2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧
『法華経』現代語訳と解説 その6 諸仏の最初からの誓願は 仏の修した仏道を 普く衆生にも また同じく得させようと願うものである 未来世の諸仏も 百千億 無数のあらゆる法門を説くであろうが それらは実は一乗なのである(注1) 両足を持つ人間の中で最も…
『法華経』現代語訳と解説 その5 その時、世尊は重ねてこの義を述べようと、偈をもって語られた。 僧侶と尼僧の中で 増上慢を抱く者 男子の在家信者の高慢な者 女子の在家信者の不信心な者 このような四衆ら その数五千人 自らその咎を省みることなく 学ぶ…
『法華経』現代語訳と解説 その4 その時、世尊は舎利弗に次のように語られた。 「あなたはすでに、三度も熱心に懇願した。どうして説かないことができようか。あなたは今、明らかに聞き、よくこれを思念せよ。私はまさにあなたのために、分別し解き明かそう…
『法華経』現代語訳と解説 その3 妙法蓮華経方便品第二 その時に世尊は、三昧より安らかに立たれ、舎利弗に告げられた。 「諸仏の智慧は非常に深く無量である。その智慧の門は理解しがたく入り難い。すべての声聞や辟支仏が知ることのできないものである。…
『法華経』現代語訳と解説 その2 その時、文殊師利菩薩は弥勒菩薩およびあらゆる大菩薩に次のように語った。 善き男子たちよ。私が思うに、今、仏である世尊は、大いなる法(注1)を説き、大いなる法の雨を降らし、大いなる法の螺(ほらがい)を吹き、大い…
『法華経』現代語訳と解説 その1 妙法蓮華経序品第一 このように私は聞いた。 ある時、釈迦仏は、インドの王舎城(おうしゃじょう)にある耆闍崛山(ぎしゃくっせん)におられた。 そこには、一万二千人もの偉大な修行者たちが共にいた。これらの人々は、み…
法華取要抄 その4 疑って言う:多宝仏の証明や十方諸仏の助言、地涌の菩薩の涌出などは、誰のためか。 答える:世間の人々は、『法華経』が説かれたその世のためだと言うだろう。しかし、日蓮は次のように言う。舎利弗や目連などは、この現世においては智慧…
法華取要抄 その3 問う:『法華経』は誰のために説かれたものなのか。 答える:「方便品第二」より「授学無学人記品第九」に至るまでの八品に、二つの意義がある。上より下に向けて、次第通りにこれを読めば、第一は菩薩のため、第二には二乗のため、第三は…
法華取要抄 その2 そもそも諸宗の人師たちは、旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗の曲がった解釈に執著して、自らの義に従い、愚かな見解をもって注釈し、それを残して後代に加えているのである。た…
法華取要抄 その1 法華取要抄(ほっけしゅようしょう) 文永十一年(1274)五月 五十三歳 富木常忍に与える 身延において 扶桑沙門日蓮、これを述べる。 そもそも、月支国(げっしこく・インドを意味する)より西域を経て中国、日本に渡来するところの…
波木井殿御報(はきいどのごほう・日蓮上人最後の書状。口述筆記) 慎んで申し上げます。 ここまでの道のりは、無事に池上まで着くことができました。その途中、山といい、川といい、それなりに難儀はしましたが、御子息たちに守られて、これと言ったことも…
種種御振舞御書 その15 みな、弘法大師や慈覚大師を謗る人は、どうして用いられようかと思っている。しかし、他人はさておき、安房の国の東西の人々は、この事を信じるべきである。なぜなら、それは眼前している現証があるからである。いのもりの円頓房、…
種種御振舞御書 その14 (注:ここより最後までは、日蓮上人の記した文と思われる)。 もともとわかっていたことではあったが、三度も国を諫めても、用いられなければ国を去るべし、ということで、同年五月十二日に鎌倉を出て、この山(身延山)に入った。…
種種御振舞御書 その13 (注:この段落の内容は、『報恩抄』にもあり、「文永十一年四月十二日の大風は、東寺第一の智者とされる阿弥陀堂加賀法印が雨ごいした結果の逆風です。善無畏・金剛智・不空の悪法を、少しも違えることなく伝えたためでしょうか。…
種種御振舞御書 その12 また念仏者が集まって協議した。 「こうなっては、我々は飢え死にしてしまう。どうやって、この法師を亡き者とすることができようか。すでに国中の者も多くは彼に従っている。どうしたらいいものか」と相談し、念仏者の長者の唯阿弥…
種種御振舞御書 その11 (以下にこの訳者の補足の注を記す。 伝染病が流行すれば、もうこれがこの世の終わりの兆候だ、終末だ、とか言い、大きな災害があれば、これは神の裁きだ、終末の始まりだ、などと言い、その言葉を受け入れて、狂信的になる者たちが…
種種御振舞御書 その10 さて、塚原に論争をするために集まって来た者たちはみな帰ったので、去年の十一月から構想を練っていた『開目抄』という文二巻を記した。これは、もし首を切られても、日蓮の身に起った不思議を留めておこうと思って構想を練ってい…
種種御振舞御書 その9 (注:前の段落は、さまざまな人々からの迫害があったからこそ、自分は『法華経』の行者となれたのだ、という内容であり、多くの経典や経論からの引用、そして中国や日本の史実を交えて記されていた。ところが、この段落からは、再び…
種種御振舞御書 その8 中国の李陵(りりょう・前漢の軍人)が胡国(ここく・中国から見た異民族。匈奴)に入って巌窟(がんくつ)に閉じ込められたのも、法道三蔵(ほうどうさんぞう・永道。北宋の僧)が微宋皇帝(きそうこうてい・北宋の王。仏教弾圧をし…
種種御振舞御書 その7 同年十月十日に依智を立って十月二十八日に佐渡の国へ着いた。 (注:『寺泊御書』の冒頭には、「今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き、十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ。此れより大海を亘つて…
種種御振舞御書 その6 正午ごろ、依智(えち・厚木市に合併される前は、依知村という地名で残っていた)という所に行き着き、本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん・本間六郎左衛門尉重連(しげつら)。北条宣時に仕えた武士。佐渡の代官であり、依智に…
種種御振舞御書 その5 そして、十二日の夜、武蔵守殿(注:北条宣時)に預けられた身となっていたが、夜半になって、首を切られるために鎌倉から出た。若宮小路(=若宮大路)に出た時、周りは兵士に囲まれていたが、日蓮は、「おのおの方、騒がないでもら…
種種御振舞御書 その4 去る文永八年(1271)九月十二日に、幕府からの迫害を被った。その時の迫害は、尋常ではなく非常識極まりないものであった。 了行(りょうこう・幕府転覆の陰謀を企てた僧侶)が謀反を起こし、大夫の律師(だいぶのりっし・鎌倉幕…
種種御振舞御書 その3 (注:この直前、つまり「その2」の最後の部分の原文は、「仏の御使ひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ」となっている。日蓮上人は弟子たちに、幕府からどのような脅しが来ても、仏の使いという自覚をもって…
種種御振舞御書 その2 このようなことを知って、日蓮はむしろ喜んで言うのである。これはもとより知っていたことである。雪山童子(せっせんどうじ・釈迦の前世のうちの一人。帝釈天が姿を変えた鬼の説く「諸行無常/是生滅法」という偈を聞いて、その後半の…
種種御振舞御書 その1 種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ) 建治二年(1276年) 五五歳 (注:この書は、建治二年に身延にて、光日房という弟子宛に日蓮上人が記したものということになっているが、実際は、後世、自伝的な内容の短い書が集め…