大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

開目抄 その15

『摩訶止観』第一巻の冒頭には、「散乱する心を鎮め、明らかな智慧で照らす止観は、今までなかった法門である」とある。『止観輔行伝弘決』第一巻には、「漢の明帝が、仏教が伝わるという夢を見てから陳朝の天台大師に及ぶまで、禅門に預かって衣鉢を伝授さ…

開目抄 その14

このように、『法華経』と『涅槃経』の太陽や月のように明らかであり、妙楽大師とその弟子の智度大師の明らかな鏡によって、今の世の諸宗ならびに国中の禅・律・念仏者の醜い顔を浮かべれば、そこに一つの曇りもない。『法蓮経』の「勧持品」には、「仏滅度…

開目抄 その13

このようなことはさて置く。私たちの一門の者のために記そう。他人は信じなければただの逆縁(ぎゃくえん・正しい教えに対する妨げという意味)である。一渧をなめて大海の塩を知り、一華を見て春を感ぜよ。万里を渡って宋に入らずとも、三年をかけてインド…

開目抄 その12

『密厳経』には、「『十地経』『華厳経』など、『大樹経』と『神通経』・『勝鬘経』および他の経典など、みなこの経典から出ている。このような『密厳経』は、一切経の中で勝れている」とある。『大雲経』には、「この経典はすなわち諸経典の転輪聖王のよう…

開目抄 その11

私がこのことを考えるに、『華厳経』・『観無量寿経』・『大日経』などを読み修行する人を、その経典に説かれている仏・菩薩・天などが守護するのであろう。このことは疑うことはできない。ただし、『大日経』・『観無量寿経』などを読む行者たちが、『法華…

開目抄 その10

このように、釈迦の過去の事実が明らかにされたならば、諸仏はみな、釈迦仏の分身であることがわかる。しかし、『法華経』以前の経典や、『法華経』の迹門の中では、諸仏は釈迦仏と肩を並べてそれぞれの修行をした仏である。そのために、その諸仏をそれぞれ…

開目抄 その9

開目抄 下 文永九年(1272)二月 五十一歳 (これよりは、『開目抄』の下となる) また、今より諸大菩薩も梵天・帝釈天・日月天・四天王なども、教主釈尊の御弟子となるのである。したがって、「見宝塔品」には、これらの大菩薩を仏は自らの弟子たちとし…

開目抄 その8

『法華経』の「方便品」において、概略的に開三顕一(注:三乗すべての人が一仏乗となる、すなわち、声聞、縁覚、菩薩のすべてが仏になれる、ということ)を説かれた時、仏は、概略的に一念三千の心中の本懐を述べられた(注:天台大師は、特に止観の実践修…

開目抄 その7

諸の声聞は、前四味(注:『涅槃経』では、釈迦の説いた経典の順番を、乳の発酵精製過程に喩えて五味として表現しており、天台大師はこれを大きく用いている。すなわち、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味であり、『法華経』『涅槃経』が最後の醍醐味であ…

開目抄 その6

天台大師は、「釈迦の在世中も怨み嫉みが多いならば、ましてや未来は言うまでもない。人々を教化することが難しくなる」と述べている。妙楽大師は、「妨害する思いが未だ除かれていない者を怨とし、聞くことを喜ばない者を嫉と名付ける」と述べている。この…

開目抄 その5

法相宗という宗派は、仏滅後九百年、インドに無著菩薩という大論師がおり、夜は都率天(とそつてん)の内院に上り、弥勒菩薩に対面して一代聖教の不審を開き、昼は阿輸舎国(あしゅしゃこく・西域にあったカニャークプジャ国)において法相の法門(唯識)を…

開目抄 その4

私日蓮は、「日本に仏法が伝わってすでに七百年余り、ただ伝教大師一人ばかりが『法華経』を読む人である」と言っているが、人々はこれを受け入れない。ただし、『法華経』には、「もし須弥山を取って、他方の無数の仏国土に投げることも、まだ難しいとは言…

開目抄 その3

これについて、私の愚かな見解をもって、『法華経』以前の四十年余りとそれ以後の八年との相違を考えると、その相違は多いと言っても、まず世間の学者も認め、私もそうだと思うことは、迹門の二乗作仏と本門の久遠実成である。 『法華経』の原文を拝見すると…

