法華経 現代語訳 76

その時、一切衆生憙見菩薩は、仏の滅度を見て嘆き悲しみ、仏を恋慕して、最高の妙なる香木をもって薪とし、仏の身を焼いて供養した。その火が消えてから舎利を収集し、八万四千の宝瓶を作って、八万四千の塔を建てた。その塔はどの世界よりも高く、厳かに飾られ、多くの旗や幕が垂れ、多くの宝の鈴がかけられた。
その時、一切衆生憙見菩薩は次のように思った。
『私はこのように供養したけれども、これではまだ心が満たされない。私は今さらに舎利を供養しよう。』
そして、多くの菩薩、大弟子、および天、龍、夜叉などのすべての大衆に次のように語った。
『あなたがたはまさに私と心を一つにしてほしい。私は今、日月浄明徳仏の舎利を供養する。』
このように語ってから、八万四千の塔の前において、あらゆる福徳に満ちた荘厳なる肘(ひじ・つまり腕のこと)を七万二千年間燃やし続け、舎利を供養した。
それによって、無数の声聞を求める人々のうち、数えることができないほどの多くの人々が、最高の悟りを求める心を起こし、みな、現一切色身三昧に入ることができた。
その時に多くの菩薩、天、人、阿修羅などの天的存在たちは、この菩薩の肘が焼けてなくなっているのを見て、とても悲しみ嘆いて、次のように言った。
『この一切衆生憙見菩薩は、私たちの師であり、私たちを教化された方である。しかし今、肘が焼けて不自由な身体になってしまった。』
その時に一切衆生憙見菩薩は、大衆の中において、次のように誓った。
『私は両方の肘を捨てても、必ず仏の金色の身を得るであろう。もしこの言葉が真実であり偽りでなければ、その証拠として、私の両方の肘は以前のように元通りになるであろう。』
この誓い終えたとき、両方の肘は自然に元通りになった。この菩薩の福徳と智慧が豊かであるためである。その時に、すべての世界は六通りに震動し、天より宝の花が降り、天や人は、このようなことは今までになかったと驚いた。」
仏はなおも続けて、宿王華菩薩に次のように語られた。
「あなたはどう思うか。一切衆生憙見菩薩は、誰でもない、今の薬王菩薩なのである。このように数えることもできないほど、その身を捨てて布施したのである。
宿王華菩薩よ。もし最高の悟りを求めようという心を起こす者は、手の指や足の指を燃やして仏塔に供養せよ。それは、国や城、妻子、およびすべての世界の山林、川や池、あらゆる珍宝をもって供養する者に勝るのである。
(注:自分の手足を燃やしてまで仏に供養する、ということは、もちろんこの世においての話ではない。実際に、そのようにしたという僧侶の逸話もあるが、決してこの世で行なわれるべきものではない。なぜなら、繰り返し述べているように、法華経は霊的世界の真理を、仏教という宗教を通して表現しているからである。そもそも大乗経典はすべて、そのように生み出されていったものである。もちろんそのため、宗教学的な分類では当然、仏教経典であるが、もはや仏教だとかキリスト教だとか神道だとか、そのような範疇を超えた真理を表現している経典として読んでこそ、法華経の真実の姿を知ることができるのである。)
もしある人が、七宝をもってすべての世界を満たし、仏および大いなる菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養したとする。その人が得るところの功徳も、たとえそれが最も大きな功徳の場合でも、この法華経の一句あるいは四句の詩偈を受け保つ功徳には、比べようもないほど小さい。
宿王華菩薩よ。例えばすべての川の流れ、江河の水と比べても、海の水が比べようもないほど第一であるように、この法華経もまたこれと同じである。多くの如来が説いた経典の中において、最も深大である。また、この世界にあるすべての山の中で、須弥山が第一であるように、この法華経もまたこれと同じである。諸経の中において、最も高いのである。またあらゆる星の中で、月が最も第一であるように、この法華経もまたこれと同じである。千万憶の諸経の教え中において、最も明るいのである。また、太陽があらゆる闇を除くように、この法華経もまたこれと同じである。すべての不善の闇を破るのである。また、あらゆる王の中で、転輪聖王が最も第一であるように、この法華経もまたこれと同じである。多くの経の中において、最も尊いのである。また、帝釈天が三十三天の中で王であるように、この経もまたこれと同じである。多くの経の中の王である。また、大梵天王が、すべての衆生の父であるように、この経もまたこれと同じである。すべての聖なる者、賢い者、学ぶべきことがある者、もはや学ぶべきことがない者、および菩薩の心を起こす者たちの父である。また、すべての一般の人間の中で、一人で悟った者が第一なるが如く、この経もまたこれと同じである。すべての如来の所説、または菩薩の所説、または声聞の所説、あらゆる経の教えの中で、最も第一である。この経典を受け保つ者も、またこのようである。すべての衆生の中で第一である。すべての声聞、辟支仏の中で、菩薩が第一であるように、この経もまた同じである。すべての経の教えの中で、最も第一である。仏があらゆる教えの王であるように、この経もまた同じである。あらゆる経の中の王である。

 

つづく

 

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