大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その13

法華経』現代語訳と解説 その13

 

妙法蓮華経信解品第四

 

その時、須菩提(しゅぼだい)と摩訶迦旃延(まかかせんねん)と摩訶迦葉(まかかしょう)と摩訶目揵連(まかもっけんれん)は、仏から聞いた驚くべき教えと、世尊が舎利弗に最高の悟りを開いて仏となると記を授けたことについて、希有で尊いことだという心を起こし、躍り上がるほど喜び、座を立って衣服を整え、右の肩を出して、右の膝を地につけ、一心に合掌して身を曲げて尊敬の意を表し、仏の尊い顔を見上げて次のように言った。

「私たちは、僧侶の筆頭として長い年月が経ち、すっかり年を取りました。自ら、すでに涅槃を得て、これ以上の最高の悟りなどないと思い、それを求めようともしませんでした。世尊は長い間、説法の座におられて、私もその座に座って長い年月、体も疲れてまいりまして、ただ、すべては空しいこと、すべてには形がないこと、すべてには願うべきものなどないこと(注1)などを念じていまして、菩薩の教えが自由自在であり、神通力があり、仏の国土を清め、衆生を悟りに導くことを見ても、心には喜びはありませんでした。それはなぜかと申しますと、世尊は私たちをこの世から出るように導かれ、涅槃を得たと認証して下さいました。そして年を取りましたので、仏が菩薩を最高の仏の智慧に導かれることを見ても、全く心が動きませんでした(注2)。私たちは今、仏の御前において、私たちと同じ声聞に、最高の仏の智慧を得ると授記されたことを聞いて、非常に尊いことだと、心に大きな喜びを抱きました。

今この時に、このような非常に貴重な教えを聞くことができるとは、思いもよりませんでした。大きな幸いを得たと、深く喜んでおります。無量の珍宝を、求めていないにもかかわらず得たという思いです。

世尊よ。私たちは今、願わくは比喩をもって、この義を明らかにしたいと思います。たとえば、ある人がいて、若い頃に父を捨てて去り、長年他国に住んで、十歳、二十歳、五十歳となりました。すでに歳を重ねてまた貧しくなり、あちこちさまよって着る物や食べる物を求めながらも、偶然に自分の故郷に近づいて行きました。この者の父は、ずっと子のことを思って捜していましたが、捜し出すことができず、町に留まっていました。その父の家は大変富んでいて、財宝は無量でした。金銀、瑠璃、珊瑚(さんご)、琥珀(こはく)、頗黎珠(はりしゅ)など、それらが多くの倉庫にいっぱいでした。多くの使用人、民、役人があり、象や馬、車、牛、羊など無数にいました。他の国との広い貿易を行ない、商人や客人なども多くいました。

ある時、貧しさに追いつめられた子は、あらゆる町々をさまよい歩き、ついに父のいる町にたどり着きました。父はいつもその子のことを思っていました。子と別れて五十数年間、誰にもそのことは打ち明けてはいませんでした。ただひとり、心を痛めて、次のように思っていました。『自分は財産はあるが、年老いてしまった。金銀や珍宝などは倉庫に満ちているが、子がいない。自分が死んでしまえば、財産は消失してしまい、ゆだねるところもない』。このように常に子のことを思っていました。また次のように思いました。『私がもし子を得て、財産をゆだねることができれば、何も心配する必要もなく、憂いもなくなるのだが』。

世尊よ。その時、その子はさまよい歩いたあげく、父の家の前に至りました。子は門の脇に立って、遠くにいる自分の父を見ましたが、立派な椅子に座って、宝で飾られた台に足を載せ、多くの司祭や王侯貴族や商人たちが取り巻いていました。大変高価な真珠でできた瓔珞で身を飾り、使用人は大きなうちわで左右からあおいでいました。頭の上には宝のとばりがあり、花の飾りが垂れ下がっており、地には香水が注がれ、多くの花がまかれていました。そのような場所で、宝物を並べての取引が行なわれていました。このように、あらゆる装飾があって、その威厳は非常に大きいものでした。

