大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(前半のみ) その1

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経
           唐西天竺沙門 伽梵達摩(がぼんだつま)訳 

(注:『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつこうだいえんまんむげだいひしんだらにきょう)』は、「千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼」、略して「大悲心陀羅尼」あるいは「大悲呪」と言われる陀羅尼について述べられた経典である。この陀羅尼は、『仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)』と『一切如來心秘密全身舍利寶篋印陀羅尼(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに)』と共に、「三陀羅尼」と呼ばれるほど、代表的な陀羅尼である。そして、この経典に、千手観世音菩薩について詳しく述べられている。

内容は難しいものではないので、ひとつひとつの単語の読みや意味は、最低限の解説にしており、単語の読みや意味がわからないところがあっても、気にせず読んでも全体の内容はよくわかると思われる。

なお、この経典の後半は、漢方医学に陀羅尼を呪すことを加えたような内容となるので、前半のみ訳すことにする。)

 

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このように私は聞いた。
ある時、釈迦牟尼仏は、補陀落山(ふだらくせん)の観世音宮殿宝荘厳道場の中におられ、宝の立派な座に座っておられた。その座は無量の純粋な雑摩尼宝を以って厳かに飾られ、百の宝の幢旛(どうばん・飾られた旗のこと)が周りに並べられていた。
その時、如来はその座の上において、まさに総持陀羅尼(そうじだらに)を説こうとされたために、無数の大いなる菩薩たちと共におられた。その菩薩たちの名は、総持王菩薩・宝王菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・華厳菩薩・大荘厳菩薩・宝蔵菩薩・徳蔵菩薩・金剛蔵菩薩・虚空蔵菩薩弥勒菩薩普賢菩薩文殊師利菩薩であった。このような大いなる菩薩たちは、みな仏の位と同等な大法王子である。
また無量無数の大いなる聲聞の僧たちと共におられた。みな阿羅漢を行じ、十地の位にいる摩訶迦葉(まかかしょう)が上首であった。また無量の梵天は、善吒梵摩(ぜんたぼんま)が上首であった。また無量の欲界の諸天子と共におられた。瞿婆伽天子(くばかてんし)が上首であった。また無量の世を守護する四天王と共におられた。持国天が上首であった。また無量の天龍八部衆と共におられた。天徳大龍王が上首であった。また無量の欲界諸天女と共におられた。童目天女が上首であった。また無量の虚空神・江海神・泉源神・河沼神・薬草神・樹林神・舍宅神・水神・火神・地神・風神・土神・山神・石神そしてその宮殿などが集まって一同に会していた。
その時に観世音菩薩は、集まった大衆の中において密かに神通を放った。その光明はあらゆる方角の国土およびすべての世界を照らし、みなそれらを金色に輝かせた。天宮・龍宮・諸尊神宮はみなすべて震動した。江河・大海・鉄囲山・須弥山・土山・黒山もまたみな大いに動いた。太陽や月の光、星の光はすべて見えなかった。この時、総持王菩薩は、このような希有の有様を見て、今までになかったことだと、すぐに座より立って、両手を合わせて合掌し、詩偈を以て仏に次のように質問した。
「このような神通の有様は、いったい誰が放ったのでしょうか」。
さらに詩偈を以て次のように質問した。
「誰かが今日、最高の悟りを開かれたのでしょうか。すべての方向に大いなる光明が放たれました。あらゆる国土はみな金色となり、すべての世界もまたそうです。誰かが今日、自在の力を得たのでしょうか。希有の大神力を行なって、果てのない仏の国土はみな震動しました。龍宮や神宮の宮殿は平穏を失い、今、この大衆はみな疑問を持っています。誰の力によることなのか、知らないからです。
仏よ。菩薩や大聲聞のために、梵・魔・天・諸釈たちのために、ただ願わくは世尊よ、大慈悲を以て、この神通のわけを説いてください」。

仏は、総持王菩薩に次のように語られた。
「善き男子よ、あなた方はまさに知るべきである。今、この大衆の中に、ひとりの大いなる菩薩がいる。観世音自在という。無量劫の昔より今まで、大慈大悲を成就し、大いに無量の陀羅尼門を修習した。あらゆる衆生を安楽にしようと願うために、今密かにこのような大神通力を放ったのだ」。
仏がこの言葉を説き終わった時、観世音菩薩は座より立って、衣服を整え、仏に向かって合掌し、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私に大悲心陀羅尼の呪文があります。今まさに説こうと思います。あらゆる衆生に安楽を得させるためです。一切の病を除くために、寿命を得させるために、富を得させるために、すべての悪業と重い罪を滅ぼし除くために、障害や困難を離れさせるために、すべての正しい教えとあらゆる功徳を増し加えるために、すべての善根を成就させるために、すべてのあらゆる恐れを離れさせるために、速やかにすべてのあらゆる求めを満足させるために。ただ願わくは世尊よ。慈しみ哀れんで聞かれることをお許しください」。

仏は次のように語られた。
「善き男子よ。あなたは大慈悲を以って衆生を安楽にさせようと、神呪を説こうとしている。今まさにその時である。よろしく速かに説くべきである。如来も隨喜し諸仏もまたそうである」。

