千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経 その4

その時、観世音菩薩は梵天に次のように言った。
「この呪を五遍読誦し、五色のひもをもって縄を作り、二十一遍呪して二十一の縄を結び付けて頭に掛けなさい。この陀羅尼は、大河の砂の数を九十九億倍した数の過去の諸仏の所説です。その諸仏はさまざまな修行する人々のために、この陀羅尼を説きました。そのさまざまな修行とは次の通りです。六波羅蜜(ろくはらみつ・大乗の菩薩の修行すべき六つの項目)を修行し、未だ満了していない者には速やかに満了させるために。未だ悟りを求める心を起こしていない者には、速やかに起こさせるために。声聞(しょうもん・釈迦の弟子とその系統にある者)の人で、未だ声聞の悟りを開いていない者には、速やかに悟りを開かせるために。三千大千世界(=すべての世界)の内にいる諸神仙人で、未だ最高の悟りを求める心を起こしていない者には、速やかに起こさせるために。あらゆる衆生で、未だ大乗の信心が根づいていない者には、この陀羅尼の威神力によって、その大乗の教えを芽生えさせ、成長させるために。私は、方便と慈悲の力をもって、それらをみな成就させましょう。三千大千世界の暗闇にある地獄、餓鬼、畜生の三つの悪しき道にいる衆生は、この呪を聞いて、みな苦しみを離れることができるでしょう。あらゆる菩薩で、未だ初住(しょじゅう・菩薩の最初の段階)に至っていない者がいれば、速やかにそれを得させるために。さらに十住地(じゅうじゅうち・仏に至る高い段階)を得させるために。さらに仏の位に至らせるために。そうなれば、自然に三十二相八十隨形好(仏にのみ具わている特徴)を成就するでしょう。声聞の人で、この陀羅尼を一度耳にする者、この陀羅尼を修行し書写する者、純粋な心をもって教えの通りに修行する者は、四沙門果(ししゃもんか・声聞が得る四つの悟りの結果)を求めずして自然と得るでしょう。三千大千世界の内の山河や、石壁に囲まれた四つの大海の水をすべて沸騰させ、また須弥山(しゅみせん・この世の真ん中にある非常に高い山)および鉄囲山(てっちせん・この世の端にある鉄でできた山)などをすべて揺り動かし、またそれらを粉々に砕き、その中にいるすべての衆生に、最高の悟りを求める心を起こさせましょう。
あらゆる衆生の中で、この現世において求め願う者は、二十一日間において清らかな戒めを保ち、この陀羅尼を読誦すれば、その所願は必ず果たされましょう。生死の際より生死の際に至るまでのすべての悪業は、ことごとくみな滅び尽くされるでしょう。三千大千世界の内のすべての諸仏菩薩、梵天帝釈天、四天王、神仙龍王は、すべてみなこのことを証しています。
もしあらゆる人や天が、この陀羅尼を読誦し保つならば、その人がもし河川や大海の中で沐浴する時、その同じ水をその身に浴びたすべての人は、すべての悪業重罪もすべてみな消滅し、淨土に往生して蓮華の中に生まれ、再びあらゆる肉体の身を受けることはありません。ましてやこの陀羅尼を受け保ち読誦する者はどれほどでしょうか。
もし、この陀羅尼を読誦し保つ者が道路を歩いていて、大風が来てその人の体や髪の毛や衣服を吹き、さらにその風があらゆる衆生の方に吹き下り、その人の身を巡った風を身に受けることができた者は、すべての重罪悪業がすべて滅ぼし尽くされ、さらに地獄、餓鬼、畜生の三つの悪しき世界には生まれ変わることなく、常に仏の前に生まれるようになります。まさに知るべきです。この陀羅尼を受け保つ者の福徳果報は不可思議です。この陀羅尼を読誦し保つ者の口の中から出る言葉や音声は、それを聞く者が、善人であっても悪人であっても、またはすべての天魔外道天龍鬼神であっても、彼らにはみな清らかな教えの声に聞こえるでしょう。そのため、みなその人に対して仰いで尊敬する心を起こし、仏のように敬うでしょう。
この陀羅尼を読誦し保つ者は、まさに知るべきです。この人は『仏身蔵(ぶっしんぞう)』です。大河の砂の数を九十九億倍した数の諸仏が愛するからです。まさに知るべきです。この人は『光明身(こうみょうしん)』です。すべての如来の光が照らすからです。まさに知るべきです。この人は『慈悲蔵(じひぞう)』です。常に陀羅尼をもって衆生を救うからです。まさに知るべきです。この人は『妙法蔵(にょほうぞう)』です。すべてのあらゆる陀羅尼の門を普く摂取するからです。まさに知るべきです。この人は『禅定蔵(ぜんじょうぞう)』です。百千の三昧が常に現前しているからです。まさに知るべきです。この人は『虚空蔵(こくぞう)』です。常に空の智慧をもって衆生を見るからです。まさに知るべきです。この人は『無畏蔵(むいぞう)』です。龍、天、善神が常に護持するからです。まさに知るべきです。この人は『妙語蔵(みょうごぞう)』です。口の中の陀羅尼の音声が断絶することがないためです。まさに知るべきです。この人は『常住蔵(じょうじゅうぞう)』です。戦争と疫病と飢饉が絶えない悪しき今の時代も、その人を滅ぼすことはできないからです。まさに知るべきです。この人は『解脱蔵(げだつぞう)』です。天魔外道もこの人を縛っておくことはできないからです。まさに知るべきです。この人は『薬王蔵(やくおうぞう)』です。常に陀羅尼をもって衆生の病を癒すためです。まさに知るべきです。この人は『神通蔵(じんつうぞう)』です。あらゆる仏の国土を自在に巡ることができるためです。
この人の功徳は、いくら讃嘆しても尽きません。善き男子よ。もしまたある人がいて、世間の苦しみを厭(いと)い、長い年月の平安を求めるならば、静かな場所にあって、その環境を清らかにして、陀羅尼にふさわしい法衣を着て、水を飲むにしても、食べ物を食べるにしても、香を焚くにしても、薬を服するにしても、すべてこの陀羅尼を百八遍となえてから服せば、必ず長い寿命を得るでしょう。
もし教えの通りに場所を清めて、教えに従ってこの陀羅尼を受け保つならば、すべてが成就します。その場所を清める方法(結界法・けっかいほう)とは、次の通りです。刀を取って、陀羅尼を二十一遍唱え、地面を区切って聖なる場所とし、清らかな水を取って二十一遍唱え、四方に撒いて聖なる場所とし、白芥子を取って二十一遍唱え、四方に撒いて聖なる場所とし、想念が示すところをもって聖なる場所とし、清らかな灰を取って二十一遍唱えて聖なる場所とし、五色のひもを二十一遍唱えて、四辺を囲んで聖なる場所とすれば完成です。このように、教えに従って陀羅尼を受け保つならば、自然に成就します。
この陀羅尼の文字だけを聞く者ですら、無量劫における生死の重罪を滅ぼすことができます。ましてや、読誦し保つ者はなおさらです。
もしこの神呪を読誦することができる者は、まさに知るべきです。この人はすでにかつて、無量の諸仏を供養して、広く善根(ぜんこん・良い結果を生む原因)を植えたのです。
もしある人が、あらゆる衆生のために、その苦難を除こうとして、教えの通りに読誦し保つ者は、まさに知るべきです。その人はすなわち、大悲をそなえている者です。成仏は遠い先のことではありません。
ある人が、出会うすべての衆生のために陀羅尼を読誦し、彼らの耳に聞かせ、悟りの因とするならば、この人の功徳は無量無辺であり、いくら讃嘆しても尽くすことはできません。
もしある人が、誠を尽くし心を用い、その身に清らかな戒めを保ち、すべての衆生のために、過去の世の罪を懺悔し、また自らも無量劫以来のさまざまな悪業を懺謝し、口の中でこの陀羅尼を滑らかに呪し、その声を絶やさない者は、四沙門果(ししゃもんか・声聞の高い位)の悟りを、その生の内に得ることができるでしょう。また、能力が優れていて、智慧や方便をそなえた者は、十地の位(菩薩の高い位)を得ることは難しくないでしょう。ましてや、この世の細々とした福の報いを得ることはなおさらのことです。その求める願いを果たせないことなどありません。
もし、鬼(この場合、死者の霊と考えられる)を仕える者としようとするならば、野に捨てられた髑髏を取って洗い清め、千手観音の像の前において壇場を設け、あらゆる香や華や飮食をもってこれを祭りなさい。毎日、このようにして七日が過ぎれば、その鬼は必ず来て身を現わし、その人に従って仕えるでしょう。
この陀羅尼を唱える者は菩薩であり、その大悲願力は深重であるために、また、この陀羅尼の威神は広大であるために、四天王でさえ従うでしょう。その場合、陀羅尼を呪して白檀(びゃくだん・高価な香木)の香を焚きなさい」。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲心呪