開目抄 その2

一念三千の法門は、ただ『法華経』の本門の「如来寿量品」の文の底に隠されている。竜樹・天親は知っていながらも、まだ時が至っていないとして明らかにしなかった。ただ師と仰ぐ天台智者大師のみがこれを説かれた。 (注:一念三千(いちねんさんぜん)とは…

開目抄 その1

開目抄 上 文永九年(1272)二月 五十一歳 (注:『開目抄』は、佐渡に流罪となった日蓮上人が、塚原三昧堂という小さな堂宇において記したものである。使者を通して、武士であり弟子である四条頼基(しじょうよりもと)に送られた。「開目」とは、迷っ…

報恩抄 その9 (完)

日蓮が「南無妙法蓮華経」と広めれば、「南無阿弥陀仏」の働きは月が隠れるように、潮が引くように、秋冬の草が枯れるように、氷が太陽で溶けるようになるのを見るべきです。 問う人が言います。その教えが実に勝れているならば、摩訶迦葉・阿難・馬鳴・竜樹…

報恩抄 その8

このような真言・禅宗・念仏などがようやく盛んになって来たころ、人王第八十二代尊成隠岐の法王(後鳥羽上皇)は、権大夫殿(北条義時)を滅ぼそうと年々努力されていましたが、国主であるので、師子の王が兎を襲うように、鷹が雉を取るように思われていた…

報恩抄 その7

問う人が言います(注:この問いの文は非常に長い)。弘法大師の『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』には、「時に弘仁九年の春、天下に疫病が流行った。そこで天皇自ら黄金を筆端に染め、紺紙を手に握って『般若心経』一巻を書写された。私はその…

報恩抄 その6

問う人が言います。『涅槃経』の文には、『涅槃経』の行者は爪上の土ほどだとあります。あなたは、それを『法華経』と言います。これはどうなのでしょうか。 答えます。『涅槃経』には、「『法華経』の中にある通りである」などの言葉があります。妙楽大師は…

報恩抄 その5

そもそも、『法華経』第五巻に、「文殊師利よ、この『法華経』は諸仏如来の秘密の蔵である。諸経の中において、最もその上にあり」とあります。この経文の通りならば、『法華経』は『大日経』などのすべての経典の頂上にある正しい教えです。そうであるなら…

報恩抄 その4

また、石淵の勤操僧正の弟子に空海という人がいました。後に弘法大師と号しました。延暦廿三年五月十二日に唐に入り、中国においては、金剛智・善無畏の両三蔵の第三の弟子である恵果和尚という人から両界曼荼羅を伝受され、大同二年十月二十二日に帰朝しま…

報恩抄 その3

陳・隋の世も代わって、唐の世となりました。章安大師(章安灌頂。天台大師の弟子であり、中国天台宗第四祖と数えられる。天台大師の講義の多くを筆記して残した)も入滅られ、天台の仏法がだんだん失われていく中、唐の太宗の時代に玄奘三蔵という人がいて…

報恩抄 その2

問う人が言います。華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の善無畏、そして弘法・慈覚・智証などを、仏の敵とおっしゃるのですか。 答えます。これは大いなる難問です。仏法に入って以来、第一の大事です。愚かな眼をもって経文を見ると、『法華経』より…

報恩抄 その1

報恩抄 建治二年(1276)七月廿一日 五十五歳 (注:『報恩抄』は、日蓮上人の出家当時の師であった清澄寺の道善(どうぜん)の追善供養のために記された。道善は建治二年〈1276〉に亡くなっている。身延山の日蓮上人は、この書を記し、日向という弟…

一念三千法門 現代語訳と解説

一念三千法門 正嘉二年(1258) 三十七歳(注:『立正安国論』を著わす2年前) 『法華経』が他の経典より勝っているということは、どのようなことであろうか。この経に、一心三観、一念三千ということが記されている(注:『法華経』には、一心三観、一…

立正観抄 現代語訳と解説

立正観抄 文永十一年(1274年) 日蓮 撰 (注:立正観鈔とも。副題として、「法華止観同異決」とある。身延山にて、日蓮上人53歳の著作。天台宗の僧侶で、何らかの理由により佐渡に流罪となり、その佐渡で弟子となった最蓮房宛。最蓮房は京都におり、…