大乗経典と論書の現代語訳と解説

法華経と法華玄義などの経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳 132

『法華玄義』現代語訳 132

 

◎「神通妙」について詳しく述べる

(注:「迹門の十妙」の中の「A.4.2.b.②.(1).Ⅳ広解」の中の、第七番めである「神通妙」の段落となる)

第七に、「神通妙(じんつうみょう)」について述べるが、これについて、四つの項目を立てる。一つめは①「次第」を明らかにし、二つめは②「名数」を明らかにし、三つめは③「同異」を明らかにし、四つめは④「麁」と「妙」を明らかにする。

 

①「次第」を明らかにする

「神通妙」について述べるにあたっての一つめは「次第」である。「次第」とは、前に述べた「感応妙」の意義を受けて次に述べるという意味である。「感応」は、ただその「機」の生じる相と、「応」の赴く相を論じるものである。正式に、仏の教化の働きが他の人々を利益することを述べるならば、すなわち「身輪(しんりん)」「口輪(くりん)」「他心輪(たしんりん)」のことである。『法華経』の「観世音菩薩普門品」には、この内の二つの文があるが、そこにはこの三つを兼ねている。「(観世音菩薩が)娑婆世界に遊ぶ」とあるのは「身輪」のことであり、「その者のために説法する」とは「口輪」のことである。蓮華が大きく咲いているのを見て、池の水が深いことを知るようなものである。もし説法が偉大であれば、その「智慧」も偉大であることを知る。このために、この二つの「輪」は「他心輪」を兼ねて示している。

また、「化他」は多く「身輪」と「口輪」を示し「他心輪」を示すことは少ない。数からすれば、二つしかなく、「他心輪」はない。『維摩経』に「それを見聞する者はすべてみな悟りを得る」とある。「身輪」を示すとは、すなわち悪を破る「薬樹王身」であり善を生じさせる「如意珠身」を示す。「口輪」を示すとは、すなわち悪を破る毒の太鼓と善を生じさせる天の太鼓を示すことである。これは「慈悲」が身と口に現われれば、二つの身と二つの太鼓が挙げられるのである。

もし「他心輪」を示すならば、「随自意」「随他意」を示すことである。またこれは「行妙」で述べた「病行」「嬰児行」と同じである。前の「感応妙」で「機」と「応」が互いに関係し合うことを述べたが、それでも「妙」である真理は現われることは難しい。そのために、仏は神通力を発動して、すばらしい相を顕わして、それによって密かに真理を表わすのである。世の人は、蜘蛛の巣があれば良いことがあり、かささぎが鳴けば旅人が来るという。小さい事ですら、このような表われがあるならば、大いなる真理については、その兆候がないわけがあろうか。身近なことを通して偉大なことを表わすこともこのようである。

 

②「名数」を明らかにする

「神通妙」について述べるにあたっての二つめは「名数」である。諸経に記されている神通の名称と数は同じではない。ここでは六種にまとめる。「天眼(てんげん)」、「天耳(てんに)」、「他心(たしん)」、「宿命(しゅくみょう)」、「如意身通(にょいしんつう)」、「無漏(むろ)」などである。

(注:この六種を六神通という。天眼通は、すべての物ごとを見通す力。天耳通は、あらゆる音を聞き分ける力。他心通は、他人の心を知る力。宿命通は、前世を知る力。如意身通は、あらゆる所に身を現わす力。無漏通は、すべての煩悩を滅したことにより生まれ変わりから解放されている力)。

これらをみな「神通」というのは、『瓔珞経』に「(神通の)神は天心によって名付けられ、通は慧性によって名付けられる」とあることによる。「天心」とは、自然そのままの心のことである。「慧性」とは、妨げのない活動である。『阿毘曇論』に「通を妨げる無知がもしなくなれば」とあるのは、すなわちこの「慧性」を発することである。まさに知るべきである。自然そのままの活動は、上にあげた六種と相応して、よく転変自在となる。このために「神通」と名付けるのである。『地持経』の「力品」には「(神通の)神は測ることができないことをいい、通は妨げがないことをいう」とある。この解釈は『瓔珞経』と同じである。「天心」は測ることのできないという意味であり、「慧性」は妨げがないということである。

しかし、この六種は、修される場合に時間の経過とは関係なく、証される場合に順番はなく、用いられる場合は時に任せられる。このため、あらゆる経典に記される順番などは同じではない。『大智度論』に「幻術は偽りの法である。草木を通して人の目を惑わしても、それは実物を変えることではない」とある。しかし神通はそうではない。実物を変える道理によるものであり、実際に物を変化させる。地が水となるならば、それは道理によるものであり、水に地となる意味があるからである。金銀は火の中に入れば溶け、水は非常に寒い所に置かれれば凍る。火と寒さは溶かしたり固まらせたりする法である。固まる時には固まり、溶ける時には溶ける。もし自然そのままの活動を得れば、転変自在である。火と寒さは、実際に他の物を変化させることができる。これは「果報」などではなく、ただ「神通」が一時、作用しただけのことである。

(注:一般に神通力などというと、それこそ、ここに記されている幻術のようなものを連想する人が多いと思うが、天台大師はそうではなく、むしろ今でいう科学的な法則にそったものであると言っている。それは実際に物事そして人々を変えることができるものであり、決して、この世の法則、そして霊的法則を無視したものではなく、むしろその真理の法則の表われだというのである。人が悟るのも、また救われるのも、このような真理の法則によってこそ意義があるのであり、一時的な気休めや自己満足には全く意味がないのである)。