大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

守護国家論 現代語訳 02

守護国家論 現代語訳 02

 

第一章

 

全体を七門に分けた第一として、如来の経典の教えには、権実二教が定められていることを明らかにする。そしてさらにここでは、四節に分ける。第一節は、釈迦一代の経典の分類であり、第二節は、諸経の教えの浅深を明らかし、第三節は、大乗と小乗を分け、第四節は、権教を捨てて実教に就くべきことを明らかにする。

 

第一章 第一節

 

第一に、釈迦一代の経典の分類についてである。

問う:仏は最初にどのような経典を説かれたのか。

答える:『華厳経』である。

問う:その証拠は何か。

答える:『六十華厳経(注:『華厳経』の六十巻本のこと。もう一つに八十巻本がある)』の「離世間浄眼品」に、「このように私は聞いた。ある時、仏は摩竭提国の寂滅道場にあって初めて悟りを開いた」とある。また『法華経』の「序品」において、仏が眉間から光を放って、その光に照らされた十方世界の諸仏の五時(ごじ・釈迦が教えを説いた順番を五つの時に分けたもの)の次第を弥勒菩薩が見て、文殊師利菩薩に、「また聖なる主であり、教えの師子である諸仏が見えますが、その諸仏は微妙第一である経典を説かれています。その声は清浄であり、柔軟の音をもって無数億万の多くの菩薩を教えられています」と質問の中で語っている。また「方便品」に、仏自らが、初めて悟りを開いた時のことを、「私が道場に坐し、また樹木の間を歩いていた時、多くの梵天王、および多くの帝釈天や、世を護る四天王、および大自在天、ならびに他の諸天やその百千万の従者たちは、みな恭敬し合掌し礼拝して、私に教えを説くように要請した」と語っておられる。これらは、『法華経』の中で、『華厳経』が説かれた時のことを指す文である。このために、『華厳経』第一巻には、その聴衆として、「毘沙門天王、月天子、日天子、釈提桓因(しゃくだいかんいん・帝釈天のこと)、大梵、摩醯首羅(まけいしゅら・大自在天のこと)たち」と名が連ねてある。また『涅槃経』には、『華厳経』の時について、「すでに悟りを開いた時、梵天王が勧請して、ただ願はくは如来よ、まさに衆生のために広く甘露の門を開いて下さい、と言った。さらに、世尊よ、一切衆生に三種の人々がいます。いわゆる能力の高い人、中間の人、低い人たちです。能力の高い人は聞いて理解するはずですから、ただ願はくはそのために説いて下さい、と言った。仏は、梵天王よ、明らかに聞け、明らかに聞け。私は今まさに一切衆生のために甘露の門を開こう」とある。また、『涅槃経』三十三巻に、『華厳経』の時を、「十二部経(じゅうにぶきょう・すべての経典を十二種に分類したもの)の修多羅(しゅたら・一般的にいう経典の教えを指す)の中の微細の意義を、私はまず多くの菩薩のために説くのだ」と述べている。

このような文は、みな諸仏が世に出で、経典を説く場合は、必ず最初に『華厳経』を説かれるという証拠の文である。

(注:もちろんこれは歴史的事実ではなく、経典が説かれた順序についての伝統的な解釈である。釈迦が最初に説かれた経典は、現在残っている経典においては、『阿含経典類』である。さらに他の経典、特に『法華経』や『華厳経』や『涅槃経』などの多くの大乗経典に至っては、釈迦の死後、約四百年から五百年以降に、大乗仏教運動という仏教の宗教改革の中、次々に創作された経典である。このような事実は、明治以降に明らかにされた。しかし、その霊的真理についての内容表現は、大乗経典の方がはるかに高度で洗練されている)。

問う:『無量義経』には、「初めに四諦を説き、その後、方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」とある。この文の通りならば、『般若経』の後に『華厳経』を説いていることになる。この相違はどうしてか。

