大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その17

法華経』現代語訳と解説 その17

 

妙法蓮華経化城喩品第七

 

仏は多くの僧侶たちに次のように語られた。

「昔、無量無辺不可思議阿僧祇劫の過去に、仏がいた。大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達しており、世間を理解しており、無上のお方であり、人を良く導く方であり、天と人との師であり、仏であり、世尊であった。その国を好成(こうじょう)といい、その仏の現われる劫を大相(だいそう)といった(注1)。

僧侶たちよ。その仏が滅度してから今までの歳月は、非常に長いのである。たとえば、すべての世界の土地を細かく擦って、それで墨を作り、東の方角に進んで千の国を過ぎたらその隅で一点を書くとする。その点の大きさは微塵のように小さい。そしてまた千の国を過ぎて一点を書く。そのようにして、やっとその墨が全部尽きた時点のことを考えてみよ。その過ぎた国の数は、数学の学者、あるいはその弟子たちが数えることができるようなものであろうか」。

「いいえ、数えることはできません」。

「僧侶たちよ。この人が過ぎた国の、点を書いた国と書かなかった国をすべて集めて、またそれらを細かくして塵を作り、そのひとつの塵を一劫としよう。その仏が滅度してから今までの歳月は、その塵の数の劫が過ぎ去っても、さらに数えることができないほどの歳月が過ぎているのだ。私は如来の知見の力をもって、その限りないほどの年月(注2)を見ても、今日のように把握することができるのだ」。

その時、世尊は重ねてこの内容を述べようと、偈をもって次のように語られた。

「私は人が測ることもできないほどの過去の世を思うに その時仏がいた 大通智勝という名である もしすべての世界の土地を擦って墨として 千の国を過ぎたところで点をひとつ書いたとする そのようにして このすべての墨を使いきり さらに点を書いた国と書かなかった国をまた墨として その一つの塵を一劫とする その塵の数の劫によって表される途方もないほどの歳月より さらに過去にさかのぼるほどの世であった その過去の世の仏が滅度してから今までは このように無量劫であった しかし如来の妨げるところのない智慧によれば その仏の滅度と その時の声聞や菩薩について知ることは 今目の前に滅度を見るようなものだ 多くの僧侶たちよ 知るべきである 仏の智慧は清く妙なるものであり 欠けるところなく妨げなく 無量劫を超えて見通すことができるのだ」

仏は、多くの僧侶たちに次のように語られた。

「大通智勝仏の寿命は、五百四十万億那由他劫(なゆたこう・注3)である。その仏が修行中、瞑想していた座において魔の軍隊を破り、それに次いで、阿耨多羅三藐三菩提を得ようとされたが、諸仏の悟った真理を得ることができなかった。引き続き、一小劫から十小劫の間、座り続けて心も身も動かすことはなかった。しかし、諸仏の悟った真理を得ることができなかった。その時に、帝釈天が中心に住む忉利天(とうりてん)の諸天は、その仏(注4)のために菩提樹の下に獅子座(注5)を設けた。その座の高さは人が測ることのできないほどの高さであり、仏がその座において、阿耨多羅三藐三菩提を得るようにしたのである。仏が初めてその座に座った時、多くの梵天王は、多くの天の華を降らせて、非常に高く降り積もらせた。良い香りのする風が吹くと、萎んだ華は吹き去られ、さらに新しい華を降らせ、そのように十小劫の間、仏を供養した。この供養は、仏の滅度まで続いた。さらに四天王たちは、仏を供養するために、常に天の鼓を打った。その他の諸天も、天の伎楽で小劫の間、仏を供養した。この供養は、仏の滅度まで続いた。多くの僧侶たちよ。大通智勝仏は、このように十小劫を経て、諸仏の悟った真理を悟り、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができたのだ。

