大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

撰時抄 その12

弘法大師は、同じ延暦年中に唐に渡り、青竜寺の慧果に師事して真言宗を学んだ。帰国後、釈迦の説かれたすべての経典の優劣を判断して、第一に真言、第二に華厳、第三に法華と説いた。この大師は世間の人々も大変尊敬する人である。ただし、仏教における功績は大きく、いろいろ言うことは遠慮を感じるが、とんでもないことも言っているのである。

このことをいろいろ考えるわけであるが、中国に渡って、ひたすら真言の理論ではなく、目に見える儀式的な印や真言を学んで、教理的なことを思索しないうちに、日本に帰って来た。その後に、世間では天台宗が広まっており、自分が重んじている真言宗は広められない状態だったので、中国に行く前に学んでいた華厳宗を取り出して、『法華経』に勝っているとしたのである。それも華厳宗が普通に言っているように言ったのなら、人々は信じないだろうと思ったのだろうか、少し雰囲気を変えて、華厳宗の教理を取り出してきているにもかかわらず、これは『大日経』や竜猛菩薩の『菩提心論』や善無畏等の教義であると大きな嘘を言ったのである。しかし、天台宗の人々はそれを批判しなかった。

問う:弘法大師が著した『十住心論(じゅうじゅうしんろん・天皇の要請を受けて、すべての仏教および東洋の教えをランク付けしたもので、密教の教えが最高とする。空海の代表作の一つ)』や『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく・『十住心論』を要約したもの)』や『二教論(にきょうろん・顕教密教の区別を明らかにしたもの)』に、「各教えが、自らが釈迦の教えだと主張しているが、これらを今になって冷静に見れば、ただのたわ言である」、また「単なる迷いの範囲内であって、悟りの位には至っていない」、また「究極的な教えではない」、また「中国の学者や僧侶たちは、他の究極的な教えを盗んで、自らの宗派の教えとしている」などと言っているが、このような解釈はどうであろうか。

答える:自分もこの解釈に驚いて、すべての経典および密教の『大日経』などの代表的な三つの経典を読んでみたが、『華厳経』と『大日経』に対すれば、『法華経』はたわ言であり、『六波羅蜜経(ろくはらみっきょう)』に対すれば、『法華経』は盗人であり、『守護経(しゅごきょう)』に対すれば、『法華経』は迷いの範囲内だという経典の言葉は、一字一句も見当たらなかった。

(注:大乗経典は、どれも釈迦の説いた言葉ではないので、実に様々なことが書かれている。これらを一人の釈迦の言葉だと解釈すること自体が無理なのであるが、明治以前の僧侶たちは、この経典の内容の違いを、釈迦に違いがあるのではなく、聞く側の能力の違いの結果であり、釈迦は聞く相手の能力に応じて説いたので、各教典の教えに違いがあるのだ、ということを基に、教判、つまり経典のランク付けによって経典の内容の違いを理解してきた。そしてもちろん、統一的見解などあるわけがなく、それぞれの僧侶や学者によって、さまざまな意見が出され、その違いによって宗派が分かれていった。各宗派の立場からすれば、他の宗派の重んじる経典は程度が低いわけであり、確かにそのように見ようと思えば、いくらでもそう見えるのである。

たとえば、日蓮上人が言っているように、『大日経』などの密教経典は、手に結ぶ印の形と、唱える真言や儀式のやり方などばかり書かれて、教理的内容がないように見える。また、これは私の言葉で表現するが、『阿弥陀経』などの浄土経典は、やたらに阿弥陀仏の描写や極楽浄土の様子ばかり詳しく書かれているだけである。また、『般若経』などの般若経典には、「これはあると見えるがない、それもあると見えるがないのだ」というような言葉ばかりが繰り返されていて、読んでいる方が馬鹿にされたような気持になる。さらに『法華経』は、深い教理的な言葉はなく、まるでひと昔前のSF小説のような場面の連続、あるいは想像力を豊かにしなければついて行けない童話のような内容のみで、まさに「ざれ言」と言われても仕方がないように見える。

