大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その32

法華経』現代語訳と解説 その32

 

妙法蓮華経 如来寿量品 第十六

 

その時に仏は、多くの菩薩とすべての大衆に次のように語られた。

「多くの良き男子たちよ。あなたたちはまさに、如来の真理を明らかにする言葉を信じ理解すべきである」。

また大衆に次のように語られた。

「あなたたちはまさに、如来の真理を明らかにする言葉を信じ理解すべきである」。

また多くの大衆に次のように語られた。

「あなたたちはまさに、如来の真理を明らかにする言葉を信じ理解すべきである」。

この時に、菩薩たちと大衆は、弥勒菩薩を筆頭として、合掌して仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。ただ願わくは、これを説いてください。私たちは仏の言葉を信じ受けます」。

このように、「ただ願わくは、これを説いてください。私たちは仏の言葉を信じ受けます」と、三度申し上げた。

その時に世尊は、多くの菩薩たちが、三度願ってやまないことを知られ、彼らに次のように語られた。

「あなたたちは明らかに、如来の秘密にして神通の力を聞くべきである。この世のすべての天と人および阿修羅は、みな、今の釈迦牟尼仏は、シャーキャ族の王宮を出で、伽耶城の近くの修行の場に座り、阿耨多羅三藐三菩提を得たと言っている。しかし、良き男子たちよ。私は実は、仏になってから今まで、無量無辺百千万億那由他劫という長い時を経ている。たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界(注1)を、もし人が微塵に粉々にして、東方に進み、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎたところで一塵を下し、そのようにして東方に進み続けて、その微塵を尽くしたとする。多くの良き男子たちよ。どう思うか。こうして通過したすべての世界は、考え計算して、その数を知ることができるであろうか」。

弥勒菩薩たちは、共に仏に次のように申し上げた。

「世尊よ。その多くの世界は、無量無辺であり、計算しても知ることができません。また想像力のおよぶところではありません。すべての声聞、辟支仏などが、煩悩を断ち切った智慧をもってしても、考えてその数を知ることはできません。私たちは、もう退くことのない修行段階に達していますが、このことについては、まだ達してはいません。世尊よ。このような多くの世界は無量無辺です」。

その時に仏は、大菩薩たちに次のように語られた。

「多くの良き男子たちよ。今まさに、あなたたちに明らかに語ろう。この微塵を下した世界と下さなかった世界のすべてを再び擦って微塵として、その塵ひとつを一劫とする。私が仏となって今まで、それらすべての劫よりも、さらに百千万億那由他阿僧祇劫が過ぎているのだ。それ以来、私は常にこの娑婆世界にあって説法して教化している。また、他の百千万億那由他阿僧祇の多くの国々においても、衆生を導いている。

多くの良き男子たちよ。その中において、私は然燈仏(ねんとうぶつ)などの名称で教えを説き、また、涅槃に入ると述べた。これらはみな、方便をもって判断した結果である。

多くの良き男子たちよ。もし人々が私のところに来るならば、私は仏の眼をもって、彼らの信仰の能力の優劣を観じ、悟りに入らせる方法に従って、自らのさまざまな名前、その寿命の長さを説き、また、まさに涅槃に入ると述べ、また、あらゆる方便をもって、妙なる教えを説いて、人々に歓喜の心を起こさせたのだ。

多くの良き男子たちよ。如来は、劣った教えを願う、徳の薄い汚れが重い衆生を見るならば、その人のために、『私は若い時に出家して、後に阿耨多羅三藐三菩提を得たのだ』と説くのである。しかし、私は仏になってから今まで、久遠の時が過ぎていることは、すでに述べた通りである。ただ方便をもって、衆生を教化して仏の道に入らせようと、このような教えを説いたのだ。

多くの良き男子たちよ。如来が述べる経典は、みな衆生を悟りに導くためである。そのために私は、自身の過去の因縁を説き、あるいは他の仏の過去の因縁を説き、あるいは私の分身を現わし、あるいは他の仏の身となり、あるいは私が仏になったことから始まって涅槃に至ることなどを説き、あるいはその他の菩薩や仏や、さらに衆生に関するあらゆることを説くのだ。これらのことはすべて真実であり、偽りではない。

それはなぜであろうか。如来如実に迷いの世界を知り、ありのままを見るからである。迷いの世界は、生まれることもなく死ぬこともなく、退くこともなく、出ることもなく、また存在することもなく、滅び去ることもない。真実でもなく、偽りでもなく、同じこともなく、異なることもなく、迷いの世界が迷いの世界を見るようなこともない。このようなこと如来は明かに見て、誤ることはないのである。

多くの衆生は、それぞれの性質を持ち、それぞれの願いを持ち、それぞれの行ないがあり、それぞれの思いや判断力があるために、多くの善根を得させようと願い、さまざまな因縁、譬喩、言葉をもって、さまざまに教えを説くのである。これらのことは、今まで一度も変更したり取り消したりしたことはない。

このように、私は仏になってから今まで、実に久遠の時を経てきた。寿命は無量阿僧祇劫であり常住であり滅びることはない。多くの良き男子たちよ。私はもと、菩薩の道を行じて成就した寿命は、今なお尽きていない。先に述べた年数の倍以上あるのだ。しかし今、本当の滅度ではないが、まさに滅度すると言うのだ。如来はこの方便をもって、衆生を教化する。

それはなぜであろうか。もし仏が長い間この世にいるならば、徳の薄い者は善根を種えようともせず、貧しく劣ったままであり、あらゆる欲望に執着し、妄想や誤った考えの網の中に入ってしまうであろう。もし如来が、常にこの世にいて、去ってしまうことがないと知れば、人々は意識が麻痺し、怠けた心を起こし、仏に会うことは困難だという思いや、仏を敬う思いを持つことがないであろう。このために如来は、方便をもって説くのである。

僧侶たちよ。まさに知るべきである。諸仏が世に出現することに遭遇することは難しいのである。それはなぜであろうか。多くの徳の薄い者たちは、無量百千万億劫を過ぎて、やっと仏を見ることができるのであり、またそれでも見ることのできない者もある。このために、私は『多くの僧侶たちよ。如来を見ることは難しいのである』と言うのである。衆生はこのような言葉を聞くならば、必ず仏に会うことは難しいのだと気づき、心に仏を慕う思いを抱き、仏を渇仰して、すぐに善根を積むようになるであろう。このために如来は、実際には世を去ることはないが、滅度するのだと言うのだ。

また良き男子たちよ。諸仏如来の教えはみなこのようなものだ。衆生を悟りに導こうとするのであり、みな真実であり、偽りはない。

 

注1・「三千大千世界」 一人の仏の国土を一世界とし、それが千集まった世界を小千世界といい、小千世界が千集まった世界を中千世界といい、中千世界が千集まった世界を大千世界といい、またこれを三千大千世界と呼ぶ。