大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『観心本尊抄』 9 (完)

観心本尊抄』解説および現代語訳 9 (完)

 

疑って問う:正法と像法の二千年の間に、この地涌の千界の菩薩たちは、この地に出現してこの『法華経』を広めたのだろうか。

答える:そうではない。

驚いて問う:『法華経』ならびに本門は、仏の滅後のために、まず地涌千界の菩薩に授与されたのではないか。なぜ正法と像法の世に出現してこの経を広めないのか。

答える:広めない。

重ねて問う:なぜか。

答える:これを述べ広めれば、すべての世の人々は、『法華経』にある威音王仏の国の末法のように、また、私の弟子の中でも、この教えを聞いて信ぜず、かえって罵るであろう。黙っていることが最善なのである。

求めて問う:説かなければ、あなたは使命を果たさない罪に陥るであろう。

答える:これは進退窮まったということだ。試みにこれを説こう。「法師品」に「ましてや、仏の滅度の後はどうであろうか」とある。「如来寿量品」に「今これをここに置く」とある。「分別功徳品」に「悪世末法の時」とある。「薬王菩薩本事品」に「後の五百年において、この世に教えを広めよう」(注1)とある。『涅槃経』に「たとえば七人の子がある。父母の子に対する心は平等ではないということはないが、特に病気の子に対しては、その心が他の子より多く傾くようなものである」とある。以上引用した経文を、清らかな鏡のようにして仏の心を推察すると、仏は『法華経』が霊鷲山の上で説かれた八年間の人々のためにこの世に出現したのではなく、正法、像法、末法の人のためである。さらにまた、正法と像法の二千年の間の人のためにではなく、末法の始めの私のような者のためである。「病の子に対して」とあるのは、仏の滅後に『法華経』を誹謗する者を指すのである。「今ここに置いておく」とは、「この良い色と香りのある薬をまずいと言う」者を指すのである。

地涌の千界の菩薩が正法と像法に出現しないのは、正法一千年の間は小乗と権大乗の時代であるので、その時ではないということなのである。そのために、その時代の四依の菩薩たちは、小乗や権大乗をその時代にふさわしいものとして、その時代の人々を導いたのである。その時に『法華経』を説いてしまえば、誹謗する者が多く、正しい教えが破られるので、これを説かなかったのである。たとえば、仏がいた世における『法華経』の前の、四味の教えの人々のようである。像法の中ごろから末にかけて、観世音菩薩と薬王菩薩は、南岳大師と天台大師として現われ、迹門を表面とし、本門を裏として、百界千如、一念三千の教えを尽くした。ただ真理がすべてに備わっているという面を述べ伝え、具体的な面における南無妙法蓮華経の五字、ならびに本門の本尊については、まだ広くこれを行じなかった。いわゆる完全な教えである円教を受けるべき人はいたのであるが、その円教の時ではなかったのである。

今は末法の初めであり、小乗が大乗を打ち、権教が実教を破り、東が西になって天地がひっくりかえったようになっている。迹門の教化を受けた四依の者たちは隠れて現前せず、諸天はその国を捨てて守護しない。この時、まさに地涌の菩薩ははじめて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字をもって、病で苦しんでいる幼い子供たちに与えるのである。妙楽大師が「『法華経』を誹謗したことによって悪に堕ちた者は、かえって、それが因となって利益を得る」と言ったことはこの意味である。私の弟子はこのことを思うように。地涌の千界の菩薩は、教主である釈迦仏が最初に悟りを開いた時の弟子である。この世で最初に教えを説いた『華厳経』の寂滅道場にも来ず、釈迦仏がなくなる沙羅双樹の林にも訪れないのだから、このままでは不孝の罪があるということになるであろう。そして、迹門の十四品にも来ず、本門においても六品には座を立ち帰ってしまっている。つまり、ただ八品の間に来ているのである。このような高貴の大菩薩たちは、釈迦如来多宝如来、釈迦分身の諸仏の三仏に約束して『法華経』を受け保っているのである。どうして、末法の初めに出現しないことがあろうか。まさに知るべきである。この地涌の菩薩の筆頭である四菩薩が、誤りを正す働きをする時は、賢王となって愚王を責め、人々を導く時は僧となって正しい教えを広めるのである。

