大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  70

『法華玄義』現代語訳  70

 

第四.照

諸智を解釈するにあたっての第四は照(しょう・智慧をもってその対象を観じること。智慧を光に喩えるので照らすと表現される)である。もし智によって境を照らし、境によって智を発するならば、有(すべての実在には実体がある)・無(すべての実在には実体がない)・亦有亦無(やくうやくむ・すべての実在には実体がありまた実体はない)・非有非無(ひうひむ)すべての実在には実体があるのでもなくないのでもない)の四句は、すべて実体の中にあることを知る。他に記した通りである。もし四悉檀の因縁をもって境と智を立てれば、ただその名称があるだけである。

問う:智はよく境を照らすのは理解できるが、境もまたよく智を照らすのか。

答える:もしこの世の常識ではなく、不思議の霊的真理によって解釈するならば、互いに相照らすことは意義として問題はない。『仁王般若経』に「智および境について説くことをみな般若(最高の智慧という意味)という」とある。鏡と鏡を照らし合わせると、互いに映し合うことに喩えられる。また大地のひとつの種は芽を生じさせ、またその芽もやがてひとつの種を生じさせるようなものである。また後にこの義を説明するであろう。

(注:ここからは、智が境を照らすことを具体的に説かれている。前にも述べたように、境とは観心の対象であるので、教理そのものが境となる)。

◎二十智(①~⑳)が十如是を照らす

①世智は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の十如是を照らす。

②五停心・四念処(ごじょうしん・しねんじょ)の智、③四善根(しぜんこん)の智、④四果(しか)の智、⑤支仏の智、および、⑦体法声聞の智、⑧体法支仏の智の七つの智慧(注:五停心・四念処・四善根・四果・支仏・体法声聞・体法支仏の七つ)は、声聞と縁覚(=辟支仏)の二乗の十如是を照らす。

六度の智、および、通教の衆生教化のために世に出る⑨体法菩薩入真方便の智、⑩体法菩薩出仮の智の智慧は、さらに上の仏の智慧を求めることにおいては菩薩の十如是を照らし、衆生教化においては六道の十如是を照らす。

⑪別教十信の智と⑫三十心の智の合わせて四十心の智慧については、同じく上の仏の智慧を求めることにおいては菩薩の十如是を照らし、衆生教化においては六道の十如是を照らす。

⑬十地の智ついては、四教の順序に従って照らすとすれば、菩薩の十如是を照らし、四教の順序を超越して照らすとすれば、⑭三蔵仏の智、⑮通教仏の智、⑯別教仏の智の仏の十如是を照らす。

⑰円教五品弟子の智、⑱六根清浄の智、⑲初住より等覚に至る智、⑳妙覚の智の四つの智慧は、みな仏界の十如是を照らす。以上は概略であり、次に詳細を述べる。

◎二十智が四種の十二因縁を照らす

①世智、②五停心・四念処の智、③四善根の智、④四果の智、⑤支仏の智、⑥六度の智および、⑭三蔵仏の智の七つの智慧は、思議生滅の十二因縁の境を照らす。

⑦体法声聞の智、⑧体法支仏の智、⑨体法菩薩入真方便の智、⑩体法菩薩出仮の智、⑮通教仏の智の五つの智慧は、思議不生不滅の十二因縁の境を照らす。

⑪別教十信の智、⑫三十心の智、⑬十地の智、⑯別教仏の智の四つの智慧は、不思議生滅の十二因縁の境を照らす。ただしここでは、別教の修行の段階と円教の修行の段階が相即することは考慮に入れない。

⑰円教五品弟子の智、⑱六根清浄の智、⑲初住より等覚に至る智、⑳妙覚の智の円教の四つの智慧は、不思議不生不滅の十二因縁の境を照らす。

◎二十智が四種の四諦を照らす

①世智、②五停心・四念処の智、③四善根の智、④四果の智、⑤支仏の智、⑥六度の智および、⑭三蔵仏の智の七つの智慧は、生滅の四諦の境を照らす。

⑦体法声聞の智、⑧体法支仏の智、⑨体法菩薩入真方便の智、⑩体法菩薩出仮の智、⑮通教仏の智の五つの智慧は、無生の四諦の境を照らす。

⑪別教十信の智、⑫三十心の智、⑬十地の智、⑯別教仏の智の四つの智慧は、無量の四諦の境を照らす。ただしここでは、別教の修行の段階と円教の修行の段階が相即することは考慮に入れない。

