法華経 現代語訳 87 (完)

その時に釈迦牟尼仏は、普賢菩薩を褒めて次のように語られた。
「良いことだ。良いことだ。普賢菩薩よ。あなたはよくこの経を守護し、多くのところにいる衆生を安楽に導いた。あなたはすでに、思いもおよばない功徳深大な慈悲を成就したのだ。遠い昔から今まで、最高の悟りを求める心を起こして、この神通力の誓願を立て、この経を守護した。私はまさに神通力をもって、普賢菩薩の名を受け保つ者を守護しよう。
普賢菩薩よ。もしこの法華経を受け保ち、読誦し、正しく記憶し、修習し、書写する者がいるならば、まさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏を見ているのだ。仏の口よりこの経典を聞いていることになるのだ。またまさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏を供養しているのだ。またまさに知るべきである。この人は、仏に『良いことだ』と褒められるのだ。またまさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏の手に、その頭をなでられるのだ。またまさに知るべきである。この人は、釈迦牟尼仏の衣に覆われるのだ。
このような人は、再び世の楽しみに対して貪欲になることはない。他の誤った宗教の経書や書簡などを好むことはない。またこの人は、屠殺目的で猪や羊や鶏や犬を飼う者、あるいは猟師、または女の色を売る悪しき者に親しく近づくことを願わない。この人は、心や志が素直であり、正しい考え方を持っており、福徳の力がある。この人は、貪欲、怒り、無知に悩まされることはない。また嫉妬、高ぶり、邪見、自惚れに悩まされることはない。この人は、欲が少なく智恵が十分にあり、よく普賢の行を修すであろう。
普賢菩薩よ。もし如来の滅度の後、終わりの時の五百年間において、法華経を受け保ち、読誦する者を見るならば、まさに次のような思いを持つべきである。
『この人は間もなく、悟りの道場に進んで、多くの魔を破り、最高の悟りを得て、教えを説き、教えの鼓を打ち、教えの螺を吹き、教えの雨を降らすであろう。まさに天や人の大衆の中にある、立派な教えの座の上に座るであろう。』
普賢菩薩よ。もし後の世において、この経典を受け保ち、読誦する者は、衣服や家具や飲食や生活物資に執着しないであろう。またその願いは空しくならないであろう。また現世において、その福の果報を得るであろう。
もしある人が、この経典を受け保つ者を軽蔑して罵り、「あれは気が狂っているだけだ。無駄な行をして、何も得るところはないだろう」と言ったとする。そのような罪の報いは、何度生まれ変わっても目のない者に生まれるようになる。
もしある人が、この経典を受け保つ者を供養し、讃歎するならば、まさに今の世において、良い果報を目の当たりにするであろう。
もしある人が、この経典を受け保つ者を見て、その者の失敗や悪を言い広めたとする。その失敗や悪が本当だとしても嘘だとしても、この人はこの世において、らい病になるであろう。
もしある人が、この経典を受け保つ者を軽蔑して笑うならば、何度生まれ変わっても、歯が欠けていて、唇も醜く、鼻が低く、手足が曲がっており、目が片寄っており、体が臭く膿が出て、腹に水がたまり、結核などの悪しき重い病気にかかるであろう。
このために普賢菩薩よ。もしこの経典を受け保つ者を見るならば、遠くであっても立ち上がって、仏を敬うように迎えるべきである。」
この『普賢菩薩勧発品』を説かれた時、大河の砂の数ほどの無量無辺の菩薩たちは、百千万億の旋陀羅尼(せんだらに・回転する陀羅尼という意味)を得、すべての世界を微塵にしたほどの数の菩薩たちは、普賢の道を身につけた。
仏がこの経を説かれた時、普賢菩薩などの菩薩たち、舎利弗などの声聞たち、および多くの天龍八部衆などのすべての会衆は、みな大いに歓喜し、仏の言葉を受け保ち、礼拝して去って行った。

 

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法華経 現代語訳 86

妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品 第二十八

(注:ここから、法華経の最終の章である『普賢菩薩勧発品(ふけんぼさつかんぼつほん)』となる。この章は、妙音菩薩がそうであったように、普賢菩薩が他の国から訪ね来ることによって始まる。勧発とは、人に勧めて心を鼓舞するという意味である。まさに、法華経の最後の箇所にふさわしいと言える。)