その子は父の偉大な力を持っている姿を見て、すぐに恐れを抱いて、こんなところに来てしまったことを後悔しました。そして次のように思いました。『この人は王なのか、あるいは王と等しい人物なのか。私のような人間が仕事にありつける場所ではない。もっと貧しい町に行けば、そんなに苦労しなくて食べ物にありつけるはずだ。このままここにいたら、捕まって強制的に労働をさせられてしまうだろう』。このように考えて、あわてて走ってそこを去りました。

しかし、その長者である父は、その座っている椅子から子を見つけて、すぐにわが子だとわかりました。そして大いに喜んで、次のように思いました。『私の財物や倉庫の物をゆだねる相手を見つけた。私は常に子のことを思っていたが、捜し出すことはできなかった。しかし今、子の方から来てくれた。私は年老いて弱り果ててしまったが、やっと私の願いがかなった』。父は人を遣わして、すぐに連れて来るように命じました。その使者は、走ってその子を捕まえました。その子は驚いて、あわてふためき、『私は何もしていない。なんで捕まえられるのだ』と叫びました。それでも使者は強引に引っ張って連れて来ました。その時、子は次のように思いました。『何もしていないのに捕まった。これは殺される』。さらに恐怖が増し加わり、ついに気絶して地に倒れてしまいました。

父は遠くからそれを見て、使者に次のように言いました。『この者は使いものにならない。強いて引いて来ることはない。冷たい水でも浴びせて、目覚めさせてやれ。それ以上、何も言わなくてよい』。それはなぜかと言いますと、父は子の心が貧しさに染まっていることを知り、自分の富んでいる身分が、子をさらに恐れさせると判断して、明らかにわが子だとわかっていても、方便を用いて、他の人には自分の子だと言わないのでした。使者は子に、『おまえを放す。自由にどこでも行け』と言いました。子は喜んで地より立ち上がり、貧しい町に行って食べ物を求めました。

その時、長者は子を誘い入れるために、方便を用いて、密かにやせこけた元気のない二人の者を遣わして、次のように言いました。『あなたたちはあそこに行って、あの者に言いなさい。ここに仕事がある、賃金も普通の倍だ、と。もしあの者が承諾したら連れて来なさい。もしどのような仕事かと聞かれれば、便所掃除だ、私たち二人と一緒にやろう、と言いなさい』。このように二人の使者はその子を捜し出して、さっそくそのように言いました。そして、子は先にその賃金をもらって、一緒に掃除を始めました。

父はそのようなわが子の姿を見て、とても心を痛めました。また次の日、窓の中から子の姿を見れば、痩せこけて、汚物まみれになっていました。そこでこの長者も、宝石で飾られた柔らかな衣服を脱いで、さらに汚れた衣を着て、土のちりで身を汚し、右の手に便所掃除の道具を持つという変装をして、その使用人たちに『おまえたち、しっかりと働いて怠けるなよ』と言いました。長者はそのような方便を用いて、その子に近づくことができました。

ある期間が過ぎて後、父は子に次のように言いました。『あなたはいつもここで働きなさい。決して他の所に行ってはならない。あなたの賃金を増し加えよう。そして、器や米や麺や塩や酢など、欲しいものは何でも言うがよい。また、使用人も必要なら与えよう。安心しなさい。あなたは私を父のように思うがよい。決して心配することはない。なぜなら、私はすでに年老いているが、あなたはまだ若い。そして、あなたは今まで、怠けたこともなく、争いを起こしたこともなく、愚痴を言ったこともない。使用人の中で、あなたにはこのような悪を見たことがない。今より後、私はあなたを自分の子のように思うことにする』。すぐに長者は子に名前を与えて、自分の子としました。その時、この子は喜びはしましたが、なお自分は卑しい雇人であると思っていました。このために、二十年もの間、常に便所掃除ばかりしていました。この後、子は父の信認を受けて、経済の出入についても任せられるようになりました。しかし、相変わらず自分は雇い人だと思っていました。

世尊よ。その時、長者は病を患い、自分の死も近いことを知り、子に次のように語りました。『私は今、多くの金銀や珍宝が倉庫にあふれるばかり所有している。そのすべてをあなたは知りなさい。私の思いを知ってほしい。なぜなら、今、私とあなたは何ら異なるところがない。財産管理を用心して行ない、失うことがないようにせよ』。その時、子はこの命令を受けて、金銀、珍宝、およびすべての倉庫の中身を知ることとなりましたが、その中の少しも自分の物にしようとする心はありませんでした。相変わらず、自分は卑しい雇人だという気持ちを捨てることはできませんでした。

