大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『観心本尊抄』 4

観心本尊抄』解説および現代語訳 4

 

仏の道において人には二種ある。一つは仏から直接『法華経』を聞いて仏の道を得る者であり、二つは仏に会ってはいないけれども、『法華経』を読んで仏の道を得る者である。さらに仏教が起こる以前は、中国の道士やインド古来の宗教の者(=外道・げどう)においては、儒教バラモン教聖典をもって教えとして、真理を見るようになった者もいる。また、能力の高い大乗仏教の者たちや一般人たちは、『華厳経』や方等経(注:これは経典名ではなく、方等教に分類される経典類を指す)や『般若経』などの大乗経典を教えとして、『法華経』に記されている過去仏である大通智勝如来の時に受けた縁を表わした者たちが多い。たとえば、縁覚は自分で自然界の無常を見て、釈迦仏の教えを受けずに悟りを開いたようなものである。過去の『法華経』との結縁(けちえん・関係を結ぶこと)がない者は、仮のものや小乗に執着し、たとえ『法華経』に会っても、その誤った見解から出ることができない。これは、自分の見解を正しいとするために、かえって『法華経』を小乗の経典に同じとし、あるいは『華厳経』や『大日経』などに同じとし、あるいはそれ以下だとする。これらの諸師は儒家や外道の賢聖(けんしょう・賢人や聖人)より劣った者である。今はこれ以上言わない。

十界互具の教えは、石の中に火があるとし、木の中に花があるとするようなもので、とても信じがたいことであっても、過去の『法華経』との縁をもってこの世に出生すれば、これを信じることができるのである。人界に仏界が備わっているということは、水中の火、火中の水、最も信じがたいことである。そうは言っても、竜の火は水より出で、竜の水は火より生じるという。納得いかなくても現実の証があれば、これを用いるべきなのである。すでに人界に他の八界(注:質問者は仏界が備わっているということだけはわからないと言っているので、十界から自分自身の人界と仏界を除いた「八界」とここで表現しているのである)が備わっていることを信じることができれば、仏界も備わっているということをなぜ受け入れないのだろうか。中国の尭舜(ぎょうしゅん・理想的な王とされた尭と舜のこと)などの聖人は、万民に対して平等に徳を施した。まさにそれは人界における仏界の一分と言える。『法華経』にある常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、会う人ごとに、その中に仏身を見た。釈迦仏は、悉逹太子と生まれて仏になったのだから、人界より仏身を成就したことになる。これらの現実の証をもって信じるべきである。

問う:「これから述べる箇所は秘密とせよ」(注:この問いの箇所はかなり長い。そしてこの箇所の最初に「此より堅固に之を秘す」という言葉がある。かなり辛辣かつ具体的に反論が記されているので、初心者の心をかえって乱してしまうことを著者自身の日蓮上人は心配したのであろう)。

教主である釈迦仏は、三惑(さんわく)をすでに断じ尽くした仏である。(注:三惑とは、煩悩を見思惑、塵沙惑、無明惑の三つに分けたもの。天台教学において煩悩をこのように表現する。見思惑(けんじわく)は、見惑と思惑(しわく)に分けられ、見惑は、後天的に得た誤った考えのことであり、思惑は、生まれながらに持つ迷いのことである。塵沙惑(じんじゃわく)は、人々を教化する際に障害となる無数の迷いのことであり、無明惑(むみょうわく)とは、過去世からの業の迷いのことである)。また仏はあらゆる世界のまことの国主であり、すべての菩薩や声聞と縁覚の二乗や人や天などのまことの主君である。行く時は梵天(ぼんてん)が左にあって帝釈天(たいしゃくてん)が右にあって仕え、僧侶や尼僧や在家信者や天龍八部衆が後に従い、執金剛神(しゅうこんごうじん・いわゆる仁王のこと)が前を導き、八万もあるとする教えの蔵を開いて説法し、すべての衆生を悟りに導く。このような仏が、どうして私たち一般人の心に住んでいるのだろうか。