その時に普賢菩薩は、自在の神通力と偉大な威徳をもって、数えることのできないほどの多くの大いなる菩薩と共に、東方から来た。その経過したところ諸国はすべてみな震動し、宝の蓮華を降らせ、無量百千万億のあらゆる伎楽が響いた。
普賢菩薩はまた、無数の天龍八部衆に囲まれ、それぞれの威徳と神通力を現わして、娑婆世界の耆闍崛山に着き、釈迦牟尼仏の足を頭につけて礼拝し、右に七周して、次のように申し上げた。
「世尊よ。私は宝威徳上王仏(ほういとくじょうおうぶつ)の国において、遥かにこの娑婆世界で法華経が説かれていることを聞き、無量無辺百千万億の多くの菩薩たちと共に、それを聞くために来ました。ただ願わくば世尊よ。まさに説かれますことを願います。良き男子や良き女人は、如来の滅度の後において、どのようにしたらこの法華経を聞くことができるでしょうか。」
仏は普賢菩薩に次のように語られた。
「もし良き男子や良き女人が、次に述べる四つの事柄を成就すれば、如来の滅度の後において、この法華経を聞くことができるであろう。
第一は、諸仏に守られていることであり、第二は、多くの良き因縁を積んでいることであり、第三は、悟りに到達することが決定していることであり、第四は、すべての人々を救おうとする心を起こしていることである。
良き男子や良き女人がこのような四つの事柄を成就するならば、如来の滅度の後において、必ずこの経を聞くことができるであろう。」
(注:この法華経を聞くためには、ずいぶんと難しい条件が必要なのか、と思ってしまいそうであるが、これは法華経を聞く条件である。そしてこの文章を読んでいる者は、すでに法華経を聞いていることになる。つまり、すでにこの四つが成就しているということなのである。むしろこの言葉を受け入れるならば、法華経を聞いている、読んでいるということ自体が、実に偉大なことなのだ、という自覚を持つことになるのである。)
その時に普賢菩薩は、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。この世の終わりにあたる五百年間の、汚れた悪しき世の中においてであっても、私はこの経典を受け保つ者があるならば、まさにその者を守護して、その憂いや患いを除き、安穏であることを得させ、その者の短所を求める者は、それを得ることができないようにしましょう。あらゆる魔や鬼の類であっても、その人を悩ますことはできないようにしましょう。その人が歩きながら、または立ってこの法華経を読誦するならば、私は六つの牙を持つ白い象の王に乗って、大いなる菩薩たちと共にそのところに行って、自ら身を現わし、供養し守護してその心を安らかに慰めましょう。またそれは、法華経を供養するためです。
その人がもし、座ってこの経を考えるならば、私は白い象の王に乗ってその人の前に現われます。その人がもし法華経の一句一偈であっても忘れるようなことがあるならば、私はそれを教えて共に読誦し、その意味を悟らせましょう。
その時に法華経を受け保ち読誦する者は、私の身を見ることができ、大変喜んで、またさらに精進するでしょう。私を見ることによって、即座に三昧および陀羅尼を得るでしょう。それらを名づけて旋陀羅尼(せんだらに)、百千万億旋陀羅尼、法音方便陀羅尼(ほうおんほうべんだらに)と言います。このような陀羅尼を得るでしょう。
世尊よ。この世の終わりにあたる五百年間の、汚れた悪しき世の中において、僧侶や尼僧や男女の在家信者たちが、この法華経を求め、受け保ち、読誦し、書写し、修習しようとするならば、二十一日の間、まさに一心に精進すべきである。その期間を満了するならば、私はまさに、六つの牙の白い象に乗って、無量の菩薩たちに囲まれ、すべての人が見たいと願う姿をもって、その人の前に現われ、その人のために教えを説いて、心を励ましましょう。
またさらに、その人に陀羅尼の呪を与えましょう。この陀羅尼を得るならば、悪しき者などが害を加えることはないでしょう。また、女人に惑わされることはないでしょう。私自らが、その人を守りましょう。ただ願わくば世尊よ。私にその陀羅尼を説くことをお許しください。」
普賢菩薩は仏の前において、呪を次のように語った。
「あたんだい、たんだはち、たんだばてい、たんだくしゃれい、たんだしゅだれい、しゅだれい、しゅだらはち、ぼだはせんねい、さるばだらにあばたに、さるばばしゃあばたに、しゅあばたに、そうぎゃばびしゃに、そうぎゃねきゃだに、あそうぎ、そうぎゃはぎゃち、ていれいあだそうぎゃとりゃあらていはらてい、さるばそうぎゃさまちきゃらんち、さるばだるましゅはりせってい、さるばさたろだき。
世尊よ。もし菩薩にふさわしい者がいて(注:つまり法華経を受け保つ者という意味)、この陀羅尼を聞くことができた者は、まさにこれこそ、普賢神通の力であると知るべきです。またもし法華経をこの地で実践し続ける者は、まさにこれこそ、普賢威神の力であると知るべきです。もし、この経を受け保ち、読誦し、正しく記憶し、その意味を理解し、その説に従って修行するならば、その人は、普賢の行を行じていると知るべきです。その者は、無量無辺の諸仏のところにおいて、深く良い因縁を積む者となり、多くの如来の手によって、その頭をなでてもらうことになるでしょう。
もしただ書写するだけの者であっても、その人の命が終わって後、天の最も高い世界に生まれるでしょう。その時に八万四千の天女たちが、多くの伎楽を演奏しながら迎えに来るでしょう。その人は七宝の冠をかぶって、天女たちの中で楽しむでしょう。ましてや、受け保ち、読誦し、正しく記憶し、その意味を理解し、説に従って修行する者は、それ以上です。
もしある人が、この経を受け保ち、読誦し、その意味を理解したとします。この人の命が終わるならば、千仏の手が差し伸べられて、恐れることなく、悪しき世界に落ちることなく、兜率天(とそつてん)の弥勒菩薩の世界に行くでしょう。弥勒菩薩は、すぐれた三十二の姿を成就しており、大いなる菩薩たちに囲まれており、百千万億の天女や従者たちがいて、その者はその中に生まれるでしょう。このような功徳や優れたことがあるでしょう。このために、智恵のある者は、まさに一心に法華経を自らも書き、また人に書かせて、受け保ち、読誦し、正しく記憶し、説にしたがって修行すべきです。
世尊よ。私は今、神通力をもってこの経を守護し、如来の滅度の後に、この世に広く流布させ、決して絶えることのないようにします。」

