大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

開目抄 その7

諸の声聞は、前四味(注:『涅槃経』では、釈迦の説いた経典の順番を、乳の発酵精製過程に喩えて五味として表現しており、天台大師はこれを大きく用いている。すなわち、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味であり、『法華経』『涅槃経』が最後の醍醐味である)の諸経典において多くの呵責を被り、人天が集まった会衆の中で恥辱を受けたことは数えきれない(注:大乗経典ではこのように、いわゆる小乗の代表である声聞を責める箇所が多く見られるが、それは単に、大乗仏教が思想的にも組織的にも、伝統的仏教から脱する宗教改革であったためばかりではなく、実際に、伝統的仏教教団から異端扱いされ、多くの攻撃を受けていたためと考えられる。つまり、その反論と復讐の意味もあって、声聞などを攻撃する多くの文が創作されたのであろう)。そのために、迦葉尊者の泣き叫ぶ声は三千世界に響き渡り、須菩提尊者は茫然として手の一鉢を落とし、舎利弗は飯食を吐き、富楼那は鉢に糞を入れる者として嫌われた。世尊は、鹿野苑においては『阿含経』を讃歎し、二百五十戒を師とせよと念入りに教えられておきながら、今、またいつの間にご自分の教えをこれほどまでに謗られるのであろうか。これは、二言相違の失と言うものであろう(注:もしこれが本当の歴史的事実であったら、後に『法華経』で声聞も成仏すると教えたとしても、あまりにもひどいことである。もちろんこれは事実ではない)。

たとえば世尊が、提婆達多は愚人であり、人の唾を飲む」と罵られたならば、提婆達多も毒矢が胸に突き刺さったように感じて、恨みを込めて「釈迦は仏陀などではない。私は斛飯王の嫡子であり、阿難尊者の兄であり、釈迦とは同族である。もし私に悪いところがあったとしても、それは内々に教訓すべきであろう。このような人天が集まる会衆において、このように罵るとは、立派な人間の仏陀がなすことか。そうならば、私は昔、妻とする人を釈迦に奪われた。また今は一座の敵である。今日からは、何度生まれ変わっても、釈迦の大怨敵となる」と誓うであろう。これをもって考えると、この諸の大声聞は、もともと外道婆羅門の家の出身である。あるいは、外道の長者であって、諸王に帰依されて諸檀那に尊ばれていた。またあるいは、その一族も高貴であり、あるいは富福充満の者もあった。しかし、そのような栄冠なども打ち捨てて、慢心の幢を倒して、俗服を脱ぎ、みすぼらしい糞衣を身につけて、白払(びゃくほつ・虫などを払う道具)や弓箭なども捨てて、一鉢を手ににぎり、貧人や乞食のようになって、世尊につき従い、風雨を防ぐ家もなく、身命をつなぐ衣食も少なく乏しい姿となった。さらにインド全国、さらに四海はみな外道の弟子や檀那であったので、付き従っていた仏ですら、九つの大難にあわれた。それは、提婆達多が大石を転がし、阿闍世王が酔った象を放ち、阿耆多王が馬の麦を布施し、婆羅門の町では腐った食物を与えられ、旃遮婆羅門の女が鉢を腹に入れて、釈迦の子だと言って誹謗中傷したことなど、仏が相であるので、弟子たちの受難も数限りなかった。多くの弟子は波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔った象に踏まれ、華色比丘尼提婆達多に殺され、迦慮提尊者は馬糞に埋められ、目連尊者は竹杖外道に殺された。その上、六師外道は共謀して阿闍世王や婆斯匿王などに上奏して、「瞿曇(釈迦のこと)はこの世で第一の大悪人です。彼が至るところは、三災七難が必ず起こります。大海の衆流を集め、大山の衆木を集めるように、瞿曇のいるところには、衆悪が集まります。それは、摩訶迦葉舎利弗・目連・須菩提たちです。人身を受けた者ならば、忠孝を先とすべきです。しかし彼らは瞿曇に騙されて、父母の教訓も用いず、家を出て、王法の決まりにも背いて山林に入っています。一国に跡を留めるべき者ではありません。そのために、天には日月衆星が異変をなし、地には不祥事が盛んに起きています」などと訴えた。耐えられないほどの災いに耐えてきたうえ、仏陀にも成仏できない者と言われてしまった。人天の大会衆の中で、たびたび呵責の声を聞くのであるから、どうしたらよいかわからず、ただ慌てるばかりであった。その上、大の大難の第一は、『浄名経』に、「あなたたちに施す者は福田と名づけられない。あなたがたを供養する者は三悪道に堕ちる」などとある通りであるこの経文の意味は、仏が庵羅苑というところに出かけられた際、梵天帝釈天・日月天・四天王・三界の諸天・地神・竜神などの大河の砂の数ほどの無数の会衆の中で、「須菩提たちの比丘を供養する天人は三悪道に堕ちるであろう」と語られたのである。この言葉を聞いた天人は、これらの声聞を供養するだろうか。これでは、仏は言葉を用いて、あらゆる二乗を殺害されたと見られても不思議ではない。心ある人々は、仏をも疎んじたであろう。そうであるならば、これらの人々は、仏が供養されたおこぼれに預かって、わずかの身命を助けていたことになる。このことを考えると、仏が四十年余りの諸経典だけを説かれて、『法華経』の八年間の所説がないまま入滅されたら、誰がこれらの尊者を供養したであろうか。まさにこの世において餓鬼道に堕ちるようなものである。しかし、四十年余りの諸経典を、東から昇った春の太陽が、寒氷を溶かして消すように、無量の草露を大風が落とすように、一言一時に「未だに真実は表わしていない」と打ち消し、大風が黒雲を吹き飛ばし、大空に満月が現われるように、青天に太陽が照り輝くように、「世尊は教えにおいて長い歳月の後、まさに真実を説く」と照らされて、華光如来・光明如来舎利弗摩訶迦葉を、燦燦と照る太陽、鮮やかな月のように高貴な文に記し、高価な鏡に浮かべられたため、如来滅後の人天の諸檀那たちには、彼らも仏陀のように仰がれることになったのである(注:上にも述べた通り、このようなことは歴史的事実ではないため、いくら日蓮上人が劇的な文章をもって、声聞たちが『法華経』によって一大転換の恩恵を受けたことを表現しても、『法華経』以前の経典の記述を打ち消すことにならないほど、声聞たちのみじめな歩みが報われたことにできないほど、また『法華経』が説かれるまで声聞たちが釈迦の弟子として留まっていたとは考えられないほど、実際の『法華経』以外の経典における小乗批判は深いものである。このようなことを考えると、大乗仏教の人たちが伝統的な仏教教団から攻撃されたばかりではなく、『法華経』を創作した教団は、同じ他の大乗仏教の教団からも攻撃されていた可能性が高く、それが『法華経』の文に反映されているとも考えられる)。水が澄まなければ、月を映すことはできない。風が吹けば、草木はなびくものである。『法華経』の行者であるならば、これほどの恩恵を『法華経』によって受けた聖者たちは、大火の中を過ぎても、大石が降る中を通っても、訪ねて来るべきである。摩訶迦葉が入定されたということも、どのようになっているのだろうか。不思議と思うばかりである。