また、『法華経』の前半である迹門(しゃくもん)にある昔についての記述を基に述べれば、教主である釈迦仏は、この世で初めて悟りを開いた仏である。その悟りの因となった過去世における修行のことを見れば、ある時は能施太子(のうせたいし・人々に施しを良くした王子)となり、ある時は儒童菩薩(じゅどうぼさつ・自らの体を仏の通る道として身を投げるほどの行ないをした)となり、ある時は尸毘王(しびおう・自分の眼球までも人に施した王)となり、ある時は菩薩や王子となり、あるいは三祇百劫(さんぎひゃっこう・小乗教において悟りを得るまでの修行の期間)、あるいは動逾塵劫(どうゆじんごう・菩薩が修行を完成させるまでの期間)、あるいは無量阿僧祇劫(むりょうあそうぎこう・菩薩が究極的な仏になるまでの期間)、あるいは初発心時(しょほっしんじ・本仏の釈迦が初めて悟りを求める心を起こした遠い昔)、あるいは三千塵点劫(さんぜんじんてんごう・『法華経』を説いた大通智勝仏から釈尊までの間。いずれも人が測り知ることのできないほどの長い期間を指す)の間、七万、五千、六千、七千などの仏を供養し、長い間修行を積んで今の教主である釈迦仏となった。このような悟りの因となる多くの修行は、この私たちの心の中に備わっている菩薩界の功徳だろうか。

さらに修行の果をもって述べれば、教主である釈迦仏はこの世で初めて悟りを開いた仏であり、約四十年の間、四教(しきょう・天台大師の立てた経典の分類方法による四つの教え。蔵教(ぞうきょう)、通教(つうぎょう)、別教(べっきょう)、円教(えんぎょう)となる。『法華経』は円教である)における姿形を現わし、『法華経』以前の教えと『法華経』の前半である迹門の教えや、釈迦仏が最後に説いたとされる『涅槃経』などを説いて、すべての衆生を導いた。

(注:これに続いて、「五時」の教えに触れる箇所となるので、先に五時について説明する。上にあげた四教は、経典の内容によって四つに分類した形であるが、この五時は、経典が説かれたとされる順番を五つに分けた分類である。しかし、前にも述べたように、明治以降、大乗経典は歴史的釈迦の教えではないことが明らかとなったので、この五時の分類は、歴史的に見れば誤りである。しかしこれを理解しなければ、天台教学は理解できないので、しっかりと認識しておく必要がある。最初に釈迦は『華厳経』を説いたとされ、それが①「華厳時(けごんじ)」である。次に、『阿含経』などの「阿含経典類」が説かれた時であり、これは初歩的な教えとされ、その説かれた場所がおもに鹿野園(ろくやおん)という場所であったことから、②「鹿苑時(ろくおんじ)」という。この教えが最もレベルが低いとされ、四教の分類では「蔵教」にあたるが、皮肉なことに、歴史的釈迦の教えはこの教えとほぼ一致している。逆に言えば、真実の経典の説かれた順番を知らなかった天台大師が、しっかりと歴史的釈迦の教えを他の大乗経典と分離しているところは、さすがに感心するとしか言いようがない。次に、ほとんどの大乗経典が該当する③「方等時(ほうとうじ)」であるが、「方等」とは広大平等という意味であり、大乗仏教の教えが小乗に比べて広大平等だとされたので、このように呼ばれる。次に『般若経』などの「般若経典類」が説かれた時の④「般若時(はんにゃじ)」である。「般若経典類」は「空」の思想を説いており、空の教えこそ、大乗仏教の根幹をなすものであるので、他の大乗経典が説かれた時とは別に、この「般若時」を設けたと考えられる。そして、最後が『法華経』と『涅槃経』が説かれた⑤「法華涅槃時(ほっけねはんじ)」である。教学的には、『法華経』で完了されたとするが、やはり『涅槃経』は、釈迦が亡くなる、つまり涅槃に入る直前に説いた経典であるので、最後に置かねばならず、このように名付けられたのである。しかし『涅槃経』では、「仏性」について述べられており、『法華経』を補う経典とされる)。