つづく

 

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法華経 現代語訳 85

こうして妙荘厳王は群臣や従者と共に、浄徳夫人は宮に仕える女官や従者と共に、王の二人の子は四万二千人と共に、仏のところにいった。そして頭面を仏の足につけて礼拝し、仏の周りを三周して、その片隅に座った。
その時に仏は、王のために教えを説き、その心を奮い立たせた。王は大いに喜んだ。
その時に妙荘厳王とその夫人は、大変高価な首の真珠と首飾り頚の真珠を解いて、仏の上に注いだ。それらは虚空の中において、四つの柱の宝の台となった。その台の中に大宝の床があり、百千万の天の衣が敷かれていた。その上に仏が結跏趺坐して大光明を放たれた。
その時に妙荘厳王は次のように思った。
『仏の身は非常に尊く、その尊厳と美しさは際立っている。最も妙なるお姿を成就されている。』
その時に雲雷音宿王華智仏は、僧侶や尼僧や男女の在家信者に、次のように語られた。
『あなたたちはこの妙荘厳王が私の前において、合掌して立っている姿を見ているか。この王は、私のもとで僧侶となり、仏の道を進む菩薩の教えを精進し、まさに仏となるであろう。その名を娑羅樹王(しゃらじゅおう)という。その国を大光と名づけ、劫を大高王と名づける。その娑羅樹王仏には、無量の菩薩たちや声聞たちがいて、その国はすべて平らである。その仏国土にはこのような功徳があるのだ。』
その王は、即時に国を弟に譲り、王と夫人と二人の子、ならびに多くの従者と共に、その仏のもと出家して道を修した。王は出家して、八万四千年において、常に勤めて精進して妙法蓮華経を修行した。この後、一切浄功徳荘厳三昧と名付けられる瞑想を得た。(注:ここまで、さまざまな瞑想=三昧の名が出て来たが、そもそも瞑想は霊の次元における宗教的体験であるため、その内容は説明するべきものでもなく、説明されるものでもない。一応、名がつけられているが、その内容を知らねばならないということはない。)
その三昧の中で、非常に高く虚空に昇り、仏に次のように申し上げた。
『世尊、この私の二人の子は、仏の道を行なう中で、神通力による変化をもって、私の誤った心を転じて仏の教えを受け入れるようにさせ、世尊にお会いすることができました。この二人の子は、私にとって良き導き手です。前世までの良い因縁を発揮して、私を導くために、私の家に生まれてくれました。』
その時に雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王に次のように語られた。
『その通りだ。その通りだ。あなたが言った通りだ。もし良き男子や良き女人が、良い因縁を積むならば、何度生まれ変わっても、その時その時に良い導き手に会うのだ。その導き手は、仏の道を進ませ、心を奮い立たせて、最高の悟りに入らせるのだ。大王よ。まさに知るべきである。良い導き手はすばらしい因縁の結果である。教化して導き、仏に会わせ、最高の悟りを求める心を起こさせるのだ。大王よ。あなたの二人の子を見ているか。この二人の子は、すでにかつて大河の砂を六十五百千万億倍し、さらに一千億倍した数の諸仏を供養し、親しく近づき敬い、諸仏のところにおいて法華経を受け保ち、誤った考えの衆生を憐れみ、正しい思想に立たせたのだ。』
妙荘厳王は、即座に虚空の中から下りて、仏に次のように申し上げた。
『世尊よ。如来は非常に尊いお方です。その功徳と智恵をもって、肉髻の光明は照り輝いています。その眼は長く広く、紺青の色をしています。眉間の白毫の白いことは満月のようです。その歯は白く、整然と並んでおり常に光明があります。唇の色は素晴らしい赤い色で果実のようです。』
その時に妙荘厳王は、このような仏の無量百千万億の功徳を讃歎し終わって、如来の前において一心に合掌して、また仏に次のように申し上げた。
『世尊よ。このようなことは今までにありませんでした。如来の教えは、不思議であり、妙なる功徳をすべて成就しています。教えや戒めを行なう時、心は心地よく平安となります。私は今日より、自らの心の赴くままには従わず、誤った見解や高慢な心や、怒りやあらゆる悪しき心を生じさせません。』
この言葉を説き終わって、仏を礼拝して出て行った。」
(注:話が長いので、つい混同してしまうのだが、ここまでが、釈迦如来が語った昔の話である。ここからは、今、法華経を説いている場における言葉となる。)
仏は、大衆に次のように語られた。
「あなたたちはどのように思うか。妙荘厳王は、他の誰でもない。今の華徳菩薩である。その浄徳夫人は、今、仏の前にいる光照荘厳相(こうしょうそうごんそう)菩薩である。この菩薩は、妙荘厳王および多くの従者を憐れんで、彼の時代に生まれたのである。そしてその二人の子は、今の薬王菩薩と薬上菩薩である。この薬王菩薩と薬上菩薩は、このような大いなる功徳を成就して、無量百千万億の諸仏のもとで、多くの功徳の因縁を積んで、思いも及ばない多くの良き功徳を成就した。もしある人が、この二人の菩薩の名を知るならば、すべての天と人から敬われるであろう。」
仏がこの『妙荘厳王本事品』を説かれた時、八万四千人が汚れを離れ、あらゆる存在の中において、清らかな悟りの眼を得た。

