大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その24

法華経』現代語訳と解説 その24

 

妙法蓮華経見宝塔品第十一

 

その時、仏の前に七宝の塔があった。高さは五百由旬、縦と横の広さは二百五十由旬である。地より涌出して空中に留まった。その塔は、あらゆる種類の宝物をもって飾られていた。五千の欄干があって千万の部屋があった。無数の旗をもって厳かに飾られ、宝の瓔珞が垂れ、万億の宝の鈴がその上に掛けられていた。四面から多摩羅跋(たまらばつ・注1)と栴檀の香りが醸し出され、世界に充満した。その多くの旗は、金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰の七宝をもって造られ、高さは四天王宮に至った。三十三天(さんじゅうさんてん・注2)は天の曼陀羅華を降らして宝塔に供養し、他の千万億の諸天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅緊那羅・摩睺羅伽・人非人は、あらゆる華・香・瓔珞・幡蓋・妓楽をもって宝塔に供養して、崇め敬い讃嘆した。

その時、宝塔の中より大音声が出て、次のように褒めて言った。

「善いことだ、善いことだ、釈迦牟尼世尊。よく平等の大いなる智慧であり、菩薩を教える法であり、仏が護念するところの『妙法蓮華経』を大衆のために説かれた。その通りだ、その通りだ。釈迦牟尼世尊が説くところは、すべて真実である」。

その時に、僧侶や尼僧や男女の在家信者は、大いなる宝塔が空中に留まっているのを見て、また塔の中から聞こえた音声を聞いて、みな法による喜びを得、未曾有のことと怪しみ、座より立って合掌し崇め敬い、会衆の片隅に座った。

その時、大いなる菩薩がいた。大楽説(だいぎょうせつ)という。すべての世間の天・人・阿修羅たちの心の疑いを知って、仏に次のように申し上げた。「世尊よ。何の因縁をもってこの宝塔が地より涌出し、またその中よりこの音声が発せられたのでしょうか。

その時に仏は、大楽説菩薩に次のように語られた。

「この宝塔の中に如来の全身がある。過去に、東方の無量千万億阿僧祇の世界に、宝浄という国があった。その仏国土に多宝という仏がいた。その仏は、もと菩薩の道を行じた時、次のような大いなる誓願を立てた。『私が仏となって滅度の後、十方の国土において『法華経』が説かれるところがあるならば、私の塔廟がその経を聴くために、その前に涌出し現われ、その証明となって、善いことだと褒めて言おう』。その仏は成道して、滅度の時に臨んで天人大衆の中において、多くの比丘に次のように告げた。『私が滅度の後、私の全身を供養することを望む者は、一つの大塔を建てるべきである』。こうして、その仏の神通力と誓願の力によって、十方世界のあらゆる場所で、もし『法華経』が説かれることがあるならば、その宝塔がその前に涌出して、仏の全身が塔の中にあって、善いことだ、善いことだと言う。大楽説よ。今、多宝如来の塔が、『法華経』の説かれることを聞くために、地より涌出して、善いことだ、善いことだと褒めて言ったのだ」。

この時、大楽説菩薩は如来の神力のために(注3)、仏に次のように申しあげた。「世尊よ、私たちはその仏の身を拝したいと願います」。

仏は、大楽説菩薩摩訶薩に次のように語った。

「この多宝仏には次のような深く重い誓願がある。『もし私の宝塔が、法華経を聴くために諸仏の前に出た時、私の身を僧侶や尼僧や男女の在家信者に示そうとするならば、十方世界にあって説法しているその仏の分身の諸仏を、すべて一つの場所に戻し集めて、その後、私の身を出現させよう』。大楽説よ。したがって今、十方世界にあって説法している私の分身の諸仏を、まさに集めよう」(注4)。

大楽説菩薩は、仏に次のように語った。「世尊よ。私たちは、その世尊の分身の諸仏を礼拝し供養したいと願います」。

その時、仏が白毫から光を放つと、たちまち東方にある、五百万億那由他の大河の砂の数の仏国土にいる諸仏を見ることができた。それらの国土の土地はみな水晶であり、宝樹や宝衣によって荘厳に飾られ、無数千万億の菩薩たちがその中に満ちていた。宝の覆いが張られ、さらにその上に宝の網が掛けられていた。その国の諸仏は、大いに妙なる声をもって、あらゆる教えを説いていた。さらに無量千万億の菩薩たちが諸国に満ち、人々のために教えを説いているのが見えた。

