大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『観心本尊抄』 8

観心本尊抄』解説および現代語訳 8

 

問う:この経文の「そこから使いを送って、『あなたたちの父は死んだ』と伝えさせた」とある「使い」とは誰か。

答える:それは四依(しえ・説明前出)である。四依に四類ある。小乗の四依の多くは、正法の前半の五百年間に現われた。大乗の四依の多くは正法の後半の五百年に現われた。三つめは、迹門の四依の多くは像法一千年、他は末法の初めに現われた。四つめは、本門の四依は地涌の千界の菩薩であり、末法の始めに必ず出現するはずである。この「使いを送って伝えさせた」とある使いは地涌の菩薩たちである。「この良薬」とは「如来寿量品」の肝要である真理の名称も本体も目的も働きも最高の教えも、すべて備えた「南無妙法蓮華経」のことである。この良薬は、仏は迹門の教化の者たちには授与しなかった。ましてや他の国土の者たちに授与するわけがない。

如来神力品」には「その時に、千の世界を微塵にしたほどの数の大いなる菩薩たち、および地より涌き出た菩薩たちは、みな仏の前において一心に合掌し、その尊い御顔を仰ぎ見て、仏に次のように申しあげた。『世尊よ。私たちは世尊とその分身の諸仏の国土において、その仏の滅度の後、まさに広くこの経を説くべきと存じます』」とある。天台大師は「仏は、ただ大地から現われた菩薩たちの誓願だけを見られたのである」と述べている。また道暹(どうせん)は「この経をただ大地から現われた菩薩たちに委ねた理由とは何か。その教えが、久遠の昔からあるために、久遠の昔からいた者に委ねたのだ」と述べている。文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子であり、観世音菩薩は西方無量寿仏の弟子であり、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威仏の弟子である。彼らは釈迦仏の教化の働きを助けるために、この娑婆世界に来たのである。また彼らは『法華経』以前と『法華経』の迹門の菩薩たちである。本門の教えを所持していないので、その教えを広めるにはふさわしくないと考えられる。『法華経』に「その時に世尊は、すべての衆生の前で、大神力を現わされた。広く長い舌を出して、上は梵天の世界に届かせ、さらに十方世界の多くの宝樹の下の師子座の上に座る諸仏もまた同じように、広く長い舌を出した」とある。顕教密教の二つの道、すべての大小乗経典の中に、釈迦仏と諸仏が並んで座り、その舌相が梵天にまで届いた、という文はない。『阿弥陀経』に記されている広長舌相が三千世界を覆った、という記述は有名無実である。『般若経』の舌相三千光を放って般若の教えを説いたということも、全く証明にはならない。これはみな権教を兼ね備えている経典であるため、久遠実成の仏については述べていないからである。このように、仏は十種の神力を現わして、地涌の菩薩たちに妙法の五字を託して次のように言ったことが『法華経』にある。すなわち、「その時に仏は、上行菩薩などの多くの菩薩たちに次のように語られた。『諸仏の神通力は、このように無量無辺であり、人の計り知れるものではない。しかし、私がこの神通力をもって、数えることもできないほどの長い歳月の間、この経典を伝える功徳を説き続けたとしても、語り尽くせるものではない。要約すれば、この経典の中には、如来の持つすべての教え、如来の持つすべての自在の神通力、如来の持つすべての秘密の重要な蔵、如来の持つすべての非常に深い事柄が、みな述べられ、表わされている』」。天台大師は「『その時に仏は、上行菩薩などの多くの菩薩たちに次のように語られた』以下の箇所は、第三結要付属である」と述べている。これについて伝教大師は、「また、神力品に『要約すれば、この経典の中には、如来の持つすべての教え、如来の持つすべての自在の神通力、如来の持つすべての秘密の重要な蔵、如来の持つすべての非常に深い事柄が、みな述べられ、表わされている』とある。明らかに知ることができる。仏の悟りのすべての教え、仏の悟りのすべての自在の神通力、仏の悟りの秘密の重要な蔵、仏の悟りのすべての非常に深い事柄が、すべて『法華経』においてみな述べられ、表わされているのである」と述べている。この十種の神力は妙法蓮華経の五字をもって、上行・安立行・浄行・無辺行の四大菩薩に授与されたのである。十種の神力のうち、前の五神力はこの世のため、後の五神力は仏の滅後のためである。しかし、さらによく考察すると、すべて仏の滅後のためである。このために、「仏滅度の後によくこの『法華経』を保たせるために、諸仏はみな歓喜して無量の神力を現わされた」とある。この「神力品」の次の「嘱累品」には「その時に釈迦牟尼仏は、法座より立って、大いなる神通力を現わされた。右の手をもって無量の大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた。『私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い最高の悟りへの教えを修習した。今、これをあなたがたに委ねる』」とある。これは、地涌の菩薩を筆頭として、迹門の教化を受けた者たち、娑婆世界以外の国から来た者たち、そして梵天、・帝釈天、四天王たちに、この『法華経』を委ねたのである。そして、この「嘱累品」の最後に「その時に釈迦牟尼仏は、あらゆる方角から集まった多くの分身の仏に対して、それぞれ本土に帰らせようとして、次のように語られた。『諸仏それぞれに安楽があるように。多宝仏の塔、帰って昔のようになさるように。」」とある。さらに続く「薬王菩薩本事品」以下、『法華経』の次に説かれた『涅槃経』までは、地涌の菩薩が去って、迹門の教化を受けた者たち、娑婆世界以外の国から来た菩薩たちのために、さらに重ねて『法華経』を委ねたことを表わしているのである。これを「拾遺嘱(じゅういぞく)」と呼ぶ。

(つづく)