法華経 現代語訳 80

妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五
その時に無尽意(むじんに)菩薩は、座より立って、片方の右の肩を現わして(注:仏を礼拝する姿勢)、合掌し仏に向かって、次のように申し上げた。
「世尊よ。観世音菩薩はどのような因縁によって、観世音と名づけられるのでしょうか。」
(注:今回から、一般的に『観音経』と言われる、『観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)』である。まず「普門」とは、「あらゆる方角に遍く(=普く)開かれた門」という意味である。そして、観世音の原語は、「アヴァロキテーシヴァラ」であり、意味は、「自由自在に世間の声を聞き分ける」というものである。唐の玄奘(げんじょう)が訳した『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』の冒頭にもこの菩薩の名があるが、玄奘はこれを「観自在菩薩」と訳している。つまり、玄奘は「自由自在」というところにスポットを当てて訳したわけであるが、この『法華経』を訳した鳩摩羅什は、「世間の声」というところにスポットを当てて訳したのである。「観世音菩薩」が省略されて「観音様」と呼ばれているので、鳩摩羅什の訳した名前が一般的になっているのである。)
仏は無尽意菩薩に次のように語られた。
「良き男子よ。もし無量百千万億の衆生が、あらゆる苦悩を受けた時、この観世音菩薩の名を聞いて、一心にその名を唱えれば、観世音菩薩は即時にその声を聞き分け、みなその苦しみから脱することを得させるのだ。
もしこの観世音菩薩の名を保つ者は、たとえ大火の中に入ってしまっても、火はその者を焼くことはできないであろう。この菩薩の威神力によるためである。もし大水の中に漂ってしまっても、この名号を唱えれば、即時に浅いところにたどり着くであろう。もし百千万億の衆生が、金や銀、瑠璃(るり)、硨磲(しゃこ・シャコガイの貝殻)、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、琥珀(こはく)、真珠などの宝を求めて大海に入り、暴風がその船に吹き付け、悪鬼の国に流れ着いたとする。その中にひとりの人が、観世音菩薩の名を唱えれば、それらの人々は、悪鬼の難から逃れることができるであろう。このような因縁をもって、観世音と名づけるのである。
もしある人がいて、まさに切り殺されるという時になって、観世音菩薩の名を唱えれば、その刀杖はバラバラに壊れて、その難から逃れることができるであろう。もしすべての国々の中に満ちている夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などの鬼神が来て、人々を悩まそうとした時、この観世音菩薩の名を唱えれば、これらの悪鬼たちはその悪眼をもって彼らを見ることはできなくなるであろう。ましてや、害を加えることはできないであろう。たとえある人がいて、有罪あるいは無罪で鎖につながれていても、観世音菩薩の名を唱えれば、鎖は砕けて、すぐに逃れることができるであろう。もしあらゆる国々に満ちる盗賊がいて、その中をひとりの商人の主が、多くの商人を率いて高価な宝を持って、険しい道を通過しようとしていたとする。その中のひとりが、次のように言ったとする。『多くの良き男子たちよ。恐れることはない。あなたたちはまさに、一心に観世音菩薩の名号を唱えるべきである。この菩薩は、よく無畏(むい・恐れがないという意味)をもって衆生に施される。あなたがたがもしその名を唱えれば、この盗賊の難から逃れることができるであろう。』多くの商人たちはこれを聞いて共に声を発して、『南無観世音菩薩』と唱えたとする。そしてその名を唱えたために、この難から逃れることができるであろう。
無尽意菩薩よ。大いなる観世音菩薩の威神力は、このように高く尊いのである。

 

つづく

 

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