同じく南、西、北方と、北西、南西、南東、北東、さらに上下の世界が白毫の光で照らされ、見えるところもこれと同じであった。

その時に、十方の諸仏は、それぞれの菩薩に次のように語った。

「良き男子たちよ。私は今まさに、娑婆世界の釈迦牟尼仏の所に行き、そして多宝如来の宝塔を供養しようと思う」。

その時、娑婆世界はたちまち清らかな国土に変化した。地面が瑠璃の宝石であり、宝樹で荘厳に飾られ、黄金の繩が張り巡らされ、あらゆる集落・村落・城・海・江河・山川・森林などはなく、大いなる宝の香が焚かれ、天の華によって地面が覆われ、宝の網がその上に掛けられ、あらゆる宝の鈴が垂れ下がっていた。さらに、この『法華経』を聞くための会衆だけが残り、その他の天や人は他の国土に移された(注5)。

その時に諸仏は、それぞれ一人の仏が一人の大菩薩を侍者として連れて娑婆世界に来て、それぞれの宝樹の下に着いた。各々の宝樹の高さは五百由旬であり、枝葉も花も実も荘厳であった。それぞれの宝樹の下に、仏のための獅子座があった。その高さは五由旬であり、みな大いなる宝によって飾られていた。そして諸仏は、それぞれの座に着いて結跏趺坐(けっかふざ)した。

このように、あらゆるすべての世界の仏たちは集まってきたが、しかし、まだ釈迦牟尼仏の分身の諸仏は、一つの方角の諸仏すら、そのすべては集まっていなかった。

その時、釈迦牟尼仏は、さらにご自分の分身の諸仏をみな受け入れるために、八方の二百万億那由他の数の国を、みな清らかな国と変えられた(注6)。そこには、地獄、餓鬼、畜生、および阿修羅などの悪しき世界はなかった。また多くの天や人を他の国土に移した。変えられた国の地は瑠璃であり、宝樹で荘厳に飾られていた。その樹の高さは五百由旬であり、枝や葉、花や実などみな厳かに飾られていた。その樹の下にはみな、宝の獅子座が設けられていた。高さは五由旬であり、あらゆる多くの宝によってできていた。また大海、江河、および目真隣陀山(もくしんりんだせん)・摩訶目真隣陀山・鉄圍山(てっしせん)・大鉄圍山・須弥山などの高い山もなく、すべて宝の地面で平坦な一つの仏国土となっていた。宝によってできている網がその上を覆い、あらゆる旗がかかり、大いなる宝の香が焚かれ、多くの天の宝の華がその上に注がれていた。

釈迦牟尼仏は、さらに諸仏が来て座られるため、また八方の二百万億那由他の国を、みな清らかな国と変えられた。そこには、地獄、餓鬼、畜生、および阿修羅などの悪しき世界はなかった。また多くの天や人を他の国土に移した。変えられた国の地は瑠璃であり、宝樹で荘厳に飾られていた。その樹の高さは五百由旬であり、枝や葉、花や実などみな厳かに飾られていた。その樹の下にはみな、宝の獅子座が設けられていた。高さは五由旬であり、あらゆる多くの宝によってできていた。また大海、江河、および目真隣陀山(もくしんりんだせん)・摩訶目真隣陀山・鉄圍山(てっしせん)・大鉄圍山・須弥山などの高い山もなく、すべて宝の地面で平坦な一つの仏国土となっていた。宝によってできている網がその上を覆い、あらゆる旗がかかり、大いなる宝の香が焚かれ、多くの天の宝の華がその上に注がれていた。

その時、東方の百千万億那由他仏国土において説法している釈迦牟尼仏の分身の諸仏は、この場所に来た。このように順次、十方の諸仏は、みなこの場所に来て、八方に座った。こうして、ひとつひとつの方角の、四百万億那由他の国土に、諸仏如来は充満したのである。