真理は表現したとたんに真理ではなくなる。真理とは言葉では表現できないものなのである。そのため、各教典はすべて真理を表現しようとしてはいるのだが、表現したとたんに真理ではなくなるので、その真理を見極める目のない者にとっては、「ざれ言」に見えてしまうのである。

日蓮上人は、『法華経』を通して真理を見る目を持つ人物であった。そのため、他の経典はすべて『法華経』以下のものとして見えていたのであり、日蓮上人の信奉する天台教学が、まさにそのことを説いているのである。)

このことは、大変根拠のない空しいことであるけれども、この三四百年あまり、日本じゅうの学者や僧侶たちが受け入れてきたことなので、かなり定着してしまったのも無理はない。そこで、いくつかわかりやすい事例をあげて、他のことも空しいことなのだということを知らせよう。

法華経』を最高の教えであるとしたのは、中国の陳から隋の時代のことである。『六波羅蜜経』は唐の中ごろに般若三蔵がこれを翻訳した。『六波羅蜜経』の中心的な教理が、陳から隋の時代に世に出ていたのなら、天台大師は、その経典に記されている真言の重要教理を盗むこともできたであろう。

同じようなことは日本にもある。日本の得一(とくいつ・平安時代法相宗の僧侶である徳一のこと。最澄との論争は有名。日蓮上人は、音が同じなら気にせず漢字を入れ替えて使用することが多くある)が、「天台大師は『深密経(じんみつきょう・法相宗の重要経典)』の三時教(さんじきょう・法相宗の教判で、すべての経典を三段階に分けて解釈する)を破っている。それは三寸の短い舌をもつて五尺の身を断つようなものだ」と罵ったが、伝教大師はこれを批判して、「『深密経』は唐の初期に、玄奘がインドから伝えて翻訳したものだ。天台大師は陳から隋の人ではないか。天台智者大師が亡くなった後、数年して『深密経』は伝わったのだ。死んだ後に伝わった経典を、どうやって破ったのか」と責めた。すると、得一は言葉に詰まるばかりか、舌が八つに割けて死んでしまった(注:もちろん徳一はこのような死に方はしていない)。

弘法大師のこれらの言葉は、徳一よりもひどい悪口である。華厳宗の法蔵や三論宗の嘉祥や法相宗玄奘や天台大師など、および南北の諸師や後漢以降の学者や僧侶たちを、みな一様に盗人と言っている。その上、また『法華経』が究極的な教えであるということは、天台大師の私見ではない。

釈迦は『涅槃経』に、『法華経』は究極的な教えだと述べられた。天親菩薩(=世親・大乗仏教の思想家。菩薩は人物に対する最高の尊称)は、『法華経』と『涅槃経』を究極的な教えだと述べている。そして、竜樹菩薩は『法華経』を妙薬と名付けている。

したがって、『法華経』などを究極的な教えであると言う者が盗人ならば、釈迦や多宝仏や十方の諸仏、および竜樹や天親たちは盗人なのであろうか。弘法大師の弟子たち、および日本の東寺の真言宗の諸師は、自分の目で判断がつかないようならば、他の鏡を用いてまで、自分の誤りを知らねばならない。

この他、『法華経』をたわ言の教えだと言うならば、『大日経』や『金剛頂経』などから、その証拠となる経文を出してみよ。たとえ、それぞれの経典に、『法華経』をたわ言だと書いてあったとしても、それは訳者の誤訳である可能性もある。よく調べてもらいたいものだ。

孔子は九度考えて一言を発し、周公旦(しゅうこうたん)は、いつ尊い人物が来てもいいように、沐浴中に人が来れば髪を握ったまま、食事中なら口に入れた物を三度吐いてまで出迎えたという。仏教以外の世間の浅い事を習う知識人でさえこうなのである。このようにしていれば、浅はかなことは起こり得ないのである。