つづく

 

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法華経 現代語訳 84

妙法蓮華経 妙荘厳王本事品 第二十七

その時に仏は、大衆に次のように語られた。
「測ることも想像することもできないほどの遠い過去に、仏がいた。その名を雲雷音宿王華智多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀(うんらいしゅくおうけちただあかどあらかさんみゃくさんぶっだ)という。その仏の教えの中に王がいた。その名を妙荘厳(みょうしょうごん)という。その王の夫人の名を浄徳(じょうとく)という。二人の子供がいて、ひとりを浄蔵(じょうぞう)と名づけ、もうひとりを浄眼(じょうげん)と名づける。
そのふたりの子には、大いなる神通力、福徳智恵があって、長い間、菩薩の行なうべき道を修した。いわゆる六波羅蜜と方便、慈悲喜捨、そして三十七の道(注:これらは菩薩が行なうべき道として代表的なものである。煩瑣を避けてここでは項目を挙げるのみとする)を、みなことごとく明らかに成就した。また、菩薩のあらゆる三昧(注:ここで七種類の三昧の名称だけが挙げられているが、煩瑣を避けて省略した)において、すべて成就した。
その時その仏は、妙荘厳王を導くため、および衆生を憐れまれ、この法華経を説かれた。
その時に浄蔵と浄眼のふたりの子は、その母のところに行き、合掌して次のように語った。
『願わくば母上。雲雷音宿王華智仏のところに礼拝するために行かせてください。私たちは従い仕え、供養し礼拝しようと思います。なぜならば、この仏は、すべての天と人々の中において、法華経を説かれています。私たちも聞くことを願います。』
母は子に次のように語った。
『あなたの父は、外道(げどう・仏教以外の宗教)を信じ受け入れ、深く婆羅門の教えに執着しています。あなたがたは父のところに行き、共に行くようにしなさい。』
浄蔵と浄眼は、合掌して母に次のように語った。
『私たちは教えの王である仏の子です。しかし、他の宗教の家に生まれました。』
母は子に次のように語った。
『あなたたちは、あなたたちの父を気の毒に思い、そのために神変(じんぺん・神通力による変化)を現わすべきです。もし父がそれを見るならば、心は必ず清らかとなるでしょう。そうなれば、私たちの仏のところに行くことを聞き入れるでしょう。』
そこで二人の子は、その父を思って、非常に高く虚空に上り、そこに留まってあらゆる神通力による変化を現わした。虚空の中において行住坐臥し、身の上より水を出し、身の下より火を出し、身の下より水を出し、身の上より火を出し、あるいは身を大きくして虚空の中に満ち、また身を小さくしてまた大きくし、空中において消え、また突然地面に姿を現わした。そして、地面の中に水がしみこむように入り、また水の上を歩いた。このようなあらゆる神変を現わして、その父である王の心を清くして信じ受け入れるようにした。
その時に父は、子の大いなる神通力を見て、このようなことは今まで見たことがないと大変喜んで、合掌して子に向かって次のように語った。
『あなたたちの師は誰であるか、あなたたちは誰の弟子か。』
二人の子は次のように語った。
『大王よ。あの雲雷音宿王華智仏が、今、七宝の菩提樹下の法座の上に座っておられます。すべての世界の天や人々の中で、広く法華経を説いておられます。この仏が、私たちの師です。私たちはこの仏の弟子です。』
父は子に次のように語った。
『私も今、あなたたちの師に会いたいと思う。共に行こうではないか。』
そこで二人の子は、空中より下りて、母のところに行き、合掌して次のように語った。
『王である父は、今信じ受け入れ、最高の悟りを求める心を起こす条件を満たされました。私たちは父のために、すでに仏の教えの中でなすべきことをなし終えました。願わくば母上。あの仏のところにおいて、出家して道を修することを許してください。』
その時に二人の子は、再びこの内容を述べようと、詩偈の形をもって次のように語った。
『願わくば母よ 私たちが出家して僧侶となることを許したまえ 諸仏にお会いすることは非常に難しいことです 私たちは仏に従って学ぶことを願います 三千年に一度咲くという花のように 仏にお会いすることはこれよりも難しいことです 仏に会うことを妨げることから脱することもまた難しいことです 願わくば私たちの出家をお許しください』
母は次のように語った。
『あなたたちの出家を許します。なぜならば、仏に会うことは非常に難しいからです。』
そこで二人の子は、その父母に次のように語った。
『父上、母上、ありがとうございます。願わくば共に、雲雷音宿王華智仏のところに行き、親しく供養してください。なぜなら、仏に会うことは難しいからです。三千年に一度咲く花のように、また片目の亀が大海に浮いた木の穴に顔を入れるように、非常に稀なことです。しかし、私たちは前世において植えられた福が深く厚く、仏の教えに会うことができました。このために、父上、母上よ。私たちを許して出家させてください。なぜならば、諸仏に会うことは難しく、また、仏がおられる時代に遭遇することも難しいからです。』
この時すでに、妙荘厳王に仕える八万四干の人々は、みなこの法華経を受け保つにふさわしい人々であった。子の浄眼はまさに菩薩にふさわしく、すでに法華三昧を成就していた。またもう一人の子である浄蔵はまさに菩薩にふさわしく、すでに無量百干万億劫において、離諸悪趣三昧(りしょあくしゅざんまい)を成就していた。すべての人々が、あらゆる悪の世界から離れることを願ってのことであった。そしてこの王の夫人は、諸仏集三昧(しょぶつしゅうざんまい)を得て、よく諸仏の秘密の教えを知ることに至っていた。
このように、二人の子は、方便の力をもって、その父が仏の教えを信じ受けることを願うように導いた。

