大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

一切如來心祕密全身舍利寶篋印陀羅尼経 その3 (完)

その時、金剛手菩薩は仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。もしある人がこの経典を書写して、塔の中に安置するならば、どのような福を得ることができましょうか」。
仏は金剛手菩薩に次のように語られた。
「もし人がこの経典を書写して、塔の中に安置するならば、その塔は、すなわちすべての如来の金剛のような不壊不変の体が集まっている卒塔婆(そとうば・現在では、墓の後ろに立てる塔婆のことをいうが、本来は、古代インド語のストゥーパーであり「塔」という意味である。この言葉が音写されてこの言葉となった)である。また、すべての如来の陀羅尼の神髄を秘密に加持(かじ・仏が衆生に働きかけ、また衆生が祈ればそれに応えるという働き)されている卒塔婆である。すなわち、九十九を百千倍してさらに十の七乗倍した数の胡麻のように無数の如来卒塔婆である。また、すべての如来仏頂(ぶっちょう・仏の智慧の象徴)と仏眼(ぶつげん・仏の智慧の目)の卒塔婆である。すなわちすべての如来が神通力によって守るところである。
またもし、仏の形をした像の中にこの経典を安置するならば、その蔵は七つの宝によってできた像となり、またこの経典が安置された卒塔婆は、同じく七つの宝によって飾られた覆いとなる。それは、すべての宝の玉が網についた露のように結ばれ、それらが交差し、そこに純粋な七つの宝でできた鈴や鐘がある。そして、すべての如来がこの教えの要にその威神力を加えられ、誠実な言葉をもって加持を誓われる。
もしある人が、この塔において善根を植えるならば、必ず最高の悟りに向かって退くことがなくなるであろう。また、地獄の底に堕ちたとしても、この塔を一周回って一回礼拝すれば、必ずそこから解放され、最高の悟りに向かって退くことがなくなるであろう。この塔およびこの経典が安置された仏像がある場所は、すべての如来の神通力によって守られるであろう。その場所には、暴風も雷や雹や雷の害はない。また毒蛇や毒虫や毒のある獣によって傷つけられることはない。また不吉な星の巡り合わせもなく、怪しい鳥やオウムやハッカチョウ、虫やネズミや虎や狼や蜂やヒキガエルの害を受けない。また、悪しき鬼神たちの恐れもなく、またあらゆる病気も近づかない。
もしある人が、この塔を一瞬でも見たならば、すべての災難が除かれ、その塔のある場所には、人間や馬や牛の病気や、子供の病気もない。また、命を失うようなこともなく、また刀の傷を受けることも、水や火からも損なわれることはない。また、敵に侵略されることもなく、飢餓が迫ることもない。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の呪いを受けることもない。
大いなる四天王がその眷属(けんぞく・従者のこと)と共に、昼夜を問わずその塔を護衛し、また千手千眼観世音菩薩の眷属である大薬叉将などの二十八部衆、および太陽や月や星や彗星が昼夜を問わず護衛する。またすべての龍王が精気を増して、時にかなって雨を降らせる。またすべての諸天および忉利天(とうりてん・帝釈天が主である天に住む天子たちを意味する)が、日に三度下って来てその塔を供養し礼拝する。またすべての諸仙が、日に三度集まって来て、その塔の周りを巡りながら讃詠する。また、帝釈天とあらゆる天女が、昼夜を問わず日に三度降りて来て供養する。
このように、その塔のある場所は、すべての如来が護念加持(ごねんかじ・常に仏に思われ、仏の働きがあるとい意味)するのである。
もし人がこの塔を、土や石や木や金や銀や赤銅で作るならば、この教えをその中に安置せよ。安置し終わるならば、その塔は七つの宝によって作られた塔となるであろう。上下にさまざまな階層があり、屋根や覆いには七つの宝によってできた鈴や鐘が下げられ、その塔の四方には如来の像が安置されている。すなわち、すべての如来の神通力によって保たれているのである。その七つの宝の塔には、大いなる仏の全身の舎利が納められている。その高さは阿迦尼吒天(あかにたてん・最も高い天であり、別名は有頂天)の宮殿にまで達する。すべての諸天が護衛して供養するのである」。
金剛手菩薩は仏に次のように申し上げた。
「世尊よ。何の因縁のゆえに、このような特に優れた功徳があるのですか」。
仏は金剛手菩薩に次のように語られた。
「それはこの寶篋陀羅尼の威神力のゆえである」。
金剛手菩薩は申し上げた。
「ただ願わくは如来よ。私たちを哀れんで、その陀羅尼を説いてください」。
仏は次のように語られた。
「金剛手菩薩よ。まさに、未来と現在および過去において、涅槃(ねはん・究極的な悟りの境地)に入ったすべての如来の全身の舎利が、寶篋陀羅尼の中にあるのだ。このあらゆる如来の過去現在未来の身体が、この中にあるのだ」。
その時、世尊はすなわち陀羅尼を次のように説かれた。

