大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

寺泊御書 現代語訳と解説

寺泊御書

 

今月十日(文永8年・1271年)、相州愛京郡依智の郷(現在の神奈川県厚木市)を出発して、武蔵国久目河の宿(現在の東京都東村山市)に着き、十二日間を経て、越後国の寺泊の港に着きました。これから海を渡って佐渡に行こうとしていますが、風が定まらず、いつになるかわかりません。ここまでの旅路を振り返っただけでも、言葉にも文字にもできないほどです。どうかお察しください。またもちろん、このようなことは覚悟の上です。今更嘆くことでもないので、これ以上は書きません。

(注:『寺泊御書』は、日蓮上人の最も有力な信者である富木常忍(ときじょうにん・1216~1299)に送った書状である。常忍は日蓮上人の死後、出家して日常と名乗り、自宅を寺とした。それが現在の千葉県にある中山法華経寺である。この『寺泊御書』もその寺に保管されている。

江の島の龍ノ口で処刑されるところを奇跡的に免除された日蓮上人は、そのまま、現在の厚木市にある本間重連(ほんましげつら)の邸宅に約一か月預けられた。なぜ厚木の本間邸に送られたのか定かではないが、彼は佐渡国守護代、つまりこれから日蓮上人が流罪となる佐渡国の行政をする事実上の責任者であり、すでにこの時、佐渡流罪が決まっていたと考えられる。本間重連については、日蓮上人の手紙以外に資料がなく、詳しいことは不明だが、後に日蓮上人の信者となったと言われる。

日蓮上人は、厚木を出発した後、東村山市付近を通過して、日本海に面する港町である寺泊に到着した。現在は新潟市直江津市佐渡への玄関口であるが、当時は寺泊であった。日蓮上人はここで約一週間、風を待つこととなるが、その間に記されたのが、この『寺泊御書』であり、日蓮上人50歳の著作である。本書は、これから佐渡で記される、日蓮上人の思想の転機となった『開目抄』や『観心本尊抄』の前章的な意味があると言われる。)

法華経に「この経典に対しては、私(釈迦)がいる現在においても非難されている。ましてや、私が死んだ後は言うまでもない」とあり、また他の箇所には、「世の中には妨げになることが多く、信じることは難しい」とあります。

また『涅槃経』に「その時、すべての外道(げどう・仏教以外の宗教)の人々は、次のように言った。『大王よ。今、非常に悪い者がおります。瞿曇沙門(くどんしゃもん・釈迦のこと)と言います。他の多くの悪人は、私腹を肥やすために彼のところに行き、しかも弟子となって、善を行なうことはありません。また釈迦は呪術によって、迦葉(かしょう)や舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん・この三人は釈迦の大弟子たちである)たちを操っています』」とあります。

この『涅槃経』の文は、あらゆる外道が、自分たちの経典が釈迦に論破されたことに対する恨みの言葉です。しかし、この文はまだ、仏教以外の外道からの非難ですが、先に引用した『法華経』の文の意味はそうではありません。天台大師(538~598・中国の陳から隋の僧。天台教学の大成者)の著作の解釈書によれば、この非難する者は、目先の悟りばかりにこだわっている釈迦の弟子たちであるとあります。この『法華経』を聞こうとせず、信じようとせず、口に出して非難しなくても、そのような者たちも、天台大師は『法華経』の敵だとしました。したがって、今現在を考えてみますと、他の宗派の学者たちは、すべて外道のようなものです。同じく、今現在においては、『涅槃経』の文の中で、「非常に悪い者」と言われている者は、この日蓮に当たります。そして「他の多くの悪人」とは、日蓮の弟子たちです。この外道たちは、『法華経』が過去の仏たちも説いていた教えであることを知らず、釈迦がこの経を説くことを非難するのです。今現在の他の宗派の学者たちもこれと同じです。仏の教えを誤解しているのです。それはまるで、自分が酔って目を回しているのに、目に見える大きな山が回っていると思うようなものです。今現在、多くの宗派に分かれているため、それぞれ論議をしているのも、このような理由からです。

(注:この箇所から、『法華経』が最も優れていることを、当時の仏教学をもとに語られる箇所となるが、この箇所を理解するためには、当時の仏教学の常識を知らねばならないので、ここで簡単にそれを記す。