これは、現在はまだ後五百歳になっていないからなのか。『法華経』が広宣流布されるということは妄語なのか。日蓮は『法華経』の行者ではないからなのか。いっそのこと、『法華経』は教えの中の下等なものとして、真実は教外別伝だとと称する禅宗の大妄語の者を守るべきなのか。『法華経』の門を捨てよ、その巻を閉じよ差し置け投げ打てよと定めて、法華の寺院を失わせる者たちを守護すべきなのか。仏前では誓っておきながら、濁世の大難の激しさを見て、諸天は下って来ないのであろうか。太陽や月は相変わらず天にあり、須弥山は今も崩れず、海の満ち引きもあり、四季も同じように巡っているにもかかわらず、どうして『法華経』の行者が守護されないのか、という大きな疑いがますますつもりばかりである。

また諸大菩薩、天人たちは、『法華経』以前の諸経で授記を得ているようであるが、それは、水中の月を取ろうとするようなものであり、影を本体と思うようなものであり、色形のみあって実体はない。また仏の御恩も深いようで深くない。世尊が最初に成道した時、まだ説教もしていないにもかかわらず、法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩という六十余りの大菩薩が、十方の諸仏の国土から、教主釈尊の御前に来られて、賢首菩薩・解脱月菩薩の請いに応じて、十住・十行・十回向・十地(注:修行による悟りに応じた階位)などの法門を説かれた。これらの大菩薩の所説の法門は、釈尊に習ったものではない。十方世界の諸の梵天も来て教えを説いた。これもまた、釈尊から学んだものではない。この『華厳経』の会座の大菩薩・天竜たちは、釈尊以前の不思議解脱(注:どのような修行によって悟りを開いたかは、もはや知ることができない、という意味)にあった大菩薩である。過去世の釈尊の因位(注:現在の世における釈迦に至る前の段階)の御弟子ではないだろうか。あるいは、十方世界の先仏の御弟子ではないだろうか。いずれにせよ、一代の教主、この生で初めて悟りを開いた仏の弟子ではないのである。『阿含経』・「方等経」・『般若経』などの『華厳経』を合わせた四教を仏が説かれた時こそ、ようやく釈迦の御弟子たちは出てきたのである。