つづく

 

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法華経 現代語訳 83

妙法蓮華経 陀羅尼品 第二十六

その時に薬王菩薩は、座より立って、右の肩を現わして合掌し、仏に向かって次のように申し上げた。
世尊よ。もし良き男子や良き女人がいて、法華経を受け保ち、読誦し、深く理解し、経巻を書写するならば、どれほどの福を得るのでしょうか。
仏は、薬王菩薩に次のように語られた。
もし良き男子や良き女人がいて、大河の砂を八百万億倍してさらに一千億倍した数の諸仏を供養したとする。あなたはどう思うか。その得るところの福は多いか少ないか。」
「非常に多いです。世尊よ。」
仏は次のように語られた。
「もし良き男子や良き女人がいて、この法華経のひとつの四句の偈を受け保ち、読誦し、意味を解釈し、説くところに従って修行するとしたら、その功徳はさらに多いのだ。」
その時に薬王菩薩は、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ、私は今まさに説法者に陀羅尼呪を与えて、これをもって守護します。」
すなわち、次のように呪を説いた。
「あに、まに、まねい、ままねい、しれい、しゃりてい、しゃみや、しゃびたい、せんてい、もくてい、もくたび、しゃび、あいしゃび、そうび、しゃび、しゃえい、あきしゃえい、あぎに、せんてい、しゃび、だらに、あろきゃばさいはしゃびしゃに、ねいびてい、あべんたらねいびてい、あたんだはれいしゅたい、うくれい、むくれい、あられい、はられい、しゅぎゃし、あさんまさんび、ぼつだびきりじりてい、だるまはりしてい、そうぎゃちりくしゃねい、ばしゃばしゃしゅたい、まんたら、まんたらしゃやた、うろたうろた、きょうしゃりゃ、あきしゃら、あきしゃやたや、あばろ、あまにゃなたや。
世尊よ。この陀羅尼神呪は、大河の砂を六十二億倍した数の諸仏の説くところです。もしこの法師を罵る者がいるならば、すなわち諸仏を罵ることになります。」
その時に釈迦牟尼仏は、薬王菩薩を褒めて次のように語られた。
「良いことだ。良いことだ。薬王菩薩よ。あなたはこの法華経の法師を憐れみ守るために、この陀羅尼を説いた。あらゆる衆生に益となることが多いであろう。」
その時に勇施菩薩は、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私もまた、法華経を読誦し受け保つ者を守るために、陀羅尼を説きます。もしその法師がこの陀羅尼を得るならば、夜叉や羅刹などの悪しき鬼たちが、その者の短所を求めても、それを見つけ出すことはできないでしょう。」
すなわち仏の前において、呪を次のように説いた。
「ざれい、まかざれい、うき、もき、あれい、あらばてい、ちりてい、ちりたはてい、いちに、いちに、しちに、にりちに、にりちはち。
世尊よ。この陀羅尼神呪は、大河の砂の数ほどの諸仏の所説です。またみなこれを喜ばれます。もしこの法師を罵る者がいるならば、すなわち、この諸仏を罵ったことになります。」
その時に世を守る毘沙門天は、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私もまた衆生を憐れみ、この法華経の法師を守るために、この陀羅尼を説きます。」
すなわち、呪を次のように説いた。
「あり、なり、となり、あなろ、なび、くなび。
世尊よ。この神呪をもって法師を守ります。また私自らもまさにこの経典を保つ者を守って、広い範囲にわたって、あらゆる憂いや困難がないようにします。」
その時に持国天(じこくてん)は、この会衆の中にあって、千万億をさらに一千億倍した数の乾闥婆(けんだつば・天龍八部衆のひとり)たちを従えて、進んで仏のところに進み出て合掌して、次のように申し上げた。
「世尊よ。私もまた陀羅尼神呪をもって、法華経を保つ者を守ります。」
すなわち、呪を次のように説いた。
「あきゃねい、きゃねい、くり、けんだり、せんだり、まとうぎ、じょうぐり、ふろしゃに、あんち。