問う:このことは、仏の文には何とあるか。

答える:「後の五百年にこの世において広められるであろう」とある。天台大師はこれについて「後の五百年は仏の在世よりは遠いが、妙道は潤うであろう」と述べている。妙楽大師は「末法の初めは福がないのではない」と述べている。伝教大師は「正法と像法が過ぎて、末法が近づいてきた」と言っている。「末法が近づいて来た」ということは、自分の時はまだその時ではない、という意味である。伝教大師は、日本における末法の始めについて「時代を語れば像法の終わり末法の初め、地を尋ねれば唐の東であり羯(かつ・匈奴のこと)の西、人を見れば五濁(ごじょく・人の五つの汚れ)の人生、戦争や争いが絶えない時である。経に云はく、仏の滅度の後は、なお怨嫉が多いとある。実にこの言葉は事実である」と述べている。この解釈に「戦争や争いが絶えない時」とあるが、これは今現在のこの国の内乱と外国からの侵略を指しているのである。

まさにこの時、地涌の千界菩薩が出現して、本門の釈迦如来を脇士とするこの世の第一の本尊こそ、この国に立つべきである。インドにも中国にも、この本尊はなかった。日本国の聖徳太子四天王寺を建立したけれども、まだ時が至っていなかったので、他方の仏である阿弥陀仏を本尊とした。さらに聖武天皇東大寺を建立したが、『華厳経』の教主を本尊とした。このようにまだ『法華経』の真実の意義は表わされていない。伝教大師は『法華経』の真実の意義を表わしたが、そうであっても、まだ時が至っていなかったので、東方の薬師如来を建立して本門の四菩薩は表わさなかった。このように、誰も地涌の千界の菩薩を中心としなかった。この菩薩は仏の勅を受けて、近くの大地の下にいる。正法と像法の時代には出現しなかった。末法にもし出現しなかったならば、大妄語の菩薩となってしまう。釈迦仏と多宝仏と分身の諸仏の預言もまた泡に帰してしまう。このことをもって思うに、正法や像法にもなかったような大地震や大彗星も現われている。これは金翅鳥(こんじちょう・インド神話上の架空の鳥。迦楼羅(かるら)として経典に多く登場する)や阿修羅や竜神などが起こした異変などではない。まさに四大菩薩を出現させる前兆であろう。天台大師は「雨が激しいこと見て竜の偉大さを知り、蓮の花が盛んであることを見て池の深さを知る」と言っている。妙楽大師は「智慧ある人はその起ることを知り蛇は自ら蛇を知る」と言っている。天が晴れれば地は明るくなるように、『法華経』を知る者によって、この世のすべては良くなるはずである。

一念三千を知らない者には、仏は大慈悲を起こし、「妙法蓮華経」の五字の内にその珠を隠し、末法の世の幼稚な人々の首にそれを掛けられた。四大菩薩がそのような人を守護されることは、太公や周公旦の文王を助け、商山四皓(しょうざんしこう・乱世を避けて山に隠遁した四人の老人のこと)が西晋の恵帝に仕えたことに異なることはない。

文永十年四月二十五日       日 蓮  これを記す。

(完)

 

注1:『観心本尊抄』の正式な題名は、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』であるが、この「滅後五五百歳始」という言葉について、重要な事実がある。

法華経』には「薬王菩薩本事品」に二箇所と「普賢菩薩勧発品」に三箇所、「後の五百歳」という言葉が記されている。もちろん、これは『法華経』の訳者である鳩摩羅什(くまらじゅう)がこのように記したのであるが、ではサンスクリット原本ではどうなっているかと見ると、「薬王菩薩本事品」では、「最後の五十年」となっており、「普賢菩薩勧発品」では、「後の五百年たった悪しき世の中」という意味で使われている。