観世音菩薩はさらに仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私は無量億劫の昔を思い出すに、仏がおられました。その仏が世に出現されて、千光王静住如來と名乗られました。その仏であり世尊は、私を憐み、私のために、そしてすべてのあらゆる衆生のために、この広大円満無礙大悲心陀羅尼を説かれ、金色の手を以って私の頭の上をなでられ、次のようにおっしゃいました。『善き男子よ。あなたはまさにこの心呪を持ち、広く未來の悪しき世のすべての衆生のために、大いに利益と安楽を与えるべきである』。私はその時は、始めて初地の位にいましたが、この呪文を一回聞いたために、第八地の位を超えました。その時、私の心は喜び踊り、すぐに次のような誓願を立てました。『私はこれから、よくすべての衆生を利益し安楽にさせようと願います。そのために今すぐ、私の体に、千手千眼を具足させてください』。この誓願を立て終わったとたんに、体に千手千眼がすべてみな具足しました。あらゆる方角の大地は六通りに震動し、あらゆる方角の千の仏はすべて光明を放って私の身を照らし、さらにあらゆる果てしない世界を照らしました。これ以降、また無量の仏のおられる所、無量の大衆の中において、度重ねてこの陀羅尼を聞くことができ、私もこの陀羅尼を引き継いで受け保ち、また歓喜踊躍を生ずることも無量であり、無数億劫の聖者の生まれ変わりさえ超越することができました。それから今まで、この陀羅尼を常に読誦し保って、忘れたり失ったりすることはありません。この陀羅尼を保つために、生まれ変わっても、必ず常に仏の前に生じることができます。その上、蓮華より化生して、胎から生まれる肉体の身はもはや受けません。
もし、僧侶や尼僧や男女の在家信者、そして男女の子供であっても、この陀羅尼を読誦し保つことを願うならば、あらゆる衆生に対して慈悲心を起こし、まずまさに私に従って、次のような誓願を発すべきです。
南無大悲観世音 願わくはすべての教えを速やかに知ることを。
南無大悲観世音 願わくは智慧の眼を速やかに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速かにすべての衆生を悟りに導くことを。
南無大悲観世音 願わくは良い方便を速やかに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速かに般若(最高の智慧)の船に乗ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに苦しみの海を越えることができることを。
南無大悲観世音 願わくは戒律と禅定の道を速かに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに涅槃(悟りの完成)の山に登ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに涅槃の岸に到達することを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに体自体が真理と同体になることを。
私がもし刀の山に向かうならば、刀の山は自ら折れよ。
私がもし火湯に向かうならば、火湯は自ら消滅せよ
私がもし地獄に向かうならば、地獄は自ら枯竭せよ
私がもし餓鬼に向かうならば、餓鬼は自ら飽きるほど満ち足りよ。
私がもし修羅に向かうならば、その惡しき心は自ら整えられよ。
私がもし畜生に向かうならば、大いなる智慧を自ら得よ。
この誓願を発し終えて、心から私の名前を念じて唱えなさい。またまさに、私の本師である阿弥陀仏をもっぱら念じなさい。その後に、この陀羅尼神呪を読誦しなさい。一晩に読誦すること五遍に達するならば、体の中の百千万億劫の生まれ変わり死に変わりする重い罪を除いて滅ぼすでしょう。」

観世音菩薩は、また仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしあらゆる人や天が、この大悲の章句を読誦し保つならば、その命終わる時に、あらゆる方角の諸仏が来て手を差し伸べるでしょう。ある仏の国土に生まれることを願うならば、その願い通りにみな往生することができるでしょう」。

また仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしあらゆる衆生の中で、大悲神呪を読誦し保っていながら、地獄餓鬼畜生の三悪道に堕ちる者がひとりでもあるならば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者の中で、もし諸仏の国に生まれない者がひとりでもあれば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者の中で、もし無量の三昧(精神統一)や弁才(弁論の才能)を得ない者がひとりでもあるならば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者が、現在の生の中で、その願うところの中で、ひとつでも果たせないことがあるならば、大悲心陀羅尼と名付けることはしません。ただし、不善の心や不誠実な心で唱えることは除きます。
もしあらゆる女人が、賤女身を厭い、男子の身を得ようと願い、大悲陀羅尼の章句を読誦し保った場合、その者の中で、ひとりでも女身を転じて男子の身を得ることができない者がいるならば、私は悟りを得ないと誓います。ただし、少しでも疑う心を生じさせるものは、絶対に結果を遂行することはできません。
もしあらゆる衆生が、日常の必要物を盗んだり損ねたりするならば、たとえ仏の前に千回生まれ変わって懺悔したとしても通用しません。しかし、懺悔してその罪が除かれ滅ぼされない時に、大悲神呪を読誦するならば、すなわち除かれ滅ぼされることができます。もし食べ物を盗んだ場合、あらゆる師に対して懺悔してはじめてその罪が除かれ滅ぼされますが、その時、大悲陀羅尼を読誦するならば、あらゆる師の方から来て、すべての罪と妨げがすべて消滅したことを証明してくれるでしょう。このように、すべての十悪五逆の罪や、人を罵ること、教えを批判すること、集まりを損ねること、破戒、破塔・壊寺・寺の物を盗むこと、清らかな行ないを汚すことなど、このような悪業重罪もすべてみな滅び尽くされます。
ただし、唱えながら疑う心を生じさせる者は除きます。小さな罪や軽い悪業も滅ぼすことはできません。ましてや重罪は言うまでもありません。しかし、重罪を滅ぼすことはできないと言っても、読誦したことで、遠い将来の悟りの原因とはなります。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