世尊よ。この陀羅尼神呪は、四十二億の諸仏の所説です。もしこの法師を罵る者がいるならば、すなわちこの諸仏を罵ったことになります。」
その時に羅刹女(らせつにょ・女性の鬼神)たちがいた。名は藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)、曲歯(こくし)、華歯(けし)、黒歯(こくし)、多髪(たほつ)、無厭足(むえんぞく)、持瓔珞(じようらく)、皇諦(こうたい)、奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)といい、この十人の羅刹女鬼子母神(きしぼじん)とその子、並びに従者たちと共に仏のところに進み出て、声を同じくして仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私たちもまた、法華経を読誦し受け保つ者を守り、その憂いや困難を除こうと願います。もし、その法師の短所を求める者がいたとしても、それを見つけ出すことはできないでしょう。」
すなわち、仏の前において、呪を次のように説いた。
「いでいび、いでいびん、いでいび、あでいび、いでいび、でいび、でいび、でいび、でいび、でいび、ろけい、ろけい、ろけい、ろけい、たけい、たけい、たけい、とけい、とけい。
私の頭の上に上ったとしても、法師を悩ますことは許しません。あらゆる鬼神たち、あるいは熱病であっても、一日、二日、三日、四日、さらに七日、あるいは常に熱で苦しめる病であっても、あるいは男の形、女の形、男子の形、女子の形、あるいは夢の中であっても、悩ますことを許しません。」
すなわち、仏の前において、詩偈の形で次のように説いた。
「もし私の呪に従わず 説法者を悩ますならば その頭は木の枝のように七つに裂けるであろう 父母を殺す罪のように また不正な油を作る者 升をごまかして商売する者 僧団を分裂させる者のように 重い罰を受けるであろう」
羅刹女たちは、この詩偈を説き終わって、仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私たちはまさに、この身をもって、この経を受け保ち読誦し修行する者を守り、安穏でいることを得させ、あらゆる憂いや困難を離れ、多くの毒を消させます。」
仏は羅刹女たちに次のように語られた。
「良いことだ。良いことだ。あなたたちはよく、法華の名だけを受け保つ者さえ守ろうとする。その福は測ることができない。ましてや、経典を完全に受け保ち、経巻に花や香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、飾られた旗や傘、伎楽を供養し、あらゆる尊い妙なる燈火を百千種も灯し、これをもって供養する法師は、この羅刹女たちによって守られるべきである。」
この陀羅尼品を説かれた時、六万八千人がこの世の存在に対する悟りを得た。

つづく

 

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法華経 現代語訳 82

(注:今回は、この『観世音菩薩普門品』の詩偈の部分となる。実は、二十二章目の『嘱累品』から最後までの各章において、全体的な散文の箇所の内容を、同じ内容の詩偈で繰り返すパターンで記されている章は、この『観世音菩薩普門品』だけである。さらに、鳩摩羅什の訳した法華経には、もともと『観世音菩薩普門品』の詩偈の部分はなかった。つまり実際『嘱累品』からは、それまでのパターンであった散文→詩偈という形はないのである。『観世音菩薩普門品』の詩偈の部分は、鳩摩羅什の時代から約二百年後の隋の時代に付け加えられたのである。鳩摩羅什の訳はシンプルであり明快であるが、この詩偈の言葉は、純粋な中国の文学者が書いたのではないか、と思われるほど修飾された言葉が多い。しかしそれだけに、この詩偈は非常に名文であり、「観音経」の普及と共に、日本の文化に大きな影響を与えた箇所でもある。)