これもまた、仏の自説ではあっても、正説ではない。なぜならば、「方等経」・『般若経』の別教と円教の二教は(注:天台教学における蔵教・通教・別教・円教の化法の四教のうち、『阿含経』はただ小乗である蔵教に該当し、おもな大乗経典である「方等経」は、大乗の通教と別教と円教のすべてに対し、『般若経』は別教に円教を帯びているとする。ここでは、『華厳経』と比較するために、「方等経」が通教に該当することは省略されている)。『華厳経』の別教と円教の二教(『華厳経』は、別教と円教の両方に該当する)の義趣以上のものではないからである(『華厳経』に円教があるからと言って、それは純粋な円教である『法華経』の円教ではないため、他の大乗経典と同じだということ)。さらに、その別教と円教の二教は、教主釈尊の別教と円教の二教ではない。法慧菩薩たちの大菩薩の別教と円教の二教である(注:天台教学においては、『華厳経』の別教と円教は釈迦が説いたものではない、ということはいわない。これは日蓮上人の独創的な説である)。これらの大菩薩は、人目には仏の御弟子のように見えても、むしろ仏の御師であると言える。世尊は、この菩薩の所説を聴聞して智慧を発して後、重ねて「方等経」・『般若経』の別教と円教を説かれた(注:これも日蓮上人独自の説である)。色さえも変わらない『華厳経』の別教と円教の二教である(注:つまり、ここでも『華厳経』の円教は、釈迦が説いた『法華経』の円教とは違うのだ、ということを強調しているのである)。したがって、この大菩薩たちは釈尊の師である。『華厳経』にこれらの菩薩を善知識と説かれている理由がこれである。善知識というのは、一向に師でもなく、一向に弟子でもないという意味である。蔵教と通教の二教はまた、別教と円教から別れた枝流のようなものである。別教と円教の二教を悟っている人は、必ず蔵教と通教の二教をも悟っているのである。人の師とは、弟子のまだ悟っていないことを教えるので、師と呼ばれるのである。たとえば、仏より前の一切の人天・外道は二天(梵天帝釈天)・三仙(釈迦が修行中に教えを受けた三人の仙人)の弟子である。九十五種まで分派したが、結局、三仙の教えの範囲から出ていない。教主釈尊も彼らに教えを受けて、外道の弟子になったが、苦行・楽行の十二年の時、苦・空・無常・無我の理法を悟ったので、外道の弟子から離れて、無師智と名乗られたのである。また、人天も大師と仰いだのである。前四味(注:五味のうち、醍醐味の『法華経』を除く四教)の間は、教主釈尊は法慧菩薩たちの弟子である(注:これも誰も言ったことがない日蓮上人独特の見解である。ここまでくると、もはや日蓮上人はどの宗派にも当てはまらない人と言わざるを得ない)。たとえば、文殊菩薩釈尊の過去世九代前の師匠であるというようなものである。諸経典に「不説一字」(注:本来は、真実の悟りは言葉では表現できないという意味であるが、ここで日蓮上人は、『法華経』以前の諸経典においては、釈迦は本当の教えは一言も説いていないという意味で使用している)と説いているのもこれである。そして、仏の七十二歳の年、摩竭提国(まがだごく)の霊鷲山という山において、『無量義経』を説かれた際、今までの四十年余りの諸経典をあげて、枝葉をその中に収めて、「四十余年未顕真実」と打ち消されたのはこれである。この時こそ、諸大菩薩・諸天人などは、あわててその真実の意味を聞こうと願ったことであろう。しかし、『無量義経』では、真実の意味に関連したことは一言二言あるようだが、その中身については述べられていない。たとえば、月が昇ろうとするとき、まだ東山に隠れていて、その光は西山に届いていても、人々には月そのものがまだ見えていないようなものである。

(つづく)