大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

撰時抄 その7

質問して言う:たとえ正法の時は、仏が世におられた時に比べれば、人々の能力は劣っていると言っても、像法や末法の時に比べれば、最上の能力を人々は持っているということになるではないか。ではなぜ、正法の始めから『法華経』が用いられなかったのか。馬鳴(めみょう)や竜樹(りゅうじゅ)や提婆(だいば)や無著(むじゃく・これらの人物は、大乗仏教初期の仏教思想家)たちも、正法の一千年間の内に世に現われたではないか。天親菩薩(てんじんぼさつ・この人物も同じく仏教思想家。この場合の菩薩は人間に対する最上の敬称。世親(せしん)という呼称が一般的である)は千部の論書の師であると言われ、『法華論』を著わして、この経典が他のあらゆる経典の中で第一であると述べた。真諦三蔵(しんだいさんぞう。三蔵は敬称。インドの僧侶で、中国に渡って多くの論書や経典を翻訳する)が伝えたところによると、月支国(げっしこく・インド北西部の国)には『法華経』を広めた人々は五十人あまりであり、天親はその中の第一の人物であるという。以上は正法の時代のことである。

続いて像法に入っては、天台大師が像法の中間に中国に現われて、『法華玄義(ほっけげんぎ)』と『法華文句(ほっけもんぐ)』と『摩訶止観(まかしかん)』の合わせて三十巻を著わして(厳密には弟子の筆記)、『法華経』の奥義を極めた。さらに像法の末に、伝教大師が日本に現われて、天台大師の完全な智慧と完全な禅定(いわゆる教えと修行)を私たちの国に広められたばかりではなく、『法華経』の精神に基づく大乗戒を授ける戒壇比叡山に建立し(厳密には最澄の死後)、日本中同じく大乗戒の地として、上は王より下は万民まで延暦寺を師範と仰ぐまでになった。まさに、像法の時こそ、『法華経』の広められる時ではなかったのか。

(注:確かに、大乗戒壇比叡山に設けられることによって、その後の仏教の流れが、比叡山中心となっていく。しかしそれがすべてではなく、当初から、高野山真言宗の勢力は比叡山に肩を並べるほどであった)。

答える:如来の教えは、必ず相手の能力に応じて説かれたということは、世間の学者たちが常識的に思っている。しかし実際、釈迦の説法の順番はそうではなかった。能力が豊かで智慧がある者のために、必ず優れた教えを説くというのなら、釈迦が悟りを開いた時に、なぜ『法華経』を説かなかったのであろうか。正法の最初の五百年に大乗仏教の経典を広めるべきではないか。また、仏に縁のある人に優れた教えを説くというのなら、釈迦の父親である浄飯大王(じょうぼんだいおう)や摩耶夫人(まやふじん)に『観仏三昧経』や『摩耶経』という、究極的な経典ではない経を説くべきではない。また、仏に縁のない悪人や教えをそしる者に、秘められた教えを説かない、というのなら、覚徳比丘は多くの破戒の者たちに向かって、『涅槃経』を広めるべきではなかったはずである。さらに、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は教えを罵る人々に向かって、どうして『法華経』を広めたのか。

このように、相手の能力に従って教えを説くということは、大きな誤りである。

(注:正確に言うならば、覚徳比丘は『涅槃経』に、常不軽菩薩は『法華経』に記されている物語の人物である)。

問う:竜樹や世親などは、『法華経』の真実の教えは説かなかったのか。

答える:説いていない。

問う:ではどのような教えを説いたのか。

答える:『華厳経』や「方等経(ほうとうきょう・大乗仏教の経典の総称)」や『般若経』や『大日経』などの『法華経』以前の大乗経典、いわゆる顕教密教の多くの経典を説き、『法華経』の教えは説かなかった。

問う:どうしてこのようなことがわかるのか

答える:竜樹菩薩の著わした論書のすべては三十万偈にも及ぶというけれど、それらがすべて中国や日本にもたらされていないので、竜樹の考えが正確に知ることはできないと言っても、中国に伝わった『十住毘婆娑論(じゅうじゅうびばしゃろん)』や『中論(ちゅうろん)』や『大智度論(だいちどろん・これらは竜樹が著した代表的な論書)』を通して、インドに残っている竜樹の論書の内容を推測できるのである。