その時に無尽意菩薩は、詩偈の形をもって次のように申し上げた。
「妙なる姿の世尊よ 私は今重ねて彼についてお尋ねします この仏の子はどのような因縁あって 観世音と名付けられるのでしょうか」
妙なる姿の世尊は 詩偈をもって無尽意に答えられた
「あなたは観音のわざを聞くがよい あらゆるところに応じて身を現わす その誓願の広く深いことは海のようだ 測り知れないほどの時間をかけても知ることはできない 千億の多くの仏に仕えて 大いなる清らかな誓願を立てた 私はあなたのために略して説こう 名を聞きおよび身を見 心に念じて空しく過ごさなければ あらゆる苦しみを滅ぼすことができる たとい悪意によって 大きな火の穴に突き落とされても 観音の力を念ずるならば その火の穴は池となるであろう あるいは大海原に漂流して 龍魚や諸鬼の難にあっても 観音の力を念ずるならば 波も沈めることはできない あるいは須弥山から 人に突き落とされても 観音の力を念じるならば 太陽のように虚空に留まるであろう あるいは悪人に追われ 金剛山より落ちても 観音の力を念じるならば 毛の一本も損なうことはないであろう あるいは怨賊に襲われ 刀によって殺されそうになっても 観音の力を念じるならば 相手は憐れみの心を起こすであろう あるいは王の権力によって捕らえられ 処刑されるにあたって 観音の力を念じるならば その刀は砕けるであろう あるいは鎖に縛られ囚人となり 手足に枷(かせ)をはめられても 観音の力を念じるならば それらは解けて脱することができるであろう 呪詛や毒薬を盛られ 身を害されようとしている者が 観音の力を念じるならば その害はかえって相手につくであろう あるいは悪しき羅刹 毒龍や諸鬼などにあっても 観音の力を念じるならば それらは害を与えることはないであろう あるいは悪しき獣に囲まれ 鋭い牙や爪が迫って来ても 観音の力を念じるならば それらは急いで逃げ去るであろう トカゲやヘビやサソリの毒が 煙や火のように迫って来ても 観音の力を念じるならば それらは自ら去って行くであろう 雲が起こり雷鳴と雷光が激しく 雹が降って大雨となっても 観音の力を念じるならば それらは消えていくであろう 衆生は困難や災いによって 無量の苦しみが身に迫っているが 観音の妙なる智恵の力は よく世間の苦しみを救うのである 神通力を持ち 広く智恵による方便を修して あらゆる方角の多く国土に 身を現わさないところはない さまざまの悪しき世界 地獄餓鬼畜生 生老病死の苦 次第にすべて消滅する 真理を見る眼と清らかな眼 広大な智恵の眼 慈悲の眼を持つ 常に願い常に仰ぎ見るべきである 汚れない清らかな光があり 智恵の太陽の光は闇を破り 風や火の災難を鎮め 遍く明かに世間を照らす 慈悲からの戒めは鳴り響く雷のようであり 慈悲からの心の妙なることは大きな雲のようであり 甘露の教えの雨を注ぎ 煩悩の炎を滅ぼし除く 訴えられて裁判にかけられ 軍隊の中に入れられ死を恐れても 観音の力を念じるならば それらの怨敵はすべて退散するであろう 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音(注:この三句は完全に文学的漢文表現であり、訳すことは不可能であるが、意味は伝わってくる。このような表現は鳩摩羅什は用いない。そもそも、観世音の「音」は、人々の声の意味であるから、音という言葉をこのように文学的に修飾しても意味はない。) このために常に念ずべきである 一念一念 疑いを生ずることがないようにせよ 観世音は清らかであり聖であり 苦悩死厄において その頼る拠り所となる 一切の功徳をそなえ 慈悲の眼をもって衆生を見る 福聚の海は無量である そのためにまさに拝すべきである」
その時に持地菩薩(じぢぼさつ=地蔵菩薩)は、座より立って、前に進んで仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もし衆生の中で、この『観世音菩薩品』に記されている自在のわざ、普門示現の神通力を聞く者がいるならば、その人の功徳は少なくないとまさに知るべきです。」
仏がこの『普門品』を説かれた時、大衆の中の八万四千の衆生は、みなこの上ない最高の悟りを求める心を起こした。

 

つづく

 

