大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その31

法華経』現代語訳と解説 その31

 

その時に弥勒菩薩、および大河の砂の数を八千倍したほど多くの菩薩たちは、みな次のように思った。

「私たちは昔より今まで、このような大いなる菩薩たちが、地より涌き出して、世尊の前にあって合掌し供養して、如来に挨拶をするようなことは、見たことも聞いたこともない」

その時に大いなる弥勒菩薩は、その多くの菩薩たちの心を知り、ならびに自分自身の疑念を解決しようと思い、仏に合掌し、偈の形をもって次のように申し上げた。

「この無量千万億の多くの菩薩たちは 昔より今まで見たことがありません 願わくは尊い師よ 説きたまえ 彼らはどこから来たのでしょうか 何の因縁をもって集まったのでしょうか その身は巨大にして神通力があります その智慧も思いを超えるものであり その志は堅固であって 大いなる忍耐力があります 誰が見ても素晴らしいものです 彼らはどこから来たのでしょうか それぞれ菩薩が率いている多くの従者も その数は計り知れず 大河の砂の数のようです ある大いなる菩薩は 大河の砂の数の六万倍を率いています この多くの大衆は 一心に仏の道を求めています その従者も大河の砂の数の六万倍です 共に来て仏を供養し およびこの経を護持しています また大河の砂の数を五万倍した従者を率いている菩薩もさらに多くいます 大河の数の四万倍および三万倍 二万倍より一万倍に至り 千倍そして百倍 さらに大河の砂の数 さらにその半分 三分の一 四分の一 億万分の一 千億を千万倍した数 万億の多くの弟子 さらに半億に至る弟子たちを率いている菩薩たちもさらにいます 百万より一万に至り 千および百 五十と十と さらに三二一の弟子を率いている菩薩 さらに一人で弟子はなく 一人を願う菩薩もさらにいて 共に仏の所に来ています このような大衆について もし人が数えきれないほどの歳月をかけて計算しても 数え尽くすことはできません(注1) 

この大いなる威徳と精進を備えた菩薩たちは 誰が教えを説いて教化したのでしょうか 誰に従って初めて悟りを求める心を起こし 何れの仏の教えを受け 誰の経を受持し 何れの仏の道を修習したのでしょうか この多くの菩薩は 神通力と大いなる智慧の力があります 四方の地震により地が裂け みなその中より涌き出ました 

世尊よ 私は昔より今まで このようなことは見たことがありません 願わくは この菩薩たちの国土の名を説いてください 私はあらゆる国を巡ってきましたが まだこのようなことを見たことがありません 私はこの菩薩たちの中の一人も知りません 突然地から出たのです 願わくは この因縁を説いてください 今この聴衆の中の 無量百千億もの菩薩たちも みなこのことを知りたいと願っています 地から湧き出た菩薩たちには 最初から今までの因縁があるはずです 無量の徳を備えられた世尊よ ただ願わくは 多くの人々の疑念を解決してください」

その時、無量千万億の他方の国土より来て、あらゆる方角にある多くの宝樹の下の獅子座の上で、結跏趺坐して座っていた釈迦牟尼仏の分身の諸仏の、その仏たちの従者たちは、この菩薩たちが、すべての世界のあらゆる方角の地から涌き出し、空中に留まっているのを見て、それぞれの仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。この数えることもできないほどの多くの菩薩たちは、どこから来たのでしょうか」。

その時に諸仏は、それぞれの従者に次のように語った。

「多くの良き男子たちよ。しばらく待て。大いなる菩薩がいる。名を弥勒という。釈迦牟尼仏が記を授けた者である。後の世で仏になるであろう。この菩薩が、すでにこのことを尋ねている。仏は今、この菩薩にお答えになるであろう。あなたたちはこれによって聞くことができるであろう」。

その時に釈迦牟尼仏は、弥勒菩薩に次のように語られた。

「良いことだ、良いことだ。阿逸多(あいった・注2)よ、よく仏にこの大いなることを尋ねた。あなたたちはまさに共に一心に精進の鎧を着て、堅固なる心を起こすべきである。如来は今、諸仏の智慧、諸仏の自在の神通力、諸仏の師子奮迅の力、諸仏の威猛大勢の力を明らかに述べようと思う」。

