撰時抄 その2

問う
その証拠になる経文などは何であるか。
答える
法華経』に「私の滅度(めつど・仏が死んでその世界から姿がなくなること)の後の五百年間、この経は広まり、この世において教えは断絶することがないであろう」とある。この経文は『大集経』でいうところの、正しい教えが滅んだ次の時を指すのである。

(注:この五百年間、ということについて、ここで説明しなければ、どうにも進めないので、ここに記すことにする。
法華経』には「薬王菩薩本事品」に二箇所と「普賢菩薩勧発品」に三箇所、「後の五百歳」という言葉が記されている。もちろん、これは『法華経』の訳者である鳩摩羅什(くまらじゅう)がこのように記したのであるが、ではサンスクリット原本ではどうなっているかと見ると、「薬王菩薩本事品」では、「最後の五十年」となっており、「普賢菩薩勧発品」では、「釈迦の死後五百年たった悪しき世の中」という意味で使われている。
まず、「薬王菩薩本事品」の言葉を見るが、まず一つめの箇所では、『法華経』を聞いた女人の話であり、この女人はもう女性としての生を受けることはなくなる、という内容である。したがって、サンスクリット原本の「最後の五十年」とは、明らかに、人の一生は昔は50歳までと認識されていることから、生まれ変わりを繰り返す中の、人間として、あるいは、ある特定の「生(しょう)」の存在としての、最後の一生という意味である。
また「薬王菩薩本事品」の二つめの箇所では、宿王華菩薩に委ねられた言葉として、この法華経をこの地に広く述べ伝えるべき期間を表している。
まずここでも、この箇所のサンスクリット原本を見ると、「したがって、宿王華菩薩よ。この薬王菩薩本事品が最後の時であり最後の機会である最後の五十年の経過している間に、この娑婆世界に行なわれて消滅しないように、(中略)私はそれをあなたに委ねよう」となっている。この原本の「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」は、先の女人の生涯のことと同じく、この宿王華菩薩の生涯を表わしていると解釈すれば、すべて意味が通じる。つまり、宿王華菩薩は、もう二度と、この娑婆世界には生まれて来ないのである。したがって、宿王華菩薩にとっては、現在の娑婆世界にいる期間が、「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」と表現されるのである。言い換えれば、仏が宿王華菩薩に薬王菩薩本事品を委ねるということは、彼がこの娑婆世界にいる最後の機会の五十年間、この娑婆世界にそれが行なわれて消滅しないことが期待されているということなのである。このように解釈すれば、「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」という一見不思議な言葉も、その意味がよくわかる。
そして次に「普賢菩薩勧発品」の三箇所を見ると、「於後五百歳。濁悪世中。其有受持。是経典者。我当守護」と「若後世後五百歳。濁悪世中」と「若如来滅後。後五百歳。若有人。見受持読誦」の三つである。この文の意味は読んでわかる通り、みな同じである。つまり、釈迦の死後五百年たった悪しき世の中においても、この法華経を受け保つ者を称賛する内容である。したがって、この「後五百歳」は、「薬王菩薩本事品」の内容とは全く関係がない。
さて、このようなことを理解できなかった鳩摩羅什は、「如来の滅後、後の五百歳」と訳してしまった。鳩摩羅什は、意味としては、単純に、如来の滅後の五百年という意味で訳したのだろう。
このように、鳩摩羅什が訳した『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、日蓮は上に記したように、「この経文は『大集経』でいうところの、正しい教えが滅んだ次の時を指すのである」と述べているように、『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、日蓮は「如来の滅後の五百年」という意味に解釈しないで、『大集経』にある「第五の五百年」、つまり、すでにこの『撰時抄』でもたびたび引用されている、正しい教えが滅びる期間である「五百年が五つ重なった第五の五百年(500×5=2500)のことであると述べている。それはなぜか。
それは、日蓮が非常に尊敬し、日蓮が書いた曼荼羅にも名前があがる妙楽大師湛然(たんねん・711~782・中国唐の僧侶。天台教学の中興の祖)がそのように解釈しているからである。湛然は、『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」の意味を、「大集経」の「第五の五百年」と解釈しており、日蓮は、何の疑問もなく、その説を受け入れているのである。
ではなぜ湛然はそのように解釈したか。
湛然ばかりではなく、他の祖師たちも、同様に解釈している場合があるので、これは湛然が最初にこのように解釈したとは言えないが、このような解釈が成り立った背景には、これもすでに述べてきたように、大乗経典のランク付けである「教判」が影響している。
教判によると、『大集経』は、『法華経』よりも先に釈迦が説かれた経典であるとされる。そうであるならば、『法華経』を説いた時点では、すでに釈迦は『大集経』の説教を通して、「第五の五百年」のことも説いていたこととなる。すると、『法華経』にある「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、「第五の五百年」であると解釈しても不思議ではなく、無理もない。
しかし、実際は、大乗経典は釈迦が説いた教えではなく、そして、これも実際は、『大集経』は、『法華経』よりも後に成立した経典である。他の大乗経典もそうであるが、『大集経』と『法華経』を作成した大乗仏教グループは違う集団なので、直接この二つの経典は関係がない。
したがって、湛然の解釈は誤りである。つまり、鳩摩羅什がまず、サンスクリット原本の「最後の五十年」という言葉を、「如来の滅後、後の五百歳」という言葉に訳してしまい、さらにこの言葉を、湛然が(彼が最初かどうかは不明であるが)『大集経』と関連付けて、「第五の五百年」と解釈してしまったのである。誤りが二重になったわけである。
日蓮は、湛然の解釈の通り、この『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、仏の滅度の後の二千五百年と解釈して疑っていない。
まさに、時である。天台大師を始め、日蓮の当時もそうであるが、漢訳された『法華経』がすべてであり、サンスクリット原本を見ることなどできないのである。しかし、今の時では、このことは明らかになっているのだから、もう漢訳された『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、仏の滅度の後の二千五百年と読んではならないのである。これからの『撰時抄』の文の中で、何度も日蓮は、『法華経』の中に、この経典は末法の世の中で説き広められるべきである、と書かれている、と言っているが、それはすべて誤りである。『法華経』にはそのようなことは書かれていない。)

