大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳 137

『法華玄義』現代語訳 137

 

〇追加箇所

(注:この箇所も、内容的には「a.説法の名称を解釈する」の段落の中にあることは間違いないが、ここまで分けられた段落と、そのほとんどの内容が重複している。このようなことから、この箇所は、章安の私記的な内容か、メモ的なものが混入したとも考えられる)。

説法の名称を解釈することについては、以前にすでに述べた通りであるが、ここで、各名称そのものについて書き記すと、互いに同じではない。翻訳と解釈に多くの違いがある。ここでは『大智度論』によって、名称を書き記せば、次の通りになる。

第一は「修多羅」である。漢訳すれば「法本」または「契経(かいきょう)」また「線経」などという。第二は「祇夜」である。漢訳は「重頌」という。偈をもって修多羅を頌すのである。第三は「和伽羅那(わからな)」である。漢訳では「授記」という。第四は「伽陀(かだ・他の箇所では偈陀とも表記されている)」である。漢訳は「不重頌」といい、また略して「偈」とのみいう。『涅槃経』の「四句」を「頌」とする。この国における詩偈のようなものである。第五は「優陀那(うだな)」である。漢訳では「無問自説」という。第六は「尼陀那(にだな)」である。漢訳では「因縁」という。第七は「阿波陀那(あわだな)」である。漢訳では「譬喩」という。第八は「伊帝目多伽(いたいもくたか)」である。漢訳では「如是語(にょぜご)」といい、また「本事」という。第九は「闍陀伽(じゃたか)」である。漢訳では「本生」という。第十は「毘仏略(びぶつりゃく)」である。漢訳では「方広」という。第十一は「阿浮陀達摩(あふだだつま)」という。漢訳では「未曾有」という。第十二は「優波提舎(うばだいしゃ)」である。漢訳は「論義」という。

十二部経の「部」とは、部別という意味であり、それぞれ同類のものということである。「経」とは、古代インド語で「修多羅(注:スートラの音写語)」といい、漢訳して「線経」という。線はものに開けた穴を貫通し、経は経糸(たていと)のことであり、緯(い・横糸のこと)と交わる。言い表すところは、よく教えを保つことは、線のようであり経のようであるということである。しかし『阿毘曇雑心論』の中に、「修多羅」において五つの意義を説くことは、その論師の解釈した意義であり、言葉の翻訳ではない。世俗でも、「緯」に対するものとして「経」と名付け、「経」を訓じて「常」とする。物質は時間の流れにおいて、最初と最後の時間は違っても、物質に違いは見られないならば、異なることがないという意味から「経」を「常」とするのである。

「修多羅」とは、諸経の中における仏が直接説いたものである。いわゆる『四阿含(しあごん・阿含経は大きく四つに分類されるのでこのように名付けられる』、および『二百五十戒』、そして三蔵教以外の大乗経典における仏が直接説いた教えを、すべて「修多羅」と名付ける

「祇夜」とは、諸経の中の「偈」である。四・五・七・九言の句、その句の数は不定である。重ねてすでに述べた内容を頌するものは、みな「祇夜」と名付ける。

「和伽羅那」とは授記のことである。声聞と縁覚と菩薩の三乗と六趣(ろくしゅ・輪廻転生するとされる六道のこと)を合わせた九道の者に対して、長い劫(こう・測ることのできないほど長い時間)を経た後、まさに仏になるということ、あるいは、歳月の後に声聞や縁覚になるということ、あるいは、歳月の後に六趣の報いを受けることになる、ということなどを説くことを、みな「授記」と名付ける。授記を説く時は、仏はその口から五色の光を放ち、上の犬歯から出る光は三悪道を照らし、下の犬歯から出る光は人と天を照らす。その光の中において、無常無我、安穏である涅槃について語るのである。光に照らされ教えを聞く者は、三途(さんず・地獄餓鬼畜生の三悪道に同じ)の中では身も心も安楽になり、人においては病気の者が癒される。また天における六欲天(ろくよくてん・天でありながら、三界の中の欲界に属している六つの天界)の者は欲を嫌悪し、色天(しきてん・三界の中の色界に属している天界)は禅定の楽に留まっていることを厭う。その光はあらゆる方角を照らし、遍く仏のわざを行なう。七回輪を描いて廻った後、仏の足の下に入る者は、地獄道に堕ちることを予言するものである。ふくらはぎ、もも、へそ、胸、口、眉間、頭の頂上から入る者は、それぞれやがて仏の道に入ることを予言するものである。ある『論』に、阿修羅道に堕ちることを予言する光はないとあるが、それは餓鬼道を開いて阿修羅道とすべきである。それはへそとももの間にある。

