大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その14

法華経』現代語訳と解説 その14

 

この時、摩訶迦葉は再びこのことを述べようと、偈をもって次のように語った。

私たちは今日 仏の教えを聞き 歓喜踊躍して 未曾有のことを得た 仏は声聞も仏になるということを説かれた 無上の大きな宝を 求めていないにもかかわらず 得ることができた 

たとえば ある子供が 余りにも愚かであったため 父を捨てて遠くの土地に行ってしまった 諸国を流浪すること五十余年 父は子を思って四方に探し求めた そのあげく捜すのに疲れ ある町に留まっていた 家を造り 平穏な生活に身をゆだねていた その家は非常に富んでいて 金・銀・硨磲・瑪瑙・真珠・瑠璃も多く 象・馬・牛・羊・輿・車・田畑・僕や使用人も多かった その商売も広く他国に及び 取引しないところはないほどだった 千万憶の人々が取り囲み 常に王でさえ親しくし 大臣や豪族も深く交わり 往来する人々も多かった 

この長者はこのように大富豪であり力もあったが 年寄りとなり ますます失った子を思って憂いていた 昼となく夜となく 次のように思っていた 死の時が近づいている あの愚かな子は私を捨てて五十余年 倉庫の物はどのようにしたらよいのか その時その子は 食べ物を求めて町から町へ 国から国へさまよっていた ある時は食べ物を得ることができ ある時は得ることができなかった 飢えて痩せ衰え 体にも皮膚病を発症するほどだった しかし放浪のあげく 父の住んでいる町にたどり着いた あちこちで仕事を求め ついに父の家に至った その時長者は その門の中にいて 大きな宝の天幕を張り 立派な椅子に座り 付き人に囲まれ 多くの人々が周りに待機し仕えていた ある者は金銀や宝物を計算し ある者は財産管理をし ある者は記帳していた 子は父の荘厳なまでに富んでいる姿を見て これは国王か あるいは王に等しい者かと驚き恐れ なぜこんなところに来てしまったのかと思って 次のように考えた もしここに長くいるならば あるいは捕えられ 強いて仕事をさせられるだろう こう考えて 子は逃げるように去って行き もっと貧しい町に行って 仕事を捜そうとした 

長者はこの時 立派な椅子に座って 遠くにその子を見て すぐにわが子だと知った すぐに使者を遣わし 追って連れて来るよう命じた しかしその子は驚き叫び この人は私を捕えて殺そうとしている 食物などは与えられるはずがないと 気絶して地に倒れてしまった 長者は子が愚かで何もわからず 自分の言葉を信ぜず 私は父だと言っても信じないことを知って 方便を用いて 目も足も不自由な別の人を遣わし 一緒に雇われて 便所掃除をしよう 賃金は倍支払われると言わせた 子はこれを聞いて 喜んでついて来て 便所掃除の仕事につき 建物の内部をきれいにした 長者は窓からそれを見て 子が愚かで 自分から卑しいことを願っていることを知った そのため長者は 汚れた衣を着て 便所掃除に使う器を持って 子のところに行き 方便をもって近づき あなたの賃金を増し加え 足に油を塗り じゅうぶん食べ物も与え 寝床も柔らかなものにしようと語って 仕事に専念させた また一生懸命仕事をしなさいとも言い またあなたをわが子のように思うことにするとも言った 長者は智慧があり 次第に家にも出入りさせた そして二十年が過ぎ 家の経済も任せ 金銀や真珠や宝石などの出入も知らせた しかし子はそれらを知っても なお門の外に住んで 粗末な家を宿として 自分の物などはなく 自らは貧しい者だと思っていた そして父が子の心がようやく大きくなってきたことを知った時 財産を子に与えようと思い 親族・国王・大臣・役人・商人を集め その大衆に向かって次のように言った これはわが子である 私を捨てて他の国へ行き 五十歳を過ぎた 子を見てより二十年 私は昔 ある町においてこの子を失い あらゆる国を巡って子を探し ついにこの町に来た 私の所有である家や民をすべてこの子に譲る どのように用いても意のままにせよ 子は次のように思った 自分は昔貧しく 志低く愚かだった 今は父のところにおいて 大いなる珍宝および邸宅 そしてすべての財産を得た この子が大いに喜び 未曾有のことを得たように 仏もまたこのようであられる 