その時に世尊は、重ねてこの内容を述べようと、偈の形をもって次のように語られた。

「まさに精進して心を統一せよ 私はこのことを説こうと思う 疑うことなかれ 仏の智慧は人の思いを超えている あなたがたは今 信仰の力を出して よく忍耐の心を起こすべきである 昔から今まで聞いたことのない教えを 今みなまさに聞くことができるであろう 私は今あなたがたを安らかに慰める 疑うことなかれ 仏には不実の言葉はない その智慧は測ることができない 仏が得ている第一の教えは 甚だ深く容易に判断することはできない このような教えを今まさに説くべき時である あなたがたは一心に聞きなさい」

その時に世尊は、この偈を説き終って、弥勒菩薩に次のように語られた。

「私は今、この大衆の中において、あなたがたに告げる。阿逸多よ。あなたたちが今まで見たことのない、この地より涌き出た数えることができないほどの多くの大いなる菩薩たちは、私がこの娑婆世界において仏の阿耨多羅三藐三菩提を得てから、この菩薩たちを教化し指導し、その心を整えさせ、仏の悟りを求める心を起こさせたのだ。この多くの菩薩たちは、みなこの娑婆世界の下、この世界の虚空の中において住んでいるのだ。彼らは多くの経典をよく読誦して、考え理解し、正しく記憶している。

阿逸多よ。この多くの良き男子たちは、人々の中にあって多く語ることを願わず、常に静かな場所を願い、努め精進し、いまだに休息したことがない。また、人や天の世界に留まることをしない。常に深い智慧を求めて滞ることはない。また常に諸仏の教えを願って、一心に精進して無上の智慧を求めている」。

その時に世尊は、重ねてこの内容を述べようと、偈の形をもって次のように語られた。

「阿逸多よ あなたは知るべきである この多くの大菩薩は 無数劫の過去より今まで 仏の智慧を修習してきた みな私が教化して 大いなる仏の道への心を起こさせたのだ 彼らは私の子であり この世界に留まっていたのだ 常に欲を捨て去る修行をして 静かな場所を求め 大衆の雑踏を捨てて 賑やかなことを願わなかった このような者たちは 私の道と教えを学習して 昼夜に常に精進した 仏の道を求めるために 娑婆世界の下方の空中にあって住んでいる 志と念の力が堅固であり 常に智慧を努めて求め あらゆる妙なる教えを説いて 恐れることはない 私は伽耶城(がやじょう)の菩提樹の下に座り 阿耨多羅三藐三菩提を得て この上ない教えを説き 彼らを教化して 初めて仏の道の心を起こさせた 今はみな退くことのない段階にある すべて必ず仏となるのだ 私は今真実を説く あなたたちは一心に信じなさい 私は久遠(くおん)の過去より今まで 彼らを教化してきたのだ」

その時に、弥勒菩薩と無数の多くの菩薩たちは、心に疑惑を生じさせ、そのようなことは聞いたことがないと怪しんで、次のように思った。

「世尊はどのようにして、短い年月の間に、これらの数えきれないほどの多くの大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提の境地に向かう道に入れたのだろうか」。

そして仏に次のように申し上げた。

如来である世尊は、王子であられた時、釈迦族の王宮を出で修行され、伽耶城の近くの修行の場に座られ、阿耨多羅三藐三菩提を得られました。今はそれから四十年ほどが経っています。世尊よ。この短い間にどのようにして、このような大いなる仏のわざを行なわれましたか。仏の大いなる力をもってでしょうか。仏の功徳をもってでしょうか。このような無量の大菩薩たちを教化して、阿耨多羅三藐三菩提に至らせることができるものなのでしょうか。

世尊よ。この大菩薩たちは、もし人が千万億劫かけて数えたとしても、数えきれるものではありません。その上、彼らは久遠の過去より今まで、無量無辺の諸仏の所において、多くの善根を植え、菩薩の道を成就し、常に優れた行を積んできました。世尊よ。このようなことは信じ難いことです。

たとえば、顔色美しく、髪も黒い二十五歳の人が、百歳の人を指して、これは私の子です、と言うようなものです。その百歳の人が、またこの若い人を指して、これは私の父です、私たちを育ててくれました、と言うようなものです。