また時が過ぎ、父は、ようやく子の心が柔軟になり、志を大きく持ち、以前の自分の姿を恥じるようになっていることを知り、臨終の時になり、親族、国王、大臣、役人や商人を集めることを子に命じました(注3)。彼らが集まった時、次のように言いました。『みなさんに告げます。これは私の子です。実子です。昔、私を捨てて去り、貧しく苦労すること五十年あまり、本当の名はこれこれで、私の名はこれこれです。私は子のことを思ってずっと探していました。そしてついに会うことができました。この子は私の子で、私は父です。今、私の財産はすべてこの子のものです。すでに財産管理については、この子が行なっております』。

世尊よ。この時、この子は父の言葉を聞いて、大いに喜び、次のように思いました。『私は全く求める気持ちがなかったのに、今この宝の蔵は、自ら私のところに来た』。

世尊よ。この大富豪の長者は、すなわち如来のことです。私たちは仏の子です。如来は常に私たちを子だとおっしゃいます。

世尊よ。私たちは、苦しみ自体の苦しみや、楽がなくなる時に生じる苦しみや、すべての存在そのものから来る苦しみなどにより、生死の中において、多くの熱悩を受け、無知にして迷い、劣った教えを喜んで執着していました。今日、世尊は、私たちが偽りの見解を取り除くよう、導かれました。私たちは努めて精進し、日ごとの労働によって賃金を得るように、涅槃を得るのだと思っていました。そしてすでにこれを得て、心は大いに喜んで、これで十分だと思い、『仏の教えの中において、努めて精進したために、得たところは多い』と言っていました。世尊は、私たちの心が未熟で、劣った教えを願っていることを知られ、そのままにされて、あなたたちのために、如来の知見や宝の蔵があるとは教えられませんでした。世尊は、方便の力によって、如来智慧を説かれ、私たちは仏に従って、労働の賃金を得るように涅槃を得て、大きなものを得たと思い、この大乗を求めることはしませんでした。

また私たちは、如来智慧によって、多くの菩薩たちのために教えが開かれ、示されているにもかかわらず、それを求めることはしませんでした。それはなぜかと申しますと、仏は私たちの心が劣った教えを願うということをご存じで、方便をもって私たちに説かれたからです。しかも私たちは仏の子だということを知りませんでした。今、まさに私たちは知りました。世尊は、仏の智慧を惜しまれるようなことはないということを。私たちは昔から仏の子であったにもかかわらず、劣った教えを願っていました。しかし、もし私たちが優れた教えを願う心を持つならば、仏は私たちのために、大乗の教を説かれます。今、この経の中で、ただ一乗を説かれます。以前は、菩薩の前において、声聞の劣った教えを求める者を退けられましたが、本来、仏は大乗をもって教化されます。このゆえに、私たちは本心では求めていなかったにもかかわらず、今、教えの王である仏の大きな宝が、自ら私たちの前に現われたということです。仏の子の得るべきものは、すでに得ることができました。」

 

注1・漢訳原本には、「すべては空しいこと」は「空」とあり、「すべてには形がないこと」は「無相」とあり、「すべてには願うべきものなどないこと」は「無作(むさ)」とある。

注2・この箇所の須菩提たちの告白も、舎利弗の場合の時と同じく、歴史的事実ではない。声聞が菩薩を見たり、仏がその菩薩を教えている姿を見たりすることは、実際にはあり得ないことである。『法華経』は、相対的なこの世ではなく、絶対的次元の真理を相対的な言葉で表わしているため、歴史上のできごとや人物は、その表現の道具として用いられているのである。まさにそれこそこれも方便である。

注3・ここに、長者が国王まで呼び寄せている内容があることに注目し、インドで国王まで動かせるほどの富豪が登場するのは、いくら早く見積もっても、紀元後37年以前にはさかのぼらない、つまり、『法華経』の成立は、それ以降のこととなる、という学説がある。