大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  50

『法華玄義』現代語訳  50

 

D.広解(迹門の十妙の各項目について詳しく述べる)

(注:前に、『法華玄義』において「迹門の十妙」と「本門の十妙」の箇所が最も長い分量を占め、それは『法華玄義』全体の約半分にもなることを述べたが、その中心が「迹門の十妙」と「本門の十妙」の「広解」の箇所である。さらに「迹門の十妙」と「本門の十妙」の分量を比較すると、「迹門の十妙」の方がはるかに多く、それは「本門の十妙」の10倍以上である)。

 

①.境妙

境妙についいて詳しく述べるにあたって、まず諸境について解釈し、次に諸境の同異を述べる。

(注:すでに項目が細分化されており、これ以降もさらに細分化される。しかしそれらすべてに、統一的な記号による見出しを付けて目次に載せるとなると、かなりの分量となり、また煩瑣なものになってしまう。そのため、記号による見出しは、各十妙までとして、それ以上は項目を記号などによって分けることをせず、適宜に「◎」や「〇」、あるいはアルファベット、あるいは第一、第二などを用いて適宜に見出しとする。そしてそれらの見出しは目次には載せない。これは最後まで同様である)。

 

a.諸境について詳細に述べる

諸境についいて詳しく述べるにあたって、六つある。第一は、十如是の境、第二は、十二因縁の境、第三は、四諦の境、第四は、二諦の境、第五は、三諦の境、第六は、一諦の境である。

あらゆる経典において、人々の能力に応じて、境について述べられている内容は非常に多い。どうしてすべてをここに記すことができるだろうか。したがって、この六つをあげるのである。

(注:一般的に、境というと、「環境」などというように、自分を取り囲む世界、または自分の感覚器官によって感じ取る対象を指す。しかし、境妙の境とは、修行の観法の対象のことである。たとえば、すべては苦しみである、と観じることは苦諦であるが、その際、その「すべて」が境なのではなく、苦諦そのものが境とされるのである。このように、教えそのものが認識の対象になる、ということは、一般常識ではなかなか理解できないので、これからの箇所を読み進めて行く際、このことは常に意識する必要がある)。

この六つの順番について述べるならば、第一の十如是は、この『法華経』に記されている教えであるので、当然、最初に述べるべきである。第二の十二因縁は、過去・現在・未来の輪廻の生の中にすでに備わっている。第三の四諦は、如来が世に出て、巧みに説いた教えである。第四の二諦は、まず真理について概略的に説いたものであるが、それでは詳しく説き尽くすことはできないので、中道を説くために、第五の三諦を述べる。しかしそれでは、まだ方便を含んでいるので、単刀直入に真理を表わして、第六の一諦を説く。しかしそれでは、まだ言葉が残っているので、真理は言葉を超越していることを表わすために、無諦を説く。すべての最初にある無明から始まって、今現在のすべてに至るまで、この第一から第六までを説くことで十分である。

 

第一 十如是

諸境についいて詳しく述べるにあたっての第一は、十如是の境であるが、この十如是については先にすでに述べた。

 

第二 十二因縁

諸境について詳しく述べるにあたっての第二は、十二因縁の境である。

この十二因縁について述べるにあたって、四つの項目を設ける。一つめは、正しく解釈する。二つめは、麁と妙を判別する。三つめは、麁を開いて妙を明らかにし、四つめは観心を述べる。

 

◎十二因縁について正しく解釈する

十二因縁を正しく解釈するにあたって、また四つの項目を設ける。一つめは、思議生滅の十二因縁であり、二つめは、思議不生不滅の十二因縁であり、三つめは、不思議生滅の十二因縁であり、四つめは、不思議不生不滅十二因縁である。最初の二つの思議の十二因縁は、能力の高い者や低い者の両方に対応するために、人間の世界の次元において述べるものである。