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経 その3

観世音菩薩は、次のように詩偈をもって説いた。
「私は、執金剛神、烏樞瑟摩明王(うすしまみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、鴦倶尸(おうぐし)、八部力士、賞迦羅(しょうぎゃら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、摩醯首羅(まけいしゅら=大自在天)、那羅延(ならえん)、金剛羅陀(こんごうらだ)、迦毘羅(かびら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、婆馺娑樓羅(ばそうさるだ)、滿善車鉢眞陀羅(まんぜんしゃはつまだら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、薩遮(ましゃ)、摩和羅(まわら)、鳩槃荼(くばんだ)、半祇羅(はんぎら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、畢婆伽羅王(びばからおう)、應徳毘多薩和羅(おうとくびたさわら)を遣わし、陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、梵摩(ぼんま)、三鉢羅(さんぱら)、五部淨居(ごぶじょうご)、炎摩羅(えんまら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、釋王三十三(しゃくおうさんじゅうさん)、大弁才天女(=弁才天)、功徳天(=吉祥天)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
私は、提頭頼吒王(だいずらたおう)、鬼子母神(きしぼじん)などの大力衆を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、毘樓勒叉王(びるろくしゃおう)、毘樓博叉(びるばくしゃ)、毘沙門天(びしゃもんてん)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、金色孔雀王、二十八部大仙衆を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、摩尼跋陀羅(まにばだら)、散支大將(さんしだいしょう)、弗羅婆(ふらば)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、婆伽羅龍(ばからりゅう)、伊鉢羅(いはつら)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、修羅(しゅら)、乾闥婆(けんだつば)迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅(まごらか)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。
また私は、水、火、雷、電神、鳩槃荼王(くはんだおう)、毘舍闍(びじゃや)を遣わし、常に陀羅尼の受持者を擁護しよう。

(注:一般的に、千手観音には二十八部衆の眷属がいるとされるが、ここにあげられた名は、二十八をはるかに超えている。つまり、あらゆる仏教を守る善神すべてと解釈すべきである。)

この諸善神および神龍王、鬼子母神たちには、各々五百の眷屬があります。大力の夜叉は、常に大悲神呪を読誦し保つ者に従って擁護します。その人がもし寂しい山や広野にあって、ひとりで野宿する時は、この諸善神が代わる代わる宿衞して、災障を除きます。もし深い山にあって道に迷った時は、この呪を読誦することにより、善神龍王が善人となってその正しい道を教えます。もし山林や広野にあって、水がなくなり、暖を取る火がない時は、龍王が水や火を出して守るでしょう」。
観世音菩薩は、また読誦し保つ者のための「消除災禍清涼の偈」を次のように説いた。
「もし広野や山や沢の中に行き、虎狼、諸悪獸、蛇、魑魅魍魎にあっても、この呪を読誦するならば、それらは害を与えることはない。
もし大河、湖、大海の間を行き、毒龍、蛟龍(こうりゅう)、摩竭獣(まかじゅう)、夜叉、羅刹、魚黿鼈(ぎょげんべつ)にあっても、この呪を読誦するならば自ら退散する。
もし軍陣にあって敵に囲まれたり、あるいは悪人に財宝を奪われそうになったりしても、至心に大悲呪を唱えれば、敵や悪人も慈心を起こして元来た道に去って行く。
もし王や役人に捕らえられ、身を拘束され、監禁され、鎖につながれようとも、至心に大悲呪を唱えれば、役人たちは自ら恩赦を与えて釈放する。
もし毒殺しようとする者が家に入り、飲食物に毒を入れられても、至心に大悲呪を唱えれば、その毒藥は変じて甘露水となる。
女人が難産となり、さらに邪悪な魔が働いて耐え難い苦しみとなっても、至心に大悲呪を唱えれば、鬼神は退散して安楽に生むことができる。
悪龍や病の鬼が毒気を放ち、熱病に侵され命が終わろうとする時、至心に大悲呪を唱えれば、疫病は消滅し寿命は長くなる。
龍鬼があらゆる毒腫を流行させ、癰瘡膿血(ようそうのうけつ・腫物と膿)が痛んで耐え難い時、至心に大悲呪を唱えれば毒腫はすぐに消える。
悪しき衆生が不善を起こし、呪い、呪詛し、恨みを増し加える時、至心に大悲呪を唱えれば、その呪いは呪った本人に向かう。
末世となって教えが滅び、世が乱れて人々が欲のままに心が迷い、昼夜を通して家を顧みず、しかも留まることを知らない時、もし大悲呪を唱えれば、淫らな欲望の火は滅んで邪心はなくなる。
もし私がこの呪の功徳力を称賛するならば、一劫(いっこう・ほぼ永遠に近いほどの長い時間)の間、称賛し続けても尽きることはないであろう」。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経 その2