明治になるまで、すべての経典は釈迦の教えを記したものだと信じられていた。しかし、明治以降、それは覆され、すべての経典は釈迦の教えではなく、紀元直後に起こった仏教の宗教改革である大乗仏教運動の中で、それぞれのグループが自分たちの主張を釈迦に語らせる形でそれぞれの経典を創作していったことが明らかとなった。しかし、それはあくまでも明治以降に明らかになったことであり、それまでの祖師や学者たちは、すべて釈迦の教えだと信じていたため、それでは、多くの経典の中で、どれが初歩的な教えで、どれが最終的かつ最高の教えか、というランク付けがされることとなった。そのランク付けのことを教相判釈(きょうそうはんじゃく・略して教判)という。そして多くの学者や僧によって、多くの教判が立てられていったが、天台大師智顗(ちぎ)の立てた教判が最も優れているとされ、それ以降、多くの僧たちが、その教判に基づいて経典を解釈するようになった。日蓮上人ももちろん天台大師を尊敬し、その教えによって、自らの法華経解釈を築き上げていったのである。

その天台大師の教判によると、『妙法蓮華経』つまり『法華経』が最高の教えであるが、釈迦が最後に説いた経典は、『涅槃経』であるとする。その『涅槃経』は、その前に説かれた『法華経』の教え以上のことは説かれていないが、改めて、『法華経』が最高の教えであることを裏付ける役割があるとされる)。

『涅槃経』には、「宝を与えて命を生かす」という言葉があります。これについて天台大師は、「命とは『法華経』のことである。宝とは、『涅槃経』に説かれる『法華経』以前の別教・通教・蔵教の三教である(注:天台教学では、すべての経典をその内容に基づいて、円教・別教・通教・蔵教の四種に分けている。これを化法の四教という。『法華経』の内容は、最後の円教に当たる)。それでは、その『涅槃経』が説く円教は何であろうか。それは、この『法華経』に説かれるところの仏性常住(ぶっしょうじょうじゅう・仏性とは、仏の本質という意味。つまり、その仏性は誰にもそして常に存在するという意味)を重ねて説いて、『法華経』の核心に帰入させ、『涅槃経』の円教における仏性常住をもって『法華経』に摂取させるのである。したがって、『涅槃経』の働きは、円教の前の三つの教えに限って及ぶことになる。天台大師の『法華玄義(ほっけげんぎ)』には、「『涅槃経』は、『法華経』を生かす宝である。『法華経』を証しするために、再び手を打って賛同しているようなものである」とあります。また妙楽大師湛然(たんねん・711~782。中国唐の天台宗の僧であり、天台教学の中興の祖と言われる)が記した『法華玄義』の注釈書である『法華玄義釈籤(ほっけげんぎしゃくせん)』にも、「『涅槃経』の「宝を与えて命を生かす」という比喩を天台教学では、『涅槃経』を宝とするのである」と述べています。

天台大師の『四念処(しねんじょ)』という著作には、『法華経』の「さまざまな教えを説くと言っても、それらはすべて『法華経』に導くための方便(ほうべん・巧みな手段)である」という言葉を引用しつつ、『法華経』以前に説かれた他の経典は、『法華経』を生かすための宝だとしています。もしそうならば、『法華経』以前に説かれた経典ばかりでなく、『法華経』以後に説かれた経典(『涅槃経』のこと)も、『法華経』を生かすための宝ではないでしょうか。

しかし、世間の学者は「そのような理屈は、天台宗だけが言っていることであり、他の宗派では用いられるわけがない」と言っています。

この日蓮がこのことを考えますと、次のように言えるのです。

多くの宗派は、すべて釈迦の死んだ後に起こったもので、それぞれの祖師や学者たちが、その教義を立てています。しかし、このように釈迦の死んだ後に立てられた教義によって、釈迦の経典を理解してはならないのです。天台大師の解釈は、すべての経典の真意にそったものなので、天台宗の一宗に限ったものだと決めつけてはならないのです。他の宗派の学者たちは、自分の宗派の祖師の誤った教えに執着するため、「正しく理解されないのは、教えが間違っているのではなく、聞く者の能力がないためだ」とか、「昔の偉大な師の説だから正しい」とか、さらに支配者のご機嫌を取って味方につけたりして、結局最後には、悪い心が湧き出して争いごとに発展させ、罪もない者を滅ぼすことを願ったりするのである。