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法華経 現代語訳 81

もし婬欲が多ければ、常に念じて観世音菩薩をつつしみ敬うならば、欲を離れることができるであろう。もし怒りの思いが多ければ、常に念じて観世音菩薩をつつしみ敬うならば、怒りを離れることができるであろう。もし愚痴が多ければ、常に念じて観世音菩薩をつつしみ敬うならば、愚痴を離れることができるであろう。
無尽意菩薩よ。観世音菩薩はこのように大いなる威神力があり、多くの人々を導くのである。このために、人々は常に心に念ずべきである。
もしある女人がいて、男子を産むことを願って、観世音菩薩を礼拝し供養するならば、福徳と智恵のある男子を産むであろう。もし女子を産むことを求めるならば、姿かたちの整った、徳を備えて人々に愛され敬われる女子を産むであろう。
無尽意菩薩よ。観世音菩薩には、このような力がある。もし人々が観世音菩薩をつつしみ敬い礼拝するならば、その福は空しくはならないのである。このために人々は、まさにみな観世音菩薩の名号を受け保つべきである。
無尽意菩薩よ。もしある人がいて、大河の砂を六十二億倍した数の菩薩の名を受け保ち、力の限り飲食、衣服、寝具、医薬などを供養したとする。あなたはどう思うか。この良き男子や良き女人の功徳は多いか少ないか。」
無尽意菩薩は次のように申し上げた。
「大変多いです。世尊よ。」
仏は次のように語られた。
「また、もしある人がいて、観世音菩薩の名を受け保ち、たとい一時であっても礼拝し供養したとする。この二人の福は、全く同じであって異なることはなく、百千万億劫の間も尽きることはない。
無尽意菩薩よ。観世音菩薩の名を受け保つならば、このように無量無辺の福徳の利を得るのである。」
無尽意菩薩は仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。観世音菩薩は、どのようにしてこの娑婆世界にわざをなすのでしょうか。どのようにして衆生のために教えを説くのでしょうか。その方便の力はどのようなものなのでしょうか。」
仏は、無尽意菩薩に次のように語られた。
「良き男子よ。もしこの国土の衆生において、仏によって導かれる者には、観世音菩薩は仏の身を現わして教えを説き、辟支仏によって導かれる者には、観世音菩薩は辟支仏の身を現わして教えを説き、声聞によって導かれる者には、声聞の身を現わして教えを説き、帝釈天によって導かれる者には、帝釈天の身を現わして教えを説き、自在天によって導かれる者には、自在天の身を現わして教えを説き、大自在天によって導かれる者には、大自在天の身を現わして教えを説き、天大将軍によって導かれる者には、天大将軍の身を現わして教えを説き、毘沙門天によって導かれる者には、毘沙門天の身を現わして教えを説き、小王によって導かれる者には、小王の身を現わして教えを説き、長者によって導かれる者には、長者の身を現わして教えを説き、貿易商人によって導かれる者には、貿易商人の身を現わして教えを説き、宰官によって導かれる者には、宰官の身を現わして教えを説き、婆羅門によって導かれる者には、婆羅門の身を現わして教えを説き、僧侶や尼僧や男女の在家信者によって導かれる者には、僧侶や尼僧や男女の在家信者の身を現わして教えを説き、長者や貿易商人や宰官や婆羅門の婦人によって導かれる者には、婦人の身を現わして教えを説き、男子や女子によって導かれる者には、男子や女子の身を現わして教えを説き、天龍八部衆によって導かれる者には、天龍八部衆の身を現わして教えを説き、金剛力士によって導かれる者には、金剛力士の身を現わして教えを説く。
(注:このように、多くの身に変化して現われるというところは、前の章にあった妙音菩薩と同じである。しかし、妙音菩薩はもともと娑婆世界の菩薩ではないが、観世音菩薩は最初から娑婆世界の菩薩であるところが、大きな違いである。)
無尽意菩薩よ。この観世音菩薩は、このような功徳を成就して、あらゆる姿となって、国土において衆生を導くのである。このために、あなたがたは、まさに一心に観世音菩薩を供養すべきである。この大いなる観世音菩薩は、突如の災難による恐怖の中において、よく無畏(恐れがないこと)を施す。このために、この娑婆世界では、みなこの菩薩を施無畏者(せむいしゃ)と呼ぶ。」
無尽意菩薩は仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。私は今まさに観世音菩薩を供養します。」
無尽意菩薩は首にかけた百千両金の価値のある宝珠の首飾りをはずし、これを与えようとして、次のように語った。
「この珍宝の首飾りを、教えに対する施しとしてお受けください。」
その時、観世音菩薩はこれを受け取ろうとしなかった。
無尽意菩薩は、また観世音菩薩に次のように語った。
「どうか私たちを憐れんで、この首飾りをお受けください。」
その時に仏は、観世音菩薩に次のように語られた。
「まさにこの無尽意菩薩、および僧侶や尼僧や男女の在家信者、さらに天龍八部衆たちを憐れんで、この首飾りを受け取るべきである。」
その時、観世音菩薩は、僧侶や尼僧や男女の在家信者および天龍八部衆たちを憐れんで、この首飾りを受け取り、それをふたつに分けて、一方を釈迦牟尼仏に捧げ、一方を多宝仏塔に捧げた。
「無尽意菩薩よ。観世音菩薩はこのような自在の神通力をもって、この娑婆世界にわざをなすのである。」

つづく

 

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