⑰円教五品弟子の智、⑱六根清浄の智、⑲初住より等覚に至る智、⑳妙覚の智の円教の四つの智慧は、無作の四諦の境を照らす。

◎二十智が二諦を照らす

①世智、②五停心・四念処の智、③四善根の智、④四果の智、⑤支仏の智、⑥六度の智および、⑭三蔵仏の智の七つの智慧は、析空の二諦を照らす。

⑦体法声聞の智、⑧体法支仏の智、⑨体法菩薩入真方便の智、⑩体法菩薩出仮の智、⑮通教仏の智の五つの智慧は、体空の二諦を照らす。

⑪別教十信の智、⑫三十心の智、⑬十地の智、⑯別教仏の智の四つの智慧、および、⑰円教五品弟子の智、⑱六根清浄の智、⑲初住より等覚に至る智、⑳妙覚の智の円教の四つの智慧の合計八つの智慧は、中道を明らかにする二諦を照らす。この間にある円入別教については自ずと知るべきである。

◎二十智が三諦を照らす

①世智、②五停心・四念処の智、③四善根の智、④四果の智、⑤支仏の智、⑥六度の智および、⑭三蔵仏の智の七つの智慧は中道がない二諦を照らす。これは因縁によって生じるものであり、俗諦に属する。

⑦体法声聞の智、⑧体法支仏の智、⑨体法菩薩入真方便の智、⑩体法菩薩出仮の智、⑮通教仏の智の五つの智慧は、その中に中道を含んでいる二諦を照らす。これは即空の義によって真諦に属する。

⑪別教十信の智、⑫三十心の智、⑬十地の智、⑯別教仏の智の四つの智慧、および、⑰円教五品弟子の智、⑱六根清浄の智、⑲初住より等覚に至る智、⑳妙覚の智の円教の四つの智慧の合計八つの智慧は、中道を表わす二諦を照らす。これは「すなわちこれは仮名(けみょう)である」、「また中道と名付ける」という二句によって中道諦に属する。

(注:三諦になると、中諦を独立して表現することができるので、その中諦が智慧として、空諦・仮諦の二諦を照らすということであり、一方、二諦においては、中道は真諦に含まれているので、やはり智慧が二諦を照らすと表現されるが、これは三諦の場合と言葉は同じであっても内容は違うのである)。

◎二十智が一実諦を照らす

二十智が一実諦を照らすことにおいては、『大智度論』が四悉曇を説いて、これをすべて実諦としていることを引用すべきである。世界悉檀のゆえに実諦であり、最後の第一義悉曇のゆえに実諦である。まさに知るべきである。実諦という言葉は、また四諦に通じる。生滅の四諦のゆえに実諦であり、無生の四諦のゆえに実諦であり、無量の四諦のゆえに実諦であり、無作の四諦のゆえに実諦である。したがって、三蔵教の七つの智慧は生滅の実諦を照らし、次の通教の五つの智慧は無生の実諦を照らし、次の別教の四つの智慧は無量の実諦を照らし、次の円教の四つの智慧は無作の実諦を照らす。

◎二十智の無諦無照

無諦は文字通り、真理があってないようなものである。もし四種の四諦によって真理を悟るならば、真理においては諦も不諦ないために、無諦に通じる。三蔵教の七つの智慧は生生不可説のゆえに生滅の無諦を照らす。次の通教の五つの智慧は生不生不可説のゆえに無生の無諦を照らす。次の別教の四つの智慧は不生生不可説のゆえに無量の無諦を照らす。次の円教の四つの智慧は不生不生不可説のゆえに無作の無諦を照らす。前の三つの無諦は権であり、最後の無諦は実である。しかし、これはあくまでも真理を言葉に表現したためであり、もし妙を悟った聖人の心の中に照らす次元に立つならば、そこに権と実の区別はないので、非権非実である。子供をしかる時、実際に叩かなくても、手を振り上げて見せて導くようなものである。方便をもって権を説き、方便をもって実を説く。真理の次元においては、権実もないので、非権非実として、これを妙とする。