他の多くの宗派の中でも、真言宗は特に片寄った考え方をしています。善無畏(ぜんむい)や金剛智(こんごうち・この二人は、中国に真言宗の教理である密教をもたらしたインドの僧。密教とは大乗仏教の一つの流れであり、真理は秘密であるから、秘密の行によってそれを得るとする教え)たちは、次のように考えています。「一念三千(いちねんさんぜん・一瞬の心の動きの中にすべてが含まれる、という天台教学の重要用語)は天台教学の極みであり、釈迦のすべての教えの中心である。顕教(けんぎょう・真理は秘密であるという「密教」の立場からすると、真理を積極的に言葉で表現しようとする教えは、表に明らかに表現された教えである「顕教」であるとする)と密教の両方においても、一念三千は共通する重要な教えであるが、それはしばらく置いておき、印相(手の指で形作る真理を象徴した形)と真言(いわゆる呪文・釈迦が使っていた古代インド語の発音そのままだとする)が仏教で最も重要なことである」。その後、真言宗の僧や学者たちは、善無畏や金剛智の教えに基づくとして、印相と真言がない経典は程度が低く、外道の教えのようなものだとしたのです。

(訳者注:一念三千とは、天台教学の修行方法である止観(しかん・乱れた心を静めて、その心を観察する修行。心を観察することを観心という)の教えであり、天台大師智顗が唱え、その後、天台教学の中興の祖と言われる妙楽大師湛然(たんねん)が発展させた天台宗の教学の用語である。瞬間的な心である一念にすべて(すべてということを三千という数字で表現している)が備わっているという教えであり、そのことを観心の中で観察することが説かれる。この一念三千という言葉は『法華経』の中にはない。しかし日蓮上人は、一念三千こそ『法華経』の真理だとする)。

あるいは、真言宗の教義に、「『大日経密教の中心的な経典)』は、他の釈迦の教えとは違った特別な経典である」、あるいは「教主である釈迦の第一の教えである」、またある教理には「釈迦如来と現われ顕教の経典を説き、大日如来密教で中心的な仏)と現われ密教の経典を説く」などとあります。このように、道理を得ずに無数の偏見を起こしています。

それは例えば、牛乳などの乳の色を知らない者が、いろいろ言ったところで、結局は本当の色を表現することができないようなものです。また、象を知らない盲人が、象のしっぽをさわって、象は細長い生き物だ、と言ったという有名な例え話のようなものです。

真言宗の人たちよ、あなたがたは知るべきです。『大日経』などの密教経典は、『法華経』の前に釈迦が説いた経典だとするならば、『華厳経(けごんきょう)』のようなもので(訳者注:天台大師の立てた教判によれば、悟りを開いた釈迦は、まず『華厳経』を説いて、悟りの神髄をストレートに表現したが、能力の低い人たちはそれを理解できなかったので、それからは、程度の低い経典から順次説くことにした、としている。日蓮上人は、『大日経』はその『華厳経』のようなもの、と言っているところから考えるならば、日蓮上人もある程度、『大日経』のレベルの高さを認めていることがわかる)、もし『法華経』の後に釈迦が説いた経典だとするならば、『涅槃経』のようなものです(訳者注:これも同じように、先にも説明したが、日蓮上人は『涅槃経』は『法華経』の後に説かれた経典で、『法華経』を証しする重要経典だと述べているので、やはり『大日経』のレベルの高さを認めていることがわかる)。

また善無畏は、インドの『法華経』の原典には印相と真言もあったが、翻訳者がこれを略し、その翻訳者のひとりである鳩摩羅什(くまらじゅう・344~413他説あり。西域の僧であり、中国に来て、代表的な大乗経典を数多く漢訳した翻訳僧。『法華経』の翻訳者)は、これを『妙法蓮華経』と名づけ、後に印相と真言を加えて翻訳して、『大日経』と名づけた、とでも言うのでしょうか。例えば、同じ『法華経』の原典を用いて翻訳しても、翻訳者によって、『正法華経(しょうほけきょう)』、『添品法華経(てんぽんほけきょう)』、『法華三昧経(ほっけざんまいきょう)』、『薩云分陀利経(さつうんふんだりきょう)』などの異名があるようなものだ、とでも言うのでしょうか。

(訳者注:『法華経』はインドで紀元直後から約1世紀の間、少しずつ編集され、いくつかの部分が組み合わされて成立した大乗経典である。大きく分けて、前半と後半に分けられ、それは誰が読んでもすぐにわかるほどなので、前半を迹門(しゃくもん)、後半を本門(ほんもん)と言う。

