏に合掌し、詩偈の形をもって次のように申し上げた。
「この無量千万億の多くの菩薩たちは 昔より今まで見たことがありません 願わくは尊い師よ 説きたまえ 彼らはどこから来たのでしょうか 何の因縁をもって集まったのでしょうか その身は巨大にして神通力があります その智慧も思いを超えるものであり その志は堅固であって 大いなる忍耐力があります 誰が見ても素晴らしいものです 彼らはどこから来たのでしょうか それぞれ菩薩が率いている多くの従者も その数は数えきれず 大河の砂の数のようです ある大いなる菩薩は 大河の砂の数の六万倍を率いています この多くの大衆は 一心に仏の道を求めています その従者も大河の砂の数の六万です 共に来て仏を供養し およびこの経を守り保っています また大河の砂の数を五万倍した従者を率いている菩薩もさらに多くいます 大河の数の四万倍および三万倍 二万倍より一万倍に至る 千倍そして百倍 さらに大河の砂の数 さらにその半分 三分の一 四分の一 億万分の一 千億を千万倍した数 万億の多くの弟子 さらに半億に至る弟子たちを率いている菩薩たちもさらにいます 百万より一万に至り 千及び百 五十と十と さらに三二一の弟子を率いている菩薩 さらに一人で弟子はなく 一人を願う菩薩もさらにいて 共に仏の所に来ています このような大衆について もし人が数えきれないほどの歳月をかけて計算しても 数えつくすことはできません
(注:今まで見てきたように、法華経では、数に対する表現が常識を超えている。もうこれなら、「無数に」という一言で済むのではないか、と思うであろう。もちろん、霊的世界においては、もともと数はないのである。それならばこの世、すなわち娑婆世界に現われた霊的世界の存在に関しても、無数とか無限とか、そのような言葉で済ませられないだろうか。その理由は、この娑婆世界が相対的で有限の世界であるからである。有限の世界においては、あくまでも有限の表現を用いなければ、それは単なる観念的なことで終わってしまう。霊的世界も具体的な世界である。決して抽象的なものでもなく、作り話でもない。いわば法華経は、娑婆世界の有限さに徹底的に合わせて、霊的世界を無理やり表現しているのである。そのため、この世の常識からすれば、単なる言葉の遊びとしか言いようがない数値となっているが、あまりこのようなことを気にせず、霊的真理のみを受け取るように心がけるべきである。)
この大いなる威徳と精進を備えた菩薩たちは 誰が教えを説いて教化したのでしょうか 誰に従って初めて悟りを求める心を起こし 何れの仏の教えを受け 誰の経を受け保ち 何れの仏の道を修習したのでしょうか この多くの菩薩は 神通力と大いなる智慧の力があります 四方の地震により地が裂け みなその中より涌き出ました 
世尊よ 私は昔より今まで このようなことは見たことがありません 願わくは この菩薩たちの国土の名を説いてください 私はあらゆる国を巡ってきましたが まだこのようなことを見たことがありません 私はこの菩薩たちの中の一人も知りません 突然地から出たのです 願わくは この因縁を説いてください 今この聴衆の中の 無量百千億もの菩薩たちも みなこのことを知りたいと願っています 地から湧き出た菩薩たちには 最初から今までの因縁があるはずです 
無量の徳を備えられた世尊よ ただ願わくは 多くの人々の疑念を解決してください」
その時、無量千万億の他方の国土より来て、あらゆる方角にある多くの宝樹の下の立派な座の上で、結跏趺坐して座っていた釈迦牟尼仏の分身の諸仏の、その仏たちの従者たちは、この菩薩たちが、すべての世界のあらゆる方角の地から涌き出し、空中に留まっているのを見て、それぞれの仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。この数えることもできないほどの多くの菩薩たちは、どこから来たのでしょうか。」
その時に諸仏は、それぞれの従者に次のように語った。
「多くの良き男子たちよ。しばらく待て。大いなる菩薩がいる。名を弥勒という。釈迦牟尼仏が授記した者である。後の世で仏になるであろう。この菩薩が、すでにこのことを尋ねている。仏は今、この菩薩にお答えになるであろう。あなたたちはこれによって聞くことができるであろう。」
(注:かなり弥勒菩薩の質問が長かった。読者としては、弥勒菩薩の質問は「この地から湧き出た菩薩たちは誰ですか」の一言でよいはずである。読者はこの菩薩たちの様子はすでに読んで知っているので、弥勒菩薩が繰り返すまでもないと思ってしまう。
しかし法華経は、まず散文の箇所があり、その内容を繰り返す意味で、詩偈の形の部分が続くというのが基本的な構成である。この弥勒菩薩の質問は、最初から詩偈の形である。つまり、地涌の菩薩の登場を記す散文の繰り返しの詩偈の部分が、弥勒菩薩の質問と一緒になって記されている形なのである。)

 

つづく

 

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