大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

撰時抄 その16

問う:何をもってこのことを信じるか。

答える:『最勝王経』に「悪人を敬愛し、善人を罰するために、天体の運行や気候が正常ではなくなる」とある。この経文の意味は、国に悪人がいるにもかかわらず、王や大臣がこの悪人に帰依するということに間違いない。また、国に智慧者がいるにもかかわらず、国主がこの智慧者を憎むということに間違いない。また、「帝釈天に仕える天の神々が、みな忿怒の心を生じさせたため、不思議な流星が流れ、太陽が二つ同時に出て、他の国の怨賊が来て国の人々が乱される」とある。すでにこの国に天変地異あって、他国が攻めて来ている。天の神々が怒っていることは疑いない。

『仁王経』に「多くの悪しき僧侶たちが多く名利を求め、国王や太子や王子の前で、自ら仏の教えを破る教えと国を破る教えを説く。その王は分別がなく信じてその言葉を聞く」とある。また「太陽や月は規則性を失い、時節が狂って、赤い太陽が出たり黒い太陽が出たり、また二つ三つ四つ五つの太陽が出たり、あるいは日食で光がなくなり、あるいは日輪が一重二重、また四重五重の輪が現われたりする」とある。その文の意味は、悪しき僧侶たちが国に充満して国王や太子や王子たちを騙し、仏の教えを破る教えや国を破る教えを説けば、その国の王たちはこの人に騙されて、この教えこそ、仏の正しい教えであり、国を守る教えだとして、この言葉を受け入れて用いるならば、太陽や月に異変が起こり、大風と大雨と大火などが起こり、次いで内賊と言って、親類から大兵乱が起こって、自分に味方する者たちをみな撃ち殺して、さらに他の国に攻められ、あるいは自殺し、あるいは生け捕られ、あるいは人質となるであろう。これは、仏の教えを滅ぼし、国を滅ぼしたためである。

『守護経』に「釈迦如来の教えは、すべての天魔や外道や悪人や神通力を持つ神仙などであっても、少しも破ることはできない。しかし、名ばかりの多くの悪しき僧侶は、これを残すところなく滅ぼしてしまう。須弥山(しゅみせん・仏教の世界観の中で、世界の中心にある最も高い山)を、かりに世界中の草木を集めて薪として、長時間燃やしたとしても、須弥山は全く損傷することはない。しかし、この世の終わりの火が起こって、その火に焼かれるならば、すべてが焼かれて灰さえ残らないのだ」とある。

『蓮華面経』に「仏は阿難に告げた。たとえば、師子が死ぬと、空や地や水や陸の生き物はその死体は食べず、ただ師子の体の中にいた虫が、その死体を食べるように、阿難よ。私の説いた仏の教えは破ることはできないが、仏の教えを受けた者たちの流れの中の悪しき僧侶たちが、私が測ることもできないほど長い間に積み重ねてきた教えを破るであろう」とある。

経文の意味は、過去の仏の一人である迦葉仏(かしょうぶつ)が、釈迦如来の仏の教えが末法の時代にどのようになるかについて、訖哩枳王(きりきおう)に語ったところによると、大族王という王が、インドの寺院を焼き払い、十六の大国の僧尼を殺すであろう、ということであり、また、中国の武宗皇帝が、九国の寺塔の四千六百所あまりを打ち壊し、僧尼二十六万五百人を還俗させるということである。しかし、これほどの悪人であっても、釈迦の仏の教えを消滅させることはできない。僧衣を身にまとい、一鉢を首にかけ、八万の教えを胸にうかべ、あらゆる経典を口にする僧侶が、釈迦の教えを滅ぼすのである。たとえば、須弥山は金の山である。すべての世界の草木をもって、この世のすべての空間に押し込めて満たし、一年二年そして百千万億年間焼き続けたとしても、まったく損なわれることはない。しかし、この世の終わりの火が来るとき、須弥山の麓から豆ほどの火が出て、その火が須弥山を焼くばかりではなく、すべての世界を焼き尽くしてしまう。もし仏の言葉通りならば、十宗、八宗の僧侶たちが、仏教という須弥山を焼き払うのであろう。小乗の倶舎宗成実宗律宗の僧侶たちが、大乗をそねむ胸の瞋恚は炎のようである。真言宗の善無畏や禅宗の三階教などや浄土宗の善導などは、仏教の師子の肉を食べるうじ虫の僧侶たちである。伝教大師三論宗法相宗や華厳などの日本の学者たちを六虫と述べている。日蓮真言宗禅宗や浄土宗などの祖師たちを三虫と名付ける。また、天台宗の慈覚大師や安然や慧心僧都たちは、法華経伝教大師の師子の身の中の三虫である。

