大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  79

『法華玄義』現代語訳  79

 

第二.展転して相照らす

境に対して智を述べる第二は、「展転して相照らして境に対する」である。

これまで述べて来た十如是・十二因縁・四諦・二諦・三諦・一諦の六つの境に対する智は、またそれぞれ他の境も照らすのである。

(注:ここではさまざまなパターンが記されているので、整理するために①・②と番号をつける)。

①下智である思議生滅の十二因縁と、中智である思議不生滅の十二因縁は、六道の十如是の性・相から本末等を照らす。下智と中智によって十二因縁の滅を観心すれば、声聞と縁覚の二乗の十如是の性・相から本末等を照らす。上智は菩薩の十如是の性・相から本末等を照らし、上上智は仏法界の十如是の性・相から本末等を照らす。

②四種の四諦の智が、十法界を照らすことについて述べれば、生滅の四諦と無生の四諦の苦諦と集諦の智は、六道の十如是の相・性を照らし(注:六道の苦の現実を照らすということ)、生滅の四諦と無生の四諦の道諦と滅諦の智は、二乗の十如是の相・性を照らす(注:この智が六道の苦の現実の解決をもたらす二乗の境を照らすということ)。無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦の智は、菩薩界の性・相から本末等を照らし(注:世間において衆生を教化するため)、無量の四諦と無作の四諦の道諦と滅諦の智は、仏法界の相・性から本末等を照らす(注:究極的な悟りの世界を照らすこと)。

③四種の四諦の智が、四種の十二因縁を照らすことについて述べれば、生滅の四諦と無生の四諦の苦諦と集諦の智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らす。生滅の四諦と無生の四諦の道諦と滅諦の智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らす。無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦の智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁を照らす。無量の四諦と無作の四諦の道諦と滅諦の智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らす(注:これは単に相互対照ということで理解できる)。

④七種の権・実の二智が十法界を照らすことを述べれば、生滅の四諦(注:ここは蔵教と記さねばならない)と無生の四諦(注:ここも通教と記さねばならない)の二つの権智、および別入通教と円入通教の二つの権智を合わせた合計四つの権智は、六道の十如是の相・性を照らす(注:別入通教と円入通教の権智はあくまでも通教だから。一方、実智は下記のようにそれぞれ異なる)。生滅の四諦と無生の四諦の実智は、二乗の十如是の相・性を照らす。別教と円入別教の権智は、有の面では六道の性・相を照らし、無の面では二乗の性・相を照らす。円教の権智は、九界の性・相を照らす。別入通教の実智は、空の面では二乗の性・相を照らし、不空の面では菩薩界の性・相を照らす。円入通教の実智は、空の面では二乗の性・相を照らし、不空の面では仏界の相・性を照らす。別教の実智は菩薩界の性・相を照らす。円入別教の実智と円教の実智は、共に仏法界の相・性を照らす。

⑤七種の権・実の二智が四種の十二因縁を照らすことを述べれば、蔵教・通教・別入通教・円入通教の四つの権智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らす。別教・円入別教の権智は、有の面では思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らし、無の面では思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らす。円教の権智はすべてに通じる。別入通教の実智は、空の面では思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らし、不空の面では不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らす。別教の実智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らし、円教の実智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅などを照らす(注:この円教の実智の場合は、原文には「滅等」とあるが、これは、権智と同様、すべてに通じるという意味と解釈できる。つまり円教においては、その智が照らす境には滅もないということである。また、この⑤の段落には蔵教と通教と円入通教の実智の記述がないが、十二因縁はもともと生の面のみで滅の面は含んでいないので、蔵教と通教は本来権実の区別は立てられないと解釈でき、また円入通教の実智は結局円教なので、円教と同じということと解釈できる)。

⑥蔵教・通教・別入通教・円入通教の四つの権智は、生滅の四諦と無生の四諦の二つの苦諦と集諦を照らし、また、別教・円入別教・円教の三つの権智は、無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦を照らす。蔵教・通教の実智は、生滅の四諦と無生の四諦(注:原文では、十二因縁において用いられる「思議」という言葉が使われており、それでも意味は通じるが、混乱するので、それに相当する四諦に直した)の二つの道諦と滅諦を照らす。また別入通教・円入通教・別教・円入別教・円教の五つの実智は、無量の四諦と無作の四諦(注:原文では上記と同様に、「不思議」という言葉を、それに相当する四諦に直した)の二つの道諦と滅諦を照らす。

⑦五種の三智が十法界を照らすことを述べれば、五種の道種智は、六道の性・相から本末等を照らす(注:道種智は衆生を教化するための智慧であるから迷いの衆生を照らすから)。五種の一切智は、二乗と菩薩の性・相から本末等を照らす(注:一切智は真理を見抜く智慧であるから)。五種の一切種智は、仏法界の十如是の性・相から本末等を照らす(注:五種の教えは、すべて究極的な一切種智に至るから)。

⑧また、五種の三智が四種の十二因縁を照らすことを述べれば、五種の道種智の智慧は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らす(注:これも迷いの世界を照らすこと)。五種の一切智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らし(注:迷いが真理の智慧によって照らされれば、迷いは滅びるしかないため)、また不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁を照らす。五種の一切種智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らす(注:究極的な仏の智慧においては、すべては寂滅する)。

⑨五種の三智が四種の四諦を照らすことを述べれば、五種の道種智は、生滅の四諦と無生の四諦の苦諦と集諦を照らし、五種の一切智は、生滅の四諦と無生の四諦の道諦と滅諦を照らし、また、無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦を照らす。五種の一切種智は、無量の四諦と無作の四諦の道諦と滅諦を照らす。

⑩五種の三智が七種の二諦を照らすことを述べれば、五種の道種智は、蔵教・通教・別入通教・円入通教の四つの俗諦を照らす。五種の一切智は、蔵教・通教の真諦を照らし、また、別教・円入別教・円教の三種の俗諦を照らす。五種の一切種智は、別入通教・円入通教・別教・円入別教・円教の五種の真諦を照らす。

⑪一つの如実智は、仏界の十如是の性・相を照らし、また不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁を照らし、また無作の四諦を照らし、また五種の真諦を照らし、また五種の中道第一義諦を照らす。

⑫無諦無説は、十法界の相・性の十如是と一体であり、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅と一体であり、生生・生不生・不生生・不生不生と一体であり、真諦の無言説と一体であり、中道の非生死・非涅槃と一体である(注:如実智までは智慧である限り、照らす対象があるが、無諦無説は真理と智慧が一体化していることであるので、自ら智であり自ら境である。これが次に示される「妙」ということである)。

このような諸智は、それぞれ諦を照らす。諦がもし融合すれば、智も融合する。智と諦が融合することを妙と名付ける。このようなことは、みな方便の言説であるので、妙は同時に不妙というのであり、真理を見る時は、権と実、非権と非実もなく、また妙と不妙もない。このために妙というのである。

七種の二諦、五種の三諦は、さらに別入通教・円入通教・円入別教がある通り、互いに融通する。他の諸境にもまたこの意義がある。七種の二智、五種の三智は、すでにここまで見てきたように、互いに融通しているので、他の諸智にもまたこの意義がある。これらを参考にして自ら知るべきである。

(注:ここで、智妙は終わる)。