このような誤りの教えの末に位置する者であるが、伝法院の本願と呼ばれる聖覚房(しょうかくぼう・平安時代末期の真言宗の僧侶。覚鑁(かくばん)の名で知られる。後に高野山から追放され、根来寺(ねごろじ)に移る。新義真言宗の開祖であり、興教大師という諡号を送られる)が、仏の骨である舎利を供養する法会において、「高く尊い方は、並ぶ者のない尊高なる大日如来である。驢馬や牛の三身の仏は、その車を引く資格さえない。秘められた奥義は、両部漫陀羅(仏の世界を表わした曼荼羅に二つある。金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)の二つ)の教えである。顕教の四法は履物を取る資格さえない」と言っている。顕教の四法とは、法相宗三論宗華厳宗法華宗(=天台宗)の四つであり、驢馬や牛の三身とは、『法華経』と『華厳経』と『般若経』と『深密経』の教主となっている四仏であり、これらの教えを保つ仏と僧侶は、真言宗の聖覚房や弘法大師の牛飼にも履物を持つ者にも足らない、と言っているのである。

月氏国に大慢婆羅門というバラモン教の者がいた。生まれながらに博学で、仏教の顕教密教の二つも究め、仏教の内外の典籍も手の中に握っているようなものだった。そのため、王や大臣までも頭を下げ、多くの民が師と仰いだので、大慢婆羅門は慢心を起こし、世間の人々に拝まれている者は大自在天(だいじざいてん・ヒンズー教シヴァ神のこと)と婆籔天(ばすてん・仏教の守り神の仙人)と那羅延天(ならえんてん・ヒンズー教ヴィシュヌ神のこと)と釈迦であるから、この四人の聖人を自分の椅子の四つの足にしようと、そのような椅子を作って、それに座って教えを説いた。

これはまるで、現在の真言宗の僧侶たちが、釈迦仏をはじめ、すべての仏をかき集めて曼荼羅を描き、灌頂の儀式をする時、その曼荼羅を敷いて儀式を行なうようなものである。また、禅宗の法師たちが、この宗派の教えは、仏の頭を踏むほどの大いなる教えであると言っているようなものである。

さて、賢愛論師(けんあいろんじ)という僧侶がいて、大慢婆羅門を批判したが、王や大臣をはじめ、すべての民は耳を貸さなかった。最後は、大慢婆羅門は弟子や檀家たちに命じて、彼に悪口を言ったり打ったりしたが、彼は少しも命を惜しまず批判を続けたので、王は賢愛論師を憎んで、論議を通して退けようとしたが、かえって大慢婆羅門が論破されてしまった。そこで王は天に仰ぎ地に伏して嘆き、「私は目の当たりに真実を知り、間違った考えを晴らした。先王は大慢婆羅門に騙されて、地獄の底にいることだろう」と、賢愛論師の足に取り付いて泣いた。王は大慢婆羅門を殺そうとしたが、賢愛論師はそれを止めた。結局、大慢婆羅門は驢に乗せられインド中を引き回されたので、大慢婆羅門はさらに悪心が盛んになり、生きたまま地獄の底に堕ちた。現在の真言宗禅宗の僧侶たちはこのようではないか。

中国の三階禅師(さんがいぜんじ・三階教という中国における仏教系新興宗教の開祖である信行(しんぎょう)のこと。正法を第一階、像法を第二階、末法を第三階とする教え)は、次のように言っている。「『法華経』は第一階と第二階の正法と像法の教えである。末法のためには三階教の教えが必要である。『法華経』を今の世に行なう者は地獄に落ちるであろう。『法華経』は末代の人々にはふさわしくないからである」と言って、一日六度の礼拝、四度の座禅などを行ない、生き仏のように人々に崇められ、弟子も一万人あまりに及んだ。しかし、幼い少女が『法華経』を読む声に責められ、即時に声を失い、やがて大蛇になって、檀家や弟子や少女や処女を食べた。今の善導や法然たちが、「念仏でなければ千人いても一人も悟りを得られない」という悪い教えもこれである。この三つの事例はすでに昔のことであるので、あえて非難することもないのであるが、言わなければ信じてしまう人もいるであろう。

 

つづく

 

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