大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

天台四教儀 現代語訳  19

『天台四教儀』現代語訳  19

 

第四章「観心」

 

しかし、上に述べた四教によって修行する時、それぞれの教えにふさわしく、方便の修行と正式な修行ある。つまり、二十五方便(にじゅうごほうべん)と十乗観法(じゅうじょうかんぽう)である。もし各教えにおいてそれぞれを述べれば、その文は煩瑣になるであろう。その教えによって、その内容は異なるが、名称と教えは別ではないので、ここで総合的に明らかにする。それぞれの教えに合った形は、その内容から理解できるであろう。

(注:「もし各教えにおいてそれぞれを述べれば、その文は煩瑣になるであろう」とあるが、『法華玄義』においては、各教えにおける十乗観法について詳しく記されている。しかし一方、止観の実践準備の意味がある二十五方便の記述は、理論中心の『法華玄義』にはない。二十五方便については、ほとんど『摩訶止観』によっている)。

 

第一節「二十五方便」

二十五方便を明らかにするにあたって、まとめて五項目とする。一つめは、「五つの修行条件の整える」であり、二つめは、「五つの欲を退ける」であり、三つめは、「五つの妨げを捨てる」であり、四つめは、「五つの事柄を調える」であり、五つめは、「五法を行じる」である。

 

第一項「五つの修行条件を整える」

まず、五つの修行条件を整えるということについて述べる。その五つの修行条件とは、一つめは、持戒清淨(じかいしょうじょう)である。『遺教経』に次のようにある通りである。「この戒律を守ることによって、あらゆる禅定および苦を滅ぼす智慧を生じさせることができる。このために、修行者はまさに清浄の戒律を保つべきである」。この戒律に、出家していない在家と出家者と、大乗と小乗の違いがある。

二つめは、衣食具足(えじきぐそく)である。この衣、すなわち着る物に関して三つある。一つめは、過去世において、釈迦が雪山大士(せっせんだいし)だった時のように、手に入る衣で身を覆えばそれで足りるということである。人間の世に出ることなく、忍耐する力が生じるのである。二つめは、釈迦の弟子の摩訶迦葉たちのように、人々が雑巾として使った布を集めて作った糞掃衣(ふんぞうえ)を着て、それも三枚だけにして、それ以上持たなかった、ということである。三つめは、大変寒い国土においては、釈迦如来はこの三枚の他に、百一種の身の回りの品を持つことを許された、ということである。また、食べ物についても三つある。一つめは、能力の高い修行者は、この世から離れた深山にあって、菜根、草、果実など、得たところに従って命をつないだ、ということである。二つめは、常に乞食(こつじき・修行者として、信心のある人々に食物を請うこと)をすることである。三つめは、檀家から送られてくる食物や、規則に従って修行道場が得ている食べ物を得ることである。

五つの修行条件の三つめは、静処閑居(じょうしょげんご)である。必要以上のことをしないことを閑(げん)と名付け、世間の騒がしさが聞こえないことを静(じょう)と名付ける。処(しょ)には三つがあるが、衣食のことによって知るべきである。

四つめは、あらゆる仕事をしないことである。生活の雑事をやめ、人と交わることをやめ、技術を生かした生産的なわざを行なわないことである。

五つめは、善知識(ぜんちしき・仏の教えに導いてくれる人)に近づくことである。ここにも三つある。一つめは、外護(げご・仏教教団以外の人)の善知識であり、二つめは同行(どうぎょう・同じ修行をする人)の善知識であり、三つめは教授(きょうじゅ・教えを授けてくれる人)の善知識である。

 

第二項「五つの欲を退ける」

二十五方便の二つめは、「五つの欲を退ける」である。退けるべき欲の一つめは、色形である。男女の姿形が整っていて威厳があり、目が美しく眉の形も良く、唇が赤く歯は白く輝く。また、世間の宝物の幽玄な黒色、黄色、朱色、紫色、そしてあらゆる妙なる色についてである。二つめは、音声である。弦楽器や管楽器や男女の歌声などである。三つめは、香りである。男女の身の香り、および世間の飲食の香りなどである。四つめは、味である。あらゆる飲食や美味の膳などである。五つめは、触れることである。男女の身の軟らかい硬い細い滑らかいなど、または寒い時の温かさ、暑い時の涼しさを慕うこと、およびその他の好ましい手触りなどである。

 

第三項「五つの妨げを捨てる」

二十五方便の三つめは、「五つの妨げを捨てる」である。いわゆる貪欲と怒りと睡眠と不安定な感情と疑うことである。

 

第四項「五つの事柄を調える」

二十五方便の四つめは、「五つの事柄を調える」である。一つめに、心については沈まず浮かず、二つめに、身体については緩めず硬くせず、三つめに、呼吸については滞ることなく早過ぎず、四つめに、睡眠については過不足なく、五つめに、食事においては飢えず食べ過ぎず、である。

 

第五項「五法を行じる」

二十五方便の五つめは、「五法を行じる」である。一つめは、正しい願いである。つまり、世間のすべての妄想顛倒を離れ、すべての禅定と智慧の門を得ようと願うことである。二つめは、精進である。堅く戒律を保ち、五つの妨げを捨て、一日の始めにおいても中間においても終わりにおいても、勤め行ない精進をすることである。三つめは、念である。世間の嘘偽りは軽んじるべきであり賤しむべきであり、禅定と智慧は尊重すべきであり尊ぶべきだということである。四つめは、巧みな智慧である。世間の安楽と禅定と智慧による安楽とを比べて、その得失と軽重などをよく認識することである。五つめは、一心である。念と智慧が明らかであり、世間の憂うべく憎むべきことを見て、禅定と智慧の功德の貴重なことと尊ぶべきことをよく認識することである。

 

この二十五種の教えは、四教の前の方便である。このために、まさにかならず身に付けるべきである。もしこの方便がなければ、世間的な禅定すら得ることはできない。ましてや、この世から離れた妙なる理法を得ることができようか。前に教えについて述べた漸教と頓教も同じではないように、方便また異なっている。どの教えによって修行するかも、時に臨んでよく判断しなければならない。