大乗経典と論書の現代語訳と解説

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『法華経』現代語訳と解説 その44

法華経』現代語訳と解説 その44

 

妙法蓮華経 妙音菩薩品 第二十四

 

その時に釈迦牟尼仏は、大いなる肉髻(にくけい)から光明を放ち、および眉間にある白毫(びゃくごう)から光を放って、東方にある、百八万億那由他の大河の砂の数の諸仏の世界を広く照らされた。それほどの数の仏国土を過ぎたところに浄光荘厳(じょうこうしょうごん)という世界があった。

その国に仏がおられて、その名を浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達し、世間を理解し、無上のお方であり、人を良く導き、天と人との師であり、仏であり、世尊である。無量無辺の数の菩薩の大衆から敬われ、囲まれて、彼らのために教えを説いていた。釈迦牟尼仏の白毫の光明は、広くその国を照らされた。

その時に、一切浄光荘厳国(いっさいじょうこうしょうごんこく)と名付けられた国の中にひとりの菩薩がいた。その名を妙音(みょうおん)という。長い間、徳を積んで、無量百千万億の諸仏を供養し、親しく仏に近づき、非常に深い智慧を成就し、妙幢相三昧・法華三昧・浄徳三昧・宿王戯三昧・無縁三昧・智印三昧・解一切衆生語言三昧・集一切功徳三昧・清浄三昧・神通遊戯三昧・慧炬三昧・荘厳王三昧・浄光明三昧・浄蔵三昧・不共三昧・日旋三昧であり、このように、百千万億の大河の砂の数ほどの多くの大いなる三昧を得た。

そして、釈迦牟尼仏の光が、その妙音菩薩の身を照らした時、妙音菩薩は浄華宿王智仏に次のように言った。

「世尊よ。私は娑婆世界に行き、釈迦牟尼仏を礼拝し、親しく近づき、供養し、さらに教えの王子である文殊菩薩、薬王菩薩、勇施(ゆせ)菩薩、宿王華菩薩、上行意(じょうぎょうい)菩薩、荘厳王(しょうごんおう)菩薩、薬上(やくじょう)菩薩に会おうと思います」。

その時に浄華宿王智仏は、妙音菩薩に次のように語られた。

「あなたはその国を蔑み、下劣の思いを生じさせることのないようにせよ。良き男子よ。その娑婆世界は、高低があり、土や石があり、多くの山があり、汚れや悪が充満している。仏の身は小さく、菩薩たちも小さい。しかしあなたの身は、四万二千由旬(ゆじゅん、私の身は六百八十万由旬である。あなたの身は何よりも美しく、百千万の福があり、妙なる光明に満ちている。そのために、その国に行ってその国の状態を軽んじ、仏、菩薩、およびその国土に対して、下劣の思いを生じさせることのないようにせよ」。

妙音菩薩は、仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。私が今、娑婆世界に礼拝するために行くことは、すべて如来の力、如来の神通力であり、あらゆる世界に行くことのできる力であり、如来の功徳と智慧の厳かな表われに他なりません」。

そして妙音菩薩は、その座を立たず、身を動かさずに瞑想に入り、その瞑想の力によって、『法華経』の説かれている耆闍崛山(ぎじゃくせん)の教えの座から遠くない場所に、八万四千のあらゆる宝の蓮華を作った。妙なる金を茎とし、白銀を葉とし、金剛を毛とし、赤い色の宝をもってその台とした。

その時に文殊菩薩は、それらの蓮華を見て、仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。何の因縁によって、この不思議なしるしが現われたのでしょうか。約千万の蓮華が現われ、妙なる金を茎とし、白銀を葉とし、金剛を毛とし、赤い色の宝をその台としています」。

その時に釈迦牟尼仏は、文殊菩薩に次のように語られた。

「これは大いなる妙音菩薩が、浄華宿王智仏の国より八万四千の菩薩を従えて、この娑婆世界に来て、私を供養し、親しく近づき、礼拝しようと願い、また『法華経』を供養し、聞くことを願ってのことである」。