質問して言う:インドに残っている彼の論書の中には、中国にもたらされた論書よりも優れた論書があるかも知れないではないか。

答える:竜樹菩薩については、私は自分の判断で述べるべきではない。釈迦は、「私が死んだ後、竜樹菩薩という人物が南インドに出るであろう。彼の主張は『中論』という論にある」と述べている(もちろん、このようなことは事実ではなく、日蓮上人がどうしてこのようなことを述べるのか不明である)。したがって、竜樹菩薩の流派はインドに七十人いて、そのすべてが優れた論師である。その七十の人々は、みな『中論』を基としている。そして、『中論』の四巻、合計二十七品(ほん=章)の要点は、「因縁所生法(いんねんしょしょうほう・すべての存在は原因と条件と結果の法則によって成り立っているという教え)の四句の偈(=詩)である。この四句の偈は『華厳経』や『般若経』などが説かれた時の三諦(さんたい・真理を空・仮・中の三つの言葉によって表現する教え。『法華経』以前の教えにおいては、それぞれ三つが別々のものとして認識されているとする)であって、まだ『法華経』が説かれることによって表わされた真実の三諦(円融三諦という。三つがひとつであるといこと)が述べられているのではない。

質問して言う:あなたのように解釈した人はいるのか。

答える:天台大師は、「中論をもって比較することはするな」、「天親や竜樹は内には見抜いていたが、それを説くのは時に従った」などと言っている。また妙楽大師は、「仮の教えを破って真理を明らかにするという観点からすれば、まだ『法華経』には及ばない」などと言っている。従義(じゅうぎ・中国の天台宗の僧侶。神智法師と言われる)は、「竜樹や天親は天台大師には及ばない」などと言っている。

問う:唐の末に不空三蔵が一巻の論書を訳した。その名を『菩提心論(ぼだいしんろん)』という。竜猛菩薩(りゅうみょうぼさつ・真言宗では、大乗思想の大成者である竜樹と同一視するが、別人であるという説もある)の著作である。真言宗弘法大師は、「この論書は竜猛が記した千部の中の第一であり中心的な論書である」と言っている。

答える:この論書はそれほど長い書物ではないが、竜猛の言葉とは思えない箇所が多い。そのため、目録にも竜猛の著作なのか、不空が書いたものなのか、両方共に定まらないとある。その上、この論書は、釈迦の教えに立って記されているわけでもなく、内容も統一されていない。したがって、「ただ真言の教えの中では重要な論書である」ということは誤りである。なぜなら、『法華経』においては、文章としても、また実際にそのような事例をあげて、即身成仏(そくしんじょうぶつ・その体そのままで仏になるという意味)を説いていることを無視して、文章でも事例においても見られない真言宗の経典に即身成仏が述べられているので、「ただ真言の教えの中では重要な論書である」という言葉の中の「ただ」は何よりの誤りである。

このようなことを考えると、不空三蔵が自分で記した書物を、当時の人々に広まるように、竜猛が書いたかのようにしたのではないだろうか。その上、不空三蔵は誤記が多い。たとえば、彼が訳した『観智軌(かんちき・本来の名称は長いので省略する)』には、『法華経』の「寿量品」の仏を阿弥陀仏としている明らかな誤りがあり、同じく「陀羅尼品(だらにほん)」を「神力品(じんりきほん)」の次に来る章として書いており、また同じく「属累品(ぞくるいほん)」を経典の末に記すなど話にならない。そうかと思えば、天台大師の大乗戒を盗んで代宗皇帝からの宣旨として、五台山に五寺を建てている。しかもまた、真言の教相には天台宗の教相を用いるべきだとしたり、人々を迷わすことばかりしている。他人の訳ならば用いることができるが、この人の訳した経論は信じられない。西域の月支国から中国に経論を伝えた人は、古い訳や新しい訳を合わせて、百八十六人である。鳩摩羅什を除いては、どの人も誤りがないことはない。特にその中でも不空三蔵は誤りが多いうえに、人々を迷わせる心が顕著である。

質問して言う:どうしてそのようなことがわかるのか。鳩摩羅什以外の人々は誤りが多いと言うことは、禅宗や念仏や真言宗などの七宗を破るのみならず、中国や日本に伝わった、すべてのわたる訳者が訳した経論を用いないとでも言うのか。