(注:陀羅尼は本来意味のある言葉であるが、唱えることに意義があるのであり、意味を考える必要はないため、ここにひらがなによって発音を記す。原本にも意味は記されていない。なお、この陀羅尼は天台宗真言宗禅宗などにおいて唱えられるが、各宗派によって微妙に発音が異なる。ここでは天台宗の読み方によって記す。句点は訳者の判断により入れた。)

「なましちりや。じびきゃなん。さるばたたあぎゃたなん。おんぼびはばだ。ばりばしゃりばしゃたい。そろそろだらだら。さるばたたあぎゃた。だとだりはどまんはばち。じゃやばり。ぼだりさんまら。たたあぎゃた。だるましゃきゃら。はらばりたな。ばしりぼうじまんだ。りょうぎゃらりょうぎりてい。さるばたたあぎゃたあ。じしゅちてい。ぼうだやぼうだや。ぼうじぼうじ。ぼっじゃぼっじゃ。さんぼうだにさんぼうだや。しゃらしゃらしゃらんど。さるばあばらだに。さるばはんばびぎゃてい。ころころさるば。しゅきゃびぎゃてい。さるばたたあぎゃた。きりだやばさらに。さんばらさんばら。さるばたたあぎゃた。ぐきゃだあらじぼじり。ぼていそぼでい。さるばたたあぎゃたあ。じしゅちた。だとげるべいそわか。さまやあじしゅちていそわか。さるばたたあぎゃた。きりだやだとぼだりそわか。そはらちしゅちた。そとべい。たたあぎゃたあ。じしゅちてい。ころころうんうんそわか。おんさるばたたあぎゃた。うしゅにしゃだとぼだらに。さるばたたあぎゃたん。さだとびぼしたあ。じしゅちてい。うんうんそわか」。

世尊がこの陀羅尼を説かれた時、その朽ちた塔のあったところから、七つの宝によってできた卒塔婆が自然と湧き出て来た。それは非常に高く広く、厳かに飾られ、妙なる大いなる光明を放っていた。
そして、あらゆる方角から、九十九を百千倍して、さらに十の七乗倍して、さらに一千億倍した数の如来が来て、釈迦牟尼仏を称賛して次のように語った。
「良いことだ。良いことだ。釈迦如来よ。よくこの広大な教えの要を説かれ、人間の世界における教えの蔵として安置された。これは衆生に利益と安穏を与えるであろう。もし、良き男子や良き女人が、この教えの要の通りに、この陀羅尼を塔と仏像の中に安置するからば、私たちあらゆる方角の諸仏は、常にそのところに赴いて、いつも神通力および誓願力によって加持護念するであろう」。
このように、世尊はこの大いなる全身の舍利である寶篋印陀羅尼の仏事を広く行われ、その後、その婆羅門の家であらゆる供養を受けられ、それを通して無数の天と人々に大いなる福利を得させ終わって、そのお住まいに戻られた。
その時、大衆の中の僧侶と尼僧と男女の信者と天竜八部衆たちは、みな大いに歓喜してこの教えを信じ受けて、謹んで行なったのだった。

一切如来心秘密全身舍利寶篋印陀羅尼経 (完)

 

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