また観世音菩薩は、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。あらゆる人や天が大悲心呪を読誦し保つならば、十五種類の善い生を得ることができます。そして、十五種類の悪い死を受けません。その悪い死とは次の通りです。一つ、飢え苦しみによって死ぬことはない。二つ、捕らえられ拷問で死ぬことはない。三つ、怨敵によって殺されない。四つ、戦争の戦いの中で死ぬことはない。五つ、野の獣によって殺されない。六つ、毒蛇やサソリにかまれて死ぬことはない。七つ、洪水や火事で死ぬことはない。八つ、毒薬の中毒で死ぬことはない。九つ、虫の害によって死ぬことはない。十、狂乱して自我を失って死ぬことはない。十一、山や木や崖から落ちて死ぬことはない。十二、悪しき者の呪いによって死ぬことはない。十三、邪神悪鬼によって殺されることはない。十四、悪い病気に侵されて死ぬことはない。十五、自殺することはない。大悲心呪を読誦し保つ者は、このような十五種類の悪しき死を受けることはありません。
また、十五種類の善い生を得るとは次の通りです。一つ、その生において善い王に出会う。二つ、常に善い国に生まれる。三つ、常に善い機会に恵まれる。四つ、常に善い友に会う。五つ、五体満足である。六つ、悟りを求める心が純粋に成熟している。七つ、戒律を犯さない。八つ、付き従うすべての従者は恩義を感じており従順である。九つ、財産をはじめ生活物資などすべてに満ち足りている。十、常に他人から尊敬される。十一、財産を他人に奪われることはない。十二、求めるところはすべてかなう。十三、龍天善神が常に守る。十四、その生において仏を見て教えを聞く。十五、正しい教えを聞いてその深い意義を悟る。大悲心陀羅尼を読誦し保つ者は、このような十五種類の善い生を得ることができます。すべての天や人よ。まさに常に読誦し保ち、怠ることがないようにせよ」。
観世音菩薩はこのように語り、大衆の前において、合掌し正面にあって、あらゆる衆生に対して大悲心を起こし、顔を上げて微笑み、広大円満無礙大悲心大陀羅尼の神妙の章句を説いた。陀羅尼は次の通りである。

(注:陀羅尼は本来意味のある言葉であるが、唱えることに意義があるのであり、意味を考える必要はないため、ここにひらがなによって発音を記す。原本にも意味は記されていない。なお、この陀羅尼は天台宗真言宗禅宗などにおいて唱えられるが、各宗派によって微妙に発音が異なる。ここでは天台宗の読み方によって記す。句点は訳者の判断により入れた。)

「なもあらたんなたらやあや。なもありゃあばろきていしんばらや。ぼうじさたばやまかさたばや。まかきゃろにきゃやおんさるば。らばえいしゅたんなたしゃ。なもしきりたばいもう。ありゃあばろきていしばら。りょうだばなもならきんじ。けいりまかばたしゃめい。さるばあたずしゅぼうあぜいよう。さるばさたなまばぎゃまばどず。たにゃたおん。あばろけいろきゃていきゃらてい。いけいりまかぼうじ。さたばさるばさるば。まらまらまけいまけいりだよう。くろくろきゃらぼう。どろどろばじゃやてい。まかばじゃやてい。だらだらじりにしんばらや。しゃらしゃらままばっまらぼくていれい。いけいいけいしっだしっだ。あらさんはらしゃりばしゃばさん。はらしゃやころころまらころころ。けいりさらさらしっりしっり。そろそろぼうじやぼうじや。ぼうだやぼうだやみていりや。ならきんじだりしにな。はやまなそわか。しっだやそわか。まかしっだやそわか。しっだゆげいしんばらやそわか。ならきんじそわか。まらならそわか。しっらそうかぼきゃやそわか。しゃばまかかしったやそわか。しゃきゃらかしったやそわか。はんだまかしったやそわか。ならきんじばぎゃらやそわか。まばりしょうぎゃらやそわか。なもあらたんなたらやあや。なもありゃあばろきていしばらやそわか。しっでんとまんだらはだやそわか。」

観世音菩薩がこの呪を説き終わると、大地は六種に震動し、天は宝華を降らせ、それらが乱れ落ちて来た。あらゆる方角の諸仏はみな歓喜した。天魔や外道(げどう・誤った教えの他の宗教の者)は恐れおののいた。すべての大衆はそれぞれの悟りの結果である果証、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、あるいは悟りへの段階である一地二地三地四地五地そして十地を得た。また無量の衆生は悟りを求める心を起こした。

その時、大梵天王(だいぼんてんのう)は座より立って、衣服を整え合掌し敬って、観世音菩薩に次のように言った。
「良いことです、大士よ。私は昔より今まで、無量の仏の法会を経験し、あらゆる教え、あらゆる陀羅尼を聞きましたが、未だかつて、このような無礙大悲心大悲陀羅尼神妙章句が説かれたことは聞いたことがありません。ただ願わくは大士よ。私のために、この陀羅尼の姿形を説いてください。私をはじめ、大衆は聞くことを願っています」。
観世音菩薩は梵王に次のように言った。
「あなたは方便によって、すべての衆生に利益を与えようとこの質問をしました。あなたは今、よく聞きなさい。私はあなたがたのために略して説きましょう」。
また観世音菩薩は言った。
大慈悲心は平等心です。無為(むい:なそうとしないでなす)心です。無染著(むせんじゃく:執着がない)心です。空観(くうがん:空を観じる)心です。恭敬(くぎょう:敬い崇める)心です。卑下(ひげ:へりくだる)心です。無雑乱心です。無見取(むけんしゅ:ものごとをあると思わない)心です。無上菩提(むじょうぼだい:この上内悟り)心です。まさに知るべきです。これらの心はすなわち陀羅尼の姿形です。あなたがたはまさに、これによって修行しなさい」。
大梵王は言った。
「私と大衆は、今はじめてこの陀羅尼の姿形を知りました。今からこれを受け保ち、決して忘失しません」。
観世音菩薩は言った。
「善き男子や善き女人がいて、この神呪を読誦し保つ者は、広大な菩提心を発して、誓ってすべての衆生を悟りに導き、その身に清らかな戒めを持ち、あらゆる衆生に対して平等心を起こし、常にこの呪を読誦して絶えることがないようにしなさい。清らかな部屋に住んで、沐浴して身を清め、清らかな服を着て、旗をかけ、灯をつけ、香華や百味の飲食をもってこの陀羅尼を供養しなさい。心を一つに制して別の思いを持つことがないようにしなさい。正しく読誦し保つならば、その時まさに、日光菩薩(にっこうぼさつ)と月光菩薩(がっこうぼさつ)が、無量の神仙と共に来て、利益(りやく)を証し、しるしを現わすでしょう。私はまさにその時、千眼をもって照らし見て、千手をもって守り導きます。また、この世のあらゆる書物に記されていることは、すべて受け保つことになります。すべての他の宗教の教えや術、バラモン教聖典にも通じるでしょう。この神呪を読誦し保つ者は、この世の八万四千種類の病、すべて治癒されないことはありません。またすべての鬼神を抑え、諸天魔を下し、あらゆる他の宗教を制するでしょう。山野にあって、経典を読誦し座禅する時、あらゆる山の精霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)や鬼神たちが来て心が乱されるならば、この呪を一遍読誦すれば、このあらゆる鬼神たちは、みなことごとく縛られるでしょう。正しい教えに従って読誦し保ち、あらゆる衆生に対して慈悲心を起こす者には、私はまさにその時、すべての善神や龍王や執金剛神(しゅうこんごうしん:仏教の護神)に命じて常に護衛させ、その側を離れないようにさせ、自分の瞳や自分の命を守るように守らせましょう。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

