大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その35

法華経』現代語訳と解説 その35

 

また如来の滅度の後に、もしこの『法華経』を聞いて、非難せず、喜びの心を起こす者があるとすれば、まさに知るべきである、これも深く信じ理解した姿である(注1)。

ましてや、読誦し受持する者はなおさらである。この人は、如来を背負っているようなものである。阿逸多よ。この良き男子や良き女子は、私のために塔や寺を建て、僧坊を作り、多くの僧のすべての生活を支えて供養する必要はない。それはなぜであろうか。この経典を受持し、読誦するこの良き男子や良き女子は、すでに塔を起て、僧坊を造立し、多くの僧を供養していることになるのだ。すなわち、仏の舎利(しゃり)をもって梵天に届くほどの高く広い七宝の塔を起て、それを多くの旗や傘、および多くの宝の鈴を掛け、花や香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、多くの鼓、伎楽、あらゆる笛などの楽器や、あらゆる舞踊、妙なる音や声をもって、歌って讃嘆することになるのだ。さらにこの供養は、すでに無量千万億劫続いていることになるのだ。

阿逸多よ。もし私の滅度の後に、この経典を聞いてよく受持し、また自らも書き、人に書かせる人がいるならば、それは僧坊や堂閣を建てることになるのだ。それらは、三十二の貴重な香木によって作られており、高さは八多羅樹(たらじゅ・注2)であり、広大であり、厳かに飾られ、その中には百千の僧侶たちがおり、園林、浴池、経行、禅窟、衣服、飲食、床、湯薬などのすべての願わしい道具が満ちている。このような僧坊や堂閣の数は百干万億であり、これをもって私と僧侶に供養しているのだ。

したがって、如来の滅度の後に、この経を受持し、読誦し、他人のために説き、自らも書き、また人に書かせ、経巻を供養する者は、塔寺を建て、および僧坊を作り、多くの僧侶を供養する必要がないのだ。ましてや、この経を保ちつつ、さらに布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧六波羅蜜を行じる者はなおさらのことである。その徳は最も優れており、無量無辺である。たとえば、虚空に、東西南北や上下などの方角に際限がないように、この人の功徳も、またこのようなもので、無量無辺であって、すぐに一切種智を得るであろう。

もしこの経典を読誦し、受持し、他の人にも説き、また自らも書き、人に書かせる人がいるならば、その人は、塔を建て、および僧坊を作り、声聞の僧たちを供養し讃歎し、また百千万億の讃歎の教えをもって、菩薩の功徳を讃歎し、また他人のために、あらゆる因縁をもって、正しくこの『法華経』を解説し、また、清らかな戒を持ち、柔和の者と共に行動し、辱めを忍び、怒ることなく、志堅固にして、常に坐禅を尊び、多くの深い禅定を得、精進勇猛にして、あらゆる良き教えを受け、能力が優れて智慧があり、よく難問に答えることができるであろう。

阿逸多よ。もし私の滅度の後に、多くの良き男子や良き女子がいて、この経典を受持し読誦するならば、また良き多くの功徳があるであろう。まさに知るべきである。この人は、すでに道場において、阿耨多羅三藐三菩提に近づき、悟りを開くべく樹の下に座っているのだ。

阿逸多よ。この良き男子や良き女子が座るところ、立つところ、歩むところ、そのようなところには塔を建てるべきである。すべての天人たちはその塔を、仏の塔のように供養すべきなのである」。

その時に世尊は、再びこの内容を述べようと、偈の形をもって次のように語られた。

「もし私の滅度の後に この経を尊び仕えるならば この人の福無量なること すでに述べた通りである これすなわち私に対して あらゆる供養をしていることになるのだ 舎利をもって塔を建て その塔を七宝によって荘厳し それは非常に高く梵天に至り 宝の鈴が千万億あり 風が吹くたびに妙なる音を出し また無量劫にわたり この塔に花や香やあらゆる瓔珞 そして天の衣を着た者たちの伎楽を供養し 香油で灯火をともし 常に周りを照らすのだ 

末法の悪しき世において この経を保つ者は すなわちすでに述べたような 多くの供養をしたことになるのだ この経を保つ者は すなわち仏を目の前にして 優れた香木を使って僧坊を建て供養し その堂は三十二あって 非常に高く 上等な妙なる衣服 家具寝具などすべてあって 百千人が住み 園林などの沐浴の池 歩く場所と座禅をする洞窟など すべてが荘厳に備えるようなものである 

もし信じ理解する心ある者が 受持し読誦し書き あるいは人に書かせ および経巻を供養し 花や香や抹香を散じ すぐれて高価な油をもって 常にこの経を照らすとするならば このように供養する者は 無量の功徳を得るであろう 虚空が無辺であるように この福もまた同じである ましてやまたこの経を保って さらに布施し持戒し 辱めを忍んで禅定を願い 怒ることなく悪口を言わないならばなおさらである 塔廟を敬って尊び 多くの僧侶たちに仕え 高慢の心を捨て去り 常に智慧をもって考え 難問を振りかざす者に対して怒らず 従順に解説をするならば そのような行為をする者は その功徳は測り知れない もしこの法師が このような徳を成就していることを見るならば まさに天の華をもって散じ 天の衣をその身に覆い 足に頭をつけて礼拝し 仏のように思うべきである 

またまさに次のように思うべきである この人は間もなく道場に赴いて 煩悩のない境地を得て 広く多くの天人を導くであろうと その者が歩き座り またこの経の一偈であっても説くところには まさに塔を建てて 荘厳に飾り あらゆる供養をすべきである 仏の子がこの境地にあれば すなわち仏は受け入れられる 常に仏はそこ中に住まわれ 共に歩き共に座るであろう」

 

注1・これ以降は、「分別功徳品」の後半となる。以前も述べたが、『法華経』は、伝統的な解釈においては、前半の迹門と後半の本門の二つに分けられる。そして、迹門も本門もさらに、序分と正宗分(しょうしゅうぶん)と流通分(るつうぶん)の三つに分けられる。序分は序章であり、正宗分とは本論のようなもので、流通分とは、この経典が広められるために説かれた内容である。

この本門は、「従地涌出品」から始まるというのが伝統的な解釈である。そして本門の正宗分は、仏の寿命は永遠である、ということが述べられている箇所であり、流通分は、『法華経』を受持し広める者の功徳や、この経典に基づいて活躍している菩薩たちについて述べられている箇所となる。

そして実は、この「分別功徳品」は、本門の正宗分と流通分とにまたがった章なのである。「分別功徳品」の前半では、仏の寿命が永遠であるということを信受した者の功徳について述べられているので、正宗分に属するとされ、後半は、『法華経』そのものを受持する者の功徳が述べられているので、流通分に属するとされる。

注2・「多羅樹」 もともと背の高い樹木のことであるが、それが尺度の単位として用いられる。一多羅樹は約十五メートル。