答える:これは説かれた順番ではなく、その内容の浅深の次第を意味していると思われる。またあるいは、後にまた説かれた『華厳経』のことであろうか。このことに関して、『法華経』の「方便品」に、釈迦一代の経典の浅深の順次を列挙して、「他の乗(じょう・教えのこと)はない、二や三はないのである」とあるが、他の乗とは『華厳経』のことであり、二とは『般若経』のことであり、三とは「方等経(ほうとうきょう・大乗経典一般を指す言葉)」のことである。

(注:上に述べたように、経典が説かれた順番など、もともとないのであるから、あらゆる経典でその順序についての説明が統一されているわけがない。しかし、すべての経典が釈迦一代の教えを記したものだとすると、その順番の説明に相違があるわけがないので、どうしてもその理由を考えなければならないことになる。むしろこの個所での質問者の方が、正しい指摘をしていることになる)。

問う:『華厳経』の次は何の経典を説かれたのか。

答える:『阿含経』を説かれた。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『法華経』の「序品」に、『華厳経』の次の経典について、「もし人が苦しみにあって、老病死を厭う心を起こしたならば、そのために涅槃(ねはん・煩悩が消滅した平穏で静かな状態のこと)を説く」とある。また「方便品」には、「すぐに鹿野苑(ろくやおん・歴史的事実においては、釈迦が最初に教えを説いた場所。確かに『阿含経』が説かれたことになっているが、その伝統的解釈は、上に述べられていたように、『華厳経』の次である)に趣いて、五人の比丘のために説く」とある。また『涅槃経』に、『華厳経』の次の経典を定めて、「すぐに波羅奈国(はらなこく・鹿野園のある国のこと)において正法輪を転じて中道を述べ伝えた」とある。これらの経文は、『華厳経』の次に『阿含経』が説かれたことを述べているのである。

問う:『阿含経』の次は何の経典を説かれたのか。

答える:「方等経」である。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『無量義経』には、「初めに四諦を説き、そして次に方等十二部経を説く」とある。『涅槃経』には、「修多羅より方等を出す」とある。

問う:方等とはインドの言葉の直訳であり、意味を翻訳して大乗となる。大乗と言えば、『華厳経』も『般若経』も『法華経』も『涅槃経』なども、みな大乗経典である。なぜこの段階にだけ、「方等」という言葉を使うのだろうか。

答える:確かに、『華厳経』・『般若経』・『法華経』などはみな方等である。そうはいっても、方等部として分類されている経典に方等という名称をつけたのは、私ではない。『無量義経』・『涅槃経』の文にそれは明らかである。『阿含経』の悟りの内容は、完全に小乗である。そしてその次に大乗を説く。この方等から以後はみな大乗というといっても、大乗の始めであるということで、最初の大乗である方等部を方等というのである。たとえば、十八界(じゅうはっかい・眼、耳、鼻、舌、身、意の器官とその対象とそれによって生じる認識をまとめたもの)のうちの半分以上となる十界だけが色(しき・自分以外に存在すると認識されるもの。それに対して意は自分の中の意識であるので、色によるものとは言えない)によるものであるが、最初にあることで、十八界そのものを色境と言ってしまっているようなものである。

(注:『無量義経』の、初めに四諦を説き次に方等を説く、という文に限って言えば、四諦とは『阿含経』の中の教えであるので、この文が歴史的事実を述べていることになる。しかし、明治以前の昔の伝統的な解釈によれば、この前に『華厳経』が説かれているとしなければならないので、『華厳経』と「方等経」が別々になっていることは、どうしようもない矛盾と言わざるを得ない。なお、言うまでもないことであるが、この日蓮上人の思想は、日蓮上人が構築したものではなく、天台大師のいわゆる「五時教判」による)。

問う:方等部の諸経の次は何の経典を説かれたのか。

答える:『般若経』である。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『涅槃経』には、「方等より般若を出す」とある。