まず、「薬王菩薩本事品」の言葉を見るが、まず一つめの箇所では、『法華経』を聞いた女人の話であり、この女人はもう女性としての生を受けることはなくなる、という内容である。したがって、サンスクリット原本の「最後の五十年」とは、明らかに、人の一生は昔は50歳までと認識されていることから、生まれ変わりを繰り返す中の、人間として、あるいは、ある特定の「生(しょう)」の存在としての、最後の一生という意味である。

また「薬王菩薩本事品」の二つめの箇所では、宿王華菩薩に委ねられた言葉として、この法華経をこの地に広く述べ伝えるべき期間を表している。

まずここでも、この箇所のサンスクリット原本を見ると、「したがって、宿王華菩薩よ。この薬王菩薩本事品が最後の時であり最後の機会である最後の五十年の経過している間に、この娑婆世界に行なわれて消滅しないように、(中略)私はそれをあなたに委ねよう」となっている。この原本の「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」は、先の女人の生涯のことと同じく、この宿王華菩薩の生涯を表わしていると解釈すれば、すべて意味が通じる。つまり、宿王華菩薩は、もう二度と、この娑婆世界には生まれて来ないのである。したがって、宿王華菩薩にとっては、現在の娑婆世界にいる期間が、「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」と表現されるのである。言い換えれば、仏が宿王華菩薩に薬王菩薩本事品を委ねるということは、彼がこの娑婆世界にいる最後の機会の五十年間、この娑婆世界にそれが行なわれて消滅しないことが期待されているということなのである。このように解釈すれば、「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」という一見不思議な言葉も、その意味がよくわかる。

したがって、「『薬王菩薩本事品』に『後の五百年において、この世に教えを広めよう』とある」という日蓮上人の解釈は誤りとなる。

そして次に「普賢菩薩勧発品」の三箇所を見ると、「於後五百歳。濁悪世中。其有受持。是経典者。我当守護」と「若後世後五百歳。濁悪世中」と「若如来滅後。後五百歳。若有人。見受持読誦」の三つである。この文の意味は読んでわかる通り、みな同じである。したがって、この「後五百歳」は、「薬王菩薩本事品」の内容とは全く関係がない。しかし、鳩摩羅什はこのことがわからず、「薬王菩薩本事品」の二個所の「五十年」も、この意味と解釈して訳してしまったのである。

この「後五百歳」については、伝統的に『大集経』に記されている「第五の五百年」のことと解釈されており、鳩摩羅什もその解釈に立っていると考えられる。

この『大集経』の言葉は、「五百年が五つ重なった時」という意味である。つまり、第一の五百年は、1年から499年までであり、第二の五百年は、500年から999年までであり、第三の五百年は、1000年から1499年まで、第四の五百年は、1500年から1999年まで、そして第五の五百年は、2000年から2499年までである。そして『大集経』によれば、釈迦の死後二千年から末法が始まるとするので、第五の五百年から末法が始まるとするのである。この鳩摩羅什が訳した「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、「第五の五百年」と解釈することは、すなわち、末法の始まりを意味することになる。

日本の日蓮上人も、このように解釈しているが、それは、日蓮上人が非常に尊敬し、日蓮が書いた大曼荼羅本尊にも名前があがる妙楽大師湛然(たんねん・711~782・中国唐の僧侶。天台教学の中興の祖)がそのように解釈しているからである。湛然は、『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」の意味を、『大集経』の「第五の五百年」と解釈しており、日蓮上人は、その説を受け入れているのである。

日蓮上人は、この湛然の解釈の通り、この『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、仏の滅度の後の第五の五百年、つまり末法の始まりと解釈しており、そのため、日蓮上人は、末法の時代でこそ、『法華経』は広まるのであり、そのように釈迦は『法華経』を委ねられたのだと主張しているのである。