 

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経 その1

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経
           唐西天竺沙門 伽梵達摩(がぼんだつま)訳 

(注:『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつこうだいえんまんむげだいひしんだらにきょう)』は、「千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼」、略して「大悲心陀羅尼」あるいは「大悲呪」と言われる陀羅尼について述べられた経典である。この陀羅尼は、『仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)』と『一切如來心秘密全身舍利寶篋印陀羅尼(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに)』と共に、「三陀羅尼」と呼ばれるほど、代表的な陀羅尼である。そして、この経典に、千手観世音菩薩について詳しく述べられている。

内容は難しいものではないので、ひとつひとつの単語の読みや意味は、最低限の解説にしており、単語の読みや意味がわからないところがあっても、気にせず読んでも全体の内容はよくわかると思われる。)

 

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このように私は聞いた。
ある時、釈迦牟尼仏は、補陀落山(ふだらくせん)の観世音宮殿宝荘厳道場の中におられ、宝の立派な座に座っておられた。その座は無量の純粋な雑摩尼宝を以って厳かに飾られ、百の宝の幢旛(どうばん・飾られた旗のこと)が周りに並べられていた。
その時、如来はその座の上において、まさに総持陀羅尼(そうじだらに)を説こうとされたために、無数の大いなる菩薩たちと共におられた。その菩薩たちの名は、総持王菩薩・宝王菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・華厳菩薩・大荘厳菩薩・宝蔵菩薩・徳蔵菩薩・金剛蔵菩薩・虚空蔵菩薩弥勒菩薩普賢菩薩文殊師利菩薩であった。このような大いなる菩薩たちは、みな仏の位と同等な大法王子である。
また無量無数の大いなる聲聞の僧たちと共におられた。みな阿羅漢を行じ、十地の位にいる摩訶迦葉(まかかしょう)が上首であった。また無量の梵天は、善吒梵摩(ぜんたぼんま)が上首であった。また無量の欲界の諸天子と共におられた。瞿婆伽天子(くばかてんし)が上首であった。また無量の世を守護する四天王と共におられた。持国天が上首であった。また無量の天龍八部衆と共におられた。天徳大龍王が上首であった。また無量の欲界諸天女と共におられた。童目天女が上首であった。また無量の虚空神・江海神・泉源神・河沼神・薬草神・樹林神・舍宅神・水神・火神・地神・風神・土神・山神・石神そしてその宮殿などが集まって一同に会していた。
その時に観世音菩薩は、集まった大衆の中において密かに神通を放った。その光明はあらゆる方角の国土およびすべての世界を照らし、みなそれらを金色に輝かせた。天宮・龍宮・諸尊神宮はみなすべて震動した。江河・大海・鉄囲山・須弥山・土山・黒山もまたみな大いに動いた。太陽や月の光、星の光はすべて見えなかった。この時、総持王菩薩は、このような希有の有様を見て、今までになかったことだと、すぐに座より立って、両手を合わせて合掌し、詩偈を以て仏に次のように質問した。
「このような神通の有様は、いったい誰が放ったのでしょうか」。
さらに詩偈を以て次のように質問した。
「誰かが今日、最高の悟りを開かれたのでしょうか。すべての方向に大いなる光明が放たれました。あらゆる国土はみな金色となり、すべての世界もまたそうです。誰かが今日、自在の力を得たのでしょうか。希有の大神力を行なって、果てのない仏の国土はみな震動しました。龍宮や神宮の宮殿は平穏を失い、今、この大衆はみな疑問を持っています。誰の力によることなのか、知らないからです。
仏よ。菩薩や大聲聞のために、梵・魔・天・諸釈たちのために、ただ願わくは世尊よ、大慈悲を以て、この神通のわけを説いてください」。

仏は、総持王菩薩に次のように語られた。
「善き男子よ、あなた方はまさに知るべきである。今、この大衆の中に、ひとりの大いなる菩薩がいる。観世音自在という。無量劫の昔より今まで、大慈大悲を成就し、大いに無量の陀羅尼門を修習した。あらゆる衆生を安楽にしようと願うために、今密かにこのような大神通力を放ったのだ」。
仏がこの言葉を説き終わった時、観世音菩薩は座より立って、衣服を整え、仏に向かって合掌し、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私に大悲心陀羅尼の呪文があります。今まさに説こうと思います。あらゆる衆生に安楽を得させるためです。一切の病を除くために、寿命を得させるために、富を得させるために、すべての悪業と重い罪を滅ぼし除くために、障害や困難を離れさせるために、すべての正しい教えとあらゆる功徳を増し加えるために、すべての善根を成就させるために、すべてのあらゆる恐れを離れさせるために、速やかにすべてのあらゆる求めを満足させるために。ただ願わくは世尊よ。慈しみ哀れんで聞かれることをお許しください」。

仏は次のように語られた。
「善き男子よ。あなたは大慈悲を以って衆生を安楽にさせようと、神呪を説こうとしている。今まさにその時である。よろしく速かに説くべきである。如来も隨喜し諸仏もまたそうである」。