この時、諸仏は各宝樹の下にある獅子座に座り、みなその侍者を遣わして、釈迦牟尼仏に挨拶をしようとした。それぞれ宝の華を侍者である菩薩に渡して、次のように言った。「良き男子よ。あなたは耆闍崛山釈迦牟尼仏の所に往詣して、次のように言いなさい。『病少なく、悩み少なくして、気も力も安らかでいらっしゃいますか。また菩薩や声聞の方々も、みな安穏でいらっしゃいますか。』そして、この宝の華を仏の上に散じて、次のように言って供養しなさい。『彼の某甲(それがし)の仏は、この宝塔を開こうと願っています』と」。このように、他の諸仏も、使いを遣わして同じようにした。

 

注1・「多摩羅跋と栴檀」 両方とも、香木の木や葉からとられた上質の香。

注2・「三十三天」 帝釈天のいる忉利天(とうりてん)に、三十三人の天がいることから、このように名付けられる。また、忉利天の別名でもある。

注3・「仏の神力のために」 仏が神通力によって、説くように働きかけた、ということ。大乗経典には、このような文がよく見られる。

注4・塔廟の中の多宝如来の全身を見るためには、さらに条件があった。その『法華経』を説いている仏の分身をそこに集めねばならない、ということなのである。ここに仏の分身とあるが、仏にはその分身である多くの仏がまた存在し、その仏たちがあらゆる方角のあらゆる仏国土で説法をしている、というのである。したがって、ここで『法華経』を説いている仏は釈迦如来であるから、今、釈迦の分身をこの場に集めてこそ、多宝如来の全身を拝することができる、ということになった。

ではなぜ、多宝如来はそのような誓願を立てたのか、という理由は記されていないが、『法華経』が説かれる場を、さらに荘厳にするためだと考えるのが自然であろう。では、最初から釈迦仏が、自らの分身を集めておいた上で、『法華経』を説けばいいのではないか、とも思えるが、聴衆の要望を受けてから、その期待の中、分身の諸仏が集まり、さらに多宝如来の身が現われるという方が、よりその場の荘厳さと緊張感と喜びが増し加わるのも確かである。

注5・各仏国土の諸仏が娑婆世界に行こうとしたとき、その娑婆世界の様子が一変した。今私たちが住んでいるこの娑婆世界は、清らかでない者たちがたくさんいたり、仏国土にふさわしくない山や谷などのでこぼこがあったりするのである。そのようなものが一切なくなった、ということは、この娑婆世界が浄土と変化したということである。ここまで『法華経』が説かれた場所は、冒頭に記されていたように、古代インド語の発音をそのまま音写した耆闍崛山(ぎしゃくせん、または、ぎしゃくつせん)であり、またの名を霊鷲山(りょうじゅせん)という。そして、このように娑婆世界が浄土と変化したのであるから、この世界はあくまでも娑婆世界のままで、同時に霊山浄土(りょうぜんじょうど)と呼ばれる世界となった。特に、多くの宝樹が現われたのは、その樹の下が、分身の諸仏の座となるからである。

注6・娑婆世界はまさに浄土に変わり、そこに、各仏国土にいる釈迦の分身の諸仏が集まって来た。しかし、娑婆世界が変化した浄土には、一つの方角の分身の諸仏さえ、すべて入りきれなかったとある。なお、サンスクリットからの訳を見ると、この段階では、分身の諸仏は全く来ていなかったとある。では、最初に集まって来た諸仏とその従者の菩薩は誰なのか、となるが、文の流れから見ると、分身ではない諸仏とその菩薩も、娑婆世界に現われた多宝仏を拝するために来たというように読める。漢訳では、そのような煩瑣な文脈を簡素化するために、一つの方角の分身の諸仏さえ、娑婆世界に入りきれなかったとしたと考えられる。

ともかくも、分身の諸仏がすべて入れるように、釈迦はさらに娑婆世界以外の数えきれないほどの国を浄土とし、そこに分身の諸仏を集めたのである。サンスクリット原本を見ると、釈迦が自分の分身の諸仏を入れるために、多くの国を作ったと読めるが、結局同じことである。では、これからは娑婆世界に他の多くの仏国土がプラスされた世界が法華経の舞台となるのか、と言うと、特にそのような記述はなく、あくまでも娑婆世界が浄土と化した世界が舞台である。もはや、人間の常識を超えた世界あるいは空間が舞台となっていると解釈するしかない。