法華経 現代語訳 87 (完)

その時に釈迦牟尼仏は、普賢菩薩を褒めて次のように語られた。
「良いことだ。良いことだ。普賢菩薩よ。あなたはよくこの経を守護し、多くのところにいる衆生を安楽に導いた。あなたはすでに、思いもおよばない功徳深大な慈悲を成就したのだ。遠い昔から今まで、最高の悟りを求める心を起こして、この神通力の誓願を立て、この経を守護した。私はまさに神通力をもって、普賢菩薩の名を受け保つ者を守護しよう。
普賢菩薩よ。もしこの法華経を受け保ち、読誦し、正しく記憶し、修習し、書写する者がいるならば、まさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏を見ているのだ。仏の口よりこの経典を聞いていることになるのだ。またまさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏を供養しているのだ。またまさに知るべきである。この人は、仏に『良いことだ』と褒められるのだ。またまさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏の手に、その頭をなでられるのだ。またまさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏の衣に覆われるのだ。
このような人は、再び世の楽しみに対して貪欲になることはない。他の誤った宗教の経書や書簡などを好むことはない。またこの人は、屠殺目的で猪や羊や鶏や犬を飼う者、あるいは猟師、または女の色を売る悪しき者に親しく近づくことを願わない。この人は、心や志が素直であり、正しい考え方を持っており、福徳の力がある。この人は、貪欲、怒り、無知に悩まされることはない。また嫉妬、高ぶり、邪見、自惚れに悩まされることはない。この人は、欲が少なく智恵が十分にあり、よく普賢の行を修すであろう。
普賢菩薩よ。もし如来の滅度の後、終わりの時の五百年間において、法華経を受け保ち、読誦する者を見るならば、まさに次のような思いを持つべきである。
『この人は間もなく、悟りの道場に進んで、多くの魔を破り、最高の悟りを得て、教えを説き、教えの鼓を打ち、教えの螺を吹き、教えの雨を降らすであろう。まさに天や人の大衆の中にある、立派な教えの座の上に座るであろう。』
普賢菩薩よ。もし後の世において、この経典を受け保ち、読誦する者は、衣服や家具や飲食や生活物資に執着しないであろう。またその願いは空しくならないであろう。また現世において、その福の果報を得るであろう。
もしある人が、この経典を受け保つ者を軽蔑して罵り、「あれは気が狂っているだけだ。無駄な行をして、何も得るところはないだろう」と言ったとする。そのような罪の報いは、何度生まれ変わっても目のない者に生まれるようになる。
もしある人が、この経典を受け保つ者を供養し、讃歎するならば、まさに今の世において、良い果報を目の当たりにするであろう。
もしある人が、この経典を受け保つ者を見て、その者の失敗や悪を言い広めたとする。その失敗や悪が本当だとしても嘘だとしても、この人はこの世において、らい病になるであろう。
もしある人が、この経典を受け保つ者を軽蔑して笑うならば、何度生まれ変わっても、歯が欠けていて、唇も醜く、鼻が低く、手足が曲がっており、目が片寄っており、体が臭く膿が出て、腹に水がたまり、結核などの悪しき重い病気にかかるであろう。
このために普賢菩薩よ。もしこの経典を受け保つ者を見るならば、遠くであっても立ち上がって、仏を敬うように迎えるべきである。」
この『普賢菩薩勧発品』を説かれた時、大河の砂の数ほどの無量無辺の菩薩たちは、百千万億の旋陀羅尼(せんだらに・回転する陀羅尼という意味)を得、すべての世界を微塵にしたほどの数の菩薩たちは、普賢の道を身につけた。
仏がこの経を説かれた時、普賢菩薩などの菩薩たち、舎利弗などの声聞たち、および多くの天龍八部衆などのすべての会衆は、みな大いに歓喜し、仏の言葉を受け保ち、礼拝して去って行った。

 

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