法華経 現代語訳 82

(注:今回は、この『観世音菩薩普門品』の詩偈の部分となる。実は、二十二章目の『嘱累品』から最後までの各章において、全体的な散文の箇所の内容を、同じ内容の詩偈で繰り返すパターンで記されている章は、この『観世音菩薩普門品』だけである。さらに、鳩摩羅什の訳した法華経には、もともと『観世音菩薩普門品』の詩偈の部分はなかった。つまり実際『嘱累品』からは、それまでのパターンであった散文→詩偈という形はないのである。『観世音菩薩普門品』の詩偈の部分は、鳩摩羅什の時代から約二百年後の隋の時代に付け加えられたのである。鳩摩羅什の訳はシンプルであり明快であるが、この詩偈の言葉は、純粋な中国の文学者が書いたのではないか、と思われるほど修飾された言葉が多い。しかしそれだけに、この詩偈は非常に名文であり、「観音経」の普及と共に、日本の文化に大きな影響を与えた箇所でもある。)

その時に無尽意菩薩は、詩偈の形をもって次のように申し上げた。
「妙なる姿の世尊よ 私は今重ねて彼についてお尋ねします この仏の子はどのような因縁あって 観世音と名付けられるのでしょうか」
妙なる姿の世尊は 詩偈をもって無尽意に答えられた
「あなたは観音のわざを聞くがよい あらゆるところに応じて身を現わす その誓願の広く深いことは海のようだ 測り知れないほどの時間をかけても知ることはできない 千億の多くの仏に仕えて 大いなる清らかな誓願を立てた 私はあなたのために略して説こう 名を聞きおよび身を見 心に念じて空しく過ごさなければ あらゆる苦しみを滅ぼすことができる たとい悪意によって 大きな火の穴に突き落とされても 観音の力を念ずるならば その火の穴は池となるであろう あるいは大海原に漂流して 龍魚や諸鬼の難にあっても 観音の力を念ずるならば 波も沈めることはできない あるいは須弥山から 人に突き落とされても 観音の力を念じるならば 太陽のように虚空に留まるであろう あるいは悪人に追われ 金剛山より落ちても 観音の力を念じるならば 毛の一本も損なうことはないであろう あるいは怨賊に襲われ 刀によって殺されそうになっても 観音の力を念じるならば 相手は憐れみの心を起こすであろう あるいは王の権力によって捕らえられ 処刑されるにあたって 観音の力を念じるならば その刀は砕けるであろう あるいは鎖に縛られ囚人となり 手足に枷(かせ)をはめられても 観音の力を念じるならば それらは解けて脱することができるであろう 呪詛や毒薬を盛られ 身を害されようとしている者が 観音の力を念じるならば その害はかえって相手につくであろう あるいは悪しき羅刹 毒龍や諸鬼などにあっても 観音の力を念じるならば それらは害を与えることはないであろう あるいは悪しき獣に囲まれ 鋭い牙や爪が迫って来ても 観音の力を念じるならば それらは急いで逃げ去るであろう トカゲやヘビやサソリの毒が 煙や火のように迫って来ても 観音の力を念じるならば それらは自ら去って行くであろう 雲が起こり雷鳴と雷光が激しく 雹が降って大雨となっても 観音の力を念じるならば それらは消えていくであろう 衆生は困難や災いによって 無量の苦しみが身に迫っているが 観音の妙なる智恵の力は よく世間の苦しみを救うのである 神通力を持ち 広く智恵による方便を修して あらゆる方角の多く国土に 身を現わさないところはない さまざまの悪しき世界 地獄餓鬼畜生 生老病死の苦 次第にすべて消滅する 真理を見る眼と清らかな眼 広大な智恵の眼 慈悲の眼を持つ 常に願い常に仰ぎ見るべきである 汚れない清らかな光があり 智恵の太陽の光は闇を破り 風や火の災難を鎮め 遍く明かに世間を照らす 慈悲からの戒めは鳴り響く雷のようであり 慈悲からの心の妙なることは大きな雲のようであり 甘露の教えの雨を注ぎ 煩悩の炎を滅ぼし除く 訴えられて裁判にかけられ 軍隊の中に入れられ死を恐れても 観音の力を念じるならば それらの怨敵はすべて退散するであろう 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音(注:この三句は完全に文学的漢文表現であり、訳すことは不可能であるが、意味は伝わってくる。このような表現は鳩摩羅什は用いない。そもそも、観世音の「音」は、人々の声の意味であるから、音という言葉をこのように文学的に修飾しても意味はない。) このために常に念ずべきである 一念一念 疑いを生ずることがないようにせよ 観世音は清らかであり聖であり 苦悩死厄において その頼る拠り所となる 一切の功徳をそなえ 慈悲の眼をもって衆生を見る 福聚の海は無量である そのためにまさに拝すべきである」
その時に持地菩薩(じぢぼさつ=地蔵菩薩)は、座より立って、前に進んで仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もし衆生の中で、この『観世音菩薩品』に記されている自在のわざ、普門示現の神通力を聞く者がいるならば、その人の功徳は少なくないとまさに知るべきです。」
仏がこの『普門品』を説かれた時、大衆の中の八万四千の衆生は、みなこの上ない最高の悟りを求める心を起こした。

 

つづく

 

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