撰時抄 その14

質問して言う
法華経』が真言より勝るとする人は、この解釈をどうすべきか。用いるべきか。あるいは捨てるべきか。
答える
釈迦は、これからの僧侶の姿勢について、「教えによるのであり、人によるのではない」と言っている。竜樹菩薩は、「経典によれば正しい解釈となり、経典によらなければ誤った解釈となる」と言っている。天台大師は、「また経典に合致しているならば、これを記してこれを用いる。合致している文がなければ信じ受け入れてはならない」と言っている。伝教大師は、「仏の教えによるのであり、人の口伝を信じてはならない」と言っている。
これらの経典の解釈は、夢を根拠としてはならない。『法華経』と『大日経』との勝劣を分明に説いている経典や論書の文こそ大切なのである。ただ、印や真言がなければ、仏像や仏画の開眼の儀式ができないということであるが、真言がなかった時代は、仏像や仏画の開眼の儀式はなかったのであろうか。インドや中国や日本では、真言以前の仏像や仏画が歩き、説法し、言葉を語った、ということが伝えられているが、かえって、印や真言をもって仏を供養してから後は、このような功徳も失われているのである。これは常に言われていることである。
以上述べてきたことについては、日蓮はその証拠になる経典や文献などを引用する必要はない。慈覚大師の解釈を直接読んで確信しているところである。
問う
どうしてそのように確信するのか。
答える
そもそも、その夢は、真言は『法華経』に勝るという内容である。もしその夢が吉夢ならば、慈覚大師が言っているように、真言が勝るであろう。ただ、太陽を射抜くという夢は、吉夢と言うべきであろうか。仏典五千七千巻あまり、仏教以外の典籍三千巻あまりの中に、太陽を射抜いたという夢が、吉夢である証拠があるであろうか。少々、このことを述べてみよう。
阿闍世王(あじゃせおう・釈迦に帰依した王)は、天から月が落ちる夢を見て、耆婆大臣(ぎばだいじん)に尋ねてみると、大臣は、釈迦が亡くなられたのだと言った。須抜多羅(すばったら)は天より太陽が落ちる夢を見て、釈迦が亡くなったと言った。阿修羅は、帝釈天と戦う時、まず太陽と月を弓矢で射たとう。中国の夏の桀(けつ)や殷の紂(ちゅう)という悪王は、常に太陽を射て、身と国を滅ぼしたという。
また、その反対に、釈迦の母親である摩耶夫人は、太陽をはらむという夢を見て、悉達太子(しったたいし・釈迦の幼名)を産んだ。そのために、釈迦は太陽の種族の末裔だと言われる。日本という国の名は、天照太神の日天という意味である。
したがって、慈覚大師の見た夢は、天照太神伝教大師や釈迦や『法華経』を射抜いた矢であって、その二部の論書はそうなのである。日蓮は愚か者であって、経典や論書もわからないが、ただこの夢の話を聞いただけでも、『法華経』よりも真言が優れているとする者は、今の生涯においては国を滅ぼし家を失い、死後においては、地獄の底に堕ちるとことは知っている。
さらに今、現に証拠がある。日本と蒙古との合戦において、すべての真言宗の僧侶がその調伏を行なって、日本が勝てば、真言は偉大だと思うであろう。しかし、承久の合戦の時、多くの真言宗の僧侶たちが祈り、調伏を行なったにもかかわらず、結局、幕府の北条義時が勝って、後鳥羽院隠岐の国へ、御子の天子は佐渡の島に流され、調伏されたのは真言で祈った側だった。
狐は、自分が鳴くために敵に見つかって食べられてしまうように、『法華経』に「かえって災いが本人に降りかかる」とあるように、比叡山の三千人の僧侶たちも、鎌倉幕府に攻められて、すべて従属させられてしまった。しかし、今は鎌倉幕府が盛んになっているので、東寺や天台宗園城寺や奈良の七寺の真言の僧侶たち、さらに自立を忘れてしまったような天台宗の中にいる、正しい教えを非難する者たちは、関東に下って行って、頭を下げ膝をかがめて、武士の心に取り入って、諸寺や諸山の別当(べっとう・寺院の職務の監督)や長吏に任命されて、朝廷の権威を失墜させてしまった。
悪法をもって国土安穏を祈っているのである。将軍家ならびに所従の侍以下の人々は、国土安穏が成就するだろうと思っているだろうが、『法華経』を捨てた大罪の僧侶たちを用いるならば、国は間違いなく滅びるのである。

(注:もう『撰時抄』も終盤となったが、ここまでずっと、日蓮は、さまざまな人々の非難に終始していた。しかしやっとこれから、日蓮自身のことについて述べる段落となるのである。)

 

つづく

 

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