観世音菩薩はさらに仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私は無量億劫の昔を思い出すに、仏がおられました。その仏が世に出現されて、千光王静住如來と名乗られました。その仏であり世尊は、私を憐み、私のために、そしてすべてのあらゆる衆生のために、この広大円満無礙大悲心陀羅尼を説かれ、金色の手を以って私の頭の上をなでられ、次のようにおっしゃいました。『善き男子よ。あなたはまさにこの心呪を持ち、広く未來の悪しき世のすべての衆生のために、大いに利益と安楽を与えるべきである』。私はその時は、始めて初地の位にいましたが、この呪文を一回聞いたために、第八地の位を超えました。その時、私の心は喜び踊り、すぐに次のような誓願を立てました。『私はこれから、よくすべての衆生を利益し安楽にさせようと願います。そのために今すぐ、私の体に、千手千眼を具足させてください』。この誓願を立て終わったとたんに、体に千手千眼がすべてみな具足しました。あらゆる方角の大地は六通りに震動し、あらゆる方角の千の仏はすべて光明を放って私の身を照らし、さらにあらゆる果てしない世界を照らしました。これ以降、また無量の仏のおられる所、無量の大衆の中において、度重ねてこの陀羅尼を聞くことができ、私もこの陀羅尼を引き継いで受け保ち、また歓喜踊躍を生ずることも無量であり、無数億劫の聖者の生まれ変わりさえ超越することができました。それから今まで、この陀羅尼を常に読誦し保って、忘れたり失ったりすることはありません。この陀羅尼を保つために、生まれ変わっても、必ず常に仏の前に生じることができます。その上、蓮華より化生して、胎から生まれる肉体の身はもはや受けません。
もし、僧侶や尼僧や男女の在家信者、そして男女の子供であっても、この陀羅尼を読誦し保つことを願うならば、あらゆる衆生に対して慈悲心を起こし、まずまさに私に従って、次のような誓願を発すべきです。
南無大悲観世音 願わくはすべての教えを速やかに知ることを。
南無大悲観世音 願わくは智慧の眼を速やかに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速かにすべての衆生を悟りに導くことを。
南無大悲観世音 願わくは良い方便を速やかに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速かに般若(最高の智慧)の船に乗ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに苦しみの海を越えることができることを。
南無大悲観世音 願わくは戒律と禅定の道を速かに得ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに涅槃(悟りの完成)の山に登ることを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに涅槃の岸に到達することを。
南無大悲観世音 願わくは速やかに体自体が真理と同体になることを。
私がもし刀の山に向かうならば、刀の山は自ら折れよ。
私がもし火湯に向かうならば、火湯は自ら消滅せよ
私がもし地獄に向かうならば、地獄は自ら枯竭せよ
私がもし餓鬼に向かうならば、餓鬼は自ら飽きるほど満ち足りよ。
私がもし修羅に向かうならば、その惡しき心は自ら整えられよ。
私がもし畜生に向かうならば、大いなる智慧を自ら得よ。
この誓願を発し終えて、心から私の名前を念じて唱えなさい。またまさに、私の本師である阿弥陀仏をもっぱら念じなさい。その後に、この陀羅尼神呪を読誦しなさい。一晩に読誦すること五遍に達するならば、体の中の百千万億劫の生まれ変わり死に変わりする重い罪を除いて滅ぼすでしょう。」

観世音菩薩は、また仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしあらゆる人や天が、この大悲の章句を読誦し保つならば、その命終わる時に、あらゆる方角の諸仏が来て手を差し伸べるでしょう。ある仏の国土に生まれることを願うならば、その願い通りにみな往生することができるでしょう」。

また仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしあらゆる衆生の中で、大悲神呪を読誦し保っていながら、地獄餓鬼畜生の三悪道に堕ちる者がひとりでもあるならば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者の中で、もし諸仏の国に生まれない者がひとりでもあれば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者の中で、もし無量の三昧(精神統一)や弁才(弁論の才能)を得ない者がひとりでもあるならば、私は悟りを得ないと誓います。大悲神呪を読誦し保つ者が、現在の生の中で、その願うところの中で、ひとつでも果たせないことがあるならば、大悲心陀羅尼と名付けることはしません。ただし、不善の心や不誠実な心で唱えることは除きます。
もしあらゆる女人が、賤女身を厭い、男子の身を得ようと願い、大悲陀羅尼の章句を読誦し保った場合、その者の中で、ひとりでも女身を転じて男子の身を得ることができない者がいるならば、私は悟りを得ないと誓います。ただし、少しでも疑う心を生じさせるものは、絶対に結果を遂行することはできません。
もしあらゆる衆生が、日常の必要物を盗んだり損ねたりするならば、たとえ仏の前に千回生まれ変わって懺悔したとしても通用しません。しかし、懺悔してその罪が除かれ滅ぼされない時に、大悲神呪を読誦するならば、すなわち除かれ滅ぼされることができます。もし食べ物を盗んだ場合、あらゆる師に対して懺悔してはじめてその罪が除かれ滅ぼされますが、その時、大悲陀羅尼を読誦するならば、あらゆる師の方から来て、すべての罪と妨げがすべて消滅したことを証明してくれるでしょう。このように、すべての十悪五逆の罪や、人を罵ること、教えを批判すること、集まりを損ねること、破戒、破塔・壊寺・寺の物を盗むこと、清らかな行ないを汚すことなど、このような悪業重罪もすべてみな滅び尽くされます。
ただし、唱えながら疑う心を生じさせる者は除きます。小さな罪や軽い悪業も滅ぼすことはできません。ましてや重罪は言うまでもありません。しかし、重罪を滅ぼすことはできないと言っても、読誦したことで、遠い将来の悟りの原因とはなります。

 

つづく

 

#大悲心陀羅尼 #大悲呪

 

金光明最勝王経 大弁才天女品 第十五 (抜粋)

金光明最勝王経 大弁才天女品 第十五  (抜粋)

福徳に満ちた天女を敬い拝します。
あなたはこの世の中において自在を得ています。私は今尊者を讃嘆します。すべて昔の仙人の語った通りになるでしょう。福徳は成就して心は安隱であり、聡明であられることは恐れるほどであり、名聞は広まっています。母となってこの世の人々を生み、勇猛にして常に大いなる精進を行なわれます。軍陣をあらゆるところに展開して戦い、常に勝ち、また長く養い導き、心は慈悲と忍耐に満ちています。また閻魔大王の長女となって、常に天然の蚕の糸で作った青色の衣を着ています。ある時は好ましい容姿であり、ある時は恐ろしい容姿となって、その目の力は見る者を恐れさせます。無量の優れた行ないは世間を超え、信じる者をすべて受け入れられます。あるいは山奥の険しいところにおられ、あるいは洞窟や川の岸辺におられ、あるいは、うっそうとした森におられ、そのまわりには多くの天女が共に住んでいます。山林に住む野の人たちも、常に天女を供養します。孔雀の羽をもって旗を作り、常にこの世を守られます。師子や虎や狼は常に周りに付き従い、牛や羊や鶏もまた寄り頼みます。大いなる鈴や鐘を振って音を出し、仙人の住む山の人々もその響きを聞きます。三鈷を手に取り、頭の髪の毛を丸く結って、左右に日と月の旗を持たれます。満月から新月までの期間の九日と十一日において、まさに供養すべきです。あるいは、婆蘇(ばそ)大天女に姿を変え、戦争があることを常に哀れまれます。すべての存在の中で、弁才天女は最も優れておられ、勝る者はありません。牧牛歓喜女(もくごかんきにょ)に姿を変え、天と戦う時は常に勝たれ、長く世間に安らかに住まわれ、ある時は穏やかに忍耐され、またある時は暴悪となられます。大婆羅門の教えや幻化呪術などにもみな通じておられます。天人や仙人の中において自在を得て、また姿も極小から極大までとなります。多くの天女たちを集める時には、必ず応じて海のように集まります。多くの龍神や藥叉(やくしゃ)たちに対しても主となって導かれます。多くの女の中においても、最も正しく行なわれ、言葉を発すれば、この世の主のようです。王の住居においては蓮華のようであり、川辺にあっては美しい橋のようです。容貌は満月のようであり、多くの知識を持たれて、人々の拠り所となり、優れた弁論は高い峰のようです。弁才天を念じる者の数は渚の波のように集まり、阿修羅などの諸天衆はみな共にその功徳を稱讃し、さらに千の眼を持つ帝釈天も、尊敬の心をもって見ます。人々に願い事があれば、すべて速やかに成就させ、またよく語りよく学ぶようにさせ、この地において優れた者とされます。このあらゆる世界の中において、大いなる燈明のように常に普く照らし、および神鬼や諸禽獣にも、みなその求めるところを遂げさせます。多くの女の中において山の峰のようで、昔の仙人が久しく住んでいた世のようです。少女の天女のように、常に無欲であり、その真実の言葉は大いなる世の主のようです。普く世間とさまざまな人々、および欲界にある多くの天宮を見れば、その中でただ弁才天女ひとりが尊称をもって崇められ、その他の人々の中で勝る者は見出せません。恐ろしい戦争の中において、あるいは火の穴の中に堕ちる時、また川の氾濫や盗賊にあう時、すべて彼らの恐怖を除かれます。あるいは王の法律によって捕らえられ、あるいは仇のために殺害されそうになった時、もっぱら弁才天に心を注ぎ、念が移らなければ、必ずその多くの憂いや苦しみから解脱することができるでしょう。善い人また悪い人の中においても、その人々をみな擁護し、慈悲を与え哀れに思って、常に姿を現わされます。このために、私は誠を尽くして、大弁才天女に稽首し帰依します。