具体的に言うならば、釈迦仏が最初の『華厳経』を説いた「華厳時」では、あらゆるところに分身として現わされた仏の中央の台の上に座り、続く『阿含経』などを説いた「鹿苑時」では、三十四心(四教の最初の蔵教の段階の八忍八智九無碍九解脱を合わせて三十四心という)において煩悩を断じた仏となり、続く主要な大乗経典を説いた「方等時」や『般若経』を説いた「般若時」では千の仏、『大日経』や『金剛頂経』などの千二百あまりの仏、ならびに迹門の「見宝塔品」にある四つの国土の姿形、『涅槃経』の丈六の仏、あるいは小身大身と現われ、あるいは盧舎那仏(るしゃなぶつ)を現われ、あるいは身は虚空と同じであるとする。これらの四教における仏の体にはじまって、八十歳で入滅して、その骨である舎利をもってまでして、仏は正法、像法、末法の人々を導くのである。

さらに『法華経』の後半である本門をもって述べれば、教主である釈迦仏は、数えきれないほどの昔にすでに仏となったのであり、仏となる前の期間もこれと同じく数えきれないほどの歳月の長さであった。さらに仏となってからは、あらゆる世界に分身し、一代の聖い教えを説いて、塵の数ほどの衆生を教化した。本門で説かれる仏が教化した衆生の数と、迹門で説かれる仏が教化した衆生の数を比較すれば、一滴の水と大海、一塵と大山のようになる。本門の一人の菩薩を、あらゆる世界にいる迹門の文殊菩薩や観世音菩薩たちに比較すれば、猿と帝釈天に比較することにも及ばない。

そのほか、あらゆる世界にいる煩悩を断じて悟りを開いた声聞と縁覚の二乗、ならびに梵天帝釈天、日月、四天、四輪王、さらに無間地獄の大火炎など、これらはみな、私たちの一念に備わっている十界だろうか。また、自分の心の三千世間だろうか、このようなことがいくら仏の説いた教えだとしても、とうてい信じることはできない。

このことをもって思えば、『法華経』以前の諸経典の教えの方が真実味であり、事実の教えと思われるのである。『華厳経』に「悟りを開き、虚妄を離れ、煩悩の汚れがないのは虚空のようだ」とある。『仁王経』に「源を究め、本性を尽くして妙智がある」とある。『金剛般若経』に「清浄の善のみあり」とある。馬鳴(めみょう)菩薩の『起信論』に「如来蔵(=仏性)の中に清浄の功徳だけがある」とある。天親(てんしん)菩薩の『唯識論』に「煩悩と、まだ中途半端に煩悩を抑制しているだけの状態は、金剛のような完全な禅定が成就する時、完全な円のような輝く純浄の本識に入る。これは人間によることではないので、本識によって煩悩は完全に断じ尽くされるのである」とある。このように、『法華経』以前の経論と、『法華経』とを比較すると、以前の経論の教えは無数であり、説法の時も長い。同じ仏の教えだとするならば、以前の経論に従うべきであろう。

馬鳴菩薩は『付法蔵因縁伝』第十一によれば、仏から授記を受けている者であり、天親は千部の論師であり、真実の拠り所となる大士である。天台大師は辺鄙の小僧にして自らは一論も記していない(注:天台大師の教えのほとんどは、弟子の章安灌頂が講述筆記をして多く残されている。しかし、直接記された論書もある)。誰がこれを信じるであろうか。その上、多を捨てて小につくとしても、『法華経』の文が明らかならば少し考えるところもあるだろうが、『法華経』の文のどこに、十界互具・百界千如・一念三千などの明らかな根拠となる文があると言うのか。実際に『法華経』の経文を開いてみると、「仏はあらゆる悪を断じられた」とあるので、「仏界」に悪が備わっているとは思えない。天親菩薩の『法華論』にも、堅慧菩薩の『宝性論』にも十界互具は説かれておらず、中国の南北の諸師たちや日本の七寺の諸師の中にもこれを説く者はいない。ただ天台大師一人の偏った見解であり、伝教大師が誤って伝えたものである。このために、清涼国師(澄観・ちょうかんのこと。中国の華厳宗の僧)は「天台大師の誤りである」と言っている。また慧苑法師は「天台大師は小乗を三蔵教としているが、それは誤りである」と言っている。また了洪は「天台大師は華厳経の意義を究めていない」と言っている。また徳一は、「智顗は愚かであり、誰の弟子なのか。三寸足らずの舌をもって尊い仏の所説である教えを批判している」と言っている。弘法大師は「中国の人たちは、争って醍醐という言葉を盗んで各自の宗の教えに当てはめている」と言っている。