また同じく『法華経』には、「悪しき世である末法の時、この経典を保つ者は」とある。また「後の末の世において、教えが滅ぼうとしている時」、また「しかもこの経典に対しては、如来(=釈迦)が現在いる時すら敵対視する者が多い。ましてや、私が滅度した後はなおさらである」、また「すべての世に敵が多く信じることが難しい」、また一切世間怨多くして信じ難し」、また、仏の滅度の後の二千年過ぎた後の五百年には、この経典に対する敵が多くなる、ということを説いて(注:繰り返すが、この解釈は誤りである)「悪魔や魔民など、悪しき天竜や夜叉や鳩槃荼(くはんだ・夜叉と同様、鬼神の一種。『法華経』の中では回心して善神となった鬼神たちも多いが、この場合は悪い鬼神を指す)たちが攻撃する機会をねらうであろう」とある。
また『大集経』には「多くの争いが起こる」とあり、また『法華経』には「悪世の中の僧侶」また「あるいは寺院にあって」とあり、また「悪鬼あその身に入る」とある。
これらの文の意味は、釈迦の死後の二千五百年めの時、悪鬼がその身に入る有名な僧侶など、国中に充満するということである。その時に、正しい智慧を持つ一人の人が出現すると、その悪鬼が入った有名な僧侶や時の王や大臣や他の民たちが、悪口を言い罵倒し、杖や木や瓦礫で傷つけ、さらに流罪や死罪にするであろう。
その時、釈迦如来多宝如来(たほうにょらい・『法華経』の中に登場する過去仏。『法華経』の説法の時、『法華経』が正しいことを証明して釈迦と並んで座る仏)や十方の諸仏たち(『法華経』が説かれ、多宝如来が来られたと言うことで、あらゆる世界から集まって来た仏たち)は、地涌の菩薩(じじゅのぼさつ・『法華経』の中に登場する、地面から湧き出した無数の菩薩たち。この世で『法華経』を述べ伝える使命を与えられた菩薩たちである)に命じて、さらに地涌の菩薩たちは梵天帝釈天や日天子や月天子、および四天王たちに命じて、天変地異を起こさせるであろう。
それにもかかわらず、国王たちが悪しき者たちをいさめなければ、さらに鄰国に命じて、その国の悪しき王や悪しき僧侶たちを攻めさせるであろう。そうなれば、前代未聞の大戦争が起こるであろう。
その時、天下のすべての人々は、自分の国を惜しみ、また自分の命を惜しみ、すべての仏菩薩に祈っても、何の効果もないであろう。さらにそうなると、以前は彼らが憎んでいた一人の僧侶の言葉を信じ、多くの有名な僧侶をはじめ、あらゆるところの国王たち、さらにすべての民たちが、みな頭を地につけ手を合せて、一同に「南無妙法蓮華経」と唱えるであろう。
それはまさに、たとえば、『法華経』の「如来神力品(にょらいじんりきほん)に記されている、あらゆる世界の人々が、すべてこの娑婆世界(しゃばせかい・私たちが住むこの世を意味するが、この場合は、『法華経』が説かれている世界という意味)に向つて大きな声で、「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏」と叫んだように、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と叫ぶようなことになる。

