大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

撰時抄 その10

問う:それでは、その秘めた教えとは何か。まずその名を聞き、次にその意味を聞こうと思う。このことがもし事実なら、釈迦が再びこの世に現われるのだろうか。『法華経』で説かれる上行菩薩が、再び地より涌き出るのであろうか。早々に慈悲を下されたい。玄奘三蔵は、六度死にかけて、まるで六度生まれ変わったような困難の後、月氏国に入って十九年間学んで再び唐に帰り、それで出した結論が、『法華経』の誰もが仏になれるという一乗の教えは方便の教えであって、小乗の『阿含経(あごんきょう)』の方が真実の教えだと言い、不空三蔵もインドに帰って、『法華経』の「寿量品」の仏を阿弥陀仏だなどと書いたりしている。これらは、東を西と言い、太陽と月を取り違えるようなものである。これでは、命の危険を冒して教えを求めても何ら意味がない。幸い私たちは末法の世に生まれて、一歩も歩まなくても長い歳月修行したことになり、釈迦の前世のように、自分の身を虎に与えなくても、仏の姿を得ることができるであろう。

答える:この法門を述べようとするなら、経文を見れば容易にわかるのである。ただし、この法門には先ず三つの大切なことがある。海は広いけれども死骸を海に留めることはない。大地は厚いけれども不孝の者を地の上には生かさない。仏の教えは、たとえ重い罪を犯した者でも助け、不孝者も救う。ただし、正しい教えを非難する者と、戒律を保っていることだけを第一とする者は赦されず仏とはなれない。

この三つの災いとは、念仏宗禅宗真言宗である。まず念仏宗は日本に広まって、すべての人の口遊びになっているほどである。

次に禅宗は、見た目には質素な僧侶の姿をしていても、その心は高慢である僧侶が四海に満ちていて、自分は天下の導師だと思っている。

さらに真言宗は、前の二宗に比べ物にならないくらいである。比叡山、東寺、奈良の七大寺、園城寺、そして上は貫主や皇室の住持はじめ、下々の役人に至るまで、すべてである。例えば、宮中にあった神鏡が燃えてしまったので、大日如来の宝印を仏鏡として祀っているという。また、宝剣は西の海に沈んでしまったので、密教の五大尊をもつて国の敵を破ろうと思っているという。これらの誤った信心は非常に堅固なので、たとえ一劫という非常に長い歳月が流れようとも揺らぐとは思えず、大地がひっくり返っても疑うとは思えない。天台大師が南北の諸宗派と論議をして破った時も、この真言宗密教は伝わっておらず、伝教大師が奈良の六宗を虐げた時も、真言宗はその対象ではなかった。天台大師や伝教大師という強敵を免れているので、かえって大いなる教えを消そうとしている。その上、伝教大師の弟子である慈覚大師は、この宗を取り立てて比叡山天台宗と取り換えてしまったので、比叡山真言宗となってしまった。もはや慈覚大師には敵はなくなってしまったわけである。このような誤りが力を得てしまったので、弘法大師の邪悪な教えを咎める者もない。安然(あんねん)和尚は少し弘法大師を非難したかと思ったが、ただ華厳宗を非難したのみで、かえって『法華経』を『大日経』に対して下と見てしまった。これでは、単なる侵入者のようなものである。

(注:伝教大師最澄は、唐からすべての仏教の教えをもたらし、比叡山を日本の仏教の中心としようとした。したがって、最澄密教も伝えようとしたが、あまりにも唐に滞在した期間は短く、特に密教においては十分なものは得られず、帰国せざるを得なかった。そのため、これも有名なことであるが、帰国後、同じ遣唐使船で唐に渡った弘法大師空海に弟子入りしてまで、密教を学ぼうとしたほどである。最澄真言宗を論破するわけがない。それどころか、学んでいたのである。

しかし、書物ばかりで学ぼうとする最澄に対して、密教は書物では伝わらないと、最後は空海の方から最澄との縁を切ってしまった。このように、最澄は課題を残して亡くなったわけであるが、師が課題を残すと、その弟子たちはその課題を解決しようと努力し、かえって偉大な人物が出る、ということは法則のようで、慈覚大師円仁や智証大師円珍、そして五大院安然などによって、やがて比叡山密教の教えが確立されていく。特に安然は、空海真言密教に肩を並べるほどに天台密教の教学を確立した人物であり、これを日蓮上人は、安然は少し弘法大師を非難した、と表現していると思われる。しかし、これらはあくまでも日本の天台宗の流れであって、決して間違った方向に行ってしまったわけではないが、日蓮上人は、天台宗と言えば、『法華経』を中心とした天台教学以外に考えられないので、その視点から、比叡山が横道にそれたと非難しているのである)。