私たちが劣った教えを願っていることを知られ 仏はあなたたちは仏になるとは言われなかった しかも仏は 私たちは多くの煩悩を断ち切った小乗の声聞だと説かれた そして仏は私たちに 最上の道を修習する者は仏になると説かれた 私たちも仏の教えを受けて 大菩薩のために 多くの因縁やさまざまな比喩や言葉をもって 無上の道を説いた(注1) 多くの仏の子たちは 私たちに従って教えを聞き 日夜思索し精進した この時に諸仏は彼らに あなたは来世において 仏になるであろうと 記を与えられた すべての諸仏の秘蔵の教えを ただ菩薩のために語られ 私たちのためには この真実の教えをわかるようには説かれなかった たとえの中の子が その父のもとで 父の財産を知ったにもかかわらず 自分の物だとは思わなかったように 私たちが仏の宝の蔵を説くと言っても 自ら願わなかったことは それと同じであった 私たちは煩悩を滅することをもって じゅうぶんだと思い このこと以外に求めるものはなかった 私たちは 仏の国土を清め 衆生を教化することを聞いても 喜びはなかった それはなぜかと言うと すべての存在は すべて空にして寂滅であり 生まれず滅せず 大小なく 執着すべきところもなすべきところもないと考え 喜びや楽しみの感情を生じることなかった 私たちは長い間 仏の智慧に対して 得たいと思わず 欲しいと思わず また願わなかった しかも自ら教えにおいては極めていると思っていた 私たちは長い間 すべてのものには実体がないということを修得して この世の苦しみや患いから脱し 肉体において得られる最終的な悟りに達した 仏の教化されるところはすべて得ており これによって仏に対する恩に報いることができたと思っていた 私たちは多くの仏の子たちのために 菩薩の教えを説いて 仏の道を求めさせたが その教えを長い間自分で求めることはしなかった(注2) 

私たちを教えられた仏は 私たちの心が貧しいことを知られ 初めから真実の教えを説かれなかった 裕福な長者が 子の心が劣っていることを知って 方便の力をもって その心を柔らかくして その後にすべての財産を譲ったということと同じく 仏もこのようである 小乗の教えを願う者だと知られ 方便の力をもって その心を練って 大いなる智慧を教えられるという 偉大なことをなされた 私たちは今日 この大いなることを知った 始めから願っていなかったものを 今自ら得たということは この長者の子が 無量の宝を得たようなものだ 

世尊よ 私たちは今 本当の道とその結果を得て 汚れから離れた 清らかな眼を得た 私たちは長い間 仏の教えをもって 初めて今 その果報を得た 教えの王である仏の教えにおいて 長い間清らかな道を修習して 今本当の清らかでこの上ない大いなる結果を得た 私たちは今 真実の声聞となったのだ 仏の教えの声を聞いて そして他の人々にも 同じく仏の声を聞かせるのだ 私たちは今 真実の阿羅漢である この世の多くの天や人や魔や神の中において 供養を受けるにふさわしい 世尊に対する恩はお返しできないほどである 実に不思議な方法をもって 私たちを憐れみ教化して 私たちを導かれた 手足をささげて 頭を地につけ礼拝し すべてをささげても この恩に報いることはできない 仏を頭の上にかかげ 両肩に乗せ 気の遠くなるほど長い時間 心を尽くして供養し 高価な食べ物 数多くの宝の衣 および寝具や湯薬をささげ 極めて貴重な香木や 多くの珍しい宝をもって塔廟を建て 宝の衣を地に敷くということを 気の遠くなるほどの長い年月続けたとしても その恩に報いることはできない 諸仏は不思議であり 測ることができないほどの大いなる神通力を持っておられる 清らかで生じることもなく滅することもなく 教えの王である 能力の劣った者に対しては忍耐されて 物事に執着する者に対して 能力に応じて教えを説かれる 諸仏は教えることにおいて 最も自在である 多くの衆生の あらゆる欲望と願い および志や力を知られ 受け入れることができる範囲に従って 多くの例えをもって 教えを説かれる 多くの衆生の 前世から積んできた業の因に応じ また成熟あるいは未成熟の者を知られて あらゆる種類の教えとして解かれ 適宜に判断されて 本来は一乗であるところの道を 三乗と説かれるのである」

 

注1・声聞が菩薩あるいは大乗の求道者のために法を説く、ということは、前にも注で述べたが、歴史上あり得ないことである。

注2・歴史的釈迦が大乗も小乗も説いたならば、その釈迦の教えを受ける者たちの中で、声聞も大乗の求道者である菩薩もいっしょにいるわけである。そしてさらに、小乗の声聞が大乗の求道者たちに、大乗の教えを説いている。またさらに、声聞たちはそれを説きながら、自分たちはそれは必要ないと思っている。このような矛盾が生じるのは、これらが歴史的事実ではないからである。それを何とか、つなげて一つのまとまりとしようとする意図がここに感じられるが、それは大乗経典持つ宿命であると言える。

しかし、目に見える形に現われた事実であっても、人々の心の中に展開される物語であっても、相対的次元のことには変わりない。両方とも同じく、絶対的次元の表現としての相対的次元のものである限り、その目に見える事実も創作された物語も、究極的に違いはないのである。