「伽陀(かだ・前の段落では偈陀と表記されていた)」とは、すべての四言・五言・七・九などの偈の重頌をしないものを、すべて「伽陀」という。

「優陀那(うだな)」とは、教えがあれば、仏は必ずそれに応じて説くのであるが、問う者がなければ、仏は簡潔に質問の発端を開く。仏が舎婆提(しゃばだい)の毘舎佉堂(びしゃきょどう・舎婆提の毘舎佉堂とは、釈迦が阿含経を説いたとされる場所とその講堂の一つ)にあって、人から見えない所で禅定から覚め、自らこの「優陀那」を説いたことがその例である。いわゆる「我なく、我がいるところもない。このことは良いことである」と説いた。これを「優陀那」と名付けるのである。また『般若経』の中で、多くの天子が、須菩提(しゅぼだい・空の理解が特に優れていたとされる釈迦の弟子)が説いた内容を讃嘆して「善いことだ、善いことだ。希有なことだ。世尊よ。ありがたいことです。世尊よ」と言ったことも、「優陀那」と名付ける。さらに、仏が滅度した後、多くの弟子たちが重要な偈を集め、あらゆる「無常偈」「無常品」そして「婆羅門品」を作ったが、それらもみな「優陀那」と名付ける。

「尼陀那(にだな・前の段落では因縁経と表記されていた)」とは、諸仏に関する現在の事柄が、どのような因縁によって起ったかを説くものである。つまり、仏は何の因縁によってこの事を説くのかと、修多羅の中で人が問うので、そのために説くのがその例である。毘尼(びに・戒律のこと)において、人が犯す事柄によって新たに戒律を作ることも、その犯したことが「尼陀那」となる。またすべての仏が縁起のことを語るものを、すべて「尼陀那」と名付ける。

「阿波陀那(あわだな・前の段落では譬喩と表記されていた)」とは、この世の人に合わせてわかりやすく世俗的な事柄をもって説くことである。『中阿含』の「長譬喩」、『長阿含』の「大譬喩」、「億耳(おくに)」、「二十億耳(にじゅうおくに・億耳も二十億耳も仏の弟子の名)」の譬喩などの無量の譬喩をみな「阿波陀那」と名付ける。

「伊帝目多伽(いたいもくたか・前の段落では本事と表記されていた。聴衆の中のある者の過去世について述べたもの)」に二種類ある。一つは、結句の意味であり、「私が先ず説くことを許したことは今説き終えた」というものである。もう一つは経典があって、その経典の名は「一目多伽(いつもくたか)」と音写される。またある人は「因多伽目多伽(いんたかもくたか)」と音写するという。その名は、三蔵教と大乗に見られるが、どれが正しいのかわからない。その経典には三つのことが書いてある。まず、釈迦の父親の浄飯王(じょうぼんのう)は、強いて同族の千人を出家させた。釈迦は修行に耐えられそうな人を五百人選んで、道場である舎婆提に連れて行き、親族から離して、釈迦の弟子の舎利弗と目連に教化させた。夜を通して熱心に眠らず修行して、後に悟りを得て本国に帰った。本国の首都である迦毘羅婆(かびらば・カピラヴァストゥのこと)から離れること五十里の場所で町に入って乞食したが、まだ道は遠いとわかった。その時、獅子がいて、来て仏の足を礼拝した。このような三つの因縁のために偈を説いた。この三つの因縁を説くので、この経典を「一目多伽」と名付ける。

「闍陀伽(じゃだか・前の段落では本生と表記されていた。仏の過去世について述べたもの)」とは、仏は、仏となる前の菩薩の時、獅子となって、猿の頼みを受けて、自分の脇の肉を売って、その猿の子を買い戻したり、病が流行する世に赤目(しゃくもく)の魚となって多くの病人を食べさせたり、あるいは飛ぶ鳥となって、溺れる者を救ったり、このような無量の前世の救済の物語を、みな「闍陀伽」と名付ける。

「毘仏略(びぶつりゃく・前の段落では方広と表記されていた。時間と空間を超越した次元の広大深遠な真理を説き明かしたもの)」とは、いわゆる『摩訶衍般若経』、『六波羅蜜経』、『華首(けしゅ)』、『法華経』、『仏本起因縁経』、『雲経』、『法雲経』、『大雲経』などである。このような無量の経典は、最高の悟りを得るために、この「毘仏略」を説くのである。

「阿浮陀達摩(あぶだだつま・前の段落では未曾有と表記されていた。仏の不思議なわざや功徳を讃嘆したもの)」とは、仏があらゆる神通力を現わし、衆生は未曾有だと怪しんだ。光が放たれ地が振動し、あらゆる不思議な現象が現われることをみな「阿浮陀達摩」と名付ける。

「優婆提舎(うばだいしゃ・前の段落では論義と表記されていた。教説を解説したもの)」とは、あらゆる質問する者に答えて、その内容を解釈し、多くの論議を説く。このような問答を解く論議をみな「優婆提舎」と名付ける。仏は自らこの「論議経」を説く。弟子の迦旃延(かせんねん)が理解するところから始まって、次第に時代が悪くなる「像法(ぞうぼう)」の時代の凡夫に至るまで、教えの通り説かれたものを、また「優婆提舎経」と名付ける。