敬い拝す、敬い拝す、世間において尊いお方 多くの母の中において最も優れている 
すべての世界はことごとく供養し その容姿は人が見ることを願う 
あらゆる妙徳をもって身を荘厳にし 目は広い青蓮華の葉のようだ
福智と光明と名声は満ちて たとえば価値がつけられないほどの宝珠のようだ 
私は今最勝者を讃歎する すべての求める心を成就する 
真実の功徳は妙なる福徳である たとえば最も清淨な蓮華のようだ 
その身は端麗荘厳でありみな見ることを願う あらゆる稀有の姿形は不思議である 
無垢の智慧の光明を放つ あらゆる念の中において最勝である 
師子が獣の中で最上であるようだ 常に八つの腕をもって自らを荘厳する 
その各々の腕には弓・矢・刀・矛・斧・金剛杵(こんごうしょ)・鉄輪ならびに羂索(けんさく・=縄)を持つ 
その姿は端正にして見ることを願う満月のようだ 言葉は滞ることなく和音を出す 
もし人がいて心に願い求めれば 良い事は念に従って円満に成就する 
帝釈天をはじめ諸天はみな供養し みな共に称賛し帰依すべきである 
多くの徳が絶えず生ずることは不思議である すべての時において敬う心が起きる 
莎訶(そわか・「めでたし」という意味の真言

仏陀に帰依します。教えに帰依します。僧侶たちに帰依します。諸菩薩たち、縁覚、声聞、すべての賢聖に帰依します。
過去現在の十方の諸仏は、ことごとくみなすでに真実の言葉を取得し、相手の能力に応じて真実の言葉を説いて、虚しい誤った言葉はありません。すでに無量であり測ることもできないほどの長い歳月において、常に真実の言葉を説き、真実の言葉を受け入れた者はみな喜びました。偽りの言葉ではないために、広く長い舌を出し、その顔およびこの地上およびすべての天下を覆い、一千二千三千の世界を覆い、普く十方世界を覆い、その円満は広まって不思議であり、すべての煩悩の炎熱を除きます。
敬い拝し、敬い拝します。すべての諸仏のこのような舌の姿。願わくは  (自らの名前など)、みな妙(たえ)なる弁論の才能を成就しますように。心を尽くして帰命し敬い拝します。
諸仏の妙なる弁論の才能、諸大菩薩の妙なる弁論の才能、一人で悟りを開いた聖者の妙なる弁論の才能、修行とその結果の妙なる弁論の才能、仏の教えの妙なる弁論の才能、教えに基づいた行動の妙なる弁論の才能、梵天たちの妙なる弁論の才能、大天烏摩(だいてんうま・自在天=シヴァ神の妃)の妙なる弁論の才能、塞建陀天(そこんだてん・シヴァ神の子)の妙なる弁論の才能、摩那斯王(まなしおう・龍の王)の妙なる弁論の才能、聡明夜天(そうみょうやてん)の妙なる弁論の才能、四大天王(=四天王)の妙なる弁論の才能、善住天子(ぜんじゅうてんじ・仏から『仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに』を授かった天子)の妙なる弁論の才能、金剛密主(こんごうみっしゅ・密教大日如来の弟子)の妙なる弁論の才能、吠率怒天(べいしゅどてん・=ヴィシュヌ神)の妙なる弁論の才能、毘摩天女(びまてんにょ=大自在天の女性形)の妙なる弁論の才能、侍数天神(じしゅてんじん)の妙なる弁論の才能、室唎天女(しつりてんにょ)の妙なる弁論の才能、室唎末多(しつりまんだ)の妙なる弁論の才能、醯哩言詞(けいりごんじ)の妙なる弁論の才能。諸母大母(しょもだいも)の妙なる弁論の才能、訶哩底母(かりていも)の妙なる弁論の才能、諸薬叉神(しょやしゃじん・薬叉=夜叉、羅刹。森の神)の妙なる弁論の才能、十方諸王の妙なる弁論の才能、すでに持っている優れたわざを助け、極まりない妙なる弁論の才能を発揮させてください。
偽りない方を敬い拝します。解脱者を敬い拝します。欲を離れた人を敬い拝します。妨げを捨てた方を敬い拝します。心の清い方を敬い拝します。光明者を敬い拝します。真実の言葉を敬い拝します。汚れのない方を敬い拝します。優れた義に住まわれる方住を敬い拝します。大衆の王を敬い拝します。弁才天を敬い拝します。私の言葉を広めさせてください。願わくは私の求めることを、みなことごとく速やかに成就させてください。病なく常に安隠に、寿命が延びることができますように。よく多くの神呪を理解し、悟りへの道を謹んで修行します。広く人々を導き、その心に求める願いを速やかに遂げさせましょう。私は真実の言葉を説きます。偽りない言葉を説きます。天女の妙なる弁論の才能を私に成就させてください。ただ願わくは天女が来て、私の言葉を滞りなく速やかに体と口の中に入れて、聡明な弁論の才能を増し加えてください。願わくは私の舌をもって、如来の弁論を得させてください。仏の言葉の威力によって、多くの人々を教え導きましょう。私が言葉を出す時、その事柄にしたがってみな成就し、聞く者が真理を敬う心を生じさせ、その行ないが空しくなりませんように。もし私が弁論の才能を求め、それが成就しなければ、天女の真実の言葉も、みなことごとく虚妄となるでしょう。地獄に堕ちる罪を作る者がいても、仏の言葉をもって導きましょう。および阿羅漢の言葉や、あらゆる仏のご恩に報いる言葉、舍利子や目犍連(もっけんれん)などの、仏の弟子で第一の者の真実の言葉を、願わくは私に成就させてください。
私は今、仏の声聞大衆を招集します。みな願わくは速やかに来至し、私の求める心を成就させてください。求める真実の言葉、みな願わくは偽りでないように。上は色究竟天(しきくきょうてん)より、浄居天(じょういてん)、大梵天王および梵輔天(ぼんほてん)、すべての梵王衆、さらに三千世界に遍満する娑婆世界の人々、ならびに多くの従者たちを、私は今、招集します。ただ願わくは慈悲を下され、哀憐され、受け入れてください。他化自在天(けたじざいてん)および楽変化天(らくへんげてん)、やがて仏になられる弥勒菩薩のおられる兜率天(とそつてん)の衆、夜摩天(やまてん)の諸天衆、および三十三天、四大天王衆の天、すべての諸天衆、地水火風の神、妙高山に住む者、七海山に住む神、あらゆる諸の従者、満財および五頂、日月と諸の星辰、このような諸天衆は、世間を安隠にされ、これらの諸天神は、罪業を行なうことを願われません。鬼子母神および最小の愛児を敬い拝します。天竜八部衆に向かって、私は仏の力をもって、ことごとくみな招集します。願わくは慈悲心を下され、私に妨げのない弁論を与えてください。すべての人と天の衆、よく他の心を理解する者、みな願わくは神力を加え、私に妙なる弁論の才能を与えてください。さらに虚空を尽し、すべての世界に遍満するあらゆる生き物のたぐい、私に妙なる弁論の才能を与えてください。」

