大乗経典と論書の現代語訳と解説

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『法華経』現代語訳と解説 その34

法華経』現代語訳と解説 その34

 

妙法蓮華経 分別功徳品 第十七

 

その時に、仏の寿命の劫数がこのように長遠であることを聞いて、無量無辺阿僧祇衆生は、大いに仏からの利益を得た(注1)。

そして世尊は、大いなる弥勒菩薩に次のように語られた。

「阿逸多よ。私が如来の寿命が長遠であることを説いた時、六百八十万億那由他恒河沙衆生は、無生法忍(むしょうほうにん・注2)を得た。また、その千倍の大いなる菩薩は、聞持陀羅尼門(もんじだらにもん・注3)を得た。また、一つの世界を微塵に砕いた塵の数ほどの大いなる菩薩は、楽説無碍弁才(ぎょうせつむげべんざい・注4)を得た。また、一つの世界を微塵に砕いた塵の数ほどの大いなる菩薩は、百千万億無量の旋陀羅尼(せんだらに・注5)を得た。また、三千大千世界を微塵に砕いた塵の数ほどの大いなる菩薩は、退くことのない教えを説いた。また、二千中千世界の国土を微塵に砕いた塵の数ほどの大いなる菩薩は、よく清浄の教えを説いた。また小千世界の国土を微塵に砕いた塵の数ほどの大いなる菩薩は、八回転生した後に阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。また、四つの大陸を含むこの世を微塵に砕いた塵を四倍したほどの数の大いなる菩薩は、四回転生した後に阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。また、四つの大陸を含むこの世を微塵に砕いた塵を三倍したほどの数の大いなる菩薩は、三回転生した後に阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。また、四つの大陸を含むこの世を微塵に砕いた塵を二倍したほどの数の大いなる菩薩は、二回転生した後に阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。また、四つの大陸を含むこの世を微塵に砕いた塵ほどの数の大いなる菩薩は、一回転生した後に阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。また、八つの世界を微塵に砕いた塵の数ほどの衆生は、みな阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こした」。

仏が、この多くの大いなる菩薩たちが、偉大な法の利益を得ることを説かれた時、虚空の中より、曼陀羅華、摩訶曼陀羅華が降り、無量百千万億の宝樹の下にある獅子座に座っている諸仏に注ぎ、また七宝塔の中の獅子座の釈迦牟尼仏、および遠い過去に滅度した多宝如来に注ぎ、またすべての大いなる菩薩と、さらにすべての人々に注いだ。そして、香の粉が降り、虚空の中で、天の鼓が自ら鳴って、深遠で妙なる音が響いた。また、千もの天衣が降り、あらゆる種類の首飾りがあらゆる方角にかかった。また、あらゆる宝の香炉に、値がつけられないほどの高価な香が焚かれ、自然にまわりに広がって、すべての聴衆を供養した。一人一人の仏の上に、多くの菩薩があって、宝の傘を持っており、それが連なって梵天のいる天にまで届いた。この多くの菩薩たちは、妙なる声をもって、無量の詩を歌って、諸仏を讃歎した。

その時に弥勒菩薩は、座より立って、右の肩を出して合掌し、仏に向って次のような偈を説いた。

「仏は昔より聞いたことのない 希有の教えを説かれた 尊は大いに力があり 寿命は測ることができない 無数の仏の子は 世尊が分別して 法の利益を得た者たちについて説かれたことを聞き その身が歓喜に満たされた ある者は退くことのない境地に至り ある者は陀羅尼を得 ある者は相手の求めに応じて巧みに教えを説く力を得 万億の煩悩と仏の智慧を分ける力を得 また三千の世界を微塵にしたその微塵の数の大いなる菩薩たちは 決して退くことのない教えを説く力を得 二千の世界を微塵にしたその微塵の数の大いなる菩薩たちは 清らかな教えを説く力を得た また千の世界を微塵にしたその微塵の数の大いなる菩薩たちは 八回生まれ変わった後に まさに最高の仏の悟りを得るであろう また四つ三つ二つの世界を微塵にしたその微塵の数の大いなる菩薩たちは その世界の数の回数生まれ変わった後に まさに最高の仏の悟りを得るであろう また一つの世界を微塵にしたその微塵の数の大いなる菩薩たちは 一回生まれ変わった後に まさに最高の仏の悟りを得るであろう このような衆生は 仏の寿命がとてつもなく長いことを聞いて 煩悩のない清らかな果報を得 また三千を八倍した世界を微塵にしたその微塵の数の大いなる衆生は みな最高の仏の悟りを求める心を起こした 世尊が無量不可思議の教えを説かれた時 多くの者に注がれた法の利益は 虚空が無辺のように測ることができない 天の曼陀羅 摩訶曼陀羅は降って 帝釈天梵天は大河の砂の数ほど多くの仏国土より来た 高価な香の粉は 飛んだ鳥が空から降りて来るように降って諸仏に注ぎ供養し 天の鼓は虚空の中に 自然と妙なる音を出し 千万億の天衣は下り あらゆる宝の香炉に高価な香が焚かれて 自然にまわりに広がって 多くの世尊を供養した 多くの大いなる菩薩たちは 妙なる高い七宝の傘を持ち 連なって梵天まで届いた 一人一人の諸仏の前に 宝の旗が掛けられた また千万の偈をもって 多くの如来を讃嘆した 

このようなあらゆる出来事は 昔より今までなかったことである 仏の寿命が無量であることを聞いて みな歓喜した 仏の名はあらゆる方角に聞えて 広く衆生を悟りに導く 一切の善根を備えさせ 無上の心を導く」