法華経』のサンスクリット原典の名前は、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」という。「サッ」は「正しい」あるいは「不思議」という意味で、「妙」と訳される言葉であり、「ダルマ」は「教え」という意味で、「法」と訳される言葉、「プンダリーカ」は「白い蓮華」という意味であり、「スートラ」は「経典」のことである。このため、鳩摩羅什は『妙法蓮華経』と訳したのである。しかし、竺法護(じくほうご)という翻訳僧は『正法華経』と訳した。そして闍那崛多(じゃなくった)によって『添品法華経(てんぽんほけきょう)』と訳された。闍那崛多によって、「提婆達多品(だいばだったほん)」と「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)」の詩偈の箇所が付け加えられたので、「品(=章)を添える」という言葉が表題にある。『法華三昧経』と『薩云分陀利経』は、現存していないので、不明である。このように『法華経』と言っても、いろいろな異訳がある。しかし、その中でもやはり、鳩摩羅什の訳が最も優れているということで、『法華経』と言えば、彼が訳した経典を指す。)

釈尊の入滅後に『法華経』が優れていることを知った人物、は龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ・2世紀ごろのインドの僧。大乗仏教思想の空思想の大成者であり、彼を最大級に尊敬して菩薩と呼んでいる)であり、中国では天台智者大師である。真言宗の善無畏たちや、華厳宗(けごんしゅう・『華厳経』を最高経典とする宗派で、日本では奈良の東大寺が本山であり、奈良の大仏は『華厳経』の世界観によって造られた)の澄観(ちょうかん・中国の華厳教学の改革者)たちや・三論宗(さんろんしゅう・龍樹やその弟子が記した三つの論書を中心とする学派なので、このように呼ばれる)の嘉祥(かじょう・嘉祥大師吉蔵(きちぞう)のこと。吉蔵の名の方が有名である。中国の三論宗の僧)たちや、法相宗(ほっそうしゅう・唯識(ゆいしき・根本的な「識」によってすべては成り立っているということを研究する学派)を伝える宗派。日本では奈良の薬師寺が本山)の慈恩(じおん・慈恩大師基(き)のこと。中国の唯識学の大成者。有名な玄奘(げんじょう)の弟子)たちは、名目上はそれぞれの宗派の祖師とされていますが、内心では天台宗の教義を受け入れ、従っていたのです。しかし、その門弟たちはそのことを知りません。どうして正しい教えを破る罪を逃れられるでしょうか。

(注:「内心では天台宗の教義を受け入れ、従っていたのである」とあるが、もちろん、文字通りにはこのようなことはない。日蓮上人の著作の中に、多くこれと同じような言葉が使われているが、その意味は、天台大師の『法華玄義』などに表わされた教学は非常に優れていて、誰もそれを無視することができなかった、ということと解釈できる。事実、『法華玄義』で説かれる教学を学んだ上で、その応用あるいは焼き直しのような形で、自らの主張を立て上げていった宗派がほとんどであると思われるのである。特に澄観の華厳教学は間違いなくそれである)。

ある者は、日蓮を非難して次のように言っています。「日蓮は、相手かまわず、自らの主張をぶつけるので迫害にあうのだ」。またある者は、「日蓮は、自分は『法華経』に書いてある通りに迫害にあっているのだ、と言うけれど、その『法華経』の言葉は、この世の人間に対してではなく、菩薩に対して述べられているのであり、この世の人間は、『法華経』の他の箇所に記されているように、平穏に満ちた布教生活を送るべきである」と言っています。またある者は、「私もあなたの教えに同感するが、とても人前では言えない」と言っています。またある者は、「そもそも仏教は、理論と実践修行が伴ってこそ、であるが、日蓮は理論ばかりで実践の教えがない。しかし、私はその両方とも身につけている」と言っています。

(訳者注:特に天台教学では、理論のことを「教相(きょうそう)」といい、修行のことを「観心(かんじん)」という。現在日本で「修行」と言うと、荒行などの行動的な行を思い浮かべる人が多いと思うが、これは日本独特の修験道と仏教が結びついた結果である。本来、仏教の修行は、釈迦以来、瞑想を中心としたものである。瞑想とは、心を観察する観心であり、止観である。この寺泊から佐渡に渡った日蓮上人は、まず塚原という場所で『開目抄(かいもくしょう)』を著わすが、この内容は教相を中心とした内容である。その後、日蓮上人は一の谷(いちのやつ)という場所に移って、『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』を著わすが、これは文字通り、観心を中心とした内容である。もちろん、日蓮上人は座禅的な瞑想を説くのではなく、妙法蓮華経の五文字にそれが含まれる、と説くのである。)