文殊菩薩は、仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。この菩薩は、どのような良き因縁を備え、どのような功徳を修して、このような大いなる神通力があるのでしょうか。どのような瞑想を行じるのでしょうか。願わくは私たちのために、この瞑想の名を説いてください。私たちもまたそれを勤めて修行したいと願います。その瞑想を行じて、この菩薩の姿の大小、その立ち居振る舞いを見たいと願います。願わくは世尊よ。神通力をもってその菩薩が来られたならば、私がそれを見ることができるようにさせてください」。

その時に釈迦牟尼仏は、文殊菩薩に次のように語られた。

「ここにおられる、遠い昔に滅度された多宝如来が、まさにあなたのために、その姿を見せられるであろう」。

その時に多宝仏は、妙音菩薩に次のように語られた。

「良き男子よ来れ。文殊菩薩があなたの身を見たいと願っている」。

その時に妙音菩薩は、その国において姿を消し、八万四千の菩薩と共に出発した。その通過して経た多くの国は六通りに震動して、みな七宝の蓮華が雨のように降り、百千の天の音楽が演奏されることなしに、自然と鳴り響いた。

この菩薩の目は、広大な青蓮華の葉のようである。たとい百千万の月を合わせても、その顔の美しさには及ばない。その身は真の金色であり、無量百千の功徳で厳かに飾られている。その威徳は絶大であり、その光明は輝き、あらゆる良い姿が備わっており、引き締まった身体をしていた。七宝の台に乗って、非常に高く虚空に上り、多くの菩薩たちを従えて、この娑婆世界の耆闍崛山に礼拝するために来た。

妙音菩薩は娑婆世界に着き、七宝の台を降り、百千金の値の瓔珞を持って釈迦牟尼仏の所に至り、その足に頭面をつけて礼拝し、瓔珞を捧げて次のように申し上げた。

「世尊よ。浄華宿王智仏は世尊に次のように訪ねておられます。『病少なく悩み少なく、立ち居振る舞いも軽やかで、安楽にお過ごしですか。健康でいらっしゃいますか。世に起こることは忍びやすいでしょうか。衆生は導きやすいでしょうか。貪欲、怒り、愚癡、嫉妬、慢心が多くないでしょうか。父母に孝行せず、僧侶を敬わず、邪見不善の心で感情を収めることができないようなことはないでしょうか。世尊よ。衆生は多くの魔や怨を退けているでしょうか。遠い昔に滅度された多宝如来は、七宝の塔の中におられ、教えを聞いておられるでしょうか。』また、多宝如来に次のように訪ねておられます。『安穏であり悩み少なく、引き続き、娑婆世界におられますか。』世尊よ。私は今、多宝仏を拝し奉ることを願います。世尊よ。私に示し、拝させてください」。

その時に釈迦牟尼仏は、多宝仏に次のように語られた。

「この妙音菩薩は、あなたのお姿を拝することを願っています」。

その時に多宝仏は、妙音菩薩に次のように語られた。

「良いことだ。良いことだ。あなたは釈迦牟尼仏を供養し、および『法華経』を聞き、ならびに文殊菩薩たちを拝するためによくここに来られた」。

その時に華徳(けとく)菩薩は仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。この妙音菩薩は、どのような善根を積み、どのような功徳を修して、このような神通力を得たのでしょうか」。

仏は華徳菩薩に次のように語られた。

「過去に仏がおられた。その名を雲雷音王・多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀(うんらいおんおうただあかどあらかさんみゃくさんぶっだ)という。その国を現一切世間(げんいっさいせけん)という。その劫を喜見(きけん)という。妙音菩薩は一万二千年間、あらゆる伎楽をもって、雲雷音王仏を供養し、ならびに八万四千の七宝の鉢を捧げた。その因縁の果報によって、今、淨華宿王智仏の国に生まれ、この神通力があるのだ。