 

弁才天 

撰時抄 その18 (完)

問う
昔、このように言った人はあるだろうか。
答える
伝教大師は、「まさに知るべきである。他宗の拠り所とする経典は第一の経典ではない。したがって、その第一ではない経典を持つ者もまた、第一ではない。天台法華宗は拠り所とする経典が第一である。そのため、『法華経』を持つ者も人々の中で第一である。これは仏の言葉によることであり、自ら讃嘆しているのではない」と言っている。麒麟の尾についているダニは、一日に千里を飛ぶと言う。転天王に従う者が、一瞬ですべての世界を巡る、ということを非難すべきであろうか、疑うべきであろうか。上の伝教大師の解釈を肝に銘じるか。もしそうならば、『法華経』をその経文通りに持つ人は、梵天王よりも優れ、帝釈天を超えている。阿修羅を従わせれば須弥山をも担ぐことができ、竜を従わせれば大海をも干上がらせることができる。
伝教大師「(『法華経』を)讃嘆する者は福を安らかに積み上げ、謗る者は罪を地獄の底に向かって開く」と言っている。また『法華経』に「この経を読誦し書写して持つ者を見て軽蔑し妬み憎む者は、その人の命終われば、地獄に堕ちる」とある。釈迦の言葉が真実ならば、多宝仏の証明が確かならば、十方の諸仏の舌が一定ならば、今の日本のすべての人が、地獄に堕ちるということは疑いようがない。『法華経』に「もし後の世において、この経典を受け保ち読誦する者は、あらゆる願いも空しくならない。また今の世において良い報いを受けるであろう」、また「もしこの経典を供養し讃歎する者は、まさに今の世において目に見える果報を得るであろう」とある。この二つの文の各八文字、合計十六字の文は空しくなって日蓮が今生に大いなる果報がなければ、如来の金のように尊い言葉は、提婆達多の虚言に同じということになり、多宝仏の証明は倶伽利の妄語に異ならない、ということになる。そうなれば、正しい教えを非難するすべての人々も、地獄には堕ちないことになり、過去現在未来の諸仏もいないことになってしまうではないか。したがって私の弟子たちは、『法華経』の言葉通りに、身命も惜しまず修行して、この仏の教えが真実であるか試みよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

法華経』に「自分の命を愛せず、ただこの上ない教えを惜しむ」とあり、『涅槃経』に「たとえば、弁論に優れていて、巧みな手段の豊かな王の使いが、命令を受けて他国に赴き、命を失おうとも、ついには王の言葉を伝えるように、智者もまた同じである。凡夫の中において命を惜まず、必ず大乗仏教の仏の秘蔵の教えである『すべての人々にみな仏性があるのだ』と説くべきである」とある。
問う
どのような理由で、命を捨てるまでにならねばならないのか、詳しく教えてほしい。
答える
私は最初、「伝教大師弘法大師や慈覚大師や智証大師などが、天皇の命によって中国に渡ったことが、この『自分の命を愛せず』ということに当たるのだろうか。玄奘三蔵が中国からインドに入って、六度も命を落としそうになったこともこれか。雪山童子がたった半偈を聞くために身を投げ、薬王菩薩が七万二千年間、臂を燃やし続けたこともこれか」と思っていたが、経典の言葉によれば、そうではなかった。
経文に、自分の命を愛せずということは、まず、三種類の敵をあげて、彼らが悪口を言い、刀や杖を振るって、命を奪おうとすることがあげられている。また、『涅槃経』の文に、命を失おうとも、と書かれており、それに続いて「仏になれない者がいた。阿羅漢の姿をして、静かなところに住んで、大乗経典を誹謗する。多くの人はこれを見て、真実の阿羅漢であり、大菩薩であると言うであろう」とある。『法華経』の文に第三の敵について「あるいは寺院に衣を着て、静かなところにあって、世の人々に尊敬されている神通力を得た阿羅漢のような者がいる」とある。『般泥洹経(はつないおんきょう)』に「阿羅漢に似た仏になれない者がいて、悪業を行なう」とある。
これらの経文は、正しい教えを批判する本当の強敵は、悪王悪臣でもなく、外道魔王でもなく、破戒の僧侶でもなく、戒律をしっかり保ち、智慧のある僧侶の中にいるということを説いている。したがって、妙楽大師は「第三の最も大きな敵は、見破るのが難しいからである」と記している。『法華経』に「この『法華経』は諸仏如来の秘密の蔵である。諸経の中において最も上にあり」とある。この経文の、最も上にありという四字があるが、この経文が真実であれば、『法華経』がすべての経典の上にあると言う者が、『法華経』の行者であるということになる。
しかし、国王に重んじられている人々が多くいて、それらの人が『法華経』よりも勝っている経典があると言っており、そのような人々と論争しても、彼らは王や大臣の帰依を受けているが、『法華経』の行者は貧しいために、国をあげて卑しめるのである。そのような時、常不軽菩薩のように、賢愛論師のように正しいことを述べるなら、命の危険が迫るのである。これが第一の困難である。
この事は、今の日蓮自身に当たることである。「弘法大師、慈覚大師、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵たちは『法華経』の強敵である。経文が真実ならば、彼らは地獄の底に堕ちることは疑いがない」などと私が言うことに比べれば、裸で大火に入る方がたやすいのであり、須弥山を手に取って投げる方がたやすいのであり、大石を背負って大海を渡る方がたやすいのである。
日本にこの法門を立てることは、非常に重要なことである。『法華経』が説かれた霊山浄土の釈迦や宝浄世界の多宝仏や十方分身の諸仏や地涌千界の菩薩たち、さらに梵天帝釈天、日天子月天子、四天王など、現実的世界と霊的世界において助けて下さらなければ、一時一日も安穏でいられようか。