問う
経文には明らかにそのように記されていることはわかったが、天台大師や妙楽大師や伝教大師(でんぎょうだいし・日本の最澄のこと)たちは、未来について予言しているのだろうか。
答える
あなたの言っていることは真逆である。もし、人が書いた論書を引用する場合は、そのような言葉は明らかに経典に記されているか、ということを確認することは当然であるが、経典に明らかに書いてあるならば、あえて人が書いた論書を見る必要はないのである。もし論書の言葉が、経典に相違していれば、あえて論書を信じることはあるまい。

言う
確かにそうである。しかし、一般人にとっては、経典の言葉はなかなか難しい。しかし、論書ならば親しみやすく、信心も起こしやすい。
答える
あなたは求める気持ちが深いので、では申し上げることにしよう。
天台大師は「後の五百年から未来にかけてまで、『法華経』の教えは行なわれるであろう」(注:ここで天台大師は、後の五百年とだけ言っていることに注目である。これは、単に鳩摩羅什訳の『法華経』の言葉を引用しただけであり、天台大師には、仏の死後の二千五百年という概念はないのである)と言っている。
また妙楽大師は「末法が始まったとは言え、仏菩薩からの功徳がなくなるわけではない」と言っている。
また伝教大師は「正法と像法が過ぎ去って、末法が近くなった。『法華経』の時はまさに今である。どうしてそれを知ることができようか。『法華経』の「安楽行品(あんらくぎょうほん)に、『末の世であり教えが滅びる時である』とあるからである」、また「時代を考えれば、像法が終わって末法が始まる時であり、国土を考えれば、日本は中国の東に位置し、羯(かつ・小月氏国とも言う。中国北東部沿岸に存在していた国)から見れば西であり、人を考えるならば、飢饉や天災や戦争などが起こり(劫濁・こうじょく)、誤った考えが広まり(見濁・けんじよく)、煩悩が盛んになり(煩悩濁)、人々の質が低下し(衆生濁・しゅじょうじょく)、人々の寿命が短くなる(命濁・みょうじよく)の五濁(ごじょく)であり、争いごとが絶えない時である。『法華経』に、「私の滅度の後はなおさら困難が多い」と述べられていることはこのことである」と言っている。
釈迦が世に出られた時は、人の寿命が百歳の時である(仏教の時代の考え方によると、昔になればなるほど人の寿命は長く、そこから人の寿命は短くなっていくと考えられている)。その百歳から寿命が短くなっていき、それが十歳になるまで間が今現在であり、さらにそれは、釈迦が教えを説かれた約五十年と、釈迦が死なれてから、正法と像法の二千年と末法の一万年となり、その間に『法華経』が広まるわけであるが、これに二回あったと見るべきである。すなわち、釈迦が直接『法華経』を説かれた八年間と、釈迦が死なれた後においては、末法の始めの五百年(つまり、釈迦の死なれた後、二千年たってから二千五百年の間)である。
しかし、天台大師や妙楽大師や伝教大師たちは、もちろん釈迦が『法華経』を説いた時には生まれていないし、さらに末法の時でもなく、むしろ、『法華経』が広まるべき末法の始まりの時を恋い慕って、このように語られたのである。
例えば、阿私陀仙人(あしだせんにん・釈迦が生まれた時、それを見て、その子の将来を予見した仙人)が、釈迦が太子としてお生まれになった時、嘆きながら、「ああ、私はもう九十歳になっているから、この太子が悟りを開くところを見ることができない。また、私が死んだら無色界(むしきかい・物質的存在のない世界)に生まれるので、太子が仏となってからの五十年の説法の座につくことはできない。もちろん、その後の世界にも生まれることはできない」と言ったようなものである。
仏の教えを求める心がある人々は、これを知って喜ぶべきである。正法や像法の二千年間に大王と生まれるよりも、未来世に仏となることを願う人々は、末法の今の時代の民であるべきではないか。なぜこれを信じないのだろうか。
あの天台の座主(ざす・天台宗のトップの僧侶)よりも、「南無妙法蓮華経」と唱える愚かな人間になるべきではないか。梁の武帝は、「釈迦を傷つけた提婆達多(だいばだった)となって地獄の底に堕ちることがあっても、釈迦が悟りを開く前に釈迦が師事していた欝頭羅弗(うずらんほつ)にはなるまい」と誓ったのである(つまり、最悪な人間となったとしても、仏の教えを聞くことができない人間とはなるまい、という意味)。

 

つづく

 

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