中国の卞和(べんか)は、王に貴重な宝石を献上したところ、それが疑われて足を切られてしまいました。日本の清丸(きよまる・和気清麿(わけのきよまろ)のこと)は、道鏡天皇になろうとしたのを止めたため、朝廷の怒りを買って、穢丸(きたなまる・あるいは、きたなまろ)という名前を与えられ、死罪にされそうになりました。当時の人々はこのことをあざ笑いましたが、むしろそのように非難した人々の名前は、歴史上から消えてしまっています。上に述べたような私に対する非難も、またこのように、いつか消えてなくなるでしょう。

法華経』の「勧持品(かんじほん)」には、「無智な人は、悪口を言ったり、罵倒したりする」とあります。日蓮のことも、まさにこの経文に該当します。どうして非難をする人々が、この「無智な人」に該当しないことがありましょうか。

また同じく『法華経』に、「刀や杖をふるわれる」という言葉があります。日蓮はこの経文を、自らのこととして読んでいます。非難する人々は、この経文がわからないのでしょうか。

また同じく『法華経』に、「常に多くの人々の前で、私たちを非難しようとする」とあり、また「国王や大臣やバラモン教の人や在家信者たちに対して、私たちの悪口を言い侮辱をして、度々追放する」とあります。この経文に「度々」とあるように、日蓮は追放されること数多く、流罪は、伊豆への配流に続いて、今度が二度目です。

法華経』は、過去・現在・未来の三世(さんぜ)にわたってのことが記されています。何度も迫害されながらも、『法華経』の教え通りに行なった常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のことが『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)」に書かれてありますが、常不軽菩薩は過去の釈迦の姿であるので、「常不軽菩薩品」は過去のことであり、それは現在の「勧持品」に当たります。すなわち、現在の「勧持品」は、過去の「常不軽菩薩品」です。さらに、現在の「勧持品」は未来の「常不軽菩薩品」でもあります。したがって、未来世においては、日蓮は過去の常不軽菩薩とされることでしょう。

法華経』は八巻二十八品(ほん=章という意味)ですが、インドの原典は地面に敷かれるほどの量だと言われます。かなりの分量だったのでしょう。したがって現在、中国や日本に伝来している二十八品は、原典を省略して、要点だけを記したものなのでしょう。

今ここで、『法華経』の重要な要点は述べませんが、「見宝塔品(けんほうとうほん)」には、釈迦がすべての聴衆に向かって、この経典の布教を三度勧めたという箇所があります。そしてその後の「勧持品」には、それに対する二万・八万・八十万億などの大菩薩が、布教を誓ったことが記されていますが、それについては日蓮の浅い智慧では理解しきれません。ただし、その誓いの言葉の中に、「恐怖悪世の中(で布教します)」とあることは、世の終わりが近い悪い世の中、つまり末法(まっぽう)の始まりを意味します。さらに、その言葉が記されている箇所の後の「安楽行品(あんらくぎょうほん)」には、「末世」とあり、異訳の『正法華経』には「後の末世」あるいは「後に来る末世」ともあり、同じく『添品法華経』には「恐怖悪世の中」とあります。

まさに現在の世は悪世であり、『法華経』に記されている三種類の敵、すなわち、布教する者に暴行する俗人、正しい教えを破る僧、聖人のふりをする僧などは確かにいます。しかし、上に述べたところの、布教を誓った八十万億もの菩薩たちは一人も見当たりません。海が乾いたままで潮が満ちず、月が欠けたままで丸くならないようなものです。しかし、水が清まれば自然と月は水面に映り、木を植えれば自然と鳥が巣を作ります。日蓮は八十万億の菩薩たちの代理として、その菩薩たちからのご加護を請い求める者です。

さて、あなたが付け人として送って下さったこの僧の方は、佐渡の国までお供をしたいとおっしゃっていますが、私一人でも大変な流罪の地での生活ですから、帰ってもらうことにします。もちろん、あなたのお気持ちに対しては、今更申し上げるまでもありません。みなさんにも、このようにお伝えください。ただし、鎌倉で捕らわれの身となっている弟子の僧たちのことが気がかりです。何かわかりましたら、すぐにお知らせください。

あなかしこ あなかしこ

 

十月二十二日酉の時

日蓮  花押

土木(=富木)殿