大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

毘沙門天王功徳経 現代語訳

仏説毘沙門天王功徳経

 

このように仏から聞いた。

ある時、仏が王舎城(おうしゃじょう)の竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)において、大いなる千二百五十人の比丘たちと共におられた。

その時、弟子の阿難(あなん)は一心に合掌して仏に次のように申し上げた。

「どのような因縁で、毘沙門天王は身に金の鎧をつけ、左手に宝塔をささげ、右手に如意宝珠の棒を取り、左右の足の下に羅刹(らせつ)や毘闍舎(びしゃじゃ)の鬼を踏みつけているのですか」。

仏は阿難に次のように語られた。

「この毘沙門天王は、七万八千億の諸仏を護衛し、仏法を守る兵士である。左手にささげる宝塔は普集功徳微妙(ふしゅうくどくみみょう)という。宝塔の内には八万四千の法蔵、十二部経(じゅうにぶきょう・すべての経典を指す)の文の義を具し、それを見る者は明らかに無量の智慧を得る。

右手の如意宝珠の棒を取るのは、震多摩尼珠宝(しんだまにしゅほう・如意宝珠を古代インド語でチンターマニといい、その音写語)という。この珠より、飲食や衣服をはじめ、無量の財宝が涌き出る。身に金の鎧をつけているのは、四魔(人を惑わす四つの魔。認識作用の魔である五陰魔、煩悩魔、死魔、悪魔)の軍を打ち破るためである。二匹の鬼は、悪い業と煩悩を降伏するために踏みつけているのである。また従者としての鬼が二匹いる。藍婆(らんば)と毘藍婆(びらんば)という。また毘沙門天王の左脇に天女がいて、大吉祥天女(だいきっしょうてんにょ)という。右脇に一人の童子がいて、禅尼子童子(ぜんにしどうじ)という。

毘沙門天王の体を見て、名を聞いて心に念ずる者は、八万億劫の生死の微細の罪を除き、百千億の功徳を得て仏位に至り、今の世では無量の福を増し加える。

さらに仏は阿難に次のように語られた。

毘沙門天王に仕える者は、次の十種の福を得る。

一に無尽の福を得る。二に多くの人々から愛し敬われるという福を得る。三に智慧の福を得る。四に長命の福を得る。五に多くの者を従えるという福を得る。六に戦いに勝つという福を得る。七に田畑がよく実るという福を得る。八に蚕養が盛んになるという福を得る。九に良い教えを受ける福を得る。十に仏の悟りと同じ究極的悟りの福を得る。

毘沙門に仕えることを願う者は、毎月最初の三日に、身を清め新衣を着て、東北の方に向かって、毘沙門天の名号を称え念じれば、必ず大福徳を得ること疑いなし」。

そして仏は次の呪文を唱えられた。

「おんべいしらまなやそわか」

仏がこの呪文を説き終わった時、大地は震動し、毘沙門天王が現われ、大いなる蓮華王の上に座し、そして阿難に次のように語られた。

「私はここより北方七万八千里を過ぎたところにある普光という国の、吠室羅摩那郭大城(べいしらまなかくだいじょう)という城にいる。そこに八十億那由陀(なゆた・数えきれないほどの量を指す)の大いなる福が集まっており、私は毎日三時にその福を焼く。私のその福を得ようと願うなら、五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒)を保ち、仏・法・僧の三法に帰して、無上の悟りを求めよ。そうするならば、私は必ず与え、すべての毘沙門天の福を成就することができる。その願いは、次の五種であるべきである。一は父母孝養のために、二は良い結果を招く功徳のため、三は国土豊穣のため、四はすべての人々のため、五は無上の悟りのためである。もしこの五種以外を願っても福は得ることはできない。

人は死は免れないが、貧しさの苦しみは受けるべきではない。人々の苦しみの原因はただ貧しさの苦しみだけである。

福徳を得ようとするなら、北東に向かって名号を一百八遍称えれば、大福徳を得るであろう。智慧を得ようとするなら、東方に向って名号を一百八遍称えれば、大智慧を得るであろう。官位を得ようとするなら、南東に向って名号を一百八遍称えれば、官位を得るであろう。よき妻子を得ようとするなら、南方に向って名号を一百八遍称えれば、よき妻子を得るであろう。長命を得ようとするなら、西南に向かって名号を一百八遍称えれば、長命を得るであろう。多く従者を得ようとするなら、西方に向って名号を一百八遍称えれば、多くの従者を得るであろう。多くの人々から愛し敬われようとするなら、北西に向かって名号を一百八遍称えれば、多くの人々から愛し敬われるであろう。さまざまな願い事を得ようとするなら、北方に向かって名号を一百八遍称えれば、みなことごとく成就するであろう。

仏がこの経を説き終わると、千二百五十人はみな大いに歓喜し、信じ受け謹んで行なった。

仏説毘沙門天王功徳経