答える:このことは、私にとって秘めた事実であって、詳しくは、あなたと直接会って話したい。しかし、ここで少し申し上げよう。

鳩摩羅什は次のように言った。「中国にすでに伝えられた経典を見ると、すべて原本通りに訳されていないことを知った。その中で、自分の訳だけは正しいことを、どのように現わそうか。自分には大きなひとつの誓願がある。自分はすでに妻をめとって不浄の身ではあるが、舌だけは清らかであり、仏の教えにおいては嘘偽りは言ってはいない。自分が死んだとき、必ず火葬にしてほしい。そしてもし舌まで焼けてしまったならば、自分が訳したすべての経論を捨ててほしい」と常に講壇から言っていた。そこで、上の王から下は万民に至るまで、願わくは鳩摩羅什より後に死にたいものだと言った。ついに鳩摩羅什は死んで火葬にされたが、その不浄だという身体は焼けて灰となったが、舌だけは火の中に生じた青蓮華(しょうれんげ)の上にあって、五色の光明を放って、夜は昼のように、昼は太陽の周りの輪のように光り輝いていた。このようにして、他のすべての人の訳したものは軽くなり、鳩摩羅什三蔵の訳した経論、特に『法華経』は中国に広く流布したのである。

(注:鳩摩羅什が火葬されて舌だけが焼け残ったという話は有名であるが、もちろん、このような話は偉人の伝記によくある作り話である。しかしこのような話を、鳩摩羅什の訳は正しいということの証明に引用するとは、今の感覚ではあり得ない。そしてそもそも、鳩摩羅什の訳には、誤り以上に、原本にはない思想や言葉を付け加えるということが多い。日蓮上人当時は、容易に原本を見ることはできなかった。特に中国は、中国のものが世界の中心であるという中華思想の影響があり、サンスクリット語などの原本から漢訳されると、原本は焼き捨ててしまうということが当たり前のように行なわれていた。そのため現在でも、漢訳はあるが原本がない経論は多い。その中で、『法華経』などのサンスクリット原本は存在し、現在では誰でも容易に手にすることができるようになっている。それらを通して、鳩摩羅什がいかに原本に付け加えることを多く行なっていたかが、読む人ならだれでもわかるほどである。日蓮上人当時はそうではなかった、ということも、「時」のなせるわざである)。

質問して言う:鳩摩羅什以前はそうであっただろうが、それ以後の善無畏や不空などはどうであるか。

答える:鳩摩羅什以降だと言っても、訳者の舌が焼けてしまったということを見て、訳が正しかったか誤っていたかを知ることはある。このため、日本に法相宗が広まっていたころ、伝教大師はこれを責めて、「鳩摩羅什三蔵は舌は焼けず、玄奘やその弟子の慈恩大師の舌は焼けた」と言って、桓武天皇はそれを受け入れ天台法華宗へ移られたのである。

『涅槃経』を見るならば、釈迦の教えは、月支国(この場合はインドを意味する)から他国へ伝わる時、多くの誤謬が生じて、人々が悟りを開きにくくなるであろうと記されている。このため妙楽大師は、「仏の教えを判断することにおける責任は、それを受け入れる人にあるのであり、経典に書いてある言葉に責任があるのではない」とおっしゃっている。今の人々が、いかに経典に書いてあるから、と言って、経典の言葉のままに死後の世界を願ったとしても、誤った経典によっては悟りの道へと至ることはない。しかし、そうだからと言って、仏にその責任があるのではない。仏の教えを学ぶ道には、大乗と小乗があり、大乗にも、仮(権)と真実(実)があり、顕教密教があるが、これらはさておいても、このことが最も大切なことである。

(注:最澄はあくまでも、自分の開いた比叡山に籠って、勉学と修行の日々を送ろうとしていたのである。しかし、新しい仏教をもたらしたいという桓武天皇が、そのような最澄を見出したのであり、最澄の方から桓武天皇を説得したのではない。上の話も、全くの偽りの話である。そして、あくまでも舌が焼ける焼けないで、その人の訳の正しさが証明される、ということは、本当に現在では話にならないことである。また、経典に書いてあっても、それがすべて正しいとは限らない、ということは、すべての経典に平等に言えることであって、上に書いたように、『法華経』を訳した鳩摩羅什の翻訳の方法にも問題がある)。

 

つづく

 

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