華徳菩薩よ。あなたはどう思うか。その時に、雲雷音王仏の所に妙音菩薩として、伎楽をもって供養し、宝器を捧げた者は誰でもない、今この大いなる妙音菩薩なのだ。

華徳菩薩よ。この妙音菩薩は、かつて無量の諸仏を供養し、親しく近づいて、長い間徳本を植え、また大河の砂の数に等しい百千万億那由他の仏に従ったのだ。

華徳菩薩よ。あなたはただ妙音菩薩の身体はひとつだと見ているが、この菩薩は、あらゆる姿になって、あらゆるところの衆生のためにこの経典を説くのだ。

ある時は梵天の姿となって、ある時は帝釈天の姿となって、ある時は自在天(じざいてんの姿となって、ある時は大自在天の姿となって、ある時は天大将軍の姿となって、ある時は毘沙門天の姿となって、ある時は転輪聖王の姿となって、ある時は小王の姿となって、ある時は長者の姿となって、ある時は貿易商人の姿となって、ある時は宰官の姿となって、ある時は婆羅門の姿となって、ある時は僧侶、尼僧、男女の在家信者の姿となって、ある時は長者や貿易商人の婦人の姿となって、ある時は宰官の婦人の姿となって、ある時は婆羅門の婦人の姿となって、ある時は男女の子供の姿となって、ある時は天龍八部衆の姿となって、この経を説く。そのようにして、地獄、餓鬼、畜生、および多くの仏の道に妨げになるところにいる者たちを救済する。さらに王の宮殿においては、変じて女の身となってこの経を説く。

華徳菩薩よ。この妙音菩薩は、娑婆世界の多くの衆生を救い守る者である。この妙音菩薩はこのようにあらゆる姿になって、この娑婆国土に現われ、多くの衆生のためにこの経典を説くのだ。神通力、変化、智慧においては衰えることはない。この菩薩は、その智慧をもって明らかに娑婆世界を照らして衆生に知られ、またあらゆる方角の大河の砂の数ほどの世界の中においてもそうなのである。

また、声聞の姿によって導かれる者には、声聞の姿を現わして教えを説き、辟支仏の姿によって導かれる者には、辟支仏の姿を現わして教えを説き、菩薩の姿によって導かれる者には、菩薩の姿を現わして教えを説き、仏の姿によって導かれる者には、仏の姿を現わして教えを説く。

このように、さまざまな姿をもって、導くべき者に従って姿を現わすのだ。さらに、滅度することをもって導くべきものには、滅度の姿を現わすのだ。華徳菩薩よ。大いなる妙音菩は、このように大いなる神通力や智慧の力を成就している。

その時に華徳菩薩は、仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。この妙音菩薩は、深く善根を植えています。世尊よ。この菩薩はどのような三昧の中にあって、このように姿を変えて衆生を導くのでしょうか」。

仏は華徳菩薩に次のように語られた。

「良き男子よ。この三昧を現一切色身と名づける。妙音菩薩はこの三昧の中にあって、このように無量の衆生を導くのだ」。

仏がこの「妙音菩薩品」を説かれた時、妙音菩薩と共に来た八万四千の菩薩たちは、みな現一切色身三昧を得、この娑婆世界の無量の菩薩もまた、この三昧および陀羅尼を得た。

その時に大いなる妙音菩薩は、釈迦牟尼仏および多宝仏塔を供養し終わって、本土に帰った。その時通過したあらゆる国は、六通りに震動して宝の蓮華を降らせ、百千万億のあらゆる伎楽を奏でた。

妙音菩薩は本国に着いて、共に従った八万四千の菩薩たちと、浄華宿王智仏のところに行き、仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。私は娑婆世界に行き、衆生を教え、釈迦牟尼仏にお会いし、および多宝仏塔にお会いして礼拝供養し、また教えの王子である文殊菩薩に会い、および薬王菩薩、得勤精進力菩薩、勇施菩薩等に会いました。また、この八万四千の菩薩が現一切色身三昧を得るように導きました。

仏がこの「妙音菩薩来往品」(=「妙音菩薩品」)を説かれた時、四万二千の天子たちは、この世に存在に対する悟りを得、華徳菩薩は法華三昧を得た。