正しい教えを非難する根源を正す日蓮を攻撃すれば、天神地祇も怒って、災いが大いに起こるのである。したがって、よく知るべきである。この世において第一の大事を述べているのであるから、最も第一の兆候が起こるのである。何と哀れなことか、何と嘆かわしいことか。このままでは日本の人々はみな、地獄の底に堕ちるのだ。しかし嬉しいことだ、喜ばしいことだ。このような愚かな身であっても、この世において仏の教えを受け入れられた。

今に見よ。大蒙古国が数万艘の兵船を浮かべて日本を攻めれば、上より下の万民に至るまで、すべての仏寺すべての神寺を投げ捨てて、それぞれ声を合わせて「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱え、掌を合せて「助けたまえ日蓮の御房、日蓮の御房」と叫ぶことであろう。

たとえば、月支国の大族王は幻日王に掌を合わせ、源平の合戦で敗れた平宗盛梶原景時に命乞いをしたようなものである。『法華経』の高慢な僧侶たちは、最初は常不軽菩薩を杖や棒で打ったけれども、後には掌を合わせて行ないを悔いた。提婆達多は釈迦の体を傷つけたが、臨終の時には「南無」と唱えた。「南無仏」と言えば地獄には堕ちなかったものを、悪しき業が深く、ただ「南無」とだけ唱えて「仏」とは言わず、今の日本の高僧たちも、「南無日蓮聖人」と唱えようとする時が来ても、「南無」とだけ唱えるかも知れない。何と不憫なことだ。

外典(げてん・仏教以外の典籍)に、「未来を予見する人を聖人と言う」とある。仏典には、「過去現在未来を知る人を聖人と言う」とある。日蓮に三つの功名がある。一つは、文応元年七月十六日に『立正安国論』を最明寺殿(=北条時頼)に奏上した時、宿谷の入道(=宿屋光則(やどやみつのり)・鎌倉幕府の役人。『立正安国論』を奏上した時の取次役なども行なう。後に日蓮の弟子となる)に向って「禅宗念仏宗とを排除することを忠告して下さい。そのようになさらない場合は、幕府の一門から事件が起こり、他国から攻められるでしょう」と言ったことである。

二つには、文永八年九月十二日(龍の口法難の日)に、平左衛門尉(=平頼綱(たいらのよりつな)。執権北条時宗と時貞の二代にわたって執事となる。日蓮を迫害した中心人物。龍の口法難の日においても、松葉が谷の日蓮を襲い捕えて龍の口刑場まで引いて行った。しかし、頼綱は後に時貞の命令によって殺害される)に向って、「日蓮は日本の棟梁である。私を失うことは日本の柱を倒すことだ。間もなく『自界反逆難』と言って、同族の中で反逆が起こり、『他国侵逼難』と言って、この国の人々は他の国に打ち殺されるのみならず、多く生け捕りにされるであろう。建長寺寿福寺極楽寺や大仏や長楽寺などのすべての念仏者や禅僧たちの寺塔を焼き払って、彼らの首を由比ガ浜で切らなければ、日本は必ず滅びるであろう」と言ったことである。

三つには、去年の文永十一年四月八日(佐渡流罪が許され、鎌倉に帰って来て平頼綱と会見した日)に、左衛門尉に次のように語った。「幕府の支配する地に生まれたのだから、身は幕府に従っているようだが、心まで従っているわけではない。念仏は人を地獄の底に落とすわざ、禅は天魔のなすわざであることは疑いようがない。特に、真言宗がこの国の大きな災いである。大蒙古を調伏することを、真言宗の僧侶に命じてはならない。もし、そのような大事を真言宗の僧侶に委ねて調伏させようとするならば、いよいよこの国は亡びるであろう」と言ったが、頼綱は「それはいつごろ起きるであろうか」と質問してきたので、「経文にはそのような予言はないけれども、天の怒りは少なからず、それは逼迫していると見える。今年を越すことはないであろう」と答えた。

この三つの大事は、日蓮が言ったのではない。ひとえに、釈迦如来の御魂が私の体に入ったことによるのであろう。

(注:日蓮上人が佐渡流罪を許されて鎌倉に入ったのは、1274年3月のことである。最初の元寇である「文永の役」は、この年の10月である。『撰時抄』は、この翌年の1275年に記されている。なお、二度目の元寇である「弘安の役(1281年)」は日蓮上人が亡くなる前年である)

自分でも喜びが身にあまる。『法華経』の一念三千という大事の法門はこれである。『法華経』に、「いわゆる諸法の是くの如き相」という意味は何か。十如是(じゅうにぜ)の最初の「是くの如き相」が第一の大事であるから、仏は世に出現されたのである。「智人は原因を知り、蛇は自ら蛇を知る」とはこれである。多くの川の水が集まって大海となる。塵が積もって須弥山となる。日蓮が『法華経』を信じ始めた時は、日本においては微細な塵のようであったが、『法華経』を二人、三人、十人、百千万億人が唱え伝えるほどになれば、妙なる悟りの須弥山となり、大いなる涅槃の大海ともなるであろう。仏になる道は、これより他に求めてはならない。

 

つづく

 

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