 

 

日蓮 #撰時抄

 

撰時抄 その17

問う
二つめにあげた文永八年九月十二日の時は、どうして、日蓮を失えば自国でも他国からも、戦いが起こるとわかったのか。
答える
『大集経』に「もしまたあらゆる国の支配階級である国王が、あらゆる非法をなし、釈迦の声聞の弟子を悩まし乱し、あるいは罵倒し、刀や杖をもって打ち、および衣鉢や生活の道具を奪い、または布施をする者を妨害する者があれば、私たちは、彼に対して自然に速やかに、他方の怨敵を起させ、および自らの国土にも兵が起り、飢餓や疫病や異常気象や争いごとを起こさせ、またその王の国を間もなく滅ぼすであろう」とある。
このような文はあらゆる経典に多いとはいえ、この経文は身に当たり時に臨んで特に尊く思えるので、引用するのである。この経文に「私たちは」とあるのは、梵天王と帝釈天と第六天の魔王と日天子月天子と四天王などのこの世のすべての天竜などである。
これらの天の上主が、仏前に進み出て言うには、「仏の滅後、正法と像法と末代の時代において、正しい教えを行なおうとする者を邪法の僧侶たちが国主に訴えれば、王の側近や王に取り入っている者たちは、自分たちが尊いと思っている僧侶たちの言うことだから、それについて確認などせず、その智慧者をさんざん辱めるでしょう。そうなれば、何の理由もなく、その国に突然、大兵乱が起き、その後には他国に攻められるでしょう。その国主も失せ、その国も滅びるでしょう」とある。このような経文が成就してしまえば辛いことであり、成就しなければ、私の述べていることが嘘になるので、それもあり得ないことだ。
私にとっては、今生(こんじょう・今の一生という意味)においては、それほど失うものはない。ただ、自分が生まれた国であるから、その恩に報いようとして、この日本を助けようとするまでのこと。そのことが用いられないということは、もちろん本意ではない。その上、文永八年九月十二日の時は、懐に入れていた『法華経』の第五の巻を取り出して、さんざんに打ち、挙句の果てには、町の中を引きずり回すなどした。その時私は、「日天子と月天子はここにいながら、日蓮が災難にあっているのに助けないということは、日蓮が『法華経』の行者ではないからか。もしそうならば、私の邪見を改めてほしい。もし日蓮が『法華経』の行者ならば、すぐに国にその兆候を見せてほしい。もしそうしなければ、今の日天子月天子などは、釈迦仏や多宝仏や十方の仏を騙している大妄語の者となる。提婆達多の嘘偽りの罪や、倶伽利(くぎゃり)の大妄語よりも百千万億倍もの大妄語の天となるぞ」と大声を上げて言ったのだ。すると、たちまち国の中に反逆が起こる災難が起きた。このように国土が大いに乱れたので、私は単なる凡夫ではあるが、『法華経』を持っているので、この世においては日本第一の者であると言うのである。

問う
高慢の煩悩には七慢と九慢と八慢がある。あなたの大慢は、仏教で説く大慢よりも、百千万億倍大きいではないか。徳光論師は弥勒菩薩を礼拝せず、大慢婆羅門は四人の聖人を椅子の足とした。大天は凡夫にも関わらず阿羅漢であると名乗った。無垢論師は自分こそ、五天の第一であると言った。これらの人たちは、みな地獄の底に堕ちた罪人である。あなたはなぜ自分がこの世における第一の智慧者だというのか。地獄に堕ちないとでも言うのか。恐ろしいことである。
答える
あなたは、七慢、九慢、八慢などを本当に知っているのか。釈迦は、自らこの世で第一であると名乗られた。しかし、すべての外道はそれを聞いて、すぐに天に罰せられて、大地が割れて落ち込むだろうと言ったのだ。また日本の奈良七寺の三百人あまりが、最澄は昔の聖人の生まれ変わりか、などと言った。しかし、天も罰することなく、かえって左右を守護し、大地も割れず金剛のようにしっかりと支えた。伝教大師比叡山を立て、すべての人々の眼目となり、結局、奈良の七大寺の方は、最澄に屈服して弟子となり、日本中は比叡山の檀家となった。
このように、実際に優れた者を優れていると言うことは、高慢ではなく大きな功徳である。伝教大師は、「天台法華宗が他の諸宗よりも優れている理由は、拠り所としている経典によるためである。自賛して他を貶めているわけではない」と言っている。また、『法華経』に「多くの山の中で須弥山が第一である。この『法華経』もそれと同じである。諸経の中で最もこれ第一である」とある。この経文は、『法華経』以前に説かれた『華厳経』や『般若経』や『大日経』など、そして今説かれたばかりの『無量義経』、そしてこれから説かれる『涅槃経』などの五千七千巻の経典、および、インドや竜宮や四王天や忉利天や日天月天の中にあるすべての経典は、土山、黒山、小鉄囲山、大鉄囲山のようであって、日本に伝えられた『法華経』は須弥山のようだという意味である。また「この経典を受け保つ者も、またこれと同じである。すべての人々の中で、最も第一の者である」とある。この経文をもって考えるに、『華厳経』を持つ普賢菩薩、解脱月菩薩など、また竜樹菩薩、馬鳴菩薩、法蔵大師、清涼国師、則天皇后、審祥大徳、良弁僧正、聖武天皇、そして『深密般若経』を持つ勝義生菩薩、須菩提尊者、嘉祥大師、玄奘三蔵、太宗、高宗、観勒、道昭、孝徳天皇、そして真言宗の『大日経』を持つ金剛薩埵、竜猛菩薩、竜智菩薩、印生王、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵、玄宗、代宗、慧果、弘法大師、慈覚大師、そして『涅槃経』を持つ迦葉童子菩薩、五十二類、曇無懺三蔵、光宅寺の法雲、南三北七の十師などよりも、末代悪世の凡夫であり、戒律の一つも持たず、仏になれないような者に見えるけれども、経文の通り、過去現在未来において、『法華経』より他は仏になる道はないと強く信じて、それ以外は何も知らない者の方が、これらの大聖人よりも百千万億倍勝っているという経文である。この聖人の中には、あるいは『法華経』に移ろうと考えている人もおり、あるいはその経典に執着して『法華経』に入らない人もおり、あるいはその経典に留まっているばかりか、深く執着するために、『法華経』はその経典よりも劣っているという人もいる。
そうであるから、今、『法華経』の行者は心得なければならない。たとえば、「すべての河川の水の中で、海が第一のように、『法華経』を持つ者もまたこれと同じだ」とある通りに考えるべきである。今の日本にいる智慧者たちが星のようならば、日蓮は満月のようである。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