その時に仏は、弥勒菩薩摩訶薩に次のように語られた。

「阿逸多よ。仏の寿命がこのように、とてつもなくの長いことを聞いて、一念でも信じ理解するならば、その人が得るところの功徳は測り知れない。もし良き男子や良き女子がいて、阿耨多羅三藐三菩提のために、八十万億那由他劫において、六波羅蜜における智慧以外の布施、持戒、忍辱、精進、禅定の五つを行なったとする(注6)。その功徳と、一念でも仏の寿命が永遠であることを信じ理解する功徳を比較すると、前者は後者の百分、千分、百千万億分の一にもおよばない。さらに、あらゆる計算や比喩をもっても知ることができないのだ。もし良き男子が、このような功徳を得るならば、阿耨多羅三藐三菩提を求める道において、退くことは決してない」。

その時に世尊は、重ねてこの内容を述べようと、偈の形をもって次のように語られた。

「もし人が仏の智慧を求めて 八十万億那由他劫の間中 菩薩の五つの修行を行なったとする この多くの劫の中において 仏および縁覚の弟子 ならびに多くの菩薩たちに布施し供養したとする 珍しいあらゆる飲食物 上等の服と家具と 香木をもって修行道場を建て 園林をもって厳かに飾るなどの布施を あらゆる方法によって行ない この多くの劫数を尽くして 仏の道に回向したとする(注7) 

またもし戒律を保ち 清らかにして煩悩なく 仏が讃嘆する無上道を求めたとする(注8) 

またもし忍辱を行じて よく調えられた柔和な心を持ち たとえ人々から悪を行なわれたとしても その心は微動だにしなかったとする 仏の教えを受けていながら 思い上がった心を持つ者たちに悩まされたとしても そのようなこともよく忍んだとする(注9) 

またもし精進し 志は常に堅固であり 無量億劫において 怠ける心を一度も起こしたことがなかったとする(注10) 

また無数劫において 何もなく静かな場所に住んで 座ったり歩き回ったり 眠っている以外は常に心を統一したとする この方法でよく多くの禅定を成就し 八十億万劫にわたって 安住して心乱れず このような心の統一をもって 無上道を願い求め 一切智を得ようと あらゆる禅定を行ない尽したとする(注11) 

このような人が 百千万億の劫数において この多くの功徳を上記のように行なったとする しかし一方 良き男女がいて 私の寿命について聞いて 一念においてでさえ信じるならば この福は前者以上なのである 

もし全く疑うことなく 心深く一瞬でも信じるならば その人の福はこのようになるのだ 無量劫において道を行ずる菩薩たちが 私の寿命について聞いて よく信じ受け入れるならば そのような人たちは この経典を敬って受け 私は未来世において長く生き続け 人々を悟りに導こうと 今日の世尊が シャーキャ族の王として世に出て 道場において師子吼(ししく)し 教えを説くにあたって恐れるところがないように 私たちも未来世に すべての人に尊敬せられ道場に座る時 このように寿命について説こうと願うのだ 深い心ある者は 清らかにして素直に 多くの教えを聞いてよく記憶し 正しい教えにしたがって仏の言葉を理解するであろう このような人々は このことについて疑いはないのだと 

また阿逸多よ。もし仏の寿命がとてつもなく長いということを聞いて、その言葉の意味を理解する者がいたとする。この人が得る功徳は限りなく、如来のこの上ない智慧を生じることであろう。ましてや、この経をよく聞き、さらに人に聞かせ、また自らも保ち、また人に保たせ、また自らも書き、また人に書かせ、また花や香、瓔珞(ようらく)、飾られた旗、飾られた傘、香油、燈明をもって、経巻に供養する人はなおさらのことである。この人の功徳は無量無辺であって、一切種智(いっさいしゅち・注12)を生じることであろう。

阿逸多よ。もし良き男子や良き女子が、私の寿命のとてつもなく長いということが説かれるのを聞いて、深く心に信じ理解するならば、仏が常に耆闍崛山にあって、大いなる菩薩や多くの声聞たちが囲む中、教えを説いている姿を見、また、この娑婆世界の地が宝石となり、平らであり、非常に高価な金によってそれぞれの道が区切られ、宝樹が並び植えられ、宝によって作られたあらゆる楼閣があり、菩薩たちがその中にいるのを見るであろう。もしこのように見ることができる者があるならば、まさに知るべきである、これこそ深く信じ理解した姿である。

 

注1・今回から、十七章にあたる「分別功徳品(ふんべつくどくほん)」である。「分別」とは、ここまで多く見られた言葉であるが、この言葉には「わきまえる」という意味がある。仏の本当の寿命は永遠なのだ、ということを信じ受け入れた者の功徳は、どれほど大きいものなのか、よくわきまえる、という意味である。

注2・「無生法忍」 すべての存在は不生不滅であることを悟ること。

注3・「聞持陀羅尼門」 耳に聞いたことすべてを忘れない能力。

注4・「楽説無碍弁才」 自在に法を説く能力。

注5・「旋陀羅尼」 教えを説き続ける能力。

注6・智慧は具体的に行なうべき項目とは言えないので除外されている。

注7・以上が布施波羅蜜

注8・以上が持戒波羅蜜

注9・以上が忍辱波羅蜜

注10・以上が精進波羅蜜

注11・以上が禅定波羅蜜

注12・「一切種智」 声聞 と縁覚の悟りの智慧を一切智といい、菩薩の衆生の状態までもよく知る智慧を道種智といい、一切のものについて、個々の具体的、特殊的な姿を知る最高の完全無欠な智慧を一切種智という。そして、この三つを三智という。