その仏がまだ出家していない時、十六人の子供がいた。一番目の子の名前は、智積(ちしゃく)と言った。子供たちには、さまざまな珍しい遊具などがあったが、父が阿耨多羅三藐三菩提を成就したということを聞いて、それらすべてを捨てて、仏である父のもとに行った。母は涙を流しながらも、子供たちを送った。この一族の先祖にあたる転輪聖王(てんりんじょうおう)は、百人もの大臣および他の百千万憶の人民と共に、これに付き従って仏のいる道場に至った。みな大通智勝如来に近づき、供養し褒め称え師事しようと、その仏の足に頭をつけて礼拝し、仏の周りを回って一心に合掌に、世尊を仰ぎ見て次のように偈を説いて言った。

大威徳を備えられる世尊よ 衆生を悟りに導こうと 人が数えることのできないほどの長い年月をかけて仏になられ その願いを成就された 幸いなるお方 すばらしいことだ 世尊は非常に尊いお方だ ひとたび座られると 十小劫の間 身体および手足も微動だにされず その心は常に静かであって 散乱したことがなかった 寂滅の境地を極められ 煩悩が全くない境地に安住された 今世尊が 平安のうちに仏の道を究められたことを見て 私たちは幸いに思い この祝福を大いに喜んでいる 衆生は常に苦悩し 盲目であって導く師がない 苦しみを断つ道を知らない 解脱を求めることを知らず 長い期間 悪しき道を歩んで 天においてさえ その幸いを減らしている 暗闇から暗闇に入り 長い間仏の名前さえも聞かない 今仏は最も優れた平安で煩悩から離れた法を得られた 私たち人や神々は 大いなる幸いを得た このためにみな 首を垂れてこの上ない仏に帰依したてまつる 

その時、十六王子は、偈をもって仏を褒め終わって、世尊に教えを語りたまえと勧め、声をそろえて次のように言った。

『世尊よ。教えを説いてください。それによって私たちは平安を得ることができるでしょう。諸天や人々を哀れみ、導いて下さい』。

そして、このことを重ねて偈をもって次のように申し上げた。

比類ない偉大な方である世尊は 百福をもって自らを厳かに飾られ 無上の智慧を得られた 願わくは この世のために説かれ 私たちおよび多くの衆生を悟りに導き 明らかに示され判断され この智慧を得させたまえ もし私たちが仏となることができるならば 衆生もまたそうであろう 世尊は衆生の深い心の動きまで知られ またその行ないの道も知っておられる また各々の智慧の力も知っておられる その求める心も 今まで積んできた福徳も 前世の行ないのわざも 世尊はすべてご存じである どうかこの上ない教えを説きたまえ」

仏は多くの僧侶たちに次のように語られた。

「大通智勝仏が阿耨多羅三藐三菩提を得られた時、あらゆる方角の諸仏の世界が六通りに震動し、その国の中の、太陽も月も照らすことのできない暗闇の空間でさえ、光が照らされた。その中にいた衆生は、初めて互いの姿を見ることができ、『この中にいきなり衆生が生まれた』と言った。また、国の境の諸天の宮殿および梵天の宮まで六通りに震動し、大いなる光があまねく照らして世界に満ち、その光は諸天の光に勝った。

その時、東方の五百万憶のあらゆる国の梵天の宮殿が、まばゆいばかりの光明に包まれ、いつもの光明の倍の明るさとなった。多くの梵天王が、それぞれこのように思った。『今、宮殿の光明が今までなかったほど増し加わっている。これはなぜであろうか』。このため、多くの梵天王が互いに集まって議論をした。その中に、ひとりの大梵天王がいた。名前を救一切(くいっさい)という。彼は多くの梵天たちのために、次の偈を述べた。

私たちの宮殿の光明は 今までになかったほど光輝いている これはなぜであろうか 各々共にこの因縁を求めようではないか 大いなる徳を持つ者が天に生まれたのであろうか 仏が世に現われたのであろうか この光明はあまねくすべての方角を照らしている 