このように一念三千の法門は、釈迦仏一代の「権」と「実」の教えにもなく、多くの人の拠り所となっている諸論師もその教えを説いておらず、中国や日本の諸師もこれを用いていない。どうして信じることができようか。

答える:この非難は最も甚だしい上に甚だしい。この諸経典と『法華経』との相違は経文によって分明である。『法華経』は、未だ明らかにされていなかった真理を説くのであり、多宝如来によって正しいと証明されたのであり、如来の広く長い舌の相が現わされ、声聞と縁覚も成仏することが説かれ、仏が永遠の昔に成仏したということを明らかにしているのである。

そして、諸論師のことについては、天台大師は「天親、龍樹は、真実を内に秘めていたが、それを時代に合わせて説いたのである。しかし、人や論師は偏って解釈し、学者も自らの主張に執着し、論争を巻き起こしてそれぞれその一辺を保って、大いに聖道に背いてしまった」と言っている。章安灌頂は「インドの大いなる論書も天台大師に及ばない。ましてや中国の諸師についてはわざわざ語る必要もない。これは高慢で言っているのではなく事実である」と言っている。

天親、龍樹、馬鳴、堅慧たちは、内には真理を明らかに悟っていたが、時が至っていなかったので、これを述べなかったのである。その他の諸師については、天台大師以前は、内に真理を秘めている人もいたが、それを知らない者もいたのであり、天台大師以降は、最初は反対しても、後に受け入れた人もいれば、最後まで一向に受け入れない者たちもいた。

ただし、「仏はあらゆる悪を断じられた」の経文については明確にしなければならない。この『法華経』の経文は、『法華経』以前の教えについて述べている箇所である。『法華経』の経文をよく見るならば、明らかに十界互具を説いている。いわゆる「衆生に仏の知見を開かせることを願う」とある。天台大師はこの経文について「もし衆生に仏の知見がもともと備わっていなければ、どうしてそれを開くことを述べる必要があるだろうか。まさに知るべきである。仏の知見はすでに衆生に備わっているのである」と述べている。また章安灌頂は「衆生にもし仏の知見がなければ、どうしてそれを開いて悟ることができるだろうか。もし貧しい女が蔵を持っていなければ、それを示すことなどできないではないか」と言っている。

ただし、理解しがたいことは、上に述べられたように、教主である釈迦仏が自分の心に住んでいるということである。このことをあらかじめ仏は、「この言葉は最も信じがたく理解しがたい」と述べている。そしてそれに続いて述べられている六難九易(ろくなんくい・法華経を広めることは非常に難しいということを六つの事例をあげて述べ、それらに比べれば、一般的に難しいとされることも容易なのだということを九つの事例をあげて述べられている箇所)をもって具体的に述べているのである。天台大師は「『法華経』の迹門と本門の二門の教えはすべて昔の教えと反しているので、信じがたく理解しがたい。まさに鋒(ほこ)に当たるほどの難事である」と述べている。また章安灌頂は「仏はこの『法華経』の教えを大事としている。それがなぜ理解しやすいだろうか」と言っている。また伝教大師は「この『法華経』は最も信じがたく理解しがたい。仏が自らの悟りを表現した言葉だからである」と述べている。そもそも仏が入滅してから一千八百年あまり、インド、中国、日本の三国を経て、ただ三人だけが、正しい教えを悟っているのである。それは、インドの釈迦仏であり、中国の天台智者大師であり、日本の伝教大師最澄であり、まさにこの三人は仏教経典における聖人と言うべきである。

(つづく)