問う:この念仏宗禅宗真言宗の三宗の誤りとは何か。

答える:念仏宗、いわゆる浄土宗は、まず、中国の斉の時代に、曇鸞(どんらん)法師という者がいた。三論宗の人である竜樹菩薩(確かに、三論宗は竜樹の三つの論書を基にしているが、竜樹自身は三論宗とは全く関係がない)の『十住毘婆娑論(じゅうじゅうびばしゃろん)』を読んで、仏の道には、難行道(なんぎょうどう・自分の力で修行をして悟りを開こうとする方法)と易行道(いぎょうどう・阿弥陀仏の力によって極楽に往生しようとする方法)を立てた。そして、唐の時代に道綽(どうしゃく)禅師という者がいて、最初は『涅槃経』を講義するほどの学者であったが、曇鸞法師が浄土の信心に移ったという文を見て、『涅槃経』を捨てて浄土の教えに移り、聖道門(=難行道)と浄土門(=易行道)の二門を立てた。また道綽の弟子に善導(ぜんどう)という者がいて、雑行(ざつぎょう・念仏以外の行を指す)と正行(しょうぎょう・念仏を指す)を立てた。

末法の時代に入って二百年あまり、日本の後鳥羽院の時代に、法然という者がいた。すべての道俗に勧めて次のように言った。

「仏の教えにおいては、時と人の能力が基本である。『法華経』や『大日経』や天台宗真言宗などの八宗九宗で説かれる釈迦の教えにおける大乗小乗、顕教密教、大乗の仮の教えや真実の教えなどいろいろあるが、それらは、正法と像法の時代を合わせた二千年間の、能力が優れていて智慧もある人々のために説かれた教えである。今は末法に入っており、どのように努力して修行したとしても、何ら益となるところはない。その上、これらの教えを阿弥陀仏の信心と合わせて行なっても、そのような念仏で往生することはできない。これは私が勝手に言っているのではない。これらの教えを、竜樹菩薩や曇鸞法師は難行道と名付け、道綽は誰も悟りを得ることができない道であると明らかにし、善導は、千人の中で一人も悟りを得る者はいないと定めたのである。しかし、これらはもともと他宗の人であるから疑問も生じるであろう。そうならば、先徳である恵心僧都源信(えしんそうずげんしん・平安時代後期の天台宗の僧侶)を超える天台真言の智者は、この末代にいるだろうか。彼の著わした『往生要集(おうじょうようしゅう)』には、「顕教密教の教えは私が死生の苦しみから離れる教えではない」とある。また、三論宗の永観(えいかん・平安時代後期の三論宗の僧侶。阿弥陀仏を一緒に念仏を唱えながら歩いて、阿弥陀仏から「永観遅し」と言われたというエピソードは有名)の著わした『往生拾因(おうじょうじゅういん)』などを見なさい。法華(=天台宗)や真言などを捨てて、ひたすら念仏すれば、十人いれば十人すべて往生し、百人いれば百人すべて往生する」と勧めた。

すると、これに対して、比叡山や東寺や園城寺や奈良の七大寺などは、最初は非難したようだけれども、『往生要集』の序の言葉が道理だと見て、顕真(けんしん・平安時代後期の天台宗の僧侶。天台座主になる。比叡山の麓の大原に法然を招き、他宗派の僧侶たちと論議させ(大原談義)、これによって法然の名は一躍有名となった)は念仏を受け入れ、法然の弟子となった。その上、たとえ法然の弟子とならなくても、人々は阿弥陀仏の念仏を、他の仏とは比較にならないほど口ずさみ心を寄せるようになり、これによって、日本の人々はみな、法然の弟子に見えるほどである。この五十年間、天下すべての人々が、一人も漏れず、法然の弟子となったのである。

法然の弟子となったということは、日本中の人々が、正しい教えを謗る者となったのである。たとえば、千人の子が一同に一人の親を殺害すれば、千人共に最も重い罪を犯した者となり、その一人が地獄の底に堕ちるならば、他の人たちは堕ちないだろうか。

結局、法然流罪になったことを恨み、悪霊となって自分および自分の弟子たちを非難した国主や比叡山園城寺の僧たちの中に入って、謀反を起こし、あるいは悪事をなしたので、みな鎌倉幕府に滅ぼされたのである。わずかに残った比叡山や東寺などの僧侶たちは、一般人たちに侮られていることは、まるで猿に人が笑われ、浮浪人が子供に侮辱されるようなものである。

禅宗は、このような状況に乗じて、いかにも清らかな姿をもって人の目をごまかし、尊い雰囲気をかもし出しているので、どのような誤った教えを言っても人々はわからない。「禅宗の教えは、教外別伝(きょうがいべつでん・究極的な真理は経典などには記されておらず、別の伝承によって伝えられているとする立場)と言って、釈迦の説いたすべての経典の他に、摩訶迦葉尊者に密かに伝えられていた教えなのである。したがって、禅宗を知らないで経典を学ぶ者は、犬が雷に噛み付くようなものであり、猿が月の影を取ろうとしているようなものである」と言っている。

このため、親不孝のために父母に捨てられたように、礼を欠いたために主君に追放されたように、あるいは、若い僧侶は学問を嫌う傾向にあるように、遊女がもの狂わしいように、日本において禅宗は、その本性通りの悪しき教えなのである。禅宗の僧侶たちは、みな一同に清らかそうな姿をして、農家を食い尽くすイナゴのようになっている。このため、天は天眼を怒らせ、地神は身を震わせているのである。

 

つづく

 

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