仏も、このような信じ難いことをおっしゃっていることと同じです。仏は、悟りを得られてから、実際、まだ多くの歳月を過ぎていません。しかし、この非常に数多くの菩薩たちは、すでに無量千万億劫において、仏の道のために努め精進し、無量百千万億の三昧(さんまい)に入り、出て、そして留まり、大いなる神通力を得て、久しく清い行を修し、次第に多くの良い教えを修習し、問答も巧みであり、人の中における宝として、すべての世界において非常に尊い存在です。今日、世尊は悟りを得られてから、この菩薩たちを初めて悟りを得ようとする心を起こさせ、教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向かわせているとおっしゃいました。

世尊よ。仏になられてから、長い年月を経ないまでも、このような大きな功徳のことをなさいました。私たちは、仏のさまざまな教え、仏の語られる言葉は、偽りや誤りはなく、仏はすべてのことを知っておられると信じてはいても、悟りを求める心を起こしたばかりの菩薩たちは、仏の滅度の後において、もしこの言葉を聞けば、あるいは信じ受けることをせず、教えを否定するという罪業の因縁を起こしてしまうかも知れません。

ただ世尊よ。願わくはこのことを説き明かし、私たちの疑いを除かれますように。さらに未来世の多くの良き男子たちが、このことを聞くならば、疑いを起こすことはないでしょう」。

その時、弥勒菩薩は、重ねてこのことを述べようと、偈の形をもって次のように語った。

「仏は昔 シャーキャ族から出家され 後に伽耶の近くの菩提樹に座られ 悟りを得られてから 長い歳月は経っていません この多くの仏の子らは その数を数えることができません 彼らは長い間 仏の道を行じて 神通力と智慧の力を得ています よく菩薩の道を学び 蓮の花が水の中にあって濡れないように この世の教えに染まっていません 地より涌出し すべての者たちに敬う心を起こさせ 世尊の前に留まっています 彼らが仏に教化されたということは 考えることができません なぜ信じることができるでしょうか 仏が悟りを得られたことは それほど昔のことではないにもかかわらず その成就されたことは非常に多いです 願わくはこのために 多くの人々の疑いを除き 真実をわかりやすく説いてください たとえば二十五歳の若い人が 髪白く皺のある人を示して これは私の産んだ子ですと言い 子もこれは私の父ですと言ったとします 父は若く子は老いている この世の人々すべてが信じられないことですが 世尊もまたこれと同じです 悟りを得られてからそれほど歳月は経っていません この多く菩薩たちは 志固く恐れることはありません 数えることができないほどの昔から 菩薩の道を行じています 難問にも巧みに答え その心に恐れるところはなく 忍辱の心も動くことなく その姿はうるわしく威徳があり あらゆる方角の仏が讃嘆するところです 教えをよく説くことができ 人々の中にいることを願わず 常に好んで禅定にあって 仏の道を求めるために 下方の世界の空中に留まっています 私たちは仏からこのことを聞いたので 疑いはありませんが 願わくは仏よ 未来の人々のために このことを説いて理解させてください もしこの経において 疑いを生じて信じることができなければ まさに悪しき世界に堕ちてしまいます 願わくは今 説き明かしてください この無量の菩薩を どのようにして短い間に教化し 悟りを求める心を起こさせ 退くことのない境地に住まわせられたのでしょうか」

 

注1・今まで見てきたように、『法華経』では、数に対する表現が常識を超えている。いっそのこと、これなら「無限」という一言で済むのではないか、と思うほどである。この理由は、この娑婆世界が相対的で有限の世界であるからである。有限の世界においては、あくまでも有限の表現を用いなければ、それは単なる観念的なことで終わってしまう。いわば『法華経』は、有限な娑婆世界に霊的世界が現わされる様子を、このような非常識にさえ思える数値をもって表現しているのである。したがって、あまりこのようなことを気にせず、霊的真理のみを受け取るように心がけるべきである。

注2・「阿逸多」 弥勒菩薩の別名。これは音写文字であり、「打ち負かされない者」という意味の「無能勝」とも翻訳される。また一部の経典では、弥勒と阿逸多は別人とされる。