その時、五百万憶の国の多くの梵天王たちは、その宮殿と共に、それぞれ美しい衣に天の華を盛って、西の方角に行って見ると、大通智勝如来が、悟りを開いた菩提樹の偉大な座に座られ、多くの天・龍王乾闥婆緊那羅・摩睺羅伽・人非人などがその周りを取り巻いて供養しており、さらに十六の王子たちが仏に教えを説くよう勧めている場面を見た。即時に多くの梵天王は、頭に仏の足をつけ、その周りを百千回回り、天の華をもって仏の上に注いだ。その華が積まれた高さは、須弥山(しゅみせん)のようだった。そして、その菩提樹の高さも測り知れないほどの高さであったが、梵天王たちは、その菩提樹にも華を注いで供養した。その華の供養を終わって、それぞれの宮殿を仏にささげて、次のように申し上げた。『ただ私たちに哀れみ、この宮殿をお受けください』。この時、多くの梵天王は、仏の前において、一心に声を同じくして、偈をもって次のように述べた。

世尊が世に出現されることは 非常に稀なことであり 仏に巡りあうことは大変難しい 仏は無量の功徳をもって すべてを救われ 天や人の大いなる師として この世を哀れまれる あらゆる方角の衆生は 等しくこの幸いを受ける 私たちは五百万憶の国を経て来た 自分の国における深い瞑想の楽しみを捨てて来たことは 仏を供養するためである 私たちは前世の福によって 宮殿は荘厳に飾られている 今この宮殿をもって 世尊に奉る ただ願わくはあわれんでこれを受けたまえ 

その時、多くの梵天王は、この偈をもって仏を称え終わって、次のように申し上げた。

『ただ願わくは世尊よ、教えを説いて衆生を悟りに導き、涅槃への道を開きたまえ』。

その時、多くの梵天王は、一心に声を同じくして、偈をもって次のように申し上げた。

世尊よ ただ願わくは教えを説かれ 大いなる慈悲の力をもって 苦悩の中にいる衆生を悟りに導きたまえ(注6) 

その時、大通智勝如来は黙ってこれを許された。

 

注1・ここからは化城喩品(けじょうゆほん)である。この題名の由来は、この章の中に、旅で疲れた人々を癒すために幻の城が現わされた、という比喩物語があるからである。しかし、その物語と共に、大通智勝如来の物語と、それに関連する釈迦の前世のことが語られており、むしろ、比重はその方が大きいのではないか、と思われるほどである。したがって、サンスクリット原本の題名は、「前世の因縁」となっている。

注2・この途方もない長い期間を、三千塵点劫という。

注3・「五百四十万億那由他劫」 「那由他」とは、サンスクリット語の「途方もないほど多い数」という意味のナユタの音写語である。具体的にどれくらいの数かは定説がない。

注4・「仏」 この箇所は、あくまでも大通智勝如来が仏になる前の修行期間のことを記しているので、その中で、「仏」という言葉が出てくるのは厳密には正しくないが、『法華経』では、この仏が仏になる前の段階の名前が記されていないので、このように記すしかない。

注5・「獅子座」 獅子が座るような立派な座という意味で、仏の座るべき座を意味する。

注6・歴史的釈迦についての説話の中に、梵天勧請(ぼんてんかんじょう)という話がある。菩提樹の下に座って悟りを開いた釈迦は、その悟りの内容を人々に説いても理解されないだろうと思って、布教をためらっていると、梵天が現われて、どうか教えを説いてほしいと懇願した、というものである。ここまでの記述を見れば、この説話に基づいた話になっていることは一目瞭然である。しかし、大通智勝如来の場合における梵天勧請は、歴史的釈迦のそれに比べ物にならないくらい詳しく長く、さらにインド的な誇張が加えられている。たとえば、すでに見てきたように、梵天が自分の宮殿を遠い国から持って来て仏にささげる、という場面は、想像を豊かにしなければ読むことが不可能である。また、華を注いで仏を供養し、その華が積まれた高さは、須弥山ほどの高さになった、ということなら、仏は埋まってしまっているだろう、などという常識が妨げとなる。これからの箇所は、各方角にいる梵天王が、やはり同様に行動するという記述が、繰り返し記されることになる。