問う:『般若経』の次は何の経典を説かれたのか。

答える:『無量義経』である。

(注:天台大師の「五時教判」では、『華厳経』、『阿含経』、「方等経」、『般若経』、『法華経』と『涅槃経』という順番になる。したがって、ここで単純にこの「五時」に従えば、『法華経』が来るはずであるが、そうではなく、ここで『無量義経』をあげているところは、やはり『法華経』を第一と強調する日蓮上人ならではである。『無量義経』は『法華経』の開経として、『法華経』の直前に説かれたものとされる。また『法華経』の直後には終経として、『普賢経(観普賢菩薩行法経)』が説かれたとする。もともと、「五時」の「法華時」にはこの『無量義経』と『普賢経』は含まれていることになっている)。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『仁王経』には、「(この経が説かれたのは、釈迦が悟りを開いてから)二十九年中」とある。『無量義経』には、「(この経が説かれたのは、釈迦が悟りを開いてから)四十余年(が経過してから)」とある。

問う:『無量義経』には、『般若経』の後に『華厳経』という言葉を連ね、『涅槃経』には『般若経』の後に『涅槃経』を連ね、ここで言われるところは、『般若経』の後に『無量義経』を連ねている。この相違は何か。

答える:『涅槃経』第十四巻の文を見ると、『涅槃経』以前の諸経を連ねて、『涅槃経』に対しての勝劣を論じており、そこには『法華経』は挙げられていない。第九巻において、『法華経』は『涅槃経』より以前に説かれたものだとある。『法華経』の「序品」を見ると、『無量義経』は『法華経』の序分に当たる。『無量義経』には『般若経』の次に『華厳経』を連ねているが、『華厳経』を最初に説かれたものとすれば、『般若経』の後は『無量義経』となる。

問う:『無量義経』の次は何の経典を説かれたのか。

答える:『法華経』を説かれた。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『法華経』の「序品」には、「諸の菩薩のために大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念という経典を説かれた。仏はこの経を説き終わって、結跏趺坐し無量義処三昧に入られた」とある。

 問う:『法華経』の次は何の経典を説かれたのか。

答える:『普賢経』を説かれた。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『普賢経』には、「三か月後、私はまさに涅槃に入る。如来は昔、耆闍崛山および他の住処において、広く一実の道を解き明かした。今もここにおいてそれを行なう」とある。

問う:『普賢経』の次は何の経典を説かれたのか。

答える:『涅槃経』を説かれた。

問う:それはどうしてわかるのか。

答える:『普賢経』には、「三か月後、私はまさに涅槃に入る」とある。また『涅槃経』第三十巻には、「如来はなぜ二月に涅槃に入り給うのか」とある。また如来は誕生・出家・成道・転法輪はみな八日であったが、どうして仏の涅槃に入る時だけは十五日なのか」とある。大部分の経典は、大概このようである。これ以外のあらゆる大小乗経の順序は定まっていない。『阿含経』の次に『華厳経』を説き、『法華経』の次に「方等経」や『般若経』を説くとする。これらのことは、その経典の内容をもって整理するべきである。

(注:『涅槃経』はその題名から、その内容から、間違いなく、釈迦が入滅、すなわち涅槃に入る直前に説かれた経ということになる。もし、『涅槃経』の内容がそのままで、題名が他の名称で、経文の中にも、入滅する直前に説かれたという記述がなければ、間違いなく、『法華経』を中心とする学者たちは、この経典を最後には持って来ることはなく、『法華経』を最後に説かれた経典とするであろう。しかし、このような理由で、どうしても『涅槃経』は最後に説かれた経典としなければならない。そのため天台大師は『涅槃経』を、『法華経』で導けなかった人たちのために、補助的に説かれたものだとする。つまり、『涅槃経』は決して『法華経』を越えるものではないとしているのである。しかし、『涅槃経』の中心的な内容は、「仏性」すなわち、仏となる可能性についてである。一方、この「仏性」ということは、『法華経』の中には一言も説かれていない。そうすると、どうしても、『法華経』の中には、この「仏性」と同等の思想が説かれているとしなければならない。確かに、『法華経』では、すべての人が仏になれると説かれているので、この「仏性」ということについても、天台大師は『法華玄義』の中で、『法華経』でも「仏性」が説かれていると述べている。このように、歴史的事実ではない「五時」を、歴史的事実として説明するに際しては、多くの智慧が必要となることも確かである)。