大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  64

『法華玄義』現代語訳  64

 

◎五種の三諦と十如是

五種の三諦(注:二諦は七種類であったが、三諦は俗諦と真諦に加えて中諦があり、蔵教と通教では中道は説かないので、最初からそれを除外して五種類となる)と十如是を比較すると、まず別入通教・円入通教の俗諦は、六道の十如是である。別教・円入別教の俗諦は、共に幻有を俗諦とするが、その幻有の有に執着すれば、六道の十如是となり、無に執着すれば、声聞と縁覚の十如是となる。円教の俗諦は、円融の義において九法界に通じる。そして五種すべての真諦は、みな声聞と縁覚と菩薩の十如是であり、五種すべての中諦は、みな仏界の十如是である。

 

◎五種の三諦と四種の十二因縁

五種の三諦と四種の十二因縁を比較するが、まず俗諦について述べる。別入通教・円入通教の俗諦は、六道の思議生滅の十二因縁と思議不生不滅の十二因縁である。別教・円入別教の俗諦は、有に執着すれば六道の思議生滅の十二因縁と、思議不生不滅の十二因縁における生の面となり、無に執着すれば、声聞と縁覚の思議生滅の十二因縁と思議不生不滅の十二因縁における滅の面となる。円教の俗諦は、円融の義において九法界に通じる。五種の三諦の真諦は、思議生滅の十二因縁と思議不生不滅の十二因縁における滅の面である。またそれは同時に、不思議生滅の十二因縁と不思議不生不滅十二因縁の生の面である。五種の三諦の中諦は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生不滅十二因縁の滅の面である。

 

◎五種の三諦と四種の四諦

五種の三諦と四種の四諦を比較すると(注:原文では、「四種の四諦」とあるが、三諦は蔵教と通教では説かないので、蔵教と通教に関わる「生滅の四諦」は最初から対象外であり、実質的には「三種の四諦」との比較となる)、別入通教・円入通教の俗諦は、無生の四諦の苦諦と集諦である。別教・円入別教・円教の俗諦は無生の四諦の苦諦と集諦と滅諦と道諦であり、また同時に無量の四諦の苦諦と集諦である。別入通教・円入通教の真諦は、ただ空の立場では無生の四諦の道諦と滅諦である。別教・円入別教の真諦は、無生の四諦の道諦と滅諦であるが、無量の四諦においては、苦諦と集諦である。円教の真諦は、無生の四諦においては、道諦と滅諦であるが、無量の四諦・無作の四諦においては、苦諦と集諦である。別入通教の中諦は無量の四諦の道諦と滅諦であり、円入通教の中諦は無作の四諦の道諦と滅諦であり、別教の中諦は無量の四諦の道諦と滅諦であり、円入別教の中諦は無作の四諦の道諦と滅諦であり、円教の中諦はまさしく無作の四諦の道諦と滅諦である。

 

◎五種の三諦と七種の二諦

五種の三諦と七種の二諦を比較すると、まず当然、蔵教と通教の二教は三諦がないので、この二教の二諦は除外される。そして、別入通教・円入通教の俗諦は、五種の三諦における五種の俗諦に当たり、真諦は、空に執着すれば、五種の三諦における真諦に当たり、不空に執着すれば、五種の三諦における中諦に当たる。別教・円入別教・円教の俗諦は、空に執着すれば五種の三諦における真諦に当たり、有に執着すれば、俗諦に当たり、真諦は五種の三諦における中諦である。また、言い換えれば、蔵教と通教は一緒にはできないが、それを除いた五種の二諦の俗諦には、三諦の真諦と俗諦があり、五種の二諦の